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むき出しの笑顔

入学してまだ間もない時だった。


俺の周りでは互いが互いを利用しようと腹の探り合いが行われていた。

それが俺の周りでは当たり前だった。

小学校で、中学校で、部活で、塾で。

当たり前だが、俺はこの打算的な人間関係しかない状況に疲れて、ドロドロと汚い感情が渦巻くのを感じていた。


恋ヶ窪さんのことは初めて会った時からなんとなく気になっていた。

俺の周りにはいないような、素朴な雰囲気と意志の強そうな目。

だというのに話をするとちょっと抜けていて可愛らしい。


ある時、放課後彼女が勉強しているところを見つける。


「勉強してるの?」


「……うん。数学わかんないところあったから。」


「へえ、偉いね……。」


外を見ればみな熱心に部活動しているのに、彼女は教室で勉強だ。

部活には入らなかったのだろうか。


「恋ヶ窪さんは部活入ってないの?」


恋ヶ窪さんは返事をしなかった。

俺とあまり話したくないのだろう。

残念だが今までにもこういったことは何度もあった。

光ヶ丘という家と関わりたくないか、俺が嫌いか。

彼女の場合は後者だろうと思った。


「俺帰るね。

勉強頑張って……」


「光ヶ丘くんはテニス部だよね。」


「え?ああ、うん。そうだよ。」


「エースなんだってね。」


「いや、やったことあったからなだけだよ。」


エースと言ったのは俺にゴマする奴らだ。

今後のコネの為だろうか、家のためか。

熱心な奴らだとぼんやり思っていたら、恋ヶ窪さんから低い声が聞こえてきた。


「運動も出来て、お金持ちで、勉強も出来て。

ズルイよ、光ヶ丘くん。」


「ええ……?」


ズルイと言われても……。

困ったなと恋ヶ窪さんを見ると、怒っているような泣いているような顔をしていた。


「恋ヶ窪さん……?」


「ズルイ。ズルイよ!わたし、特待生で1番になってなくちゃいけないのに、光ヶ丘くんがいたら1番になれない……!」


彼女は特待生制度でこの学校に入ってきたのだ。

なるほど、合点がいく。

彼女の持ち物は周囲に比べ安っぽいし、振る舞いも粗雑なことが多い。


特待生で入ったということは相当努力したのだろう。

そんなに努力してまでこの学校に入りたかったのはやはり将来の為だろうか?


「……こいが」


恋ヶ窪さんと声かけようとしたが、喉のあたりで止まった。

彼女は泣くのを必死で堪えていた。

もう涙は溢れ、瞬きをしたら零れ落ちるだろう。

そんなに必死なのか。

それとも演技だろうか。


こうやって同情を引いて俺に手を抜かせる作戦か?

それとも、直接俺と取引するかもしれない。

彼女を1番にする代わりに何かする、とか。

彼女に何ができるか知らないが。


残念な気持ちだった。彼女も結局そういう奴らだったのかと。

俺から彼女に切り出すことにした。


「俺に、どうしてほしいの?」


「……どうって?」


「俺に手を抜いてほしいってこと?」


その瞬間、恋ヶ窪さんの目がカッと見開かれた。涙が流れるが、その目から怒りが表れている。


「手抜かなくたって、次のテストでは私が1番になるから!」


彼女は勢いよく立ち上がり勉強道具をガサツに仕舞うと俺の体を押して教室から出て行こうとした。

その手を慌てて掴む。


「あっ……、待って!

ごめん、嫌な言い方した。」


恋ヶ窪さんはこちらを見ない。

彼女は単に俺に文句を言いたかっただけなのだろう。

挑発するような言い方は彼女のプライドを傷つけたのかもしれない。


「……ごめんね。」


もう一度謝ると、彼女の肩がビクリと揺れたが、何も言わない。

手を掴んだまま時が止まっていた。

やがて、彼女から絞り出すような声が聞こえて来た。


「…………光ヶ丘くんは悪くない……。

私の方こそごめん……。」


彼女の顔がこちらに向けられた。

先ほどとは打って変わって、弱々しく泣いていた。

茶色の瞳が涙に濡れていて美しい。


「八つ当たりした……。

年6回のテストで毎回必ず上位10人以内で、かつ3回は1位にならないとダメで……焦ってた。光ヶ丘くんは、私と違って凄く優秀だから、毎回1位になっちゃうって、それで、嫌なこと言った。

ズルイって言ってごめん……。」


特待生制度の基準が少し厳しい気もするが、入学金授業料がタダになるからそんなものなのかもしれない。


「そうだったんだ。

俺の方こそ事情知らなくて、挑発するようなこと言ってごめん。

努力してるのに踏みにじるようなことを言った。」


彼女は首をブンブン振った。

涙がとめどなく溢れ、顔中を濡らしていた。

その姿ははっきり言って無様だ。

涙くらい拭きなよ、と思う。


「これ……。」


恋ヶ窪さんにハンカチを渡す。

彼女はそれをビックリした目で見た後、しっかり握った。

……涙拭こうよ。


「あ、ありがとう……。」


「使って。」


「汚したら悪いから。」


それじゃなんのために渡したんだ。汚れなんて洗えば落ちるのだから気にする必要はない。


「いいから。ね?」


俺は彼女からハンカチを取ると、無理矢理顔を拭った。

無機物に気を使う前に、自分の顔に気を使うべきだ。


「うあ!?」


「ほら、スッキリした。」


ハンカチを離すと、充血した彼女の目とかち合った。

顔が近い。

無性にドキドキした。

涙で顔をグチャグチャにしてた子なのに。


「ありがとう……。

……光ヶ丘くん優しいね。」


「え?優しいのかな……。」


優しさ、というよりは見苦しくて……という方が大きい。


「うん。本当に光ヶ丘くんはズルイね。

運動出来て、お金持ちで、勉強できて、格好良くて、優しい。」


恋ヶ窪さんはちょっとだけ笑った。

他の子と違って、彼女はメイクもなにもしていない。いや、リップくらいは付けているのか?でもそれくらいだ。


なのにすごく魅力的な笑顔だった。

額に収めたいくらいだ。


「私、1番になる。

でもそれは自分の力でなるから、手抜いたりしないでいい。

……今日は色々ごめん。ハンカチ、ありがとう。」


恋ヶ窪さんはまたはにかんで教室から出て行った。


ズルイのは彼女の方だ。

努力家で、勤勉で、愚鈍で、素直で、可愛い。

あれは演技か?油断させて、俺を罠にはめるつもりだろうか。


だがどの世界にあんなグチャグチャの顔したハニートラップがあるだろうか。

もっとスマートなやり方があるだろう。


彼女は俺を利用しようとするためにではなく俺を褒めてくれた。

俺と打算抜きで話してくれた。

初めてだった。

俺の周りであんな人はいない。

みんながみんな互いを利用しようと画策しているというのに。


奇妙な感情に襲われた。

暖かくて、スカッとする。そんな気持ちだ。

いつも俺に渦巻いていた、ドロドロとした醜いものは感じられない。

純粋な人間関係。


彼女がいてくれれば、俺はきっと両親のような汚く腐った人間にならないで済む。

彼女がいてくれさえすれば。

俺はまともでいられるんだ。



「まともな人間って……」


私ってまともだろうか?

非常識ではないと思うが、彼が惚れるほどまともでもないと思う。


「……俺の周りの奴らがまともだというなら、君はまともじゃないのかもね。

まともじゃないほど純粋……。」


光ヶ丘くんは暫く私を見つめていたが、ふっと笑って「恋ヶ窪さんが俺を好きな理由は?」と聞いて来た。


「えっ、そ、それは、」


「教えてよ。」


彼には聞いておいて私が言わないというのも卑怯だろう。

が、恥ずかしい。

ペンギンを見る。彼らは私の方を見て「早く言っちまいな!」と言ってるかのごとく鳴いた。

ペンギンにまで言われたら仕方がない。


「あ、あのね、最初は光ヶ丘くんのこと……その……き、嫌いだったんだ。」


「………………そう。」


「ああ、あの、でもそれは光ヶ丘くんがテストで一番取ったから嫉妬してて!しかもクラスで人気だし、僻んでたの!」


「全然気にしてないよ。全く。全然。」


光ヶ丘くんはニッコリ笑う。

けれどなんだか怖い。なんだろう、寒気がする。

手を握る力が強まった。


「それで?」


「あ、うん。

でも、光ヶ丘くん覚えてるかわかんないんだけど、私が教室で勉強してたら光ヶ丘くんが来て……。私、その時余裕なくて光ヶ丘くんのこと責めたんだけど……。」


まさに黒歴史というやつだろう。

教室で勉強していたところに光ヶ丘くんが颯爽と現れて話しかけて来た。

それに堪らなく腹が立ったのだ。

お前は1番だから笑ってられるだろうが、こっちは授業料がかかってるんだ!と。


「し、しかも、我ながら本当に恥ずかしいことに、泣いちゃって。

でも、光ヶ丘くんはハンカチ渡してくれて、全然怒ってなかったからビックリしたの。普通謂れのないことで責められたら怒るのになあって。

それから、光ヶ丘くんのことが気になるようになって、それで、その……」


徐々に徐々に好きになったのだ。

穏やかな笑みを浮かべているところ、誰かのミスを責めずフォローするところ、難しい問題も簡単に答えるところ、意外と男らしいところ、友達想いなところ、トマトが嫌いなところ……。

途中西野カナになったが、とにかく好きなところはたくさんある。

けれど1番は。


「光ヶ丘くんの顔が好き……。」


「………………顔。」


「あ、や!その……なんていうか、」


「ハハ、よかったよかった。恋ヶ窪さんの好きなタイプの顔面に生まれて。」


光ヶ丘くんは笑っている。

が、先ほど以上に怖い。寒気が止まらない。

手が痛いほど握られている。


「違うの!

かっこいいからじゃなくて、その……雰囲気……?」


「………………雰囲気。」


「な、なんて言ったら良いんだろう……。

い、いつもキラキラ輝いてるけど、ふとした時の冷めた感じとか、笑った時目が垂れて可愛くなるところとか、考えてる時口に指当ててんー、って言うところとか、甘いもの食べた時の嫌そうな顔とか、指先がいつも冷えてて赤いところとか、くしゃみ出そうで我慢したあとのハアってため息つくところとか」


「も、もう良いよ。」


光ヶ丘くんの顔が赤い。

初めて彼の照れた顔を見たな……と思って自分の言った言葉を思い返す。

長々と好きなところを語るなんてストーカーのようだ。


「あああ、あの、今のは気持ち悪いよね、わ、忘れて!」


「……いや、まさかそんなところまで見られてるとは思わなかったから……。」


光ヶ丘くんはペンギンたちを見ている。

というか、私から目を逸らしている……。

しまった。これは完全に気味悪がられている。


「い、嫌になるよね……ごめん……。」


「嫌じゃないよ。恥ずかしいだけで。

……そっか。俺のこと随分観察してたんだね。」


「か、観察というか……目が追ってたっていうか……。」


光ヶ丘くんをずっと見ていた。

教室でも、登下校中も。

わざわざ彼に合わせて登校時間も変えた。

これじゃストーカーと変わらない。


「……俺も恋ヶ窪さんのこと見てたよ。」


「……え?」


「俺のこと見てボーッとしてたのも、テニス部の練習覗きに来てたのも、わざわざおんなじ車両に乗ってたのも知ってる。」


「えっ」


「分かりやすいよね。」


全てバレていたというのか。

そういえば、告白したとき「知ってる」って言われたなあ……。

まさか結衣と一緒に光ヶ丘くんと私の姓名判断してたのもバレているだろうか?

最悪だ。


「分かりやすくて、可愛い。」


「ギャア!」


「なんで悲鳴あげるの……?」


「ご、ごめん、ときめきすぎて……。」


分かりやすいと可愛いのか……。

今まで天然アホの子馬鹿と罵られて来たけど報われる思いだ……。


「そういうところが好きだよ。」


光ヶ丘くんは笑った。

さっきみたいな怖い笑顔じゃない。

目がトロンと垂れて眉が下がった、あの笑い方だ。


彼の顔が近づく。

これって、もしかして……。


光ヶ丘くんと私の2回目のキスはペンギンの前だった。

ごめんね、ペンギン。君たちに唇はないからキスできないのに見せつけちゃって。

私は幸せです。

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