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その夜、私はエビになった。

作者: シビレエビ

 眩しいほどの光に、思わず重い瞼を上げる。

目の前に広がったのは暗い色をした青。自分が何故眩しいと思ったか不思議なほど暗かった。

私がいまどんな所にいるのか。それは体を動かせばすぐに分かった。いつもよりも軽く動けるが、そこまで速くは動けない。存在のない鉛を着ているかのような感覚。

海だ。私は今海にいる。深い深い海、深海と呼ばれる場所を私は漂っているのだ。

現在地が分かったのは良いが、私は何故息が出来ているのだろうか。私は人間だ。肺呼吸しか出来ない私が海の底にいて平気なはずがない。

他にも不思議な点はあった。視野だ。明らかにいつもよりも広い。が、その分だいぶぼやけている。

確かに元々目は良くない方ではあったが、これでは色の違いが分かる程度でしかない。先程から目の前を何かが動いているような感覚があるが、ぼやけているので見えるものも見えない。

 何度も目を凝らしてみたが、やはりぼやけている。諦めてどこか別の所に移ろうかと思い始めた時、声が聞こえた。何やらこちらに呼びかけているらしい。何か用かと返事をすれば、聞こえてたなら反応しろよというツッコミが返ってきた。

音が聞こえる方向からして目の前に居るのだろうが、見えるのは何やらぴょこぴょこと動く灰色の物体。もしやアレが声の主なのか?今いる場所が深海ならば、あの動き方は海老か。そう思いお前は海老かと尋ねてみたら、耳を疑う返事が返ってきた。

「? 変な奴だなー、お前だってエビだろ」

お前だって、という限り目の前の奴は海老で間違いないだろう。しかし私は海老ではないはずだ。だって私は人間なのだから。だが、私が海老であったならば確かに辻褄が合う。こんな深海で息ができるのも、いつもと感覚が違うのも納得がいく。

もしかすると私は気づかぬうちに海老になってしまったのか。それとも人間だった頃が幻で、現実に戻っただけなのか。こういうのを夢現と言うのだったか。実際になってみると実に不思議なものだ。

まったく経験のない状況というのは、こんなにもふわふわとした感覚だったのか。……ふわふわしているのはただ単に水中にいるせいかもしれないが。

 私が現状について悩んでいたせいか、先ほどから熱心に話しかけてくる海老が拗ねているのが分かる。目には見えないが何か振動のようなもので分かるような気がする。そうか、海老は目だけではなくこうして水を伝わる振動を使って状況判断をしていたんだな。一つ勉強になった。

「すまない。悪いが君の名前……いや、種類を教えてくれないか?」

海老に名前などあるのか分からないが、とりあえず種類だけでも聞いておこう。呼ぶときはその種類からあだ名をつけてしまえと思い、質問した。どうやら私はどこか吹っ切れてしまったようだ。

「俺はブラックタイガー! かっこいいだろ、ブラック先輩と呼んでくれて構わないぞ!」

種類を聞くのは強ち間違いではなかったようだ。自らあだ名を提供してくれるとはなんて親切な。しかし残念なことにブラック先輩よりも黒虎先輩の方がしっくりくるのでそっちで呼ばせてもらおう。

黒虎先輩がお前の種類はと訊いてきた。がしかし、分からない。どうしたものかと悩んでいると黒虎先輩の長年の経験で赤海老ということになった。海老にも勘というのはあるのか。また一つ勉強になった。

私がつけられたあだ名は赤ちゃんだった。正直馬鹿にされているようにしか感じなかったが、先程やっと自分が海老である事を知った私にはピッタリかもしれない。

 初めて出会った海老、黒虎先輩は実にいい人(海老)であった。時折自慢話を織り交ぜてくるとはいえ、人生初の海老生活をする為に注意すべき点を的確に教えてくれた。流石に自ら先輩を名乗るだけの知識と経験は持っていたようだ。

出会って間もないというのに美味しい餌の在りかまで教えてくれるとは、何だか所々心配になる部分もある。しかし、その点を入れても頼もしい。初めて出会ったのが黒虎先輩で良かったと心から思った。

 それにしても、この海老の泳ぎ方には慣れない。当たり前だ。人間だった時、未だかつてこんなに上半身を動かしたことがあっただろうか。腹筋をする時よりも疲れるし、何しろ速く動かさなくては天敵であるあのタコの触手に捕まってしまう。一度捕まったらもう最後なのだと黒虎先輩が悲しそうに揺れながら言っていた。だから俺は友の分まで生き延びてやるのだとも言っていた。


 海老になってから6日ほど経ったような感覚だった。あくまで感覚なので実際にはどれだけ時間が経っているのかは分からない。私は黒虎先輩に別れを告げ、少し遠くの辺りまで向かうことにした。

敵に見つからないように動くためには砂の上を出来るだけ素早く、それでいて静かに動く。その辺りはやはり人間と同じであった。

しかし困ったことにこの体では嫌でも音がするのが分かる。シャカシャカとまるで何かを振っているような音はあまりにも大きく聞こえて、いつ敵が出てくるか分からない恐怖で何度か足が止まった。

 動きすぎたせいか、急激に眠気が襲ってきた。どこかの岩場に隠れようと再びシャカシャカ音を出しながら歩き始めた時、自分が乗っている砂に違和感を覚えた。誰かの上に乗っているような感覚がしたため後ろに後ずさる。すると違和感の正体が姿を現した。

「こんにちはエビさん。気づかないかと思ったけど、意外と鋭いんだね」

穏やかにそう告げた魚は平たく、顔は左を向いている気がした。

「……カレイ?」

「失礼だな、僕はヒラメだよ! ほら、左向きがヒラメって有名でしょ?」

有名かどうかは知らないが、大変失礼なことしてしまった。佐藤さんと鈴木さんを間違えてしまうようなとんでもない間違いだ。慌てて謝ると慣れてるから良いよと許してくれた。体の面積と同じように心も広いようで安心した。

「それで、エビさんは何だってここに居るんだい?」

ヒラメさんの質問に一瞬ドキリとする。もしかしてここは海老が来てはいけない土地だったのではないかと不安になった。私の考えが分かったのかヒラメさんは慌てて違う違うと否定した。

「ただの質問さ。少しくらい良いだろう? こっちはずっと砂の上で待機してて暇なんだ」

そうは言われても特に目的があってここに来た訳では無いし、道中特別なことがあったわけでもない。話すことが見つからない私はとりあえず黒虎先輩との思い出を語ることにした。

ヒラメさんは楽しそうに私の話を熱心に聞いてくれて、気が付けば眠気なんてどこかに吹き飛んでいた。

ひとしきり話し終わるとヒラメさんは満足そうにして、再び擬態を始めた。ヒラメさんが聞き上手なおかげですっかり元気になった私は、もう少し先まで行ってみようかとまたシャカシャカと動き出した。

ヒラメさんに別れを告げると、さよならの代わりにヒラメさんは呟くように言った。

「僕には僕の世界があるように、君には君の世界がある。その世界をどう生きるかは本人自身でしか変えられない。それはどんな生き物でも同じだよ。たとえ……人でもね」


 ヒラメさんと別れた私は少しばかり軽い足取りでシャカシャカと歩いていた。これから何をしようか、やはり人間だった頃の感覚は幻だったのか。そう思うほどにこの体に慣れた事に気付いた頃、ぼやけた視界の中でひとしきり眩く光るものが見えた。眩く、と言っても暗い海だからそう見えるだけであって実際はそれほど光ってはいないのだろう。

いつもならば興味本意で近づくだろうが、この時は違った。自分の中で何か不思議な危険信号のようなものが点滅しているような気がして、近くの岩陰に隠れて様子を見ることにした。

先ほど光っているように見えたものが何やらゆらゆらと揺れている。その様子はまるで白い海藻のようにも見える。今、私が人の姿であったら恐らく涎を垂らしているような間抜けな顔になっていただろう。海老でよかった。

気を抜いているとそのふさふさに小魚が寄ってきた。ちょんちょんとつついているのだろうか、やたら揺れている。今のところ何も問題は無いなと思っていると、恐ろしいほどの速さで小魚が消えた。いや、食べられたのだ。

 確か人であった時、本で似たような状況を読んだことがあった。あれは……チョウチンアンコウだ。雄よりも雌の方が圧倒的に大きく、光る提灯を持っているのは雌だけ。

というか、彼らが食べるものは海老と小魚では無かっただろうか。そうだとしたらすぐにここから立ち去るべきなのだが、何を思ったのか私はチョウチンアンコウの元へ向かっていった。

近づけば近づくほど分かる相手の大きさ。自分が今小さい所為もあるかもしれないが、それにしたってでかい。しっかりとは見えないが目の前には確かにその深海魚の存在感はあった。

どう考えても今の私は格好の餌食なはずだが、相手が動く様子はない。そればかりか餌であるはずの私に向かって語りかけてくる始末だ。

「あんた、さっきからアタシを警戒してるだろう」

その通りだが、分かっているのならば何故私を食べようとしないのかと問うと薄く笑うようにアタシも馬鹿じゃないからねぇと答えられた。

彼女が笑った時提灯が大きく揺れて初めて、その姿を見ることができた。最初に感じたのは威圧感。自分より何倍も大きな相手が目の前に居るのだから、当たり前といえば当たり前なのだが。

「ところでアタシに何か用でもあるのかい?」

彼女が質問してくるのも無理はない。天敵であるはずの相手に近づいていくなんてよほどの阿呆でもやらないだろう。私にも分からないが、脚が勝手に動いてしまったのだ。正直にそう伝えると、彼女は豪快に笑った。

「あっはっはっ! こりゃあとんだ大馬鹿者だねぇ。あんた、種類は何なんだい?」

「知り合いの勘では赤海老とのことだ」

「赤海老、ねぇ……赤坊とでも呼んであげようか。アタシはチョウチンアンコウさ。好きに呼んでおくれよ」

どうやらなかなか大らかな性格をしているらしいので、チョウチン姐さんと呼ぶことにした。黒虎先輩といいヒラメさんといい、色々な性格の奴がいるのは全生物共通のようだ。

 もう少し話がしたいと思ったが、チョウチン姐さんはやめときなと首を横に振る。首といえるような場所があるのかは不明だが。

チョウチン姐さんが言うに、今は満腹だからいいが腹が減れば見境もなく餌に食らいついてしまうらしい。気が付けば目の前で話していた奴が居なくなっている、なんてこともしばしばあるらしく私をそんな目に遭わせたくないとのことだ。

私は渋々了承して、チョウチン姐さんに背中を向ける。そしてまた音を立てながら行き先のない旅を再開した。


 チョウチン姐さんと別れてから変わりなくシャカシャカ言いながら歩く私に、何やら声をかけてきた奴がいた。あたりを見回すが姿は見えない。依然として暗いままだ。ならばと思い感覚を全身に移すと、近くに何かがゆらゆらとしているのが分かった。

試しに返事をしてみると、何をしてるのー? と呑気な声が聞こえた。が、しかし姿は見えない。黒虎先輩の時は色が見えたのですぐに分かったが、どうやら今回の相手は無色のようだ。

姿が見えず困惑しているのが伝わったのか、相手はごめんごめんと呟く。すると突然目の前で鮮やかに光り出した。

「これで見える?」

「あ、ああ。ありがとう」

私が驚きながらも礼を言うとお礼言われちゃったー、えへへと嬉しそうにその場でクルリと回転した。光ってくれたおかげで、相手の正体がイカであることが分かった。目の前のイカは余程嬉しかったのか2本の触腕をゆらゆらとさせて踊っている。

それで、何か用があるのかと聞いてみたが特には無いらしい。なんとなく話しかけたくなったからそうしたと。なんだか拍子抜けしてしまった私はとりあえず、君の種類は何だと聞いてみた。

「えーっとねぇ、ユウレイイカだったと思う。そういう君はー?」

「赤海老……らしい」

お互いなんとも曖昧な自己紹介が終わった後、やはりユウレイイカともあだ名を付け合うことになった。流行っているのか、これは。

 ユウレイイカのあだ名はユウになった。人間にいそうな名前だ。私の名前はあーちゃんになった。これまた人間にいそうな名前だ。

ユウは不思議な奴だった。まるで他の生き物と話すのが初めてだとでも言うような反応ばかりしていた。それについて聞いてみたが、自身でもいまいちよく分かっていないらしい。他にも質問はしてみたが、ほとんどの回答は分からない、知らないと言うばかりであった。

返事も生態も曖昧ではあったが、私も同じようなものなのであまり深く突っ込むことは出来なかった。途中で何かを言いかけていたが、やっぱりまだ秘密ーと触腕をバッテンに交差させて体を光らせていた。まだ、とは一体いつ話してくれるのだろうか。

 お互い話すことが無くなり、少しの間無言の時間が流れる。しかしそれでも不快に感じないのはユウと仲が良くなったからなのだろうか。

そんな心地よい時間を楽しんでいるとユウが静かに語りだした。

「僕、今まで何をすればいいのか分かんなくて、ずっとこの辺でフワフワしてたんだけどね。君を見つけて思い出した。というか、直感で分かったって感じがしたんだ。僕がしないといけないことが」

そこまで言い切って、ユウはまた静かになった。続きが気になって仕方がないと思ったが、それを察したユウがまた触腕をバッテンにした。これもまだ秘密ということだろう。ならば深追いはするまい。ユウが話したいときに話してくれればいいのだ。

 ユウがふと、思い出したように声を上げる。どこかに向かうつもりだったんじゃないのかと訊かれたが私自身、何処かに向かっているというわけではなかった。それこそ何となく、というやつだ。きっとただじっとしているのが性に合わなくて、辺りを動き回りたいだけなのだろう。

そして、ユウの台詞によりまた私は何処かに行きたくなった。アテもない、土地勘もない。そんな中で自由に動くのが好きになっていたのだ。

何処か悲しげなユウに別れを告げて、私はまた歩き出した。


 暗闇の中、私は恐怖を感じていた。

あれから歩いては休み、歩いては休みを繰り返していた私が6回目の休憩に入った時、不意に強烈な視線を浴びせられているような感覚がして思わず跳びはねそうになった。休憩の時は念のためいつも岩陰に隠れていたがこんな岩陰で視線を感じるのは初めてだ。何事かと、一応警戒しながら後ろを振り向くとそこに居たのはタコだった。タコの、その横に長く四角い瞳孔を見てはっとする。私は完全に忘れていたのだ。最も警戒するべき相手を。今まさに私を見つめているそいつを。

私は慌てて勢いよく体をくの字に曲げる。これは一番速い移動方法で、緊急事態の時などに役に立つ。しかし今回はそれが仇となった。タコは、私の動きを読んでいたのだろう。先に私の後ろに自らの触手を待機させていたのだ。そんなところに勢いよく後ろに跳ねたりなんかすれば相手の思う壺だ。

私はあっという間にタコの触手に捕まってしまった。

 捕まってしまっては成す術がない、きっと私はこのまま食べられてしまうのだろう。先ほどまで慌てていた私だったが、死期を悟ると冷静になるというのは本当らしい。今の自分の状態を客観的に見られるほど、酷く落ち着いていたのだ。

黒虎先輩は元気だろうか。また他の海老にお節介でも焼いているのだろう。

ヒラメさんは、きっと今でも海底の砂に擬態して誰かが来るのを待ちわびているのだろう。

チョウチン姐さんは、暗い中でまた小さな明かりを灯しているのだろう。

ユウは、ちゃんと目的を果たせただろうか。私と会ったことで何かが変わったのならいいが。

私を捕まえたタコの触手がゆっくりと動き始める。私も同じようにゆっくりと目を閉じた。食べるならばとっとと食べてしまえ。私はもう覚悟ができたのだ。さあ、早く。


「ちょっと待ったあぁぁぁ!」

何かがバシャバシャとこちらに向かってくるのが分かった。その声を聞いて私は目を再び開く。

「ユウ!?」

名前を呼んでみたがどこにいるのかが分からない。それはタコも同じようで、動揺したのかタコの体が少しばかり動いた。そうか、ユウは元々無色透明だから光らなければ見えにくいのだった。

見えないユウが墨を吐いてタコに攻撃する。その墨が丁度タコの目に入ったようで、私を捕らえている触手を除いた7本の触手をグニャグニャと動かした。

しかしそれもあまり効果がなく、触手の動きが元に戻った時。タコの目の前がパッと明るくなった。その明かりは白く、この暗い深海では眩しいほどで……その正体はすぐに分かった。

「どうだい? タコさんよ。眩しいだろう、アタシの光は」

「チョウチン姐さん……」

なぜここにと言おうとしたが、姐さんの光で目が眩んだタコが身を捩ったせいで触手と同時に私も揺さぶられて言葉にすることが出来なかった。そんなタコの様子を見てチョウチン姐さんはあっはっはと盛大に笑った。

それに怒ったのか、はたまた明かりを消そうとしたのかタコは姉さんに向かって墨を吐いた。しかしそれがチョウチン姐さんにかかることは無かった。平たく、大きな体が壁となって姐さんを墨から守ったのだ。

「おや、ヒラメかい?」

「正解ー。嬉しいなあ、僕のことを当ててくれるコがいるなんて」

あははと笑ったのは確かにあの時のヒラメさんだった。もしかして、この流れは……。

この後はだいたい想像がつく。ほら、ビチビチと音が近づいてくるじゃないか。

「うおおおお! ブラック先輩、参上!」

俺の後輩を離しやがれタコ野郎め! と言いながら自らの尾びれを叩きつけるのは紛れもなく黒虎先輩だ。

 やがてタコは面倒になったのか私を手放した。元々こんなに深いところに来る奴ではないので、酸素が上手く取り込めず疲れてしまったのもあるだろう。

タコが浅い海の方向に向かっていくのを確認した皆が、一斉に私のもとへ寄ってくる。

一番に近づいてきたのは黒虎先輩。因みに始まりはビックリしただろ? の一言だったが、答えはNOだ。残念ながらビックリしたのはユウが来た時だけだった。そう正直に伝えると黒虎先輩はショックの反動で固まり、ユウは照れくさそうに触腕を動かした。

ヒラメさんとチョウチン姐さんは私をジロジロと見つめて、両者共にやっぱりと呟いた。何のことか分からない私はどうかしたかと2人に質問した。

「いいや? あんたはこの海に合わないと思ってね」

先に答えたのはチョウチン姐さんだった。そのやけに含みのある言い方にいち早く反応したのは黒虎先輩。

先程私を捕まえたタコに向かってきたように、その場で尾びれをビチビチと動かしている。チョウチン姐さんから見ればさぞ美味しそうであろう。

「どーいうことだよ! 俺の後輩はここにいちゃいけないっての!?」

私がぷんすかと怒る黒虎先輩を宥めると、ヒラメさんがチョウチン姐さんの代わりに続きを言う。

「いちゃいけない訳ではないよ。でもね、君の後輩はこの海には眩しすぎるんだ」

ヒラメさんが遠回しな言い方をするせいで黒虎先輩はアカエビが発光するわけないと返す。

黒虎先輩は分からなさそうだが、私は気が付いていた。ヒラメさんやチョウチン姐さんの言いたい事が。仕方がないことなのだ。ここは夢の中で、私は元々この世界の住人ではないのだから。


 しかし疑問が一つだけ残る。なぜ、私が危ないと分かったのか。ただ単に私の都合に合わせた結果だったのかもしれないが、あの時は確かに全てを諦めていたのだ。たとえ夢の中であっても、死んでしまえば現実世界に影響を及ぼさないわけがない。それを理解したうえで、この世界で散ってもいいのではないかと思ったから諦めたのだ。なのに、ユウ達がやって来た。

一体どういうことかと混乱する私に、ユウがそっと近づいてきた。かと思ったら唐突にごめんと謝られた。

「あーちゃんが諦めてたの、僕分かってたのに。なのに、勝手に助けようなんて」

あの、その……と慌てているユウをつい撫でたくなったが、この体では撫でることも出来ない。なんて不便な体だ。撫でる代わりに別に気にしてない、むしろ礼を言わなくてはいけないと返すとパッとユウの顔と体が明るくなった。

あのねと続けて何かを言い出そうとしたユウの言葉を遮って、間の悪い海老が私に向かって質問をしてきた。

「お前、いなくなっちゃうのか? さっき平たい奴がお前は人間なんだって」

今のぼやけたこの瞳でも、黒虎先輩が悲観の表情をしているのは分かる。私が彼らのもとにいられる時間が無くなってきているのを、きっと心のどこかで分かっているのだろう。いかないで、そんな思いがひしひしと伝わってくるが、私にはどうすることも出来ない。どう足掻いたところで朝というものはやって来る。

私が言わずとも分かったのか、黒虎先輩はそっか……と自らの悲しみを声に出した。

そんな黒虎先輩に大丈夫とユウが元気よく体をぴょこぴょこと動かして言う。何がという質問をする間もなく、ユウは大きな声で続けた。

「だって、海老のあーちゃんがいなくなってもいるもん! 人間のあーちゃんがいるもん!」

だから悲しむことなんてなんにもないよ! と勢いよく言い切った。悲しむことはない、する必要が無いという証拠なのか、ユウからは悲しみの気持ちなどごく僅かしか感じられなかった。

アカエビである私が分かったのだから、ブラックタイガーである黒虎先輩にも分かったのだろう。良くは見えないが、笑顔で私を見ているような気がした。

 私の体が突如輝きだした。それと共にヒラメさんが時間切れだ、と呟いた。

チョウチン姐さんは提灯を光らせて達者でね、と一言。

ヒラメさんは何も言わず、ふわりと砂の上に乗った。

黒虎先輩は別れを告げてくれたが、鼻声だったためいまいちよく聞き取れなかった。海老でも鼻声は出せるのか。いや、夢だからか。

ユウは触腕をひらひらと振っていたが、言い忘れた! と叫んでから慌てて私のもとに寄ってきた。

「前に言ってた秘密のはなししてもいい?」

「ああ、手早く頼むよ」

「うん! あのね」

 ユウの言葉を最後まで聞いて、私の意識は無くなった。




 眩しい光と、心地よい波の音で目が覚める。いつもなら重いはずの瞼が、今日は軽かった。

目の前に広がったのは、見慣れている我が家の薄汚い天井だった。

体を起こして、自分の手を見つめる。人だ。

「……?」

今、なぜ人だと思ったのだろうか。生まれてから今までずっと人であったはずなのに。まるでさっきまで人ではなかったかのような……。

 ザザ、という波の音で私の思考はかき消される。ここは海が近いから、窓が開いていればいつでも波の音を聞くことができるし、家から浜辺まで数分でたどり着くことができる。昔はちょっとした散歩程度に浜辺を歩いたものだ。

……久しぶりに、また散歩にでも行ってみようか。それに、ここの海にはあいつらが居るから。

「………………?」

あいつらって、誰だ……? 今日は何かおかしい。さっきから記憶にない記憶が脳裏をかすめている。


__僕たちは君のすぐ近くにいるんだ。だからまた、会えるね!


確かに、聞いたはずだ。いつ、誰が言っていたかは覚えてないが、確かにこの耳で……。




「……まあ、いいか」

浜辺を歩けば、きっといつか思い出すさ。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

今回初作品にして、テーマは「人とそうでないものの差」というものに挑戦させていただきました。

私個人としては、大きな差なんて存在しないのだと思います。

同じように喜び、同じように悲しみ、同じように生きる。

外国語が分からなくても相手が笑っていれば楽しいんだと分かるように、他の生き物だって言葉が通じないだけでちゃんと喜怒哀楽は存在しているのだと、信じております。

皆様にも、犬や猫などの身近な生き物をよく観察して見ることをオススメします。

言葉は通じなくても気持ちは通じる。きっと彼らも分かってくれるでしょう。

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