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第五話 桜色の邂逅



 最北の地に立つ魔王城。静寂と孤高のままに雪に閉ざされて、残るのは寒さと一面の白銀のみ。わざわざこんな山奥に建てることはないと思わざるを得ない。もはや誰が建てたとも知れぬ城への想いなど知るよしもなく。ただただ寒く、冷たい土地は来る者を拒み、また迷い込んだ者を帰さぬ場所であった。


 北と中央を隔てる聳え立つ山脈は互いの領地を侵すことを防いでいるとされた。中央の民はそれに安堵し、また魔王にしても易々と攻め込まれぬ自然の砦としていた。

 実際には単なる体裁だけだったのは今回のことを鑑みればわかる。魔王が攻めようと思えば自然の力など捩じ伏せてしまえる。


 荒野の城に住まう魔王がそれを一番理解していた。

 イーラはトリスティスの城に入ると脇目も振らずある場所を目指した。

 その横に付き従うタカトラは城の内部の惨状に口元を覆った。


 壁一面に飛び散った血糊。美しかっただろう景観を損なう美術品や調度品の無惨な姿。壁は抉れ、シャンデリアは砕け散って足元に不快感を与えるだけの存在に成り下がった。

 何もそのことに動揺したのではない。自分たちがやったのだ。当然の結果を受け入れられないような未熟さはないと思いたい。


 彼は辺りを満たす魂晶の濃さに吐き気を堪えただけなのだ。

 この男の魔力耐性は普通よりとても低い。一般人が生きていく中で支障のない大気中魔力変化も濃度や性質の落差が大きくなればなるほど体調不良を起こす。

 彼にとってはあまりに濃い魂晶は視覚にも肉体にも優しくない。多くの者の命が散った証にしか視えなかった。


「もう少し平然と出来ぬのか」


「悪かったな」


「弱みを見せるな」


 反論はしない。普段はアニマが視えることも魂晶が身体に及ぼす影響も隠している。普通の人には視えもしなければ感じもしないのだ。アニマを操るのは魔王の特権で、ゆえに彼女たちの影響は世界を揺るがす。


 とはいえタカトラくらいの中途半端な特殊性など知られて良いことなどない。今回の件がいい例だ。

 魔王の息子。

 彼自身はそれがどうしたと思っている。魔王の血を継いでいようが彼らのような力はない。多少の特殊性など生きづらさしか与えなかった。


 王の子だからと地位を継げるわけでもない。魔王継承は世襲性ではなかった。

 何の権限もないのに命まで狙われて文句も言いたい。

 タカトラはクルトゥーラが彼を狙っている件を報告しなかった。言おうが言わなかろうが現状は変わらないという諦めがあった。


 このまま自分はこの女に飼い殺しにされるのだろうか。

 イーラの横顔はタカトラの考えを見透かして、なお悠然と微笑んでいるように見えた。





 城の構造はイーラの城とも父の城とも似ても似つかない。その中を二人は迷いなく進んでいく。襲撃前に調査済みだ。

 何もない通路の一角。ここまでは美術品で壁は埋まっていたのに不自然に白い壁がある。


 イーラは手を翳しアニマを通づる。主のいない城ではあるがまだ所有権は消失していない。解呪構成で半ば無理矢理にトリスティスの承認をこじ開ける。

 紫の魔法陣が浮かび上がり弾けた。

 一見何の変化も起こらなかったように見えた壁はイーラがそっと触れようとしても触れられずに通り抜けた。


「あんたのとこもこうなのか?」


「さあの」


 真意の汲み取れない笑みを浮かべた女は壁をあっさりと抜けていった。タカトラは恐る恐る腕を通したあとに目を瞑って一気に通った。特に何の不快感もなく先に続く通路に出て、振り向くと出口も変わらず白い壁に見えていた。


 イーラは待たずに先を行く。城の内装とはまるで違う白い通路はすぐに下へと続く階段に変わった。人ひとりがやっと通れるくらいの狭い道だ。地下へ向かっていて窓もなく灯りも見当たらないのに一向に暗くならない。それどころか淡く照らす白い光に満ちている。


 血腥い地上とは打って変わって空気が澄んでいた。

 しかし下へと進むほどタカトラの顔色は青褪めていった。額に滲む脂汗を拭い、呼吸も浅くなり時折大きく深呼吸して己を保った。


 アニマが凄まじく濃い。

 視界を照らす白すら魂晶なのかと錯覚する。輝く清廉なる光の欠片は消えることなく地から天へと舞い上がる。

 美しさは、けれどタカトラを苦しめる。魔は毒にしかならない。


 魔王に頼めば魂晶程度の侵蝕など退いてくれる。

 タカトラは自らの意地と矜持のせいで決して彼女にはすがらない。イーラはイーラでタカトラの意固地が崩れる様を楽しんでいるのでよほどのことにならない限りは助けない。無駄な足掻きで苦痛に歪むのを横目に嘲笑しているのだ。

 それをわかっていながらやはりイーラに頼るという選択肢はなかった。





 地下への階段は唐突に終わり、真っ直ぐ続く廊下を進むと再び壁にぶち当たった。イーラは手を翳し承認を突破する。

 白い壁は弾けるように光の中で消失し、視界の先に開けた部屋が現れた。


 だだっ広い真っ白な広間。六本の支柱が天を仰ぐほど高い天井を支えている。そのまま天井を望めば見たこともない装飾が施されていた。

 まるで宇宙。満天の星空。それらが幾つも重なり複雑な図式となりつつ秩序と混沌。同一性と多様性。神の存在。そんなものを表しているように見えた。


 創世記には無学なタカトラにすら世界の成り立ちを思わせる図形だ。美術品としても一級品なのだろう。星のひとつに施された意匠の繊細さを見ても手間の掛け方に目眩がする。


「すごいな」


「妾は嫌いじゃ。倒れたくなければ下がっておれ」


 これには大人しく従う。ここのアニマの強さは先程までの比じゃない。合わせて今から魔王が魂呪術を使うのだ。正直逃げ出したい。

 広間の荘厳さばかりに目がいくが、それはこの場所がいかに特別か示唆するに他ならない。


 六柱に囲まれて為る空間。中央には大きな球体を埋め込んでそのてっぺんがなだらかに盛り上がっているような広間としては不自然な床となっている。

 イーラはその周囲をぐるりと周りながら柱に触れた。呪術の糸が柱と柱を繋いでいき、魔王は念入りにあと二周した。黒い糸が空間を閉じ込める。見えざる壁に手を添え、素早く詠唱した。何の言葉かはタカトラには聞き取れない。


 言の葉が術に乗って染み込むとアニマで作った壁が静かに光り、糸は強固な結界となった。

 魔王はこの一見何もない空間を閉じ込めることを目的としてトリスティスの城を襲ったのだ。


「これでもういいのか?」


「封じるには封じたが不完全だな」


「城はあんたのものになったんじゃないのか?」


 イーラは急にタカトラを睨みつけ、手を翳した。


「は、なんっ――」


 攻撃される。反射的にそう思って防御体勢を構えた。

 キィン。耳に高い剣戟の音がタカトラの後ろで響き、彼女の術がそれを弾いていた。

 驚き振り向けば、剣を握り直した見知らぬ銀髪の男はタカトラとイーラを睨みつけ、もう一度懲りずに向かってきた。


「トリスティスの仇、成敗してくれる!」


 なんて命知らずの馬鹿なのか。無鉄砲にも程がある。二度目は確実に殺される。

 イーラのアニマが鋭く研ぎ澄まされる。タカトラはそれが発動する前に彼女の前に立ちはだかり男に対峙した。


 銀の長髪。翠の目。ズタボロだが騎士の様相。

 こいつはトリスティスの騎士だ。銀髪の騎士のことは作戦注意事項として触れられていた。

 しかしあの襲撃の最中に死んだと思っていた。まさか生きているとは。


 サーヴァントを持たぬ魔王の騎士――というには図体ばかりでかくて鈍い。

 タカトラは素手のまま自分より大きい男の鳩尾に掌底を食らわせ、流れるように足を払った。倒れたところに膝で背中を押さえつけ腕をきつく後ろに引き、簡単に無力化した。


「そなたあの女の男のひとりか?」


 もがき今にも質問に唾棄しそうな男の腕をさらに引き絞る。呻いて仇の魔王を憎しみに燃える瞳で睨みつけた。彼女はそれを蔑んだ目で笑い、爪先で男の顎を持ち上げた。


「確かに顔は良いな。さりとていくら男を侍らせても役に立たねば意味もない」


「トリスティスは、トリスティスは……! 貴様、殺してやる! たとえ己が命、ここで潰えようとも貴様を殺すまでは地獄の果てからでも這い上がってやる!」


「なんと威勢の良い恨み言じゃ。おぬしの時を思い出す」


 タカトラに視線を投げかけ面白そうに笑う女に表情は変えなかった。苦みと揺らぐ炎が燻らないわけではないが彼はそれを飲み込むことで生きてきたのだ。


「トリスティスが何をしたというのだ! 他人を裏切り、踏み越え、虫けらのように殺す貴様などとは違う! 貴様が王を名乗るなど相応しくない! この魔女め!」


 イーラの真っ赤な瞳が邪悪に細められる。口元に笑みを浮かべたまま周囲の魔が揺らぐ。死の匂いだ。


「黙れ、この無能!」


 男の頭を床に押さえつけ黙らせたのはタカトラだった。アニマが不機嫌に収まってゆく。


「イーラ、こいつは仮にもトリスの従者だ。あんたのサーヴァントはほとんど死んだ。こんなのでも一から鍛えるよりはマシだろ」


「なん、だと! 私はトリスティス以外には」


「いいから黙ってろ」


 腕を捻り上げるとまだ何か言いたそうに呻いて黙った。


「妾は反抗的なしもべはおぬしだけで十分なのだが」


「頭を弄くればいい」


「ふうむ」


 不穏な言葉に男は暴れようとしたが関節を押さえているので力を入れるだけで痛みが走り諦めた。

 イーラは男を値踏みする。自由を奪われ苦悶の中で足掻き切れずにいる男の様子に、彼女なら満足するだろうと思った。


「自分と同じ境遇の男によくもまあ情けの欠片もないことが言えるの。気に入った。そなたも妾のサーヴァントにしてやろう」


「なっ……そんなことをして無事で済むと思うな! 私は貴様の従順なしもべとは違う! 必ず後悔させてやる!」


「だから黙ってろって」


 あまりに煩いからとうとう頭を思い切り床に叩きつけた。酷い音が響いたが、多分鼻血程度で済んだはずだ。


「準備が必要だろ、こいつはこの城の牢に入れておけばいいよな。煩くて敵わん」


 男を拘束したまま引き起こして立ち去ろうとする。


「タカトラ」


「なんだよ」


「お前は妾のものだよ」


「言われなくてもよくわかってるっつうの」


 平静を装ったつもりでも手には汗が吹き出したし、男を掴んでいる手は僅かに震えてしまった。相手もぴくりと反応したが、イーラは何も言わずに彼らが立ち去るのを許した。


 張り詰めた緊張感が緩んだと思ったその時だった。

 まるで天啓のようないかずちにも似たアニマが発生した。張り裂ける轟音を轟かせながら、イーラが封じたはずの六柱の中央にアニマの塊が落ちる。


 凄まじい力の波に煽られ、タカトラがよろめいた隙に男は好機を逃さなかった。彼を振りほどき、目一杯突き飛ばすと力の限り走って逃げた。それが男の今出来る精一杯だった。

 タカトラは追わなかった。追えば簡単に伸せたがやるつもりが端からなかった。


 それよりも広間で起こった現象に目を奪われていた。

 激しい波となり押し寄せる桜色の膨大なアニマ。

 サクラ、だ。見たこともない花の名が心を揺さぶる。

 激流のような桜の嵐が止むと封印結界の中に――これも彼は桜だと思った。桜のような鮮やかな髪を持つ少女が横たわっていた。


 人体召喚。

 イーラが封じるつもりでいたのは代々魔王を召喚してきた召喚大魔法陣だった。





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