第四十一話 信じろ
「もう仲違いかの?」
窓辺近くの天井を削ぎ落とし光柱が降り注いだ。崩れた瓦礫は守護陣に弾かれ二人は無事だった。
しかしカヤはもはやタカトラを振り返らずに崩れた天井目掛け地面を蹴った。声のぬしの衣が視界の端に見えている。
イーラが戻った。
「カヤ!」
自分も連れていけ、そういう意味で掴みかけた腕を彼女はすり抜け、行ってしまった。
見限られた。
いいや、彼女はタカトラを助けた。願いを叶えた。出来ないという彼の思いすら汲み取って、だから置いていく。
「俺ってやつはクソかよ」
助けて欲しい。
一緒にいたい。
識りたい。
全部が全部、逃げ出したい自分の気持ちだけだ。カヤのことが知りたかったわけじゃない。カヤの向こう側に視えた異世界との繋がりをなくしたくなかった。
父親が大事?
桜が見たい?
そうだけど、そうじゃない。
違う場所へ逃げたい自分の言い訳に大事なものを使っただけだ。
なんて狡くて矮小な男か。
そうしてカヤを言い訳にして逃げたくせに、今度は彼女からも逃げるのか。
彼女は魔王だ。
だけどイーラとは違う。
そうだろうか。言いきれるほどカヤの何を知っている。思い浮かべるものが何もないくらいに何も知らない。
少し会話しただけで衝突して、困惑させられる。
タカトラが勝手に桜色の幻想を抱いているせいだ。
優しく微笑んで、手を差し伸べてくれた少女が魔王イーラと同じなわけがないと。
だが現実を見てみろ。
イーラと対等にやり合っている。
ひどく冷徹な目をして、紛れもなく殺し合っていた。
二人の女が殴り合いをするように魔法を散らしている。爆発して、火に包まれ、水流に押し流され、刃が貫く。
あのイーラが惜しげもなくアニマを放出している。
カヤも本気で殺しにかかっている。
しかしどうやら劣勢だ。当然だ。万全の態勢で挑んだとしても純粋な力量に差がある。なのにカヤはすでに随分消耗していた。タカトラのためにアニマを使いすぎている。
だからタカトラが必要だったのに。彼に背を任せ、共に戦うはずだった。
「俺は、何してんだっ!」
イーラの放った術が城を掠め、瓦礫がタカトラを襲う。クソ、と呟いた彼の前には桜が散る。護られて、駄々をこねて、彼女ならと勝手に夢を押しつけて。
いつまで甘えてる気だ。
瓦礫を飛び越え、屋上へ向かう。
上空では二人の魔王が互いを罵倒しながら激しく術式をぶつけ合っている。
「タカトラはそなたにはやらん!」
「いりませんよ、あんなヘタレ!」
「ふうむ、そなたでは手に負えぬだろう。今さら後悔してももう遅いわ。そなたを滅したあとにたっぷり仕置きしてやらぬとな」
「そういうことしてるからグレるんです。可愛がるならもっと真っ当に可愛がって下さい」
「何をわかったような口を。あれはあれでも懐いておるのだ!」
「でしょうね! 痴話喧嘩にわたしたちを巻き込まないで欲しいです。仲良く襲撃に来てくれればもっと簡単だったのに!」
「そうだな、妾とあやつが組めばそなたなど足元にも及ばないところを見せつけてやれたのに残念でならないな!」
……互いを罵倒しているのではなく、タカトラが罵倒されているような気がする。
「おいエンデ! ふざけんな! これでも俺は本気だ! 痴話喧嘩なんかじゃねえ! ライフル返しやがれ!」
カヤの放った術式が爆発して、二人は戦闘を続行した。
「なんだ、『カヤ』はもうやめたのか? 小娘ではあれの我が儘には堪えられぬじゃろう。そうだと思っておったわ、安心せい。おぬしの帰る場所はまだここにあるぞ」
カヤは全く見向きもせず、イーラが男に気を取られるのを好機とばかりに複雑な術式を複数突っ込んだ。
「無視かよ、クソが」
とはいえ手の届かない場所で叫んでも、もうカヤは聞く耳を持たない。置いていくと決めている。
ならばイーラに決別宣言を。今まで一度としてはっきり言わなかった。言えなかった。
「クソ主様よお! よく聞け、俺はあんたのものじゃない。あんな場所二度と戻らない。あんたは俺が怖かったから傍に置いておきたかったんだろ! 俺はあんたを必ず倒すもんな! 〈魔王殺し〉の力を傍に置くのはどんな気分だった? いつか自分を倒す存在が怖かったか。それともそれを使って他のやつを滅ぼすのは気持ち良かったか!」
「少ぉし妾の手を離れただけで意気がるのはおよし」
イーラが軽い牽制のつもりでタカトラに巨大な黒いアニマの槍を放った。彼女のサーヴァントであれば大したことにはならない。これまで通りの感覚だったのだろう。
それに反応したのはカヤだ。今まで無視を決め込んでいた少女が空で急反転し槍の前へ滑り込んだ。
杖を盾にして、きっと難なく防ぐ。
イーラは仕置きを邪魔され舌打ちし、タカトラとて何の心配もしなかった。
けれど魔王の黒いアニマに彼女は飲まれた。
単純にアニマで競り負けたのだ。
彼女は投げつけられた人形のように壁に叩きつけられ、尖塔の一部を崩して瓦礫の中に消えた。アニマの残滓がタカトラの周囲も灼き、目眩を起こす。
「なんじゃ、そろそろ終わりかの。呆気ないな」
魔王がとどめの一撃のために力を凝縮させる。黒い靄が翳した手のひらに集約していき、大きな魔法陣となってゆく。
カヤが埋もれた辺りをタカトラは必死に掘り出した。動揺があまりに大きかった。そのせいで溢れ出したアニマが瓦礫を消失させる。彼の周辺がどんどんと破壊されていく。
だけど彼女をみつけた。
アニマが収まる。
「エンデ! 無事か!」
「それが、あなたの答え?」
「そう言ってるだろが。たとえ俺がイーラに取っ捕まってもあんたなら俺ごとあいつを倒せる。それでいいと思えたんだ」
彼を護る桜が初めて散ったあの時に。
「ただ他を巻き添えにはしたくないと……。今さらなんだよな、たくさん巻き添えにして、たくさん殺してきた俺が綺麗事を吐くには遅すぎた。俺は結局誰かを守る弾丸にはなれない。なら魔王を殺す弾丸でいる」
「あなたにはカヤって呼んでいて欲しかったんだけどな」
「何?」
「これじゃあ契約してないだけで何も変わらない。あなたは〈魔王の弾丸〉のままじゃない」
「でもイーラのじゃない」
「魔王のでしかないよ」
杖の代わりにライフルを手元に喚んだ彼女は空に向かって構える。上空には空を覆い隠すほどの黒靄が渦巻いて広がっている。その中央の目から光の柱が一直線にこちらへと放たれた。食らえば城もろともこの身は無と帰す。
「せっかく切り札ぽく使おうと思ってたのに」
「好きなだけ俺を使えばいいだろ」
「銃って好きじゃないの」
しれっとそんなことを呟いた魔王は光を存分に引きつけてから何の躊躇もなくトリガーを引いた。
射出音を掻き消すほどの轟音に耳が遠くなる。音が消えて、光が視界を奪い、蒼い一筋の弾丸がアニマの一点を貫き、空がひらけた。
降り注ぐのは力の残滓。虹色の魂晶。
「じゃあ行きます、自分の身は自分で守って下さいね」
銃を押しつけるようにして返したカヤはまた傷を塞いで飛び立とうとした。やっぱりタカトラを置いていく気は変わっていないらしい。
「待てって、ひとりじゃ無理だろ」
「でもいつもひとりだもの、なんとかなるよ」
「なんだよそれ、俺が」
振り向いた彼女はそっとタカトラの頬に手を伸ばし、優しげな笑みを浮かべた。彼は一瞬許されたのかと思い、でもカヤの笑みには本音は隠されていたのだと彼の桜色の幻想から我に返った。
気づいてもすでに遅く、足元には紛れもない桜色の魔法陣が展開されていた。
「待て、何を」
「ここに狙撃手は必要ありません」
転移門の中に突き落とされた。
空間が歪む。肉体が稀薄になる。意識が散漫として、次いで抗いようのない吐き気を抱えたまま着地点に転がり出た。
「おいっ……!」
辺り一面真っ白。どこに飛ばされた。そんなに追いやりたいか。邪魔なのか。少しは役に立つだろうに。盾にでもなんでも。
確かに今までは足を引っ張ることしかしなかったが、腹を括ったのに。イーラのために今までしてきたことを、どうしてカヤのためにやるのは躊躇した。
自分は〈魔王の弾丸〉だ。魔王を殺すための。
誰を犠牲にしようが仕事にだけ忠実な馬鹿な男。
結局そこにしか収まれないことには反吐が出る。
だが染みついてしまったのだ。
父のようには生きられない。
正しさなんて、よくわからない。
やるべきことをやるだけだ。
だけど追いやられた自分は何をやればいい?
二人が戦う爆音がこんなところまで聞こえてくる。空気が振動して木々に積もった雪が落ちる。
ここは、どこだ。
顔を上げれば、二人の姿がよく見下ろせた。
真っ白な何もない場所に捨て置かれたのだと思っていた。
違う。
カヤはあそこには狙撃手は要らないと言ったのだ。
タカトラがいるべきは最前線ではない。
戦場を見渡せる白い峰。敵兵も近づかぬ隠されたポイント。ご丁寧に結界まで張られている、タカトラのための狙撃地点。
「本当よくわかってんだな」
遮蔽物はなく標的を捉えられる。少々距離が離れているが銃の最大射程内だ。生半可な腕では当てるのは無理だろうけど。
そこは試されているととるか。それとも信頼されているのか。
「クソかよ」
口をついて出る悪態もいつもの仏頂面ではなく、悪戯を思いついた少年のような稚気に溢れている。
やれと言うならば――。
「そうじゃないな。言われなくとも俺が、やる」
これは命令ではない。
父の仇を、討つ。
誰でもないタカトラの願いだ。
犠牲を伴う願いの責任から逃げるな。彼女に押しつけるな。つらいのは自分だけじゃない。
銃を設置し、腹這いになる。スコープの中では二人の魔王が飛び交い、捕捉するのは不可能に思える。
「一瞬でいい、足止めしてくれよ」
ただカヤももう長くは持たなそうだ。アニマの光が弱い。
対してイーラは、
「なんだ?」
はっきりと何が、とはいえない違和感がある。いつもと何かが違うような。
脇腹から燻るように魂晶が揺らめいているからか。あれは多分リューグがやったという傷。ド素人が上手くやったものだ。唯一無二を自負する狙撃手は少しだけ悔しく思う。ほんの少しだけだ。
だが違和感はそこからくるものとは違う気がした。
だけど何なのかがはっきりしない。
考えている暇はなかった。
イーラは惜しげもなくアニマを放出し、一撃一撃が必殺だ。相殺するにも相応のアニマが必要で、カヤは防ぎ切れなくなり始めている。
タカトラの弾丸すら弾き飛ばす杖とて万能ではなかった。
クソ。迷っている時間はないというのに。
狙撃の弱点は対象の動きを追えなければ当てられない点だ。止まっている標的であればなんと簡単か。
焦りが彼を追い立てる。
ここでやれなきゃ、本当に終わりだ。
手のひらに汗が吹き出す。
クソ、クソ、クソが。
焦ってんじゃねえ。
「……?」
カヤがこちらを見た気がした。
まさか。見えるわけがない。
「…………嘘だろ?」
撃て、と言っている?
いや、そんな気がしただけだ。
でもなんで、そんなことをいきなり思う。
今、撃ったって当たらない。当たるわけがない。
――――信じろ。
カヤを。
そして自分を。
何も信じられる絆がなくとも二人は互いの能力だけは認めて進んできたじゃないか。
イーラの中に輝くアニマの中心を捉えた、ほんの一瞬、瞬きする間よりも短い瞬間を狙って〈魔王の弾丸〉はトリガーを引いた。