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第四話 魔王イーラ



「タカトラにゃ、起きて、起きてよお……タカトラ、ねえ……イーラ様っ、イーラ様……ごめんなさい……」


 もう指一本も動かせない獣人の少女はひどく冷たい地面の上で緑色の硝子玉みたいな瞳にたっぷりと涙を溜めて己の不甲斐なさに打ちひしがれた。視界の端に映る男も動かない。


 彼だけは帰さねばいけなかった。魔王イーラの一番のサーヴァント。

 態度は悪い。口も悪い。主のことも嫌いで忠誠を誓っているとは到底思えない。


 でも強くて役に立つ。

 獣人と呼ばれる種はヒトよりも身体能力が抜群に高い。猫型のピュイは俊敏性に優れ、特化能力として筋力増強が可能である。よって彼女は格闘術を得意としている。


 にもかかわらずタカトラに勝てたことがない。まともな試合など取り合ってくれないが、ふざけて飛びかかる振りをした時もあっさりと躱され、まるで相手にされない。

 だから主はタカトラを重用する。大事な任務を任せる。


(ニャーのがイーラ様のために命だって懸けられるのに)


 だけど弱い命はイーラにとって意味のないもの。

 こんなところでタカトラまで巻き込んで死ぬようなサーヴァントなど不要以外の何者でもない。


(ニャーは……ニャーだって)


 折れた腕を引き摺る。指先だけで地面を掻いて血濡れの土を握り締めて、前へ進もうと。あの弓でもう一度。

 タカトラが出来たのだ。ピュイだって頑張れば出来るに決まっている。やり方を知らなかっただけだ。ピュイだってタカトラに負けてないって。イーラに見せてやる。

 出来るから。出来るんだ。


 少女のぼやけた視界に自分の腕が上がった。

 その先に矢が降ってくるのは見えていない。真っ黒い鉄の矢が空を覆うほど放たれた。死に損ないのサーヴァント二人にとどめを刺すためだけに百と万と矢が放たれた。


「イーラ様……」


 強くてきれいで優しいけど怒ると死ぬほどこわい――大事な大好きなピュイの魔王様。


「妾がおらぬとどこまでも無能なのか?」


 聞きたかった声がすっと場を貫いた。ピュイの萎びた尻尾の先がぴくりと持ち上がる。

 自信に満ち溢れ、傲慢な態度でさえも美しさの装飾にしかならない。力を誇示するように大袈裟に顕れる魔法の片鱗。漆黒なのに輝いている。


 ピュイにはアニマの形はイーラが視せてくれるものしか視えなかった。だから世界がどれだけ魂晶に溢れているかはわからない。

 けれどイーラが視せてくれる世界がこんなに美しいと知っている。それだけで十分だ。


 黒い呪術が空の紗幕となり鉄の矢を吸い込んでいく。術に当たった瞬間に砕け散って消し炭となっているのだ。

 アニマの見えぬ者には矢が見えざる壁に阻まれ消えたようにしか認識出来ないだろう。


「イーラ、さま」


「もう少し待っておれ、説教はあとでしてやる」


 声だけでピュイには主が優しく笑っている姿が見えた。真っ直ぐな背筋に気だるげな深紅の眼差し。獅子のごとき金の髪を美しく靡かせて悠然と敵に腕を差し伸べる。拳が力強く握られた時、彼女が許した者のみが存在し得る世界へとなる。

 すなわちこの場に臨む全ての敵対者の核は握り潰され意志なき魂晶と成り果てて、消えゆく全てのものと同じく空の彼方へと溶け入り存在を消失させた。


 鉄と煙、泥臭かった戦場に無音が押し寄せる。冷たい風だけが吹き抜けた。

 佇むのは魔王ただひとり。


「どうやら生き残ったのはそなたらだけのようだ」


 振り返るイーラはタカトラとピュイのざまに肩を竦めた。彼女にとってサーヴァントの生き死になど他愛もないもの。

 でもピュイは主が自分を助けた事実が嬉しくてたまらない。それだけで良かった。だから彼女がタカトラに駆け寄ろうとも構わない。二番目でもいい。お傍に仕えさせてくれるのならば末席だっていい。


 少女は疲れきった身体をイーラに預ける心地を抱いて目を閉じた。

 いつか主がピュイを一番に案じずにはいられない強さと価値を身につけてみせる。

 その時まではひとりで眠ろう――。


「ピュイ」


 ふいに優しげな女の手が、少女の血塗れの髪を梳いた。


「イーラ様? 手が、汚れちゃいます……」


「ならばこんなになるな」


「ごめん、なさい。あの、でも……タカトラは?」


「あやつは頑丈だから放っておけばよい」


「タカトラを、ちゃんと守れなくてごめんなさい……あいつピュイなんかを助けようとして。ピュイがちゃんと出来なかったから……だから……でも。次はもっとちゃんと、強くなるから……嫌いにならないで、イーラ様」


「お前は弱くて駄目な獣の子だね。ゆえに許そう。妾のためにお働き。従順でかわゆい獣の子よ。もっともっと強くおなり。妾は期待しているのだよ」


「はい、はい……必ず!」


「さあ、少しお休み」


 猫の子にするように頭を撫でられピュイは安心して目を閉じた。

 暖かいアニマに包まれ、魔法陣が広がる。転移のための穴が開きピュイの身体はゆっくりと沈む。

 彼女の姿がなくなるとイーラはやっとタカトラの傍に立った。


「無様だな。いつまで寝ておる。殺してしまうぞ?」


 反応のない男の脇腹を爪先でつつく。それでも眉を寄せて険しい表情をしたまま微動だにしない。


「こんなもの、おぬしに使えようもない」


 フェイルノートはまだアニマの残り香を纏っている。トリスティスの甘ったるく几帳面な魔とタカトラの頑なで清廉な魔。

 弓は長くトリスティスのものだったのだろう。使い手の癖を覚えていてタカトラにもそれを求めた。魔王の無尽蔵のアニマを吸うようにタカトラの矮小なアニマも吸ったのだ。


 耐性のないこの男にそれが耐えられるわけもなくこのざまである。

 イーラは弓を転移陣に放り込む。これの回収も目的の一つだった。

 目覚めぬ男の横に仕方なく膝をつき、無意味であると知りながら頬を何度か叩き抓ってやった。


「……こうしておればかわゆいものを」


 アニマの尋常ならざる消費によりタカトラの肉体は限界まで消耗している。このまま放置してもサーヴァントである男は死にはしないだろうが当分は目覚めることもない。


 イーラは俯せの男をひっくり返し、軽くシャツを開いた。胸に、いや心臓の上に指を這わせる。アニマを注ぐ。反発してばかりの性格と同じくアニマすら拒絶する。中和してゆっくり、少量だけ。身体が壊れない程度に。




 目覚めた時、彼は異常な胸糞の悪さに襲われた。自分が失態を犯したことと、主が勝ち誇った顔をして見下ろしていたことも無関係ではない。


「気持ちわりぃ」


「妾のアニマを喰っておいてどの口が言うか」


「どおりで」


 頭を思い切りはたかれた。


「傷は治してやらぬ」


「『できない』って言えよ」

「そうかそうか。妾の素晴らしい治癒効果を期待しておるのだな。薄皮を溶かして再構成して無理矢理に貼りつけてやろう。中身がどうでもくっついていれば良かろう」


「……悪かった」


 必要以上に憎まれ口を叩けば本当にやり兼ねない。素直、とは言えないがぼそりと謝罪すれば魔王は紅い唇で弧を描いた。


「ピュイは」


「死んだ」


 顔色も変えず主は言った。タカトラも眉をぴくりとさせただけで低く答えた。弱いから至らなかった。それだけだ。


「……そうかよ」


 言ってから自分が拳を握り締めていることに気づく。俯いて傷だらけの拳を睨みつける。

 至らなかったのは自分だ。


「つまらん男よ。妾が来たのだ、そんなわけなかろう。先に帰したわ」


 この女、たちが悪すぎる。


「つまんねえ嘘つくな」


「おぬしが少しは顔を歪めて泣くかと思ってな」


「誰が泣くか」


「アガリアレプトの時はぴーぴー泣いてかわゆかったのだがなあ」


 殺気立つタカトラを無視して軽やかに笑った性悪主は城へと歩き出した。


「おい、クルトゥーラは裏切ったんだぞ」


「そんなこと見ればわかる。妾がここにいる意味がわからぬのか?」


「他の城もか」


「最悪じゃ。ここともう一人は倒したが、他は全滅。やはり間に合わせのサーヴァントでは役に立たんな」


「魔王にやられたのか」


 世界には六つの魔王城がある。今回の作戦は前代未聞の大規模同時討伐作戦だった。一つ一つ潰しに行くとどうしたって魔王たちの警戒が強まる。それでなくともイーラは魔王殺しと知られている。彼女がおおっぴらに軍備強化すれば誰かが先制してくる可能性もあった。だから二人目を倒して以降は鳴りを潜めていた。


 それから密かにクルトゥーラと協定を結び、彼らに軍備を任せた。

 長期間かけて魔王城に間者を送り情報を手に入れた。戻ってこない者も何人かいた。怪しまれ殺されたのだろう。

 今日やっと作戦は遂行されたが、そうそう上手くはいかなかったということだ。


「他は領地にすら入れない不甲斐なさであった。そうして失敗が確定するとやつらはサーヴァントを殺し始めた。魔王が存命であれば妾は近づかぬと思ったのだろう」


 イーラはアニマを使うのを極力避ける。今回に関してはすでに五つの城への移動に大規模転移陣を作ってかなり消費してしまったので、戦闘はサーヴァントに任せていた。


 最悪、対魔王戦には出撃する可能性もあったが失敗確定の戦場を彼女は見捨てると見越しての裏切りだ。魔王同士の戦闘は消耗が激しくリスクも高い。やつらの想定通りとなったようだ。


「作戦通り魔王と対峙出来た者は愚かにも力不足ゆえに死んだ。サーヴァントが死ぬとやつらは魔魂兵を捨て速やかに撤退したようだ。魔王討伐に成功した部隊とてここと同じだ。裏切りにより妾の駒は簡単に死んだ」


「まさかと思うがあんた俺たちを真っ先に助けに……?」


「思い上がるでない。妾はちゃあんと討伐に成功した城の処理をしてから来たわ。そなたらがしぶとく生き残っているのはわかっていたしな」


「だよな。俺らが死んだって構いもしないか」


「本当にそう思うか?」


 綺麗に塗られた爪がタカトラの顎から頬を撫で上げる。


「俺が必要か」


「生意気な。おぬしなどいつでも殺してくれるわ」


 頬を抓られたがその手をはたき落とし足を速める。


「それでどうすんだ」


「どう、とは?」


 優美に微笑む魔王は問いの意味をわかっていながらタカトラに考えさせ言わせたがる。嫌がらせの一環だ。


「クルトゥーラを滅ぼすのか。それともこのくだらない魔王殺しを続けるのか。あるいは尻尾巻いて逃げるか?」


「本当に後ろ向きなやつよの」


「なんでだよ。あんたの考えそうなことだ」


「妾とてこんな策が全て上手くいくとは思っておらぬ。二城だけとはちと情けないがな」


「こっちは死ぬ思いしたんだぞ」


「確実に陥落出来る城へ采配してやったのにこのざまだものな。あの女の最期はどうであった」


 口を噤んだタカトラに対してイーラは軽く笑った。


「無様に命乞いでもしたか。男に護らせていたか」


「トリスはひとりで立派に戦った」


「死に際に強がったとて何の意味もない」


「……どっちにしたって文句言うんだろ。もうなんでもいいや。さっさと後処理してこいよ」


「何を言うか。主である妾を置いてひとりで帰る気ではないだろうな。第一サーヴァントとしてしかと護衛せい」


 タカトラは大袈裟に肩を落として深い溜息をついてみせる。


「へいへい、クソ主様の仰せのままに」


 二人は魔王城〈氷檻〉へと踏み入れた。




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