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第二十三話 屠所の羊



「せん、ぱい……どこ?」


 リューグが城を出て行って数日。カヤが目を覚ました。

 茶を淹れようとしていた男は掠れたうわ言すら聞き逃さなかった。期待と失望をここ何日か繰り返してはいたが、毎回全てを放り出し彼女の傍に膝をついた。


 どうやらやっと献身が報われるようだ。

 タカトラははっ、と息を飲む。安堵と罪悪感をない交ぜにした表情をし、彼女の手を握った。小さな手はまだ冷たく弱々しい。額に触れれば熱はだいぶ下がってはいる。

 しかしまだ熱い。


「水は飲めるか? どこか痛くは?」


「水……」


 朦朧とした目はぼんやりとだが彼を捉えた。身体を支え起こしてやり、汲んできたばかりの水を飲ませてやる。

 目を凝らし彼女のアニマを視れば、やはり万全とは言えない。

 次第に意識がはっきりしてくるとカヤは記憶を探るように視線を動かし、彼をしっかりと見上げた。


「ずっと傍にいてくれたの?」


「……ずっとって、別に、付きっきりだったわけじゃない」


 歯切れ悪く言うタカトラに少女はゆったりとした笑みを浮かべる。


「いてくれてありがとう」


 なんと答えれば良いかわからない。

 タカトラがここにいる理由はたくさんあった。騎士に言われたせいで看病の間そればかりを考えていた。


 まず自分のせいで傷ついたカヤを置いていけなかった。彼女のおかげで今はイーラの元へ戻らずに済んでいる。そのために彼女が身体を張ったのに、勝手にいなくなるのはあまりに身勝手な気がした。


 あとは彼女がとても強力な術士であること。イーラの術を二人がかりとはいえ破った。

 魔王の素質はアニマの大きさである。術の腕は二の次なのだ。


 彼らはここに召喚された時から高等な術を使える。

 だけどやはり技術の差はある。イーラの術は高度だが概ね大雑把。トリスティスは繊細で複雑な術を使う。代わりに発動に時間がかかった。


 カヤはとても実戦的だった。経験と自信に裏打ちされた確かな技術。判断力。

 とはいえほとんど知らない能力は未知数。その未知の可能性に惹かれたと言ってしまうのは簡単だ。

 魔王に相対するには力が全て。結局タカトラもカヤの魔王性を見ているだけだ、と彼は自分を納得させた。


 あとは――サクラ。

 異世界の鮮やかな光景。あれ以来触れても記憶の流出は起こらない。もう一度視たい。話を聞きたい。知りたい。

 どちらかといえばこちらがカヤの元へ留まる理由としては大きい。


 彼女の魔王性に頼るのはタカトラの中では簡単なことではなかった。巻き込めば死ぬという意識がひどく強いのだ。

 でも少しだけ。ここにいる間だけ。異世界の話を聞くだけならば。


「リューグさんは?」


 カヤは闇の中に降り積もる雪を窓辺から眺めた。


「薬師を呼びに麓へ下りた。あんたを見捨てて出て行ったわけじゃない。心配するな」


「そうですか」


 彼女の横顔から窺えた眼差しは鋭く、何を考えているかは読み取れなかった。


「あの、着替えたいんですが」


「トリスの服を好きに着ていいってあいつが……なんでもいいか。取ってくるからあんたは寝てろ」


「ここトリスティスさんのお部屋?」


 ここ何日かの看病で慣れたものだ。クローゼットに行き、今まで女の服など触ったこともなかった男がてきぱきと選んで腕にかけていく。


「もうあんたの城だ。ここが一番いい部屋だってあいつが準備した」


 カヤが倒れた日にリューグはすぐに彼女を魔王の寝室へ通した。未だトリスティスの存在が生々しく残る部屋を譲るのは少なくない葛藤があったに違いない。


 だけど騎士は何も言わずにここに来た。トリスティスはいなくなり、エンデが新しい主なのだと納得するための一つの段階だったのかもしれない。


「わたし、本当に魔王になっちゃったんだ」


 それは誰にともなく呟かれた諦めに近い悲嘆に満ちていた。

 魔王は最初から魔王だと思っていたタカトラは『魔王になる』という重みがわかっていない。魔王には力があり、世界で絶対なる強者だ。誰をも従わせるのも自由。人も金も力も自由なのに何を悲しむことがある。


 しかし魔王となったことで命を狙われてはいる。それは単にイーラと同じ時代に召喚されてしまった運の悪さ。

 とはいえ本人には関係ないし割り切れるものでもない。一端を担っているタカトラの罪悪感は大きい。


「なあ、あんたはイーラに逆らわないほうが……」


 クローゼットを出ようと振り向いた瞬間に何かが飛び込んできた。支えるつもりで踏ん張ったのに後退った足がドレスの裾を踏んでそのまま押し倒される。強かに背中を打ちつけ、自身も未だ怪我人だと嫌でも思い出す。


「いって……カヤ? 大丈夫か」


 目覚めたばかりでふらつきでもしたのだろう。だから寝ていろと言ったのに。悪態は飲み込んで、起き上がるつもりで彼女の肩を支えた。

 胸の上に倒れ込んだ少女の反応はない。心配になり揺らそうにも肩には傷がある。力を入れるのは戸惑われ、そのままの体勢で軽く背を揺らした。


「カヤ?」


 ぴくりと動いた彼女はゆらりと起き上がるとタカトラの胸を指でなぞる。

 暗がりの中でいやに妖しげな光を持つ紫眼が細められた。


「なん、だよ?」


 さらりと桜色の髪が肩を滑り落ちタカトラの首筋を擽った。

 喉が鳴る。口の中が渇く。なのに彼女の腰に置いたまま動けないでいる手から汗が噴き出した。


 この状況はなんだ。

 殺される?

 いいや、馬鹿な。カヤはそんなことはしない。

 本当に?

 じゃあ、何をするつもりだ。


 タカトラの中にこんな経験はない。馬乗りにされたら死を覚悟する。相手は魔王なのだから尚更そうだ。

 イーラがこんな顔をして近づいてきたら間違いなく警戒する。十中八九悪巧みの片棒を担がされる時の顔だ。


 少女の目はとても冗談とは思えない。じっと彼を見つめ、唇を固く引き結んだ。

 冷たい指が伸ばされる。

 殺される。

 殺される。

 殺される。


 指は優しく頬を撫で、腹の上で体重移動がされたと思ったら、前のめりになった少女の大きな瞳が目の前にあって――――ちゅう、と小さな音をさせて唇が重なった。頬や額ではなく、唇と唇が。

 温かくて濡れた、異様に柔らかい、甘い香りのする、何か。桜色が散って。目眩にも似た。


 なんだこれ。

 なんだこれ。

 なんだこれ!?

 初めての口づけは頭の中が爆発しそうな何かだった。真っ白になって、混乱が押し寄せ、死ではないことに安堵もして、それからやっとカヤの唇の感触が伝達されてゆく。

 唇に。脳に。肉体に。


 意識し出すと今度はもうそれしか考えられなくなり、あっという間に経験のない男の理性などゴミクズのように吹っ飛んでしまう。

 彼女をきつく抱き寄せるはずだった。


「いっ……て」


 唇は絶妙なタイミングで噛みつかれ、少女は何事もなく彼から身体を離した。

 ぺろりと自分の唇を舐め、困った顔をした女は「ごめん、初めてだから失敗しました」と雰囲気があるのかないのかよくわからないことを言ってのけた。


「なんなんだよ、なんでこんなこと」


 噛まれた唇を拭えば割とえげつなく出血していて、なんだか呆れる。

 女。というよりもやはり魔王。魔王なんて何を考えているかわからない生き物だ。気まぐれか、寝ぼけでもしたのだろう。気にするだけ無駄だ。人生を魔王に振り回され続けた男の諦めは早い。


「ほら、着替えるんじゃなかったのか」


 散らばった服をかき集め、カヤに向き直ると彼女は再びしなだれかかってきた。違う意味で警戒し、身体を強ばらせる。


「どこにも、いかないで」


 それだけ言って、タカトラのシャツをぐしゃぐしゃになるまで握り締めた。

 しかしそのままどんどんと体重がかかってきて、引き剥がそうとしたら意識を失っていた。


「カヤ?」


 一時は安定したと思っていたのに支えた身体は沸騰しそうなほどに熱い。息も浅く、うなされ始めた。何度呼んでも目を開けてくれない。


「なんでだよ!」


 苛立ちはどこにぶつけたらいいのか。もうずっとこのままで、彼女は二度と目覚めないのではないか。


「どいつもこいつも馬鹿にしやがって……死なせるかよ!」





 寝台に戻して何時間経ったか。陽は沈んだ。滅多に晴れ間を見せない雪山はいつも白く、すぐに薄暗くなる。

 あんなことをしておいてまた昏睡してしまったカヤに無性に苛立ち、本を読む手もすぐに止まる。気づけばカヤの顔を眺め、時々頬に触れていた。


「チッ!」


 それに気づくと彼は苦虫を噛み潰したみたいに顔を歪めて舌打ちを始めた。苛立つのはカヤにじゃない。自分にだ。何に苛立つのか理解出来ないせいでますます腹が立つ。

 感情が逆立って仕方がない時はコーラに限る。用意しようと立ち上がり、ふいに窓の外が気になった。


 代わり映えのない白い景色だ。眺めていても鳥一羽飛んでいない。面白いことなど何もない風景で飽き飽きしていた。

 何もない。

 そのはずだった景色に異変があった。

 雪の中に煌めく光。目を凝らす。


 幾度も光るのは、光じゃない。迸るアニマの衝突。結界に向かって何かが放たれ、それが砕け散っている。

 悪戯、ではないだろう。光は辺りを照らすほど大きい。あれ程の反発を生むには相応の力をぶつけないと不可能だ。


 イーラだ。彼女が呼んでいる。

 明滅はいつまでも続いた。

 そして気づいた。

 点滅に規則性がある。暇つぶしにイーラに教えた通信コード。元々は父に習ったモールスコードというものだ。短点と長点の組み合わせだけで構成された単純なコードは符合の意味を知らねば他人には読み取れない。簡単な暗号として使える。現状ではこの世界にコードは流通していない。

 つまりタカトラとイーラの間でしか意味を為さない。


《きし ひんし》


 騎士、瀕死。コードはそれだけを繰り返している。


「くそっ」


 イーラはタカトラがリューグを逃がしたがっていたのを知っている。人質として有効だと思われた。

 これは罠だ。タカトラを誘き出すためのものだと馬鹿でもわかる。


 こんな回りくどいやり方、やはり結界に手を焼いているのだろう。外にさえ出なければタカトラは護られる。

 その事実は城の主の無事と解放を意味する。タカトラも無事でいるならそれは裏切りか懐柔されたとイーラは考えた。


 結論として「大人しく投降せよ」と命じている。その後はお察しだ。生きるも死ぬも彼女の自由。

 外に出なければいい。カヤの守護の中で彼女を守っていれば何の問題もない。

 彼女に守られて、の間違いだな、といつだって無力な青年は自嘲する。

 カヤに気を取られ騎士が狙われる可能性を失念したのも間抜けだ。


(騎士なら騎士らしく自衛くらいしろっつーんだ!)


 見捨ててしまえばいい。そもそもまだ生きているとは限らない。捕まった証拠もない。出て行ったところで馬鹿を見るだけだ。


 だが騎士を見捨てたとて、いずれは出ていかねばならない。孤立無援の籠城など死に値する。食糧は尽き、結界もいつかは破壊される。カヤがこの調子ではどうにもならない。

 眠り続ける魔王の桜髪を撫でる。


 ――どこにも、いかないで。


「悪いな。俺はあんたの騎士にはなれない。だからあの馬鹿騎士候補が必要、だよな?」


 たとえ下心があろうと、そのほうが従順なしもべになることもある。知らない世界でひとりぼっちになるよりはいい。命を縛られている男を傍に置くよりはいい。


「助けてくれようとしてありがとな」


 差し伸べられた手を掴みたかった。

 でもやっぱり無駄なのだ。

 遅かれ早かれこうなった。

 諦めは、より根深く根を張ってゆく。




 そして彼は城を去る。





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