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第二十一話 耳に心地よく呼ばれるその名を



 清浄なる白き光溢るる召喚の間。

〈場〉は清閑さを取り戻した。

 しかしタカトラは自身の命とも代わらない銃すらその場に置いて前のめりに駆けようとした。

 彼を止めたのはリューグだ。大柄な騎士が強く腕を引けば、転げる勢いであった男さえ一歩も前へは出られない。


「放せよ!」


 この時、互いの反応に驚いていたのはタカトラのほうだった。なぜ止められねばならないのか。

 騎士はタカトラがこうなると予測した上で傍に待機していた。


「まだならん」


「何が! あんたの主だろ、少しは心配してやれよ! 俺の弾が当たったんだ! 下手したら死ぬぞ!!」


 白の召喚陣の真ん中には少女が自身の赤を纏ったまま横たえていた。赤は清浄に触れ、虹色の魂晶と昇華してゆく。

 虹の中で動かぬ少女。それは一層タカトラの不安を煽る。


「エンデ様にはやらねばならないことがある」


「まだなんかさせる気かよ! いいから放せっ!」


 掴まれている腕を捻り上げようとした。しなかったのはする前に彼の意識が全て持っていかれたからだ。

 ゆらりと起き上がった少女。純白だったワンピースはほとんど赤に染まった。その上まだ血を垂れ流し続けている。

 杖を左手で構える。右腕はだらりと下がったまま動かない。指先からは血が滴った。撃ち抜かれたのは肩だ。


「待てっ、何を」


 少女はアニマを放つ。

 あんな身体で再び膨大な力を操り始めた。滴る血は止まらず、召喚陣を染める。それすらも力に換えて白を己のものにしていく。

 桜色の波打つ長い髪がアニマを孕んで宙に舞う。

 彼に背を向けたままの小さな後ろ姿。大きく背中の開いたワンピースからは白い素肌が見える。


 そのなめらかな肌には複雑な魔法陣が深く刻まれていた。

 あれは何だ。

 魔法陣から光が溢れる。

 彼女の魂の力。

 広がるアニマはまるで天使の翼のように神々しく、柔らかく、清浄な〈場〉を自分の存在で埋めていった。


 止めねばならない。そう思うのに動けない。声をかけようにも上手く声が出せない。

 圧倒される力とはこういうものだと、本能が怯える。

 見守るしかない男たちは呼吸すら忘れ見入った。


 けれどリューグの右手は剣のつかにかけられているのをタカトラは気づいていた。

 彼がカヤを害すると疑っているのか。それとも他に目的があるのか。これまで実直すぎて愚かな騎士という印象しかなかった男に僅かばかりの不信感が芽生えた。


「我は氷の大地を守護せし城の主となり、いかなる時もこの魂を惜しまず、賢者の御元へ参るまで尊き大地を守ることを誓います。我、カヤ・エンデの名を以て全ての権限の譲渡を承認する」


 そうこうしているうちに凛と澄んだ声が水紋のように響いた。

 魔王の宣誓が魔導文字となり宙に浮かぶ。

 すると召喚陣の不自然に膨らんでいた床からゆっくりと大きな白い球体が持ち上がる。音もなく、重力も感じさせず、跪く魔王の前に浮遊した。


 一切の継ぎ目のない球体に先程の宣誓文が刻まれて光を伴って消えてゆく。

 煌々と眩い光を放つ球体はまるで太陽のようだ。

 光が収まった時、今までとは異なる力に満たされていた。全てを覆うのは柔らかな守護。


 城を護る結界が発動されたのだ。

 前魔王がいなくなってから失われていた守護がやっと戻った。

 騎士は己の主とは違うアニマの光に喪失を実感し、耐え難い胸の痛さをひっそりと飲み込んだ。

 裏切り者のしもべはいつの間にか拘束が解かれていると気づくなり、床に伏してしまった魔王の元へと駆け寄った。


「カヤ!」


 抱き上げて掴んだ肩にはべっとりと血がこびりつき、銃創からは血に混じり魂晶が溶け出していた。傷口を押さえつけても止まらない。


「なんで、こんな……」


 後悔ばかりに絞り出される言葉は掠れて音にすらならない。自分のせいで傷つき倒れた少女を直視出来ず、抱き寄せて顔を背ける。そうやって苛まれ続ける青年の頬を何かがそっと撫でた。目を開けて見やれば、桜色の少女が微笑んでいた。


「助けてくれて、ありがとう」


 そんなふうに言って貰う筋合いなんかなかった。最初に頼まれた時に手伝っていればここまで酷いことにはならなかった。

 あるいはもっと前にイーラに結界を解かせていれば彼女は自分で何とかしたのではないか。


「俺はあんたを見捨てようとした」


「でもしなかった。来てくれた。わたしに背を向けなかった。それはあなたが決めたことです」


 タカトラが決めたと言うならば。決めてしまったと言うならば。

 この決断を後悔せずにいられるだろうか。

 カヤを助けたことがどれだけ自分を追い込むか。彼女に何を強いてしまうか。考えたくはなくとも考えずにはいられない。


 タカトラの問題は何一つ解決していないのだ。

 それをカヤに押しつけたくはなかった。


「イーラはあんたを狙う。これからあいつと二人で大丈夫か」


「あなたは?」


「俺は戻らないと」


「戻りたいの?」


「戻るしかないだろう」


 カヤは傷が痛むのか息苦しそうに深く息を吐いた。そんな彼女よりももっと息の詰まった顔をするタカトラの頬を少女は撫でる。とても冷たい指先だ。なのにとても優しい。弱々しいそれを握り締めてやれば彼女は小さく笑む。


「わたしがなんとかするよ」


「出来ない」


「それはわたしを心配して? それともわたしじゃ無理って思ってる?」


「……どっちもだ。あんたじゃイーラに勝てない。俺に構わないほうがいい」


「もう構っちゃったもん」


「もん……って。いいから止血するぞ」


 頬を膨らました彼女の顔色は真っ白だ。肩は出血よりも魂晶化がひどい。


「杖取って下さい」


「術、使えるのか」


 杖を握り締め、肩の傷口を確認したカヤは一度大きく息を吸う。魂晶化を見て周囲のアニマを留めたようだ。それでも燻るように傷口からはアニマが立ち上る。


「あなたの銃……これどういう?」


「俺は物質破壊の術具だと思ってる」


「術具? 物質破壊ってことはわたしの肉体も破壊されてるのかな」


「普通は弾が当たるとそこから崩壊が始まる。……いつもは大体一撃で殺すからあんたがどうなるかわからない」


「そっか。大丈夫大丈夫」


 全然そうは見えないし、息は浅いままだ。なのに彼女は顔を歪めるタカトラの頭をぽんぽんと撫でた。


「あんたも、死ぬ、のか?」


「死なないよ」


「でも虹が視える。みんな死んだ」


「わたしは『みんな』とは違います。魔法少女がこんな銃弾ひとつにやられてたまるかってんですよ」


「魔王、少女?」


「その点に関してはあとでよーくお話しましょうね」


 カヤは上手く力の入らない手で杖を支えながら早口で言葉を紡いだ。とても難解な言葉だ。


「表象の実在意義とは実現の確定。確定世界へ命じるは定義の変革。世界より存在の削除を望む〈レッシェン〉」


 細かいアニマの粒が渦を巻いて彼女の肩の傷に向かう。貫通していて弾は残っていない代わりに穿たれた穴が痛々しい。

 聞いたことのない詠唱だ。治癒術なのだと思った。なのに術式が発動した途端に彼女は歯を食いしばり痛がり出す。


「んんんん……!」


 傷口は広がり、ますます血が溢れた。


「何してる! 死ぬ気か!?」


「だって……あなたの、術式なのかよくわからないし、解析する暇ないから、消し飛ばした」


「消し……ってそれでこれはどういう状況なんだ、俺が止血すればいいのか!?」


「だいじょぶ、だから」


 再び杖を握り締めたカヤは目をきつく閉じ、喉を詰まらせながらも掠れる声で詠唱を始めた。


「真の輝きに触れる者たちよ。天上を見下ろす類い稀な金の瞳を持ちし者たちよ。失われし形は其れらが覚えている。我らに再び賜れよ。大地の恵みを。黄金の叡智を。全ての光の下へ照らし繁栄へと至らせよ〈レパリーレン〉」


 包み込むような光が降り注いだ。辺りのアニマが集約していき傷口を埋めていく。今度こそ治癒術のようだ。血は止まった。穴が空いていた肩も埋まり、肉が盛り上がって傷は塞がったようには見える。


「治った、のか?」


「再構成してみただけ、かな」


 再構成の意味はよくわからない。とりあえず傷は塞がり、損傷した肉は戻った。魂晶化した部分は消し飛ばしたのだろう。乱暴な治療だけど他にどうしようもなかった。

 タカトラの攻撃は殺す術だ。自分が生き残るために他人を殺してきたすべなのだ。

 助けるつもりだった女をこんなにも傷つけてしまう技でしかない。


「悪かった」


「当たらないように逸らしてくれたでしょう?」


「それはそうだが、結局これだ」


「あの一瞬であんな芸当出来るなんてとっても優秀。すごいよ。予想以上の結果だと思います。威力も予想以上だったけどね!」


 そうやって茶化す彼女はどうしたって重傷人だ。傷は塞がっても流してしまった血は戻らない。蒼白な顔。アニマとて光がとても弱まっている。消耗しすぎだった。


 タカトラは何も言わず彼女を抱き上げた。これ以上話続けていたら要らないことまで言わされそうな気がしたのだ。

 彼の気持ちなど知らず、カヤは構わず胸に寄りかかった。


「あったかくて、なんだか嬉しい」


「なんだそれ」


「こういうの初めて」


「俺なんかで悪かったな」


「どうして? 嬉しいよ」


「……なんだそれ」


 どうにもカヤと話をするのは居心地が悪くて仕方がない。戦果を褒められるのも、素直に甘えられるのも慣れない。

 だけどやっぱり近づきすぎるのは怖い。もう遅いと言われたら、きっとそうだ。

 たった半日一緒にいたリナでさえタカトラの心は打ちのめされた。

 もしカヤを死なせてしまったら――。


「ね、ご飯、作ってくれますか」


「ああ、なんでも作ってやるさ。怪我なんかすぐに治る」


「うん、やくそく」


 後悔がゆらゆらと現れる。

 だが彼は炎の記憶を振り払う。

 忘れはしない。

 でもカヤとは別物だ。


「ああ、約束してやる」


「楽しみにしてます」


 微笑む少女に彼も薄く微笑んだ。

 入口近くではどこか腑抜けた表情で騎士が突っ立っていた。


「おい、ぼさっとしてないで手伝え」



 彼は少しの間カヤを見つめた。彼女の「リューグさんもありがとう」という言葉に上の空のまま返事をし、やっと我に返ると広間の外へ走っていった。

 騎士には騎士で色々思うところがあるのだろう。タカトラに責められはしない。


「ね」


「なんだ、もうあまり喋るな」


「名前」


 すがりつく気は、もう起きない。

 利用だとか欺くだとか。そういうのは嫌なのだ。

 ただ怖い。すごく怯えている自分がいる。

 触れられる温もりが触れもしない虹の輝きになって失われる。思い出せば彼は無意識のうちに自分を罰したがる。身体は震え、食べたものを吐き出し、夢にうなされる。

 名前を呼ばれてしまえば記憶はより一層濃くなる。 怖い。

 温もりを抱く腕に知らず力がこもった。


「死ぬなよ」


「うん」


 簡単なやり取り。言葉にも約束にも意味なんてない。

 情なんて要らなかった。持たないようにしていた。

 だけど心はそうじゃなかった。


「……タカトラだ」


「タカトラ」


 名を呼ばれただけなのにひどく落ち着かない。それを隠そうとして顰めっ面になるもやはり少女は笑った。


「いい名前ね。わたしはカヤっていうの」


「知ってる」


「なんでかな、不思議だね」


「もう寝ろ。それで……起きたら話をしよう」


 少女は小さく頷き、彼の腕の中で眠りについた。



 父の面影を追いながらも『魔王』という存在を誰よりも畏れるしもべの青年は、魔王というには少し変わっている桜色の少女に夢をみる。


 絶対に叶わぬ夢。

 夢みるだけで幸せだった夢。 二人の出逢いは決して必然ではなかった。

 度重なる偶然と自身の存在が引き合った宿命にも似た巡り合わせ。

 出逢わぬことも。

 敵対することも。

 見捨てることも。

 出来た二人が手を取るその先に待つものは希望か絶望か。

 今はただ二人で異なる夢をみている。




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