第二話 裏切りへの誘惑
腰に巻いたポーチに手を突っ込み、乱暴に掻き回して目的の物を掴むなり矢が飛んでくる方向へ思い切り投げた。即座に狙撃。命中。魂晶石は空で爆発し、飛び交う弓矢を粉砕し、吹き飛ばした。
近距離の爆風に煽られ、タカトラも一緒に吹き飛ぶものの煙に紛れ姿を隠す。
敵の数は三十四、五。
トリスティスの部下ではないのは明らかだ。彼女の陣営にまともな部隊はなかった。
それに彼女はサーヴァントすら持たなかったと聞く。サーヴァントとは魔王の手足。加護を与えられ、命じられるままに任をこなすしもべ。魔王自身が不在でも魔王の代替として働ける駒。
魔王の第二の剣であり、時に盾となる。ただの部下ではない。特別な繋がりがある。
それを持たない魔王がしもべを従える魔王に負けるのは必然だった。
そしてサーヴァントすら持たないトリスティスがこの急襲を企んだとは到底考えられない。
とすればこちら側に問題がある。言ってしまえば味方の裏切りだ。
タカトラは部隊を持たず、単独で狙撃地点に潜伏していた。作戦従事者であれ、誰も彼の正確な居場所を知らされていない。
偶然見つけたと言い訳するには完璧すぎる急襲だ。任務遂行直後の通信遮断。タカトラに対するために用意された小隊クラスの人員。
手を組んだ時から裏切る算段だったのだろう。
ポーチの中を掻き回して舌打ちする。弾のストックがもうない。
鬱蒼と生い茂る針葉樹の幹の裏に背を任せ、周囲の気配に警戒しつつ、右手に嵌めた指ぬきグローブを外す。手の甲を上に向け、自分の手首をきつく握り締める。
甲に深く刻み込まれた魔法陣に力を込めると灼きつくような熱さと共に濃紺の魔力が通っていく。じっとアニマの形を見つめ、在り方を実感し、集中する。
何度か息を整えながら、こうして彼は弾丸を生成する。
多くの人が魔法と類する、魂呪術という術式に長けた者ならこんなことをせずとも指先ひとつでアニマを操るだろうに。
タカトラは術式の構成やアニマとの関連付け方などわからないし、実際に操ることもままならない。人には視えないアニマを視認出来ても、扱うとなるとてんで理解の範疇を越えている。
彼がこの呪術を使えるのはこの刻まれた魔法陣のおかげだ。
弾丸を生成しては装弾出来る分はして、あとはポーチに詰めた。
早く作れないのは難点だし、一気にやり過ぎるとタカトラの体力もかなり消耗してしまう。
それでもなんとか二十近く弾を作った。
ふう――疲労感のある嘆息は想定外のアニマ消費のせいとも、裏切り者のせいとも言えた。
我が陣営が協定を結んだクルトゥーラ臣皇国。領地の中央に『塔』を持つ通称塔国。力と血筋を重んじ、排他的な面も持つものの世界が安定を保っているのは塔国の力が大きい。
魔王を牽制し得る軍事力すら保有し、人の上に立つ資格があると民衆に思わせる創世時代からの歴史と『賢者の末裔』という伝承。
それを利用するつもりで塔国に近づいた。彼らが擁する軍事力。それと塔国が魔王討伐を認めたという事実が欲しかった。
魔王城攻略が可能なほどの兵力を集めるのは並大抵のことではない。クルトゥーラはそれを難なくこなせる。
なぜならば。生体魔魂兵器。今回の戦いのために用意した数万の兵の正体だ。
人工的に精製した肉体に核となるアニマを注入し、命令を刷り込む。すると壊れるまで戦う忠実な魔魂兵士の完成だ。
ここでタカトラを囲んでいるのはそれに違いない。潜む気配が異様なほど薄い。意思がないせいだ。その中に二つ、三つ、これらより動的な気配がある。人がいる。指揮官だろう。
目を凝らし、魔魂兵の核を探した。集中しなければはっきり視えないが、様々な色をした核から血流のように流れるアニマがぼんやりと浮かび上がる。
彼は斜面の上側にいるそれを寸分狂わず撃ち抜いた。続けて五体。射出、排莢、装填をあまりになめらかに行う。
だが次に装弾する暇はなかった。居場所が割れた瞬間にまた矢が放たれる。
銃を背負い走った。今しがた包囲網を崩したばかりの穴へ。
飛び出すなり元の場所に矢が次々刺さる。横を掠める矢はナイフで弾いた。それでも何本かは腕や羽織る擬態衣を傷つけた。
矢を掻い潜ると次いで数人飛びかかってきた。右からきた魔魂兵はナイフで核を突いた。蒸発するように魂晶となり、タカトラは思わず顔を顰めるも左からの敵を屈んで受け流し後ろへ投げた。
正面に立ちはだかった兵士の鼻っ柱に掌底を食らわし、よろめいたところに飛び上がり踏み台にして目の前の枝を掴む。くるりと身体を捻って樹上へと着地。
位置が知れているのは狙撃手として致命的だが、視界の優位性は確保した。それに生い茂る木々が姿を隠してくれるから矢は届きにくい。最悪、肉弾戦に持ち込んでも勝つ算段と自信があった。
「早くしないと全滅するぞ。さっさと出てきて目的を吐け」
しん、と雪に声が吸い込まれる。返事はないかと思われた。殲滅させるにはあと何発弾丸が必要だろう。
「出ていって殺されては敵いませんよ」
数を数え終わる前に木々の奥から飄々とした声が返ってきた。
「そっちが下げたら下げてやる」
すると臨戦態勢だった兵士たちがぶらりと脱力し消えるように木影へと潜伏する。タカトラもとりあえずは銃を下ろした。
「貴殿には我らと来て頂きたい」
クルトゥーラ兵装とは違う白い面を被った男は堂々とした足取りでタカトラの前へ現れた。その声音も要求というよりも断定的な圧力が滲み出ていた。
高所にいるタカトラはいつでも撃てるというのにまるで恐れた様子もない。何かの策ありきの余裕か、あるいは死を恐れていないか。
「その言い種は気に入らねえな」
「アガリアレプト殿」
魔王の息子に用があるらしい。なぜ知っているとまでは思わなくとも、触れ回っているわけでもない。お前のことなど調査済みだから手間を取らせるなとでも言われた気がして腹立たしさが増した。
「生憎と俺は勝手にどっか行ける立場じゃないんでね」
「ならば貴殿の主殿は我らが何とか致しましょう」
「何とか? 随分と馬鹿なことを言う。出来るわけが」
「子息殿とて現状に満足しているわけではあるまい」
「あんたらに付けば満足するとでも?」
「少なくとも現状のように命を危険に晒すことはないでしょう」
「は、どうだか。今は自分の身を案じたらどうだ」
「そうでしょうか」
「ふん、試してみるか」
「我らの目的は貴殿を生きて連れてゆくこと。死ぬのも死なせるのも本望ではありません」
「ところが俺はあんたを殺しても一向に構わない」
「嘆かわしいことですな。あのアガリアレプトの子息であろうお方があんな女に毒されようとは。ああ、嘆かわしい」
「息子だからどうした。魔王を前にして何も出来ないただのクズだ」
力があるならとっくにこんな現状変えている。なのに面の男は大袈裟に両手を掲げて演技がかった台詞を続ける。
「ご自分の価値をまるで理解しておられないとは! なんと憐れ。なんと愚か」
「馬鹿にしてるだろ」
「魔王が秀でているなどとはやつらの思い込みに過ぎぬ。真に優れているのは賢者ただひとり! ゆえに賢者の末裔たる〈臣皇〉様へ仕えるべきであり、世界の全てが賢者を望むものなのです!」
(関わりたくねえ……)
あまりの勢いに殺る気も削がれる。クルトゥーラの上層ほど信仰が厚いと聞いてはいた。これほど熱狂的とは。今まで賢者信仰など気にも止めたことがない男からすれば狂気とも思える。
何かにすがり、信じる。
実態のないものに祈る意味などまるで見出だせない。
そんな態度を隠すでもなく鼻で笑ってやった。使者もまたタカトラの態度など眼中になく、むしろ信仰心のない男を憐れんですらいた。
「話が逸れましたね。貴殿には臣皇様のお務めを支えて頂きたいのです。その類い稀なる血統はきっと臣皇様のお力になる」
「それでやっぱり価値がありませんでしたってなったら殺すんだろ。いいか、俺は臣皇様とやらが目にかけて下さる価値なんかない無能だ。無駄な労力をかけて頂いてご苦労なこった」
「魔王の所有物」
嘲るような声音が何を指すかなど唾棄したくなるほど身に染みている。
「……それがどうした」
「どれだけ強がろうと従順を装ってみせようと揺れておる、揺らがずにはいられぬ。貴殿があの女の手駒でいたいわけがない。しもべの契約を破棄し、命を守る。我らの臣皇様ならば可能だと言っているのだ」
面の男は彼の迷いにつけ込むように甘言をもたらす。
タカトラは魔王のサーヴァントだ。かつては魔王の息子として父に庇護されていた身ながら、今や敵とも言える魔王のしもべに堕ちた。
あの女からの離反。安全な場所への保護。
喉から手が出るほど欲しい。
だけどこんなやつら信用出来ない。
それでも。もし。もし〈臣皇〉とやらが魔王を脅威としないのなら一縷の望みに手を伸ばして――。
あまりに甘い誘惑。
「……そして今度は臣皇の犬になれって?」
自由になって叶えたい夢があった。
それが大事で、でもそんなものは得られない。
誰のものになろうが、しもべはしもべでしかない。ならば選ぶことに何の意味がある。
彼女の手からは決して逃れられないのだ。
諦観は解けぬ鎖のごとく身を締めつける。
話は終わりだ。やつらは多くの兵を無駄にしてくだらない話をして逃げ帰る。あとは元通り。タカトラは魔王のサーヴァントとして邪魔者を始末する。
ライフルを構えようとして、しかし唐突に全てが吹き飛んだ。言葉の通りだ。魔王城から爆発音と共に砂煙が舞い上がった。
「今度はなんだ……」
スコープを覗いても煙ばかりで何も見えない。代わりに使者が不敵に笑う。
「ああ、大したことではありません。殲滅命令が出ているだけですので」
「殲滅だと?」
残党狩りなどもはや必要ないくらい魔王の陣営は壊滅的だ。
「『何』を殲滅するんだ」
ピリピリとした直感に次への選択肢が並ぶ。
「ピュイが狙いか」
『猫』に通信が繋がらないのは妨害だけではなかったようだ。
「魔王の手足です。貴殿のお仲間でもありますまい」
確かに魔王を慕う猫娘など仲間と思ったことはない。同じ任務に宛がわれただけの駒だ。助けに行く道理なんかありはしない。窮地に陥ったとして、自分で何とか出来ないサーヴァントなど不要以外の何者でもないのだ。
再び爆発音が地響きを起こし土柱が上がった。
「あんの馬鹿猫」
タカトラは使い込んで年季の入ったライフルをしっかりと構える。
彼の父は魔王だった。
魔王だったけれど自分の正義を貫く男だった。
タカトラはそんな男の息子だ。
今は他人のサーヴァントだとしてもそれは変わらない。
トリガーを引く指に躊躇はない。弾丸は真っ直ぐ彼の腕だけを頼りに飛んでいった。