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第十八話 力なきものたち



 何はともあれ飯だ。腹が減っては戦も出来ぬと誰かも言っている。

 知らない数日の間に顔はやつれ、体力もだいぶ落ちてしまった。

 いざという時に動けないでは困る。


 というわけで病み上がりだというのに、山盛りの唐揚げとポテトを意気揚々と調理し、食堂の定位置に陣取った。久々の香ばしい香りと食欲をそそる肉の塊に腹の虫も騒がしい。

 だがまずそれらを堪能する前に行わなければならない儀式がある。美味い飯をさらに昇華するために必要なことだ。


 タカトラはグラスに勢いよく水を注ぐ。並々と注がれたただの水を飲み干すわけではない。

 ポケットから出した金属板の上にグラスを置く。何の変哲もない手のひらサイズの正方形の板はコースターにも似ている。

 だが薄い金属板には複雑な魔法陣が描かれ、用途が別にあることを意味していた。


「神が与えたもうた清らかなる祝福に我が穢れを注ぐことを乞う。我が命を聞き、その身を変質させよ〈シャッフェン〉」


 タカトラは慣れた様子で呪文を詠唱する。

 板に刻まれた魔法陣が淡く輝き、透明だった水が黒ずんでいく。あっという間に茶褐色の炭酸水に変わってしまったグラスの中身を一気に飲み干した。

 喉にくる軽い刺激と口の中に広がった微かな甘みに独特の苦味。炭酸飲料コーラである。

 深く息を吐く。やっと人心地ついた気になる。


 これは父が作ってくれた術具だ。異世界の話を聞いてコーラを飲みたいとせがむ息子に、父はいつでも作れるようにと道具を作った。成分は正確には本物とは違うらしい。味は保証すると胸を張っていた。

 異世界の物質を再現するのは難しい。でも不可能ではない。

 魂呪術の中で再現術式というものがある。壊れたものを複製したり、失くしたものを生み出したり。


 難しいらしいが、魔王にはなんてことのないものなのだろう。父やイーラといれば、普通は一生に一度もお目にかかれない術も日常的な感覚になってしまう。

 この術具とて世に出せば高く売れるはずだ。

 魂呪術は通常己の中に内包するアニマを消費して発動する。

 魔王は身の内に膨大なアニマを宿すゆえに、魔王として選ばれる。この世界に生まれ出でるヒトは術を発動出来るほどのアニマを持たない。

 無理に発動すればクルトゥーラの貴族のように自身のアニマを使い果たし、消滅してしまう。


 その点このコーラ製造具は空中に漂う微弱なアニマを効率良く取り込み、術を発動する。とても稀少なものである。

 タカトラのためのものなのだ。

 幾ら金を積まれても売る気は毛頭にない。

 価値や父やどうこうではなく、単純にコーラは美味い。とても。

 この世界にはないものだし、原料もわからない。量産し、流通させるつもりもタカトラにはないから、この術具はライフルと同じく大事な父の形見だった。


 二杯目のコーラも飲み干してポテトを摘まもうとすると、横から手が伸びてきてポテトが盗まれた。

 盗人の首に銃口を押し当てる。そいつは素知らぬ顔で咀嚼を続けた。


「随分と元気になったようだな」


「何の用だ」


「用など一つしかあるまい」


「俺はやらない」


 リューグは隣に座る。あり得ない行動にタカトラは仏頂面のまま、黙々と食事に専念することにした。


「魔女はなぜ貴様を迎えに来ぬ」


「知るか」


「エンデ様を殺すまでは帰れぬのではないか」


「はあ? なんのことだよ」


「覚えておらぬのか」


「だから何が」


「いや。おぬし、魔女にエンデ様を殺せと命じられたら実行するつもりか」


 しもべは黙ったままじっと正面を睨みつけた。


「エンデ様の下へこい」


「なんでそうなる。俺はあんたらに関わる気はねえ」


「エンデ様がどうしても貴様がいいと言うのだ。私とて貴様など信用出来るわけがない。何度もお止めした。だが私では不足だとおっしゃられる」


「頑張って満足させてやれよ」


 ふん、と皮肉げに笑って揶揄してやればクソ真面目騎士はテーブルに拳を打ちつけた。


「ふざけている場合ではない」


「別にふざけてねえ。お前はあいつを解放したらイーラに復讐するつもりなんだろ。そんなことにあんな女を巻き込もうとしてるやつが俺に説教すんのか」


「私は無力だ。貴様は知っているのだろう? トリスティスはサーヴァントを持たぬ魔王だった。私には何の力もない。だから彼女を喪うしかなかった」


「それで今度こそサーヴァントになってイーラに復讐すんのか。やめとけ、死ぬぞ」


「おぬしそればかりだな。死など恐れはせぬ。私はトリスティスの無念を晴らしたいのだ」


「……そうかよ。なら好きにすればいい。だがそれに俺を巻き込むな。俺にはお前もあの魔王も関係ない」


 彼女が騎士に生きて欲しいと願ったとして、相手がそれを受け入れるかは自由だ。他人が無駄だ、やめろと言っても納得出来なければそれこそ無駄。死に急ぎたいのなら好きにすればいい。


 タカトラはリューグに大きな口を叩くたびに自分に跳ね返ってくる気分を味わった。忠告は自分の恐れの現れだ。

 今でも仇を「殺したいか」と問われれば肯定する。復讐は無駄だなんて綺麗事は言えない。たとえ憎しみが薄れたとしても哀しい事実は消えることなく自分自身を構成してしまった。

 タカトラはこの騎士のように突っ走って死に急ぐ機会を奪われた無力な生きる屍なのだ。


『タカトラは正しく生きるんだよ』


 父の言葉は今のタカトラには重いばかりの鎖だ。

 復讐などに駆られずに生きろと、それが父の願いだったのだろう。騎士を想った死にゆく魔王と同じく。

 息子の意思とは反して、結果としては彼は生きている。

 でも正しくは、ない。


 リューグの気持ちはわかりすぎるほどわかった。昔の自分を見ているようで苛立ちもした。

 タカトラ自身も持ち合わせていない答えについて、これ以上は助言もしたくない。

 無力だと。無能だと。そんな自分に出来ることなどないといずれ理解する。他人を巻き込むことがどれだけ愚かかも――


「ぐうっ……!」


 目の前が血の色に染まる。魂晶の虹色で世界が見えなくなる。

 父の指先が、トリスティスの笑みが、リナの声が、全ての魂晶の記憶が彼の生きた証となって追いかけてくる。

 急に椅子から転げ落ち、食べたものを戻したタカトラに、リューグも驚いて困惑を隠せない。


「まだ体調が戻らぬのか? 急にこんな脂っぽいものなど食すから悪いのだ。エンデ様に何か良さそうな食事の作り方を尋ねてきてやるから部屋に戻っていろ」


「なんでもない。構うな」


「しかし」


「俺に構うな!」


「おぬし……」


 肩に触れた手を払われた騎士はタカトラの中の屈折した何かを感じた。

 けれどタカトラ自身はそれを悟られまいと必死に気を張っている。


「あいつに、ちゃんとサーヴァントの契りのことは説明したのか」


 タカトラは破滅に向かいたがる騎士などどうでも良かった。自分のようになるか、死ぬしかないからだ。

 だが彼女は違う。

 リューグもまた唇を固く結んでしまった。


「契約するなら教えてやれ」


「……おぬしはそれでいいのか」


「いいも悪いもあるかよ。俺はもうどうにもならない」


「だがそれではエンデ様はイーラを倒すことを是とはしないだろう」


 騎士は全てを失った。その瞬間から何もかもを利用するつもりでいる。騙すのも厭わない。

 どれだけ酷いことかなんて、リューグは誰よりも理解していた。トリスティスは決して彼をサーヴァントにしなかったのだから。

 その上で何も知らない魔王に契約を求める。

 卑劣で卑怯で卑しい行いだ。

 リューグのこれまでの生き方と相反するやり方だ。

 でも何をしてでも、誰を傷つけようともやらねばならないとこの男は決めている。


「どうだかな。案外結界さえ抜け出せば、しおらしく言うことなんか聞かなくなるんじゃないか。俺なんか用なしになったら何をされるかわかったもんじゃねえ」


「しおらしく? 馬鹿を言うな。そのような魔王ならば私が貴様などに頭を下げるか」


「頭、下げてるか?」


「下げて、おるのだ!」


 タカトラには図体ばかりでかい男が見下ろしているようにしか見えない。


「今のエンデ様のお言葉は傍に居らねば聞けぬのだ。どうか背を向けないで欲しい」


「あいつが何を言おうが俺には関係ない」


「どうもおぬしは……」


「なんだよ文句あんのか」


「理由が必要なら、エンデ様と取引すればいい。あの方をお助けする代わりに魔女との契約を断ち切って欲しいと」


 口元を乱暴に拭って立ち上がった青年は、自分よりも年長で身長差もかなりある男を蔑んで睨みつけた。


「馬鹿かお前。どう考えたって割に合わない。取引は対等な条件でするもんだ。そんなのあいつに損にしかなんねえ」


「取引は自分に利があるように持ちかけるものだ。なぜ不満がる。彼女を想ってのことか? ならば尚更手を貸してやればいい」


「ふざけるな。どうしてそうやって簡単に人に頼る。復讐したいなら勝手にやればいい。だけど他人にやって貰うつもりなら今すぐ一人で死ね」


「……言いたいことはわかる。私が悔しくないと思うのか。だが我らヒトに一体何が出来る? 己が望みを力ある者に託すことの何が悪い。私の命を対価として差し出すのだ。力を与えて下されば何でもしよう。たとえ私の命が尽きようとも望みさえ叶えて下さればそれで良いのだ」


「何でもやるだと? 自分で何にも出来ないお前が何でもやれるつもりでいんのかよ。無能はどんなになっても無能なんだよ」


 せり上がる吐き気を必死にこらえた。気持ちが悪い。当たり散らした言葉は全て自分に返ってくる。無能だ。何にも出来ない無能なのだ。


「あいつがお前の思う通りのお優しい魔王様ならいいな。何でもっていうのはな、こうやって話してた次の瞬間に俺の心臓を撃ち抜く命令を下される状況もあり得るってことなんだよ。お前に出来るか」


 言葉を失った騎士に彼は自嘲する。


「ふん。たとえが下手だったな。お前は俺のこと殺したいんだっけ。上手くいけばいいな」


 ぽん、と騎士の肩を叩き、去り際に鼻で笑う。


「今度は馬鹿な話をしにくる前に寝首でも掻きにこい。ちゃんと殺してやる」


 騎士はそれから姿を現さなくなり、タカトラも決して召喚広間には近づこうとはしなかった。





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