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第十二話 知ることのない名



 その女の最初の印象は霧だ。

 波打つ銀の髪。物憂げな灰色の瞳。蒼白いとさえ形容したくなる真っ白な肌。唇とて化粧気などなく、血の気のない色だ。今にも儚く消えてしまいそうな白。

 それが彼女の印象で、作り物のような美貌は空恐ろしささえ感じた。


 深窓の美女とでも言えそうな女は、しかし集まった騎士の全てを従えた。

 服装を見るだに貴族なのだと予想はつく。裾の長いドレスも真っ白な絹を丁寧に織った高価なもので、こんな最下層にたまたまいていい人物には思えない。


 クルトゥーラは完全身分制度だ。ならば彼女はかなりの要人ではないか。そんな女が市井の争いに何の用だ。

 侵入者であるタカトラにはいい予感はまるでしない。


「あなた、だあれ?」


 見た目のわりに舌足らずな話し方をする女は黙っている時よりも子供染みた、好奇心ばかり旺盛な目を向けて微笑んだ。


「私は王に仕える一介の騎士でございます。僭越ながらこの場をお借りして申し立てすることをお許し下さい」


「そぉね、あなたの名などなんの意味もないものね。いいわ、言ってみて」


 名を名乗らなかったことを暗に揶揄されたが、それ以上は咎めることもなく促された。


「では遠慮なく。あそこの騎士殿が捕らえた罪なき子供を解放しては頂けないか」


 女は振り返り、未だ地面に押さえつけられたままの子供を視界に入れた。それを命じた騎士は今にもタカトラに斬りかかりたそうに歯噛みしている。


「どぉして?」


「何の罪もない子を罰することに意味が?」


「だってあの子はやり直すのでしょお? なあんにもこわいことはないのよ。すこぉしだけお勉強し直してみんなといっしょになるの。何がいやなの?」


「……何かの処罰が下されるわけではない?」


「まちがいを正すだけよ」


「間違いってなんだ。何も悪いことなんか」


「ちがうのはダメ。同じがいいの」


「同じって、何が?」


 タカトラの言う意味がわからないとでもいうように彼女は不思議そうに首を傾げた。


「クルトゥーラの民として」


「それは、どういう……」


 ここでこれ以上食い下がるのは危険な気がする。何が何だかわからないが、タカトラの知らない規律がこの国にはある。逆らえば彼女の言う「お勉強」とやらをやらされるのだろう。この国の『騎士』として、ここにいるタカトラが異を唱えるのはおかしいことなのだ。


 しかしお勉強の内容は――少年がタカトラを絶望を見たような目でじっと、黙ったまま見ていることから良くないことだと察せられる。


「彼は親御の元に帰して頂けるのですか」


「そお、あの子には親がいるの」


 彼女は少年に向かって微笑む。邪気のない笑みなのに恐怖感を煽る。今まで大人しかった少年が唐突に暴れ出した。


「嘘だ! 親なんかいない! そいつはぼくを嵌めようとしてるんだ! ぼくは悪くないぼくは悪くない悪くない!!」


 タカトラは言葉もなく茫然とするしかない。少年は取り押さえられたまま身体を捩り暴れ、地面に押さえつけられてもタカトラを口汚く罵った。


 わけがわからない。

 母に、と語ったのが嘘であったのか。いいや、母親の存在を隠そうとしている? なぜ。

 ただタカトラの不用意な言動が少年を窮地に貶めたことだけはわかった。


「あなたが悪いの?」


「……俺は、」


「だぁいじょうぶよ。あの子はちゃあんと『同じ』になる。いい子なの。みぃんないい子よ。ねえ、あなたは?」


 彼女が視線一つで指示を出すと喚き散らす少年は、騎士に引きずられるられるようにして連れていかれた。


「待て、彼は本当に大丈夫なのか? 本当に何もしてないんだぞ、どこへ連れていくんだ!」


「ねぇ、あなたはいい子? それとも悪い子?」


 タカトラは女を睨みつけ、剣を握る手に力を込めた。やるか。やればきっと少年を助けられる。


 『助けられる』?


 自分のせいで連れていかれるのに、これ以上手を出してこの場から救い出したとしてどうなる。少年の居場所はこの都で、家族がいて、家がある。

 ここでしか暮らしていけないのにこの生活をぶち壊す権利がタカトラにあるか。タカトラが面倒を見てやれるわけではないのだ。助けたつもりになって状況を悪化させたら、今度こそ少年は罰せられ兼ねない。

 もはや「大丈夫」だと言う彼女を信じて任せるしかないのだ。


「俺が悪い。だから彼はちゃんと帰してやってくれ」


 剣を鞘に戻す。


「ええ。あの子はだいじょうぶよ。――でもあなたは?」


「俺を罰するか」


「罰したりなんかしないわ」


「そうとはとても思えないけど」


 未だ騎士には囲まれている。彼女に何かしようものなら八つ裂きだろう。ここからどうやって誤魔化して探索を続けるか、先行きはかなり怪しくなってきた。


「罰したりしない。わたしの言うことを三つきいてくれるなら」


「なりません! あなた様がどこぞのお家の方か存じませぬが、このようなどこの馬の骨とも知れぬ者と取引するなど。こやつの言動、思考能力を鑑みるに迅速な対応が必要です。何より我らに剣を抜くとは臣皇様に剣を抜くと同義! お嬢様が関わって良いことなどありません!」


 恰幅の良い騎士が飛び出してくる。新人教育にしては酷い言われようだ。とんだ脅威レベルに上げられてしまい、任務失敗がいよいよ濃厚だ。


 しかし彼女は騎士の言葉に聞く耳を持たないようだ。すっと指一本立てて騎士の鼻面を指すとそのまま犬を躾るように触れずに下へ押しやった。騎士は脂汗を浮かべた顔で必死に見上げながらも強制的に膝をつかされたように見えた。


「わたしが決めた。このひとはわたしの自由にする」


「お嬢様!」


「ゴットフリートの名において」


 ごくりと周囲が息を飲んだ。

 彼女を見上げる視線の種類が庇護から畏れに変わる。

 名が力を持つ。

 その名を持つだけで跪かれる人種がいる。


 ゴットフリート。どこかで聞いたことがあるような気がしたが思い出せない。

 彼らの反応を見るによほど力のある貴族の名なのだ。あるいは賢者の末裔に連なる名か。

 名は多く広まってはいない。賢者の名。臣皇の真名。連なるしもべの名。全ては市井に広まることのない名だ。


(クソ、もっとちゃんと勉強しとくんだった)


 彼女の指が今度はタカトラの眉間を指す。


「さあ、一つ目よ。あなたの名は?」


 喉が鳴った。あまりに強制力のある〈言葉〉に意思とは反して答えそうになる。

 しかしタカトラは堪えた。自分の名にもある種の力がある。彼は魔王の息子で、サーヴァントなのだ。知られれば命が危うくなる。


 激しくなる心拍数に呼吸が乱され、言葉が虚ろになりかける。おかしい。何か力が介在している。そう思うのに逆らえない。


「俺は……セス」


「家名もよ」


「マーフィー……セス・マーフィーだ」


 目を見てはいけない。目が離せない。灰色の瞳を見ていると思考が判然としない。それでも自分の名前だけは守り、偽りの反動で汗が吹き出す。

 指が下ろされると急に思考が解放され、一度深く息を吐き出さざるを得なかった。


「セス。うん、それでいいわ。じゃあ、いきましょお」


「行くって、どこに……」


 すでに気力がごっそりと削がれていて反論するのもままならない。

 危険だ。警鐘は止まらない。

 なのに彼女の無邪気さは変わらず、タカトラの手を取った。


「なぁんにもこわいことはないわ。わたしと街を回って欲しいだけだもの」


「俺は、駄目だ、出来ない」


「ダメじゃないのよ。これが二つ目のお願い」


「ゴットフリート様! なりませぬ、お戻り下され!」


 地面に縫いつけられてるかのように動かない騎士は必死の形相で叫ぶ。女は視界にも入れず微笑み、タカトラに囁いた。


「ほぉら、わたしが戻ったら『セス』はどうなるかしら」


 言うことを聞かねば騎士に引き渡す。実質的な脅しだ。こうなると子供の安全もタカトラ次第なのだろう。

 黙って応じるしかない。

 権力者と関わると毎回こうなる自分の無力さにほとほと嫌になる。主である魔王は横暴。出会ったばかりの貴族も横暴。


(まさか女ってみんなこうなのか?)


 なんとなくあの桜色の魔王の顔が浮かんでしまう。

 まだ無事だろうか。そんなことを考えてしまい、妙な罪悪感に支配される前に慌てて振り払った。


「……了解しました。では街を見回る、それとあと一つだけはあなたのお願いを聞きましょう。それだけです、約束して下さい」


「ええ、約束よ」


 彼女はまるでずっと願っていた願いが叶ったみたいに嬉しそうに笑いかけた。

 違う罪悪感が押し寄せてきて胃の辺りが重くなった。


(俺は一体なにやってんだ……)




「これはなあに?」


 あれだけ権力の使い方は卓越していた女は、市井に下りた途端に根っからの箱入りを発揮した。外にほとんど出ないという娘は露店に売っている珍しくもない売り物を目についただけこうして何かと聞く。好奇心が芽生えたばかりの子供と同じだ。


「ソーセージです。肉の腸詰め」


「だれの腸を引っこ抜くの?」


「だれって、怖い言い方すんなよ。大体が豚。たまに山羊とかも」


 店先に連なってぶら下がっているソーセージを見てもまるで何か理解した様子はなく、楽しそうに覗き込んでいる。


「いくらお嬢様だからって食べたことくらいあるだろ? 普段一体何食べてるんだ」


「あまり必要ないの」


「肉がか? あんたはもうちょっと食ったほうがいいぞ」


 店ではソーセージの焼き売りもしていた。種類が豊富で少し迷ったが、あまり香辛料に癖がないものを選んだ。

 それからこの店の前の店で彼女が何かも知らずに欲しがったバケットに、店で借りたナイフで切れ目をいれ、間にソーセージを入れて貰う。付け合わせはないが、贅沢は言うまい。


 店主はタカトラが急遽注文したソーセージの食べ方を物珍しく思い、とても感心していた。

 いわゆるホットドッグというやつなのだが、世に流通はしていないようだ。

 昔は父とよく食べた。


「ほら、これ食ってみろ」


「食べるの?」


「毒なんか入ってないし、美味いぞ。あんたの口に合うかは保証出来ないが」


 店主は騎士とどこぞの貴族のやり取りに肝を冷やしている。粗相があればとばっちりでしょっぴかれるとでも考えているのだろう。

 今はタカトラが大人しく彼女に従っていれば面倒は回避出来るはずだ。


 彼女はバケットを両手で掴んで、タカトラがしてみせたように大きく口を開けて齧った。ひと口目で目を輝かせ、ふた口み口と夢中で頬張っている。その間タカトラは自分の分をさっさと食べ終えた。


 不慣れなためか不器用にソースをこぼす彼女を見ていられず、ナプキンを差し出す。それどころじゃない女は無視したまま食べている。仕方なく拭ってやる。こんな上等なドレスをソースで汚されてはあとで騎士どもに何を言われるかわかったものではない。

 随分かかって完食した彼女は結局ソースだらけだが満足そうに笑った。


「久しぶりに『おいしい』なんて感じたわ」


「そうか良かったな。ほら、ちゃんと拭け。お嬢様がそんなんじゃ笑われるぞ」


「リナ」


「ん、なんだ?」


「わたしをリナと呼んでいい」


「なんだいきなり。それが三つ目のお願いか?」


 するとリナは頬を膨らませて拗ねてしまった。


「セスは意外に抜け目がないのね」


「そりゃそうだ。俺も暇じゃないんでね」


「じゃあいいわ。三つ目はとっておきをとってあるの」


「とっておき?」


「とってもすてきなこと」


「おい、あんま無理言うなよ。俺だって出来ることと出来ないことがある」


「だいじょうぶ。いきましょお!」


 少女のようにタカトラの手を取る。まだ見ぬ世界に飛び出す期待を一身に溢れさせて。

 それはタカトラの心に幼き頃の記憶を思い出させた。



(おにいちゃん、いこう!)





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