第十一話 街の常識
これが世界最大の都市。
門の中に広がる世界にタカトラは圧倒されていた。彼は生まれてこの方魔王城以外の場所には仕事で行く他に行ったことがほとんどない。
主が主だ。転移門にぽんと放り込まれて仕事をこなして迎えがきて帰るのが常。村や町に立ち寄るのも稀で、たまに行けたとしても情報収集に明け暮れ、自由に散策するのもままならない。
小さな村ではタカトラのような余所者は悪目立ちして遠巻きにされてしまう。たとえサーヴァントであると知れてなくても。騎士や商人以外の旅人、それも雰囲気からして戦闘を生業としている者など厄介者扱いだ。
それに城の近くの村に行っても本当に小さな集落が点在するだけで面白いものなど何もなかった。城の中にいるほうがよほど変わったものがある。
でもここは違う。見たこともないくらい人々が行き交い、馬が引く荷車はさまざまな貨物を運んでいる。建物も頑丈な石造りでひしめき合って建っているさまはまるであの異世界の喧騒を思わせる。
誰も騎士の格好で立ち止まって辺りを眺めているタカトラを気にしない。目にも止めず過ぎ去ってゆく。
ここではそれが当然なのだ。誰かにかまけている余裕などなく、自分のやるべきことをやっている。
「俺のやるべきこと、か……」
まずは要石を探す。要石とはこの大規模な結界を安定、定着させるための魂晶石だ。術者が常にアニマの操作供給出来ないような常設魂呪術などにはこういった楔が必要となる。要石に刻まれた呪文とアニマによって術がとどまっている。
一つ楔を壊せば当然術は綻び易くなる。あとは綻びをつついてやれば結界は崩壊する。もちろん魔王の力業があればこそ可能なのだが。
氷檻の結界もそうして破壊した。
「マジか」
驚くのも無理はない。まさかこんなに幸先が良いとは。
門前広場にある銅像からあからさまに強力なアニマが発されている。これではここに術式があると言わんばかりだが、実際は民には何も感じられない。
彼らにとっては敬虔な信者を歓迎する程度の認識か。
賢者を模した像は両手を広げて、まるで全ての民衆を迎え入れてくれそうだ。
タカトラは熱心に祈りを捧げる信者に混じり跪き、賢者の足に触れた。
――座標を読む。
終わるなりすぐにその場を離れた。目立つわけにはいかない。
魂呪術の効果を最大限に引き出す構成には力を打ち込む楔の数は六つがいいらしい。
だから最低六つの要石がある。
六つだけと断言出来ないのは結界が一つとは限らないからだ。
要はめちゃくちゃ面倒な任務ではあるが、この分なら思ったよりすぐ終わるかもしれない。
最外壁門は東西南北四つあり、全てが街道へと至る。タカトラが入ってきたのは南門。今は東へ向かっている。次の層への門は東西にしかない。
不便ではあるが、戦になった時の侵入経路を減らす造りになっている。円周に沿う大通りを逸れると路地は狭く入り組んでいた。大軍を率いてきた場合わざわざ逸れたいとは思わない。こうやって行き先を制限され、次の門に到達すれば門上から弓や投擲で狙い撃ちにされるというわけだ。
造りだけ見るとすごく用心深い。まるで要塞だ。
そう考えると全ての建物が堅牢な石造りなのも火を警戒してのことか。
「は……?」
そんなふうに街の様子を――時々店先に並ぶ食べ物に目移りしつつも、観察していて気がついた。
この街は普通とは違う。大都市だから、というには常軌を逸している。
魔王なら見ればすぐわかるだろう。しかし彼らは塔都に近づかない。周囲を見るに民は気づきもしていない。
建物の石材一つ一つに呪が練り込まれていた。要石とまでは言わないが、僅かに守護の力がある。壊れにくいだけでなく、都市の全ての建築物に施されているのだとしたらそれだけで軽い結界の役目をこなすだろう。
元々世界のいかなるものにもアニマが宿っている。道端の石ころ。草木。生き物。どんなものにもだ。
たとえばそこらの草を引き抜く。石を割る。
すると魂晶になって空に溶けて消える。
まるで命の残滓のように。
だから魂の結晶なんて大層な呼ばれ方をしている。
――何がこの街の異質か。
魂呪術は『魔王』にしか扱えない。
ならば『誰』が石材に術を施し、これほどの大規模結界を張ったのか。
まさか『賢者』の成せるわざとか?
馬鹿馬鹿しい考えを振り払う。
「オヤジ、それ一本くれ」
露店の香ばしい匂いに堪えきれず、肉の串焼きの前でとうとう立ち止まる。小銭の入った袋を懐から出し金を払おうとするタカトラを、なぜか店の主人は怪訝に見ている。
まさか肉一本買っただけで正体が見破られたわけではあるまい。ある、まい……?
「騎士様が職務中に買い食いなされて平気ですか?」
そっちか。
「ああ、朝飯抜きなんだ。見逃してくれ」
いかにも間抜けな騎士を装い、朗らかな朝の世間話とかこつけようとしたが、店主の怪訝な表情は変わらず、いや、少々焦った様子で串焼きと金を交換した。
「ええ、ええ、もちろん騎士様に文句などありません。ちと心配になっただけでして、うちのようなボロで買って頂けるなんて有り難い限りですわ。これも臣皇様の思し召しです。ご贔屓に!」
外の町でするのと同じように買い物しただけなのに仰々しく頭を下げられてしまい居心地が悪い。「邪魔して悪かったな」とよくわからない謝罪をしてそそくさと立ち去る。
もしかしたらここの騎士は露店で買い食いなんかしないのかもしれない。
齧りついた肉を口いっぱいに頬張りながら思う。
騎士とやらは気取っているのだろう。
「美味いのに」
しかしこれでは散策を満喫出来ないではないか。騎士装であるばっかりに。
「クソ……構うか」
文句を垂れつつも、目はくまなく辺りを視ていた。壁から壁。路地や意味ありげな窪地まで。
集中して凝らさねば視えないが、タカトラには視える。
普段はなるべく意識しないようにしているせいで忘れがちだが、視えるなら視ればいい。
アニマの干渉が強い場所を探せばそこに要石があるはずだ。
視れば視るほど街全体に術が溢れている。
視るだけでなんだか気分が悪くなってきた。気の持ちようなので気のせいなのだが。
そうやって数十分歩き、南門と東門の中間辺りに差し掛かった時だ。強いアニマが視えた。なんの変哲もない外壁の一部から呪が感じられる。
タカトラはそっと壁に手をつく。
原理や理論は知らない。
ただ『読み込む』のだ。
やり方を説明しようにも自分でもわかっていない。イーラにそうしろと言われたままにやっている。魔王のサーヴァントとしての何らかの力が働いていると勝手に解釈していた。
ほんの一瞬で意味を為さない文字列が読み取れた。数字と文字で構成された座標だ。
これでイーラには伝わった。
用が済んだらこんな場所に留まる理由はない。次はまだまだある。
さっと、振り返ったところで、
「あっ!?」
後ろを足早に駆けて行こうとした少年にぶつかってしまった。
「すまない、不注意だった」
転ばせてしまった少年を立たせようと手を差し伸べるも、彼はタカトラを見るなりひどく脅え、額を地面につけひれ伏した。
「騎士様! お、お許しください、ぼく……わたしは悪気があったわけではなく! どうか! どうか!」
「大袈裟だな、何もしやしない。顔を上げろ。怪我はないか?」「どうかご慈悲を! 母に水を届けなくちゃいけないんです! ぼくがいないと……!」
「水?」
ぶつかった拍子に大部分をぶちまけてしまったようだ。さして大きくない革袋から溢れてしまっている。タカトラのマントも濡れたようで、だからこの少年は騎士に罰せられないかと脅えているのだ。
「俺が悪かったんだ。ほら、これで新しい水を買い直せ。ついでにあそこの串焼きでも母さんに食べさせてやんな」
膝をついたタカトラは革袋を拾い、水の分の代金よりも少し多めに握らせてやる。少年の衣服や肌の汚れ具合を見る限り裕福とは程遠い生活のようだ。 施しなんて何の解決にもならないが、母親のために走る少年に「今日は良いことがあった」と思わせるくらいは互いに損のない善意ではないか。
少年は脅え、信じられないものを見ているように疑り深くタカトラを見上げていた。
「ほら、早く行け」
ごわごわの頭を撫で回して促すと、やっと少年は僅かに笑って「騎士様に臣皇様のご加護がありますように!」と嬉しそうに駆け出した。
「臣皇に加護なんかされたらイーラに殺されるな」
渇いた笑みを洩らし髪を掻いた男は悪くない気分のまま踵を返そうとして足を止めざるを得なかった。街の喧騒を止める「ぐぎゃ」という痛ましい悲鳴が、すぐそこから聞こえてきたからだ。嫌な予感というよりも確かな不安がして少年が走っていったほうへ走り出した。
串焼き屋近くの露店広場で恰幅の良い騎士が少年の痩せた腕を捻り上げていた。
「何してる!」
「何って見たとおりだ。罪深い信者に罰を与えねばならん」
「罰だと? その子が何をしたっていうんだ!」
「……貴様どこの騎士だ。名と所属は」
本物の騎士はタカトラの徽章を確認している。
こんなところで騒ぎはまずい。捕まればどうなるか想像に容易い。
だが腕を折られそうなほど締め上げられている子供を放ってはおけなかった。革袋は踏み潰され、握らせた銀貨は地面に散らばっている。すでに殴られたらしい顔は腫れているのに少年は泣きもせず、ただ「ご慈悲を」とだけ繰り返している。
「その子を放してやれ」
「見たところ貴様、ただの歩兵ではないか。私に楯突いてどうするつもりだ」
「どうもしない。あんたがそいつを放して終わりだ。それ以上のことにはしたくない」
「どうやら何もわかっておらんようだな。一体どんな躾をされてきた。貴様も一度叩き直さねばならないようだ。臣皇様の懐にお仕えしている自覚を持て。貴様が罪深き子に無慈悲であったばっかりにこの子は新たな罪を犯すのだ」
「なんだと?」
この騎士は先程のタカトラと少年のやり取りを見ていたらしい。そしてたかがあんなことを大袈裟に罪だ罰だと騒ぎ立てている。
一体どういう躾をされたらこうなるのか、こっちが問いたいくらいだ。
大いに馬鹿馬鹿しい。
騒ぎを聞きつけて他の騎士が集まり始めた。当然位が高い相手の騎士の指揮下に入り、タカトラは囲まれ剣を向けられた。
彼も剣の柄に指をかけ、一触即発の中で挑発的に嘲笑した。
「あんたの臣皇はこんな子供に罰を食らわす外道なのか。魔王よりたちが悪いな。俺はそんなやつに仕えるなんてまっぴらごめんだぜ」
「よかろう。こんな子供が大事なら共に更正施設にぶち込んでやろう。一からやり直すがいい。捕らえよ!」
「わざわざ人生やり直させてくれるなんてご親切なこって!」
相手が先に剣を抜いた。もはや道義など通じなさそうだが、これは相手から始めた喧嘩だ。当然タカトラは勝つ気でいるし、負けるわけがない。こんなぼんくら刀しか持たない騎士などたかが知れている。
飛びかかってきた複数の刃に一閃が煌めく。
「おやめなさい」
剣が交わる寸前で凛とした女の声が響いた。
彼女の姿が現れるなり騎士たちは狼狽え、一斉に剣を引き、跪いた。
タカトラはわけもわからないまま、こちらに真っ直ぐ向かってくる女の前に立っているしかなかった。