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第一話 魔王の死から始まる始まりの日



 魔王とは。異世界より召喚されし大いなる存在である。

 魔王とは。絶対なる力を有する者でなければなれない。

 ゆえに。魔王とは世界への君臨を赦された者たちとなった。



 世界がまだ幸福も絶望も知らなかった頃、ひとりの魔王が召喚された。

 必然であった。

 変革でもあった。

 それから終わりのみえない戦が始まった。

 力を求め。生を確かなものにするために。

 魔王は声高に叫んだ。


「ものどもよ、世界に反旗を翻せ。人間のための滅びを畏れるな。人間のために死ね。魂を捧げよ。世界の姿を今一度問おう。賢者の傀儡として搾取され続けるままでいいのか。否。我らには力がある。否。自由をもぎ取れ。賢者こそ死せる幻想なり!」


 多くがかの者に付き従い、多くが消滅していった。

 もたらされるものがあり、失われるものがあった。

 しかし魔王に使命よりも大切なものが出来た。

 ――子が産まれたのだ。

 そうして戦は終わった。

 共存と平穏が赦された世界となり、十八年の歳月が経つのである。





    * * *





 地面を揺り動かされるような砲撃。逃げ惑う人々の混乱と失意の悲鳴。剣と血による淘汰。

 今まさに彼らは淘汰される側となった。力がなければ生きることさえ許されない。そういう世界だったと忘れたわけじゃなかった。


 ただ、幸福はあまりにも心地好かった。


 陽も昇らぬ早朝、それまでの平穏が一変する。

 第一撃は音だった。張り裂けるような音。結界が破られた衝撃だった。

 それから幾らも経たずに無数の鎧の無機質に金属が擦れ合う音が雪崩れ込んだ。寝静まっていた城内に無言の殺戮が広がり、次いで悲鳴と混乱が押し寄せた。


 深い眠りから覚めるなり異常事態に気がついた騎士は、どこよりも先に(あるじ)の寝室を訪ねた。彼はほとんどひと続きの隣の部屋を与えられていた。

 主の姿はすでにどこにもない。抜け出した形跡のある寝台にも温もりが消えて久しく、ひんやりと冷えきっていた。


 代わりに城外には暗闇に押し寄せる敵の姿と降り注ぐ炎の雨が見えた。

 魔王城は襲撃された。

 あり得ないことではない。

 だがこれまでは起こらなかった。

 魔王を襲撃するなど愚かな命知らずの行いだからだ。


 部屋を飛び出して初めて気づくのは鼻をつく血の臭い。生臭く、吐き気を催すほどに城内は血に濡れていた。

 こんなになるまでなぜ気づけなかった。

 彼は己の部屋を振り返る。

 何も視えない。感じられない。


 しかし魔王が何かした。

 ――魔法だ。

 深く眠らされていた。その間も敵が来ぬように赤子のように護られていたとでもいうのか。

 自分だけ。魔王の騎士であるはずの、彼女を護るためにいるはずの自分が。

 何もせずにのうのうと寝こけている間に城はこの有り様だ。


「頼む、君だけは無事でいてくれ!」


 祈りがなんと無意味なものであるか、この男はよくわかっていた。魔王が騎士を置いていった理由。彼女が一人でいかねばならなかった理由。

 男は混乱の最中にあっても剣を抜き敵を滅し主を探し続けた。

 主のみが彼らにとって唯一の力持つ者だからだ。


「魔王様を見なかったか!」


 侵入者を問答無用で斬り伏し、救い出した召使に問う。怯えきっていた少年は「わかりません」とだけ必死に答えると走り去った。少年が飛び込んだ部屋のほうから微かな悲鳴が聞こえ、男は無念さを飲み込んで走り出す。


 見つけなければならないのは主だ。他はどうでもいい。城の主である魔王だけ無事であればあとはどうとでもなる。

 仕える者の責務以外の感情が大きく働いていることをこの男は素直に認めるだろう。

 大事な人なのだ。何よりも。あるいはこの命よりも。


「どこにいる! 返事をしてくれ!」


 どこからともなく現れる不気味な敵兵を相手に、思うように進めないまま、天窓から時折差し込む明滅する光に嫌でも不安感を煽られる。魔法が散る一瞬に発せられる光だ。それが天を貫き、空気に轟く。


 一人で戦わないでくれ!


 男の願いは届かない。

 たとえ届いたとしても魔王は聞く耳を持たない。

 血に塗れた暗闇に光が明滅した。

 瞬間、目の前の敵の首を刎ね、肉塊を踏み越えてゆく。

 主はただ一人でこの瞬間も戦っている。

 数多の兵士など魔王の敵ではない。

 負けはせぬ。彼女は魔王なのだから、決して負けはしない。


 だが男は自分のことなど構いはせずに押し寄せる敵を振り切ろうとしていた。焦りがそうさせる。主の強さを信じきれない自分がいた。

 再び光が空を切り裂いた。

 爆音が窓を揺らし、割れた。

 導かれるようにして割れた破片を踏み締めながらテラスへと近づく。


「トリスティス!」


 我が魔王の姿に安堵と怒りが混じる感情のままに声を上げる。

 声も届かぬ空の彼方に浮かぶ女が、ふいに微笑んだように思えた。

 まるでこの瞬間を予感していたように。

 あるいはこの瞬間に男が立ち会うことを悲観して。

 絶望的予兆が男の胸を突く。


 大きく腕を開いて、敵に向かって攻撃を――――けれど一筋の流星のような何かが暗闇を貫いた。

 まず目についた異変は彼女の周囲に起こった。空間が歪んで、破裂音が響いた。硝子を割り、砕くような音の後に魔王の翳す手の先で光の粒が飛び散った。


 魔法が壊れた?

 何が起こったのかわからない男の前で悲劇はさらに続く。

 魔王が前屈みになり胸を押さえた。そこからこの男にも視えるほどの魔力が溢れ出した。

 虹色に輝く魂晶と呼ばれるもの――魔力アニマの結晶であり生命の欠片なのだと、彼女が教えてくれた。

 いのちが止めどなく溢れてゆく。


「駄目だ! 君がいないと私は――――ゆかないでくれ、我が君!」


《あいしているわ、わたしの騎士よ――……》


 耳を撫でる風の囁きのような声は彼にそっと届いた。

 けれどそれはまるで夢の中の声に似て現実味がない。

 現実はもっと残酷なのだ。


 穿たれた魔王の胸から溢れる魂晶はいつしか全身に及ぶ。肉体であるはずの物質が緩やかに、そして美しく崩壊していった。

 虹色に輝く魂の欠片となりて、彼女の存在は空へと消えゆく。


 跡形もなくなった彼女のいた空からは一挺の弓が残り香のような魂晶を棚引きながら落ちてきた。

 その弓だけが今や、かの魔王がいた証のようだった。


 騎士は愛する者の名を幾度も叫び、現実を受け入れられずにただただ咆哮を上げて――しかしぷっつりと糸を切られたように意識を失った。数多の血と肉の上に死せるものと同じように突っ伏した。

 彼を護る最期の魔法であると彼は知らない。

 そうして騎士は唯一の魔王を失ったのである。





 風を撫でる声はもうひとりの男にも言葉を遺した。


《憐れなしもべよ……あなたと同じくかわいそうなあの人を助けてやって……》


 雪景色に紛れてしまうくらいの純白の外套を纏っている男は聞こえてくる声を振り払いたい気持ちでいっぱいになった。


《お願いよ――》


 そして魔王は騎士に愛の言葉を囁き、消えていった。

 消したのは。いいや、殺したのはこの男だ。

 苦い表情を隠しもせず、射撃体勢から立ち上がり雪を払い、ライフルを持ち上げた。


「俺が知るかよ、なんであんたを殺した俺があんたの願いを叶えると思うんだ」


 ぼそりと吐き出された言葉には拒絶よりも自嘲が色濃く現れている。そこに気づかぬ振りをしつつ、いかにも仕事だったのだとでもいうように仲間へ通信を繋げた。


「おい猫、生きてるか」


 魂呪術式通信魂晶石からは何の応答もない。それどころか雑音が永続的に聞こえてくる。

 呪術妨害がされている?

 すでに魔王はいないこの場で、一体何者が?


「クソめんどくせえ……」


 白い斜面に一点の墨を落としたような黒髪を無造作に掻き毟る。

 まるで見計らったようにそこへ弓矢が放たれた。

 夏の空を思わせる鮮やかな蒼い瞳はその色に似合わず死んだように感情がなく、山の斜面を見上げた。


「延長戦ってか? お望み通り俺に武器を向けたこと後悔させてやる」


 男の名はタカトラ・アガリアレプト。

 その血には紛れもなく魔王から継いだものが流れている。

 十八年前に戦争を止めた、かの魔王の唯一の血族。血の確かな繋がり。これは彼自身が思うよりずっと稀有であり、しかし彼が感じてきた程度には厄介を呼び寄せる存在だった。


 魔王の息子は彼だけが冠することを赦された魔王の名(アガリアレプト)を決して名乗らない。

 父親が背負っていたものを背負うつもりはないし、背負ってやるほどの力もない。


 無能を自称する魔王の息子は嘲りを口元に宿してライフルに弾丸を込める。滲み出る精悍さは若き日の彼の父親によく似ていた。




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