第三話 『父と娘と』
流石は大都市、と言ったところだろうか。
遥か彼方に浮かぶ夕日を眺めながら、プレアはそんな感傷に浸っていた。
頻繁に行き来する荷車のためか、ホルムの街の舗道はよく整備されている。灰色に塗装された道の上には目立った凹凸もなく、まるで絨毯の上を歩いているかのようだった。
道を行く荷車の数はおびただしいものであったが、信号機による完璧な統制のおかげで、大した渋滞も起きていない。
今まで幾つもの街々を旅してきたが、これほどまでに交通網が整然としている街は、初めて見るかもしれない。
空を見上げれば、商人達で賑わう街々を夕日、もとい人口の太陽が照らしていた。
ホルムの街では、外の世界の時間に合わせて空の様子が切り替わる。
長いこと外の世界を旅してきたプレアであったが、この夕日の再現度には舌を巻くばかりだ。到底、ここが地下の世界で、空に浮かぶそれが人口のものだなんて信じられない。
バリエーションも様々で、晴れの日や雨の日の空はもちろん、台風や砂嵐まで取り揃えているらしい。
天井の景色がオンとオフの二種類しかなかったプレアの故郷とは、大違いである。
(ん……?)
ふと、どこからか視線のようなものを感じた気がして、プレアは背後を振り返った。
(気のせい……? いや……)
「ねぇ! 聞いてるの? ねぇってば!」
「え? あぁ……。すみません……。ぼーっとしてました」
「もう!」
すると、少女は頬を膨らませてプレアを指差し、不満げな声でこう言った。
「いつまで付いてくるのよ! 一人でも大丈夫って言ってるでしょ!」
「ダメですよ。もう随分暗いですし、こんな時間に女の子が一人で出歩くのは危険です」
プレアがそう言うと、少女はハァとため息をついて、つまらなそうに足元の小石を蹴った。小石は勢いよく舗道を飛び出すと、脇にあった小さな池の中にポチャンと音を立てて消えていった。
「なによ。……お兄さん弱いくせに」
「これでも結構鍛えてるんですよ」
「それにしちゃ、さっきは衛兵の人に一発で伸されてたじゃない」
「そ、それを言われると辛いですけど……。ま、まぁ、いないよりはマシってやつです」
「なんだ。やっぱり弱っちいんじゃない」
予想外に辛辣な評価に肩を落とすプレアであったが、気を取り直して歩みを進める。もうすぐ、少女の実家でもあり、プレアの目的地でもあるフラワー邸に到着するのだ。
ちなみに、少女の名前はララ=フラワーというそうだ。
先刻の話で薄々勘づいていたことではあったが、彼女は先ほど別れた外商人、ジョンの一人娘である。ただ、彼女が父親のことを快く思っていない手前、知人と名乗るのはどうにも躊躇われた。
おまけに彼女の話によると、ジョンはこの街で三本の指に入るほどの大商人で、それはもう豪華な屋敷に住んでいるんだとか。
そんなリッチマンのジョンであるが、家庭内の折り合いは良くないらしい。もっとも、父親は娘を嫌っているわけではなく、娘が一方的に嫌っているだけなのだが。どうにも仕事を優先するあまり、身内からの信頼を失ってしまっているようである。
「とか何とか考えてるうちに、着きましたね」
上流階級の住む上区に入ってから、およそ15分ほど。ちょうど街の中心部に位置する高級住宅街の一角に、その屋敷はあった。
ここが個人の所有する家だなんて信じられないような、広大な敷地面積。そこに、見渡す限りの美しい芝生が生えた、上品な庭園が広がっている。
屋敷の壁は透き通るような純白のレンガで造られており、沈みゆく夕日を受けて、オレンジ色に輝いて見えた。
なるほど。豪邸である。
街で三本の指に入る富豪というのも、これなら納得できる。
しかし、そんな感傷に浸る間もなく、事は起きた。
門の前に立ち並ぶ使用人の列を見た途端、少女が彼らに向かって走り出したのだ。初めは何事かと思ったプレアであったが、その列の中にジョンの姿を見つけて、なるほどと納得した。
ジョンがこの街に帰ってきたのは、ちょうど今朝の事だ。そして少女の話によると、ジョンが旅立ったのはもう何か月も前の事だという。彼女は父親を毛嫌いいていたが、それでも父親である。
久しぶりの再会で、さぞかし積もる話もあるのだろう。
などとプレアは思っていたのだが。
「やぁ。ララ。ただい……」
パアァン。
と、開口一番。ジョンの頬に少女のビンタが炸裂した。これには流石のプレアも、開いた口がふさがらない。
「今まで、どこで何をやってたの……」
まるで煮えたぎる怒りを抑えているかのように、少女の声はどこまでも低く、震えていた。俯き、両手の拳を強く握りしめるその姿を見れば、少女が彼の人物に対して、耐え難い怒りを抱いていることは一目瞭然だった。
ジョンは、そんな少女の態度に寂しそうな表情を浮かべると、一言。
「…………仕事さ」
とつぶやいた。
瞬間。パアァン、と再び少女の手の平がジョンの頬を貫いた。夕暮れの空に、小気味の良い乾いた音が木霊する。
「みんな、大変だったんだよ……」
「………………」
「病気のせいで、沢山の人が死んじゃったの。学校も、随分前に閉鎖しちゃったんだ。それだけじゃない。街の偉い人たちが、うつるのが怖いからって、仕事の邪魔になるからって……。みんな閉じ込めちゃうんだ。レニーおばさんも、バリー君も、キーちゃんも……。みんな、連れて行かれちゃったんだよ」
泣きそうな声でそう言った少女は、しかしその瞳に力を込めると、
「お父さんには、それを止められる力があったんじゃないの!! 私言ったよね!! みんな大変なんだから、お父さんの力を貸してって!! どうして黙って出て行っちゃうの!! お仕事ってそんなに大事なの!?」
と、涙ながらに叫んだのだった。
「………………」
しかし、幼い娘にありったけの激情をぶつけられたジョンはというと、静かに俯いたまま、一向に返事をする気配を見せない。ただ、悲しげな顔をして少女の横顔を見つめるだけだ。
やがて、少女はその場の沈黙に耐えかねたのか、くるりと振り返ると、
「……もういい。私がなんとかする。お父さんなんて、もう知らない」
そう言って一行に背を向け、スタスタと夕暮れの街並みに消えていったのだった。
「追わなくても?」
場違いな発言とは思いつつも、居ても立ってもいられなくなったプレアは、ジョンの前にひょいと姿を現すと、そう尋ねた。
「いや。良いのです。あの子には、内密に護衛の者を付けてありますから。心配には及びません」
「……娘さん思いなんですね」
「見ての通り、あの子からは嫌われてしまいましたがね。……それより、お見苦しいところを見せてしまいました」
申し訳なさそうなジョンの言葉に、プレアは「いえいえ」と断りを入れて、
「……でもそういうの、かっこいいと思いますよ」
と、ジョンにだけ聞こえるように、小さな声でそう言った。すると、ジョンは怪訝な顔をして
「それは、どういう意味で……?」
「ホントのこと、言えないんでしょう? 効くといいですね。薬」
「ーッ!?」
途端。ジョンは目を見開き、心底驚いたようにプレアを見つめた。その頬は、少しばかり引きつっているようにも見える。
「プレア様。あなたはいったい何を知って……?」
狼狽するジョンに背を向けて、プレアはくるりと振り返ると、
「そうそう。今晩、夕飯をご馳走してくださるという話でしたが、急用ができたので、僕は辞退させていただきます。ごめんなさい」
「あの、プレア様……」
「心配しないで下さい。ちょっとした野暮用です。すぐに終わりますから」
そう言って、少女と同じく、スタスタと夜の街並みに消えていったのだった。
ーーー
プレアが屋敷を去った後。ジョンは自身の執務室で、不在時に溜まった書類の山に目を通していた。途中、最愛の娘に言われた言葉が何度も脳裏に横切るが、鋼の精神でそれを無視する。
と、その時。トントンと、何者かが部屋をノックする音が鳴り響いた。
「入れ」
主人の許可が下りると、脇に一枚の書類を抱えた使用人の一人が、ジョンの元へとやってきた。
「どうした、ミランダ」
「市長が”例の件”について話があるそうです。至急、都市庁舎まで来るようにと」
例の件。
それは、ジョンが待ちに待った案件だった。これが上手くいけば、間違いなくこの街は救われる。娘の願いを、そして自身の本懐を叶えられるのだ。そのことだけが、今のジョンにとって唯一の救いだった。
無論、代価は決して安くなかったが、仕方のないことだと考えている。
「いかがなされます?」
「すぐに行く。そう市長に伝えてくれ」
ーーー
目の前に横たわる男を見下ろしながら、プレアは珍しく焦りを覚えていた。
男の背中には、鋭い何かで抉られたかのような深い傷跡があり、そこからダラダラと血が流れ出ている。明らかな致命傷だ。
「遅かったですか……」
周囲には、はっきりと分かる戦闘の跡があり、つい先ほどまで男が何者かと戦っていたことは明白だった。
「……ぉ、まえ、は……?」
「フラワー邸の関係者です。それより、ここでいったい何が?」
プレアがそう尋ねると、男は血まみれの顔を懸命に上げ、すがるようにプレアの身体を掴んだ。
「たの……むッ……。ララ、お嬢様が、さら、われて……」
その身なりと状況から、男がジョンの言っていた護衛だということはすぐに理解できた。
瀕死の彼を見た瞬間から半ば予想していたことではあったが、告げられたその言葉に、プレアは少なくない衝撃を受けた。
プレアが敵の存在に気付いたのは、ララと二人でフラワー邸に帰る途中の事だ。何者かの視線を感じ取り、道中、それとなく気配を探っていたのだが、どうやら敵を見誤っていたらしい。
「……彼女は今どこに?」
「都市……ちょう、しゃ、だ……早く、ハンターさま……を」
既に目は光を失い焦点の合わなくなった状態のまま、うわ言のようにそう繰り返す男の姿を見て、プレアはがっしりとその腕を掴み、ほほ笑んだ。
「安心してください。僕はハンターです。後のことはお任せください」
その言葉を最後まで聞いたかどうかは分からないが、こと切れた男の顔には、満足げな笑顔が浮かんでいた。
(任されましたっと……)
立ち上がり、遠くにそびえ立つ高い建造物。都市庁舎を一望すると、夜風すらも置き去りにしてプレアは走り出した。




