第二話 『流行り病』
あの後、プレアは夕方にジョンの屋敷へ行く約束をして、ひとまず二人は別れた。その間、プレアは下町に降りて、街の観光というわけである。あんな話を聞いた後では、正直なところ気乗りしないところもないわけではなかったが、そこは好奇心旺盛なプレアである。
迷ったのはわずか数秒で、次の瞬間にはもう下町へと駆けだしていた。
「それにしても、流行り病かぁ……」
地下に住むようになった人類にとって、病はとても恐ろしいものだ。
絶えず自然の風が流れてくる地上と違い、地下は空気がこもりやすい。無論、換気のための送風機等は存在するが、それだけでは不十分なのだ。そのため、ひとたび病が蔓延すれば、それは街全体の危機にも成り得る。
実際、病によって住民が全滅したなんて話も、そう珍しいものではなかった。
だからこそ、人類は医学を発展させることでこれらに対処してきた。
吸血鬼の台頭以来、あらゆる文化が衰退したとされる人類であるが、上記のような背景から、医療分野においては高い水準を保っている。
その恩恵は僻地の小さなピットならともかく、ホルムシティのような巨大な都市には、当然あって然るべきもので。
「でもジョンさんの話じゃ、治療法はないみたいだし。今までの医療じゃ対処できない新種の病か、それとも……」
プレアは空を見上げた。大都市らしく綺麗に整備された水色の天井には、疑似太陽が爛々と輝いている。
しかしプレアの瞳は、それとはまた別のものをとらえていた。
空気清浄機によって浄化された澄んだ空気。その中に浮かぶ、色とりどりの小さな光の粒。
他の人には見えない、プレアにしか見えない、小さな小さな光の粒。
ある地方ではその光の粒のことを、魔力の欠片と呼んでいる。
いつもは鮮やかな色をしているそれが、ひどく淀んで見えた。
「流行り病……ね。どうにも、きな臭いんだよなぁ……」
ーーー
「よっこいせっと」
偶然通りかかった広場に腰を下ろし、プレアはバッグから巻物状の絵を取り出した。
地面に敷いたビニールシートの上に並ぶのは、どれもこれもプレアの自信作だ。すぐ傍には『絵師ピエールの絵画マーケット』と書かれた看板を立てかけてある。
それらを満足げに眺めながら、プレアは先ほど商店街で買った怪しげな仮面を身に着けた。
これでキャラ作りも完璧である。
何を隠そう、『絵師ピエール』とはプレアの事だ。
旅の途中、綺麗な景色を見つけては描いた絵を、こうして街の中に持ち込んで販売しているのだ。最終的には、地下に住む全ての人々の手に、美しい外の世界の景色を届けるのが目標である。そのための、夢の第一歩というやつだ。
利益が目的ではないため価格も控えめで、庶民の手にも届きやすい。そんな背景もあってか、ここ最近で『絵師ピエール』の知名度はぐんぐん上昇してきている。
とはいえ、庶民に人気の「ハンター」には、足元にも及ばない程度の知名度ではあるが。
知る人ぞ知る、とでも言っておこう。
ちなみにピエールはプレアのアナグラムである。
「あ」
ふと、広場を通りがかった少女と目が合った。まだ幼さの抜けきっていない表情に、茶髪のショートカット。吊り上った二つの眉からは、活発な印象を受ける。15歳くらいだろうか。
「こんにちは~。よろしければ、見ていってくだ……」
しかし、プレアが言い終わるより先に少女は「フン」とそっぽを向くと、足早にどこかへ駆けて行ってしまた。
「あれま。ちょっと強引だったかな……」
初っ端から客引きに失敗してしまった。
とはいえ、夕暮れまでまだまだ時間はある。お客が来るまで、気長に待っていればいい。
そう思っていたプレアであったが。
「流石に一時間も経って、誰も来ないのは辛い」
一人目の少女が去ってから、早くも一時間が過ぎた。その間、見物人はおろか、通行人さえ一人もいない。まだお昼というのにである。まるでゴーストタウンだ。
商業区では沢山の人の姿を見かけたが、下町はこんなものなのだろうか。
「あるいは、僕が思ってた以上に病の影響が大きかったってことかな」
比較的、衛生面に気を使っている商業区や上流階級の住む上区に比べ、下町は病の被害も大きいそうだ。それでも昼間くらいは、普通に人々が行き交いしているものと思っていたのだが、どうやら見立てが甘かったらしい。
商業区に場所を移すことも考えたが、あそこには警備のハンターが大勢いる手前、ノープランで行くのは気が引けた。お縄につくのは御免である。せめて、もう少しこの辺りについて調べてからの方がいいだろう。
それに何も、すぐにこの街を出発するわけではないのだ。焦る必要もない。
そう考えたプレアは、ひとまず下町観光の続きを行う事にした。当てもなくぶらぶらと、自由気ままに街を練り歩く。
住宅地を抜け、貧民街を抜け、学校らしき場所にも行ってみたが、やはりそこに人の姿はほとんどなく、どこも閑散としていた。
「……どうしたもんかなぁ」
観光しようにも、人がいないのでは何も始まらない。一人延々と街中を歩いたところで、小さな発見こそあれ、面白みなんてこれっぽっちもない。
どこぞの古代遺跡ならともかく、ここは人里である。そこに人がいて、雑談相手がいて、会話があって、初めて観光として成り立つのだ。
諦めて商業区に戻ろうかと考えたその時、すぐ近くから甲高い悲鳴が聞こえた。半ば条件反射的に、プレアは声のした方角へと向かう。
声の持ち主はすぐに見つかった。
目の前にそびえ立つ異様な光景の建物。その門の前。そこに、二人の男に捕まって暴れる少女の姿があったのだ。
まだ幼さの抜けきっていない表情に、茶髪のショートカット。吊り上った二つの眉からは、活発な印象を受ける。
「って、さっきの女の子じゃないか」
「こら! 大人しくしなさい!」
「いやだ! 放して!」
思わず駆け出しそうになるプレアであったが、男たちの身なりと服装を見て、なるほどと納得する。彼らはこの街の衛兵だった。
詳しい事情は分からないが、どうやら立ち入り禁止の建物に侵入しようとした少女を、衛兵たちが取り押さえているといった状況のようだ。
建物を覆う塀には、ご丁寧に『立ち入り禁止』と書かれた張り紙が貼ってある。
それにしても、とプレアは建物を見上げる。
その建造物を一言で例えるならば「異様」だった。
5階、いや6階はあるだろうか。窓が存在しないため、それについて確認することは出来ない。
真っ白な壁に覆われ、さながら病院のような外見でありながらも、四方を囲む重厚な堀の姿も相まって、その建物はまるで要塞のようだった。
「ん?」
よく見ると、門の前に何か看板が置いてあるのが見えた。
「『末期患者治療施設』?」
「いい加減にしなさいっ!」
「友達がいるの! お願いだから通してよっ!!」
「君のお友達は治療中なんだ! 大人しく帰りなさい!」
「嘘よ! そんなこと言って、今まで誰も戻ってないじゃない! そんなところに閉じ込められたら、治るものも治らないよっ!!」
「治療中だと言っているだろう!!」
「私知ってるもん! みんな自分たちにうつるのを怖がってるんでしょ!! だから閉じ込めちゃうんだ! 全然元気な人たちまで!!」
「彼らは末期の患者なのだ!」
「キーちゃんは病気になんてかかってなかった!」
「いい加減にしろと言っているッ!」
一向に言うことを聞かない少女に我慢の限界が訪れたのか、衛兵の一人が勢いよく棒を持つ手を振り上げた。
少女は目を見開き、とっさに身構えるが、振り下ろされた棒は容赦なく少女の体を打ち……。
「ハイ。そこまで~。武器を使うのはナシですよ~」
唐突に割って入ったプレアが男の手首を掴もうと手を伸ばす。が、元から叩くつもりはなかったのか、衛兵の腕は直前で止まり、プレアの腕はあえなく空を切った。
「あれ、ミスっt……」
「何者!!」
「ほげぇっ!」
直後。仮面姿のプレアを見て、不審者と判断した衛兵のフルスイングが、盛大にプレアの顔面に突き刺さった。
ーーー
あの後、紆余曲折を経て解放されたプレアと少女は、二人で適当な公園のベンチに座っていた。
少女の方はまだまだ元気いっぱいだが、長々と続いた衛兵からの説教のせいか、プレアの方は若干くたびれている。
「無茶しちゃダメですよ。衛兵さんの言うことは聞かなくっちゃ」
プレアがそう言うと、少女はプイッとそっぽを向いた。結局、例の建物に入ることは叶わなかったからか、どうにも機嫌が良くないようだ。
「そんなの、余計なお世話です。……ていうか、私思ったんですけど」
「うん? どうしたんですか?」
少女は振り向き、プレアの方を流し見てこう言った。
「お兄さん。誰?」
「おっと」
内心で忘れられていたことにショックを受けるプレアであったが、よくよく考えてみれば、広場にいた時は仮面をかぶっていたことを思い出す。
対して、今のプレアは素顔のままだ。
「ほい」
「あ……」
良くも悪くも特徴的なグッズである。
バッグから件の仮面を取り出すと、少女は合点がいったように頷いた。
「広場で絵を売ってた変質者」
「変質者って……」
プレアの中では、カリスマ絵師としてのキャラ作りの一環でもあったのだが、どうやら周囲からは、そうは映ってなかったらしい。
がっくりとうなだれ、次からはもっとカジュアルな仮面にしようかな、などと検討するプレアに、少女はとどめの一撃を加えた。
「正直、怪しい人にしか見えないからやめた方がいいよ」
「さ、左様ですか……」
なるほど。庶民からの貴重な意見である。
そういえば、つい先程にも衛兵に不審者と間違えられた気がする。おかげで頬にあざを頂戴するハメになってしまった。
とはいえ、絵師としての活動に仮面は必須なのだ。あれは何も、キャラ作りのためだけではない。
要するに何が言いたいかと言うと、世知辛い世の中だという事だ。
「ま、今はそんなことどうでもいっか」
「何の話?」
「いえいえ。ただの独り言ですよ」
「ふーん。変な人」
少女は再びそう言うと、プレアから視線を外し、ベンチにもたれかかって溜息をついた。
「ところで、どうしてあんなとこに入ろうとしてたんですか?」
先程の衛兵とのやり取りで、なんとなくの想像はついていたが、念のため少女に尋ねてみる。すると、少女は悲しげに目を伏せてこう言った。
「昨日ね。友達があそこに連れていかれたの」
「…………」
件の建物には確か『末期患者治療施設』と書かれた看板が置いてあった。
それはつまり、そういう事なのだろう。
「お兄さん、よその街の人だよね?」
「はい。そうですよ」
「じゃ、この街のこともあんまり知らない?」
「えぇ。まぁ。ついでに言うと、今日この街に来たばかりです」
プレアがそう言うと、少女は「そっか」とつぶやき、事の顛末を説明してくれた。
やはりと言うか、案の定というか。
少女の話によると、例の施設は『末期患者治療施設』という、名ばかりの隔離施設らしい。おまけに今、街を蝕んでいる流行り病は、一度かかると例外なく死に至るという恐ろしいものだ。
唯一、感染力は強くない点が救いではあるのだが、現状ではそれが裏目に出てしまっている。
というのも、下商業区や上区と違い、下町の住人達は衛兵に少しでも体調不良の兆しを見せようものなら、感染を恐れた権力者達によって強制的に隔離施設へ入れられてしまうらしい。
これは何も、衛兵たちに限った話ではなく、近所の住民に通報されてしまった場合にも適用される。また、家族や友人に感染者が出た場合も同様だ。
だから街の人々は、衛兵達に見つからず、且つ他人との関わりを極力断つために、ほとんど家の外に出なくなったのだとか。
「なるほど。それで街に人の姿が見当たらないわけですね」
「そういうこと。みんな疑心暗鬼になっちゃって……。でもこのままじゃ、いつか手に負えなくなる」
「ん?」
「言ったでしょ。病気の人だけじゃなく、まだまだ元気な人もあの施設に入れられてるって。それもすごい数の。ただでさえ病気で大変なのに、この調子じゃ、病気が収まる前にみんな死んじゃうよ……」
「……」
「あんなことしてる時間があるなら、みんなで治療法を見つけるべきなんだ。でも偉い人達は、自分達の安全とお金のことばかり考えていて……。商売に支障が出るからって言って、みんなをあんな場所に閉じ込めちゃうんだ。あの人達は下町の人間のことなんて、虫ケラぐらいにしか考えてない。同じホルムの住民なのに……」
少女はそう言って俯くと、唇を噛み締め、悔しそうに拳をギュッと握りしめた。切れ長の目尻からは、薄っすらと涙のようなものが見えた。
しかし、少女はふいに顔を上げると、
「でもね。私は諦めない! 絶対にみんなを説得して、こんなことやめさせるんだ! だって私、この街が大好きだから!」
と、どこまでも明るく、高らかにそう宣言したのだった。
プレアにはその姿が到底、まだ幼い少女のものとは思えなくて。
悲しいような痛ましいような、それでいて眩しいような、何とも言えない気持ちになった。
彼女の苦悩など、今しがた街の事情を聞いただけのプレアには、欠片も理解することなんてできないだろう。
だから、プレアが彼女に意見するなんてことは、御門違いなのかもしれない。
ただ、似たような経験を持つプレアだからこそ、一つだけ間違いなく言えることがあった。
「ご家族が心配しますよ」
しかし、結果としてそれは失言だったのかもしれない。
「そんなわけないよ」
「え?」
今までの様子が嘘のように低く冷めた声で、少女はそう言った。
「お母さんはもういないし。お父さんはお仕事ばっかり。みんなが大変だったときも、大事な仕事だからって出て行っちゃうし。大嫌い」
「そ、それは、申し訳ないことを聞いてしまいましたね……」
「……別にいいよ」
「で、でも。もしかしたら、お父さんにも何か事情かあったんじゃ……?」
「事情……?」
瞬間。今までの痛ましい様子が嘘のように、少女の態度が激変した。
両の拳を握りしめ、胸の奥底から湧き出す激情を隠そうともせず、少女は叫んだ。
「家族や街のみんなよりも大事な事情って何!」
「え、えっと……?」
突然の変化に戸惑うプレアであったが、少女の激情は一向に止まる気配を知らない。
「あの人はね。自分だけ良ければいい人なんだ。お母さんが亡くなった時もそう。この前だって、街のみんなが病気で大変だったのに、大事な仕事があるからって、外の世界に出て行っちゃうの。おまけにまだ帰ってこないし!!」
「…………!」
立ち上がり、そう叫ぶ少女の瞳には涙が浮かんでいた。が、すぐに俯いて座り直し、申し訳なさそうに目を伏せる。
「ごめんなさい……。お兄さんに怒っても、仕方の無い話よね……」
「……あの、少しよろしいですか?」
「なに?」
「さっき外の世界って言ってだしたけど、君のお父さんって……?」
プレアがそう尋ねると、少女は「あー」と一息ついて、言った。
「私の父さん、外商人なんだ」




