第一話 『迷子のハンター』
清々しいほどにカラッと晴れた青い空。
ポカポカと暖かい初夏の陽射しが、一面に広がる湖に降り注ぐ。
梅雨が明けて間も無いというのに、程よく乾いた空気が暑過ぎず寒過ぎずちょうど眠たくなるような、絶妙な心地良さを生み出していた。
まさに絶好の昼寝日和である。
眼下には、四方を森に囲まれた大きな湖が広がっていた。
透き通るほど澄んだ水面からは、小さな魚が群れを成して泳いでいるのが見えた。
「んー……」
そのほとりで、一人の青年が両の手を天に向かって高くかざしながら、大きく伸びをしていた。起き上がった拍子に、頭に覆いかぶさっていた大きな木の葉が一枚、ふわりと足元に落ちる。
木の葉の下から現れたのは、綿飴のように柔らかなブロンドの髪だ。クルクルとパーマのかかった金髪が、暖かい風に吹かれてなびく。
青年はパチパチと何度か瞬きをした後、しばらくの間ぼんやりと空を見上げていた。が、やがて気だるそうに傍に転がっていたバックに手を掛けた。
始めこそ、寝ぼけ眼をこすっていた青年であったが、時間が経つに連れて、その表情は徐々に険しくなっていく。
「あれぇ? マズイぞ。地図が見当たらない……っと。ん?」
ふと、何かの気配を感じ取ったのか、辺りに散らばる荷物を慌ててバックの中に押し込みながら、青年は注意深く周囲を見渡し始める。
「ま〜た追ってきてるや。しつこいなぁ」
すっかり身支度を終えた青年は、つま先で地面をトントンと小突きながら、小さく溜息をついた。
身支度と言っても、青年の荷物は多くない。着替えの服が一着に、湖で水を入れたばかりの水筒が一つ。あとは方位磁石と、趣味で使っている筆と画用紙が数枚。
むしろ少なすぎるくらいだ。
「さてと」
その場でピョンピョンと軽快に飛び跳ねながら、青年は楽しそうにニヤリと笑う。
「まくか」
ーーー
既に太陽は遥か水平線の彼方に沈み、次第に薄暗くなりつつあった森の中。
貿易商人ジョン=フラワーは死を覚悟していた。
彼の目の前には、胸に大きな風穴を開けて横たわる肉塊が六つ。
いずれも、ついさっきまで男の護衛だった者だ。
「あらぁ〜。通りすがりの商人にしちゃあ、随分とご立派な積荷じゃなあい?」
「……ッ!」
身長190センチはあろうかという程の長身の女が、口元に飛び散った返り血をペロリと舐めつつ、そんなことを言った。
どこか楽しむようにニコリと笑う女の顔は、一面に広がる死体の山と相まって、より一層、不気味な雰囲気を醸し出している。
にこやかな笑みを浮かべてはいるものの、その瞳は氷のように冷たく、残忍な光を灯していた。
二本の足で地面に立ち、人のように言葉を操る「化け物」。
彼女は、一見すると人と何ら変わりはないように見えるが、その本質は全くの別物だ。
注意深く観察すると、要所要所が人間のそれとは大きく異なっており、少しでもその道に詳しい者なら、すぐに彼女が「人ならぬ怪物」であることが分かるだろう。
病的なまでに白い肌。
両手の指にはナイフのように鋭く尖った十本の爪があり、口元には牙が見え隠れしている。
そして何より注目すべきは、全身から湯気のように迸る赤黒い光だ。
禍々しいばかりの殺気を孕んだその光は、見るものを萎縮させ、言いようもない恐怖に陥れる。
彼女こそが吸血鬼。この世界の食物連鎖の頂点に立つ生き物である。
額から流れ出た一滴の滴が、ジョンの頬を伝ってポタリと地面に落ちる。
彼は、吸血鬼の蔓延る外の世界で生き抜くべく鍛錬を積んだ「ハンター」でも無ければ、特別に戦闘能力に秀でているわけでもない。
言うならば、ごくごく平凡な「人間」。狭く暗い地下の世界から、一攫千金を夢見て「外の世界」に飛び出した、だだの貿易商人なのである。
一般に吸血鬼の身体能力は、人間のそれを遥かに凌ぐと言われている。しかし、吸血鬼の真に恐ろしいところは、鉄をも握りつぶす腕力でもなければ、獣のような瞬発力でもない。
彼らには、その優れた身体能力が取るに足りない物に感じられるほど、恐ろしい力が備わっていた。
人を殺め、その食欲を満たすためだけに生まれた、おぞましい力。
発動時に鮮血の如き赤黒い輝きを伴い、この世の物理法則をも捻じ曲げてしまうその力を、人々は太古の迷信になぞらえて、こう呼んだ。
――「魔法」と。
その力は時に、鋼鉄のシェルターをも容易く破壊し、傷ついた肉体さえ瞬時に修復したという。
そんな力を操る怪物に、ただの人間が敵うはずもない。
しかし彼とて、今まで吸血鬼の蔓延る危険な世界で、何年も商売を続けてきたのだ。当然ながら幾度となく修羅場はくぐったし、いつの日かこうなることも覚悟していた。
しかしである。
(くそ! どうしてよりによって今日なんだ……)
握りしめた拳をさらにきつく握りしめ、ジョンは目の前の化物を見据える。
(とりあえず落ち着け。落ち着くんだ……)
こんな仕事をしている身である。いつの日かこうなるだろうとは思っていたが、今のジョンにはどうしても死ねない理由があった。
(何としてもアレを街に届けなければ……!)
幸い、目の前の女は荷台の中身をただの商売用の積荷か何かだと思っているようだ。
うっすらと笑う女を見ながら、ジョンは思案する。
(とりあえず信号弾を打つか……。いや。妙な動きをすれば、即座に殺されるだろう。せめて、近くにハンターがいれば……。あぁ、くそっ! 何か。何か手はないのか……)
諦めそうになる心に鞭を打ち、焼き切れんばかりに脳をフル回転させる。今、ジョンの小さな荷台の上には、街の命運がかかっているのだ。これしきのことで諦めていいはずがない。
しかし、そんなジョンの思いは、結果として徒労に終わることとなった。
「!?!!」
突然、バシュッと鋭い風切り音が響いたかと思うと、深い闇に包まれた森の中を一筋の閃光が駆け抜けたのだ。
それはあまりにも刹那の出来事で、ジョンは始め、何が起きたのか理解することすらできなかった。
彼がようやく目の前の出来事を認識し始めたのは、遅れてやってきた突風が、辺りに立ち並ぶ巨大な木々を真っ二つに吹き飛ばした後である。
見れば例の女は、まるで神隠しにでも遭ったかのように、首から上が綺麗さっぱり無くなっていた。
しばらくして、丸い何かがボトリと足元に落ちた。
「あ……」
未だ薄く粘っこい笑みを浮かべたまま地面に転がる彼女の顔は、自身の身に何が起きたのかを理解する間も無く、瞬きのうちに絶命したことを物語っていた。
「いったい何が……」
「こんばんは〜」
背後から唐突に声を掛けられて、ジョンは慌てて振り返った。そこには「銀色に輝く」巨大な鎌を、まるで包丁でも扱うかのように軽々と回しながら歩いてくる、一人の青年の姿があった。
淡いブロンドの天然パーマを夜風になびかせながら、青年は言った。
「あの~。すみません。ちょっと迷子になってしまったんですけど、この辺りにあるホルムシティに行く予定って、あったりします?」
「…………はい?」
ーーー
ホルムシティは巨大な商業ピットである。
ピットというのは、地下深くに点在する人類の住処のことで、吸血鬼の支配を受けない唯一の場所でもある。たいていの場合、それらは各々が独立しており、自給自足の生活をしている場合がほとんどであったが、ホルムシティを始めとする近隣の都市群、通称ホールベルトは、他とは一際異なる形態をとっていた。
通常、ピット間の交易は「外商人」と呼ばれる人々が生業としている。
外の世界に出ることに多大な危険が伴う今日、自分たちの街にはない、他の都市の農作物やら工芸品といったものは、非常に高額で取引されている。街の中では紙切れ同然の物だって、他のピットでは黄金に早変わりするのだ。
しかし、当然ながら美味い話ばかりではない。彼らは一獲千金を夢見て、日々、命がけで商いをしている。外商人のうち、5年以上生き残っている者はわずか一割にも満たないのだ。
そんなわけだから、外商人という職業は通常、どのピットでも数えるほどしかいない。
ところが、このホールベルトでは非常に沢山の外商人が活動している。理由は大きく分けて二つある。
まず一つ目は、近隣に吸血鬼を討伐する職業「ハンター」の駐屯支部が存在することだ。彼らは「銀色に輝く」不思議な武器を操り、航路に出没する吸血鬼をあらかじめ駆逐してくれる。そのため他の地域に比べ、ホールベルト近隣は吸血鬼の出没数が遥かに少ないのだ。
そして二つ目には、ホールベルト近隣に多数のピットが密集している点が挙げられる。
ピットが密集しているので、渡航距離は通常よりも遥かに短い。そのため、外商人の死亡率も飛躍的に低くなっているのである。
上記のような理由から、ホールベルトは大陸有数の商業地帯として数えられている。
そして、このホールベルトが有する巨大なマーケットの中心に位置するのが、ココ、ホルムシティなのである。
「いやぁ、先程は本当に助かりました。本当、何とお礼を申し上げたらいいか……」
まるで神にでも祈るかのように、先程から何度も何度も頭を下げてくる壮年の男に、プレアはわたわたと手を振って、困惑気味の顔で笑いかけた。
別に悪い気はしないのだが、まだ十代の少年に向かって大の大人が何度も頭を下げるといった状況は、否が応にも目立ってしまう。
特に、昼間の人々が賑わう商店街のど真ん中でのこととあっては、道行く人々の注目の的になるのは必至である。
というか、平たく言って恥ずかしい。
「あ、いえ。だから気にしないで下さいって。仕事ですから……」
人々の視線を肌に浴びて、頬が赤くなるのを感じながら、プレアは何とか話題を変えようと画策する。
そこでふと、街に入った時のことを思い出した。
「そういえば、ジョンさんってこの街じゃ、結構偉い人だったりするんですか?」
「偉い……と言うと語弊があるかもしれませんが、そうですね。そこいらの商人よりは顔が利くと思いますよ。ちなみに、どうしてそう思われたのか伺っても?」
「さっき、検問所を通ろうとした時のことなんですけど、僕、通行証を持ってなかったじゃないですか。本来なら門前払いもいいところなのに、どうして通れたのかなって……」
半ばドギマギしつつ検問所を通過した後、プレアは先ほど知り合ったばかりの外商人、ジョンと共にホルムシティに来ていた。
本来、街へ入る時はパスと呼ばれる通行証を提示しなければならないが、諸事情によりプレアはそれを持っていない。
なので大抵の場合、良くないこととは思いつつも、プレアは密入国という手段を取っている。ただ、今回の場合、ジョンの一声によって許可が下りてしまったのだ。
ゴーイングマイウェイを自身の標語とし、並大抵のことでは驚かないと自負しているプレアであったが、これには流石に驚いた。
吸血鬼が地上を闊歩している今日、それだけ街の検問所は厳しく、また、人類の防衛に欠かせない重要な役割を担っているのだ。
だからこそ、こんな簡単に通れたとあっては、カルチャーショックもいいところである。
(ホントに大丈夫なのかなぁ。ていうか、この街の検問所、警備がザルにもほどがあるでしょうに)
「ハハ。助けていただいたハンター様を無下に扱うなど、ホルム市民の恥です。当然のことを行ったまでですよ」
「それは、失格者でも、ですか?」
調子良くそんなことを言う商人に苦笑いを浮かべながら、プレアは先から気になっていたことを尋ねてみることにした。
ちなみに失格者というのは、ハンターにとって命の次に大切とも言われている対吸血鬼兵器もしくは、認可証のどちらかを失くしてしまったハンターの事だ。
彼らは世間的にハンター失格の烙印を押され、ハンターとしてのあらゆる権利をはく奪される。
便宜上、プレアはジョンに自身が失格者であると告げた。これは、ジョンと別れるための口実でもあったのだが、あろうことか彼はそれを受け入れ、強引にプレアを検問所に連れて行ったのだ。
当初は、「流石に許可が下りるはずもないから、あとでこっそり侵入すればいいや」などと思っていたプレアであったが、あっさりと許可が下りてしまい、今に至るというわけである。
「ご謙遜を。ライセンスを失くしてしまったとはいえ、あなた様の強さは私の目に焼き付いております。さぞかし、険しい修行を成されたのでしょう。いやはや。まだお若いのに、立派なハンター様だ」
想像していた通りの答えに、プレアは呆れ半分、尊敬半分で、心の中で吐息を漏らした。
(なんだかなぁ……。ただのお人良しなのか、それとも危機感がないだけなのか……。どちらにせよ、悪い人じゃなさそうだけど)
「とはいえ、この街は巨大な商業都市なだけあって、警備の者も精鋭ぞろいです。吸血鬼の十体や二十体、侵入しようともビクとも致しませんよ!」
そう言って、ジョンはワハハハと機嫌よく笑った。
検問所につながる大通りを真っ直ぐ進み、プレア達が広大な商業区を抜けた頃には、時刻はちょうど昼過ぎになっていた。
そろそろ腹の虫も鳴り出す時間だし、ここいらで別れようと提案するプレアに対し、ジョンは困った顔でこう言った。
「何をおっしゃいますか。まだ何もお返しできてないというのに」
「お礼ならお気になさらないでください。仕事ですので」
「そうおっしゃらずに。なにも金銭をお渡しするわけではありません。この街に滞在する間、我が家を自由に使っていただくだけです。なにせ近頃は街の事情で、一般向けの宿屋はほとんど営業しておりませんので。ギルドの寝床も、その、ライセンスを持っていないプレア殿には少々居心地が悪いかと思いますし……」
「…………まぁ。それは確かに」
実際には、居心地が悪いどころの騒ぎではないだろう。今のプレアがハンターギルドに顔を出そうものなら、瞬く間に刀傷沙汰にまで発展する自信がある。できれば、街中でハンターに会うのも避けたいぐらいである。
とはいえ、これだけ大きな街なら、そうそう見つかることは無いだろうが。
「ところで、その街の事情というのは……?」
どこか引っかかるような発言をしたジョンに、プレアは純粋な疑問をぶつけてみた。先程、この話をした時のジョンの表情にはどこか暗い影を感じた。
もしかすると、何か良くないことがこの街で起こっているのかもしれない。
「そういえば、プレア殿はご存じないのでしたね。いえ、あまり驚かないで聞いてほしいのですが……」
ジョンはそう言って前置きした後、プレアの思いもよらないことを口にした。
あるいは、それはこの街の危機とも呼べるものなのかもしれない。
「今、この街では恐ろしい流行り病が蔓延しているのです。感染力は決して高くはないものの、罹ったら最後、例外なく死に至ります。おぞましい死の病なのです」




