はたらくリコリス 8
【Ref.No.18-0037】
8
ちょっと設定をミスってしまい、リコリスのメーラーには、自分あてのメールと広報係あてのメールと、さらには、お休み中の溝口補佐のメールまでもが、一気に流れ込んできた。
みゅるみゅると増えていく着信件数に、リコリスの眉間に皺がよる。
そんな大量のメールの中、見慣れた名前が、ふと、リコリスの目に留まった。
「Mihoka Hanazono」
何はなくとも、まず真っ先にリコリスは、それを開く。
ミホカからのメールには、仕事のことではなく、課内での他愛のない話が、短く書かれていて、最後は、「すぐに総務の仕事にも慣れるはずだから、気にせず頑張れ。落ち着いたら、ランチにカレーでも食べに行こう」と締めくくられていた。
ミホカらしい、文字数の少ない、ごく端的なメールだった。
やっぱ、「優秀」なんだよね……ミホカは。
リコリスは唐突に、そんなことを思う。
同期の中でも、ミホカが、先陣切って係長に昇進したことについては。
悔しいとかやっかむとか以前に、まったく納得のいく話だと、リコリスは常々思っていた。
そりゃ、同期には博士持ってるコも何人もいるし、留学帰りやらマイナー言語の使い手もいるけどね。
でも、ミホカが「優秀」っていうのは、そういうのではないんだよ。
別に、何がどうってわけじゃないのだけど。
ミホカは、くよくよしたって仕方ないことは、絶対しない。
そのかわり、なんでもすぐにやる。
少々、おおざっぱなところはあるけれど、とにかく、キチンと素早く仕事回せるのだ。
そうだね、とにかく何事についても、大きなムラがないんだよね。
どんな時も、グチグチ弱音履いたりしない。
だいたい、ミホカが溜息つくところなんて、見たことないし……。
ついに、ここにきて盛大な溜息を吐き出してしまい、リコリスは、自己嫌悪で机にめり込みたくなる。
いかんなあ、わたし。
中山さんに感じてしまう、微妙な違和感って、同族嫌悪かしらん。
リコリスは、暗ーく俯きながら、そんなことを思いつく。
そうだよ。
ミホカだって、全然おしゃれじゃない、袖口が汚れてたり、服の裾が盛大にほつれてたりするくらいのことだって、しょっちゅうあった。
でもたとえ、夏に分厚い黒いタイツ履いていようがどうしようか、なぜか、全然気にならないんだよね、なぜか、ミホカの場合には。
そしてリコリスは、のろのろと顔を上げる。
と、マシンの横に置いておいた灰色の物体に、ふと目が留まった。
……岩塩。
総合案内カウンターで、チーターっぽいボブキャット種のおばあさんに押し付けられた。
そういえば、あれっきり、あの人に会えなかった。
押し付けられたはいいが、この変な物、一体どうしたらいいのだろうかと、リコリスも、あれから困り果てた。
ちょっと、おかしい感じの人なのかなあ。
まあ、そもそも、総合案内カウンターは、本当にお客さんの変人率高いんだけど。
なにせ図書館に来た人が、ほとんど真っ先に立ち寄るところだから。
そんな風に考えつつも、あの老婦人のことを、奇人変人だの「電波ゆんゆん」だのという決めつけができるほどの確信はリコリスにもなかったわけで。
単なる「ちょっぴり身勝手なお客さん」である可能性も大いにあると、リコリスは、そうも思っていた。
だから、あの老婦人の人相風体と、手渡された物体はリコリスが当座はあずかっている旨は、カウンターに出るメンバー全員に申し送りしていたのだ。
だが、結局、リコリスが、異動する日までに。
彼女は、現れなかった。
申込書に記入もしてもらえなかったし、どこの誰かも解らないし。
もう……どうしようもないよね。
あ、でも、本人としては、あれでレファレンスを頼んだつもりになっていて、あてにしてて。
回答を期待して、ひょっこりと、またやって来るかもしれない。
――ここへ来れば解るって教えてもらったから、わざわざ来たの。
とかって、言ってたのも気になるし。