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はたらくリコリス  作者: 水城
8/33

はたらくリコリス 7




……もう、溜息も出ませんがな。

というくらい疲れ果てて、リコリスは、自席に腰を下ろした。


自席、といっても、設定完了のシールが貼ってあるマシンが置いてあるだけの、妙に寒々しい机。

部屋の様子も窓の景色も、どれもすべて、まだ全くなじみがなく、落ち着かなくて仕方がない。

書庫から出してきた資料が所狭しと積み上がっていた埃っぽくも乱雑な前の課の自分の机が、リコリスは懐かしくてたまらなかった。


ところで。

帝国図書館にも、なんと、他のお役所さんのような「記者クラブ」というものがあるということを、リコリスは今日、初めて知った。


とはいえ、それは「文化教育省の記者クラブのメンバーが、図書館のも兼務している」というものらしく、リコリスと総務課長は、午後一で、書庫棟を超えてさらにビル三つ先の文教省内にあるクラブの記者たちのところへと、着任のご挨拶に行ってきたのだった。


特に、総務課長から説明を受けたわけではなかった。

でも、この図書館の記者クラブが文化教育省のものと兼ねられているのは、たぶん、大昔、帝国図書館が、文化省の所管下にあったからなのだろうと、リコリスは想像していた。


財政状況が厳しさを増すと、真っ先に文化行政が割を食う、というのが、この国の基本的な流れであることなど、歴史を紐解くまでもなく明らかなことではあり、そして、その中でも、真っ先に矢面に立つのは、図書館と文書館だというのもまた、歴史的事実であろう。


「図書館だって? で、お前ら、一体、何の役に立つのさ? 今さあ、本とか買ってる場合じゃないから。別に誰も死なないでしょ、本なんかなくったって?」というのが、その理由。


なので、資料費を削られ、「本なんか、もう一冊も買えないぜ!」なんてハメに陥るのは、公共図書館では、わりにあることだったりする。


ただ、帝国図書館の蔵書は、他国の国立図書館と同じく、基本的に納本制度で成り立っている。

つまりそれというのは、一応、この国で出版されているものは、すくなくとも一冊は、帝国図書館に収められることになっているということで。

その辺は、公共図書館ほどの厳しさにはさらされていないわけではある。

とはいえ、外国の資料を集めるには、やっぱりお金がいるわけで、構築中のコレクションを継続する費用をどうにも捻出できないという危機的状況も、帝国図書館においても、しばしばあったりはしたのだ。


……そんな嘆かわしき状況に対し、ある時。

いわゆるところの「文明的諸外国」から我が国に対し、「くぉのぉぉぉ文化後進国めがぁぁ」という外圧が一気に押し寄せるきっかけになった、とある事件が、帝国図書館に関連して起こったのだった。


そこで、さすがの政府も腰を上げ、せめて唯一の国立図書館である帝国図書館だけは、もうちょい、ステイタスを上げようじゃないかという話が持ち上がったというわけで。

文化教育省下の一機関だった帝国図書館は、独立した機関として、立法府、司法府、行政府に並ぶ地位に置かれることとなったのだ。


つまり、帝国図書館長は、今や、国務大臣相当の地位となったわけである。

文化教育省の下、国中の各種学校やら博物館たちと繰り広げなければならなかった予算争奪戦になど、もはや参戦する必要はなくなった。


とはいえ、まあ、結局のところは、どれだけ格上げされても、所詮、一図書館は一図書館に過ぎず、文化省や産業科学省のような巨大省庁とは、わけが違うということで。

結局のところ帝国図書館としても、何やかやと、文化教育省との縁は切れないままに、今に至るというわけで、記者クラブも、文化省のものが兼用されているというところだろう。

ま、独自予算になったとはいえ、資料費を増やしてもらう代わりに、夏のクーラー代は、ちゃっかり減額されているくらいだから。


で、肝心の記者さんたちは、記者クラブの部屋にいたりいなかったりで、リコリスは、結局、全員に挨拶することはできず……。

そして、着任の挨拶は、記者クラブだけにはとどまらず、なんと、文化省内の広報担当やら学校図書館・公共図書館関係部門やらと、延々と行脚して回るというものだったということが解り……。


リコリスと総務課長が事務室に戻って来たのは、夕刻、もうすぐ定時といった時刻だった。


そして、総務課長の極めつけのひと言。


「それでは、伊藤さん。館内の各所へは、明日の午前中に、挨拶に行きましょうね」


……あ、まだ、他にも、挨拶に行くのですか。そうですか、そうなんですか。

リコリスは、席に座ったまま、しばし放心状態となる。


「あのぅ、広報係の伊藤リコリスさん……」

うっとおしいようなボソボソ声が、背後から、リコリスをフルネームで呼んだ。


ああ、この辛気くさい声の持主は、たしか……。


「な、なんでしょうか。総務係の中山さん」

リコリスは、思わず、生唾を飲み込んで振り返った。


午後、挨拶周りに出かける前に、マシンの設定のために、機械室のヘルプデスクさんを連れてきてくれた時も、本当に暗かったんだよね、この人。


前かがみになって、長いぱっつん前髪の下に、ごっそり目を隠して、ボソボソボソーっと喋る。

そして、いちいち、話の合間合間に、深ーい溜息をついて見せるのが、何とも言えず癇に障るというのか……。


え、すいません? わたし、そんなにあなたのこと疲れさせてます?!

みたいな気にさせられちゃうというか、ねえ。


だいたい、フルネームが「中山アン」だって言うし、そんな可愛い名前なわけでしょ?

そもそも「アン」だなんて、こう昔の小説みたいな、キラキラした空想好きの少女とかイメージしちゃうんだけど。


「これ、広報係のメールパスワードと業務でお使いになるデータベースのIDとパスワードです……あと、一応、溝口補佐のメールアカウントのパスワードも、メールチェックしていただかないと、たぶん困るんで」


ずずいっと、リコリスに封筒を押し付け、「……後は各自で設定してくださいとのことですから」と言って、中山アンは去っていく。


そういえば。

もう定時は回っているし、彼女……中山アンは、わたしが席に戻ってくるの、わざわざ待っててくれたのかな。


気を取り直し、リコリスは、ちょっくら好意的に考えを切り替えてみた。


しかし、中山アンは、おもーく溜息つくと、再び席について何やら作業を始めている。


って……まだ帰らないのね。

というか。

溜息って、良くないね。わたしもなるべく溜息つかないように気を付けないと。


リコリスは、「人の振り見て我が振り直せ、他山の石、玉を攻む」みたいな、殊勝なことを考えたりする。


午後はほとんど、この事務室にいなかったリコリスではあったが、総務係長さんと、あの中山アン係員が、どうやら非常に仲が悪そうなことくらいは、もう薄々と感じ取っていた。


総務係長の方で、暗くて感じの悪い中山アンを扱いかねているといった感じかなぁ。

何だろうね? 何がよくないんだろう、あの人は。


あまりにも身なりに構ってなさすぎるかな……。

別にチャラチャラ着飾る必要なんかないわけだけど、でもさ、なんかこう、もうちょっと、どうにかしたもの着たらいいのではない?

真夏の黒いタイツって……ねえ、寒いのかな、冷房も入ってないのに。しかも、ふくらはぎ伝線してるし。

リコリスは、中山アンについて、そんな風に考えを巡らせた。


前の課では、四、五人の係で、共同作業もあったけど。

カウンターに出るとき以外は、基本的に自分の担当の資料群や受けたレファレンスを黙々こなす、いわゆる独り仕事だったから……。

思えば、あんまり係内でこじれることもなかったし。


でも、どうやら総務(ここ)の仕事って、結構「係」の仕事って感じだし、係員と係長さんの間、密にならざるを得ないのかな。

実は人間関係、すごい大変なのかも……。


あ、そうだ……。

今日は、まだ一回もメールチェックしてなかった。


もやもやと考えごとに耽っていたリコリスは、ふと我に返り、マシンにタッチしてスリープを解除した。



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