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はたらくリコリス  作者: 水城
4/33

はたらくリコリス 3

【Ref.No.18-0037】




長々と単調な人事異動の報告が、やっと終わり、課員たちは、また三々五々に書庫へ、閲覧室へと散っていく。


その流れに完全に逆らい、リコリスは産卵遡上するシャケめいて、口髭メガネ課長のもとへと歩み寄った。


「か、かちょうー」

「はいはい」


「わたし、わたしって、来月異動なんですか?!」

「うん! そう。そうなんだよ。大丈夫、リコちゃんならできるよ、ガンバ! はあと!」


いつもなら、条件反射で脳裏で繰り出される「ええい、『リコちゃん』とかいうな。馴れ馴れしいっつうの。仮にも管理職だろうが、お前はぁ!」ってな具合のつっこみが浮かぶ余裕もないほどに、リコリスはうろたえていた。


「っていうか、っていうか。内々示は? そんな話、一度も聞いてないです」


「ああ、『内々示』ね」

言って、課長は人差し指を立てると、わざとらしく指先を口元に当てた。


「うーん、今回ね。結構、大規模な異動だったからさ、ぎりぎりまで細部がつまらなかったんだよね。僕もリコちゃんの異動聞いたの、ほんの一時間前だったし。いまさら内々示したって、遅いかなって思ったんだよね」


いや、別に遅くないし。

一応、聞いとけば、心構えとか違うし。って、いいからしろよ、内々示。五分前とかでいいから。


動揺が、少しは収まりつつあるのか、リコリスの心の中でつっこみ隊長が復活し始めた。


「っていうか、わたし、この前、面談でも言いましたよね?! レファレンス畑でキャリア積みたいって」


書誌とか整理なら解る。別に、わたし文献系の書誌学オタクじゃないけど。

そういう仕事は、絶対、調査能力の向上につながるから、やってもいいっていうか、いや、いずれやりたいと思ってたし。


でも、会計とかなんとか、そういう総務系の仕事には興味ないんだってば。

正直、そういう「ちゃんとした」仕事っぽいの苦手なんだよ。

人付き合いとか、名刺交換とか、帳簿とか、書式チェックとかさ。

無理、ゼッタイ!


そもそも、周りの人が困るでしょ。総務とかって忙しい部署なのに。使えないヤツ来たって、迷惑でしょ?!


ああ、もう。信じられない。

伊藤リコリスが、総務課、しかも広報係? とかって。

ナニコレ? これ以上のヘンテコ人事、後はもう、館長秘書室に配置換えになるぐらいしか思いつかないよ?!


とかなんとか、ひとり脳内で、激しくまくしたてるリコリスに向かい、ふと課長が、口元を引き締めてみせた。


「リコちゃんの希望は、前々からちゃんと聞いてるし、解ってるけどね」


「だったら……」


「知ってると思うけど、こういう人事異動って、みんながみんな、希望通りの部署に行くわけじゃないんだよ、役所だしね」


うっ。

そりゃ確かに、それは知ってる。知ってますよ。もう、帝国図書館(ここ)で結構長く働いてますから……。


「それに、リコちゃん、まだ異動も二回目でしょ? リコちゃんなんかは、まだ若いからさ、基本的に、本人の出す希望って、人事課にはさ、将来のビジョンっていうか? そういう感じで参考にされるだけなんだよ。今は、もう少し、色々な職種を体験してもらう時期っていうかさ、解るよね?」


……ふうん。

そうですか、「元不倫したい係長ナンバーワン」のくせに、急に上司ぶりますか? あ、そうですか。


こんな感じで、胸の内でぶつくさ洩らしはしたものの。

とっぽい口髭課長の言うことが、正論だということくらい、リコリスにも、十分理解できているのだ。


だから。

それ以上は「元不倫したい係長ナンバーワン」課長に詰め寄ることもできないままに、リコリスは、黙ってうなだれる。


と、課長が、黒縁メガネの奥で、目をぱちりと見開いた。

「あ、そうそう、名刺」


「……は?」


「新しい部署の。作っといた方が、ほら、なんて言ったって広報だからね、すぐに挨拶回りで使うだろうし。ね? 準備は、早め早めがイイヨ、イイネ!」


そうだった。

総務ってだけじゃなくてさ、異動先、広報係でしたよ。

って、一体、何やるの、広報って……。


ずずんと、リコリスの胃の奥で、ブルーなバリウムが沈んだ。


そして、そんなリコリスの前から、「名刺のテンプレは、たぶん、総務課の方の庶務係さんがくれるよ」とかなんとか言いながら、とっぽい課長は、ひらひら消えて行く。


溜息とともに目線を泳がせるリコリスの視野に、花園ミホカの姿が入った。

視線を感じたらしく振り返ったミホカへと、リコリスは駆け寄る。


「ミホカぁぁぁ」

「あ、リコ、異動なんだ? 総務課は、事務室も建物違うし、お互い、しばらくは、あんまり見かけなくなるかね」


ちょっ!

なによ、なんなの、ミホカ、その冷たい態度は。


「広報だっけ? なんか意外。そんな希望出してたの、リコ?」


ぶるぶるぶる、と三回首を振って、リコリスは否定の意を激しく表明する。


「ふーん、そっか」

と、軽く応じて、花園ミホカが続けた。


「総務だと、きっと忙しいよね、残業とかあってさ? あれだね、送別会、異動の前にさ、今月中にやっちゃおっか?」


何? なんですか、ミホカ、もう追い出しモードですか?

そんなにわたしに出て行ってほしいというの?

いやああ、寂しいこと言ってくれるでないよぉおおお。

同期の中でも、一番仲良かったでしょうが、われわれは?


いたく心細げなリコリスの様子に、ミホカもやっと気を留める。


「リコはあれだ、行きたくないんだ? 総務」

「いきたくない」


全然行きたくないよ、広報係とか。


「ミホカ、助けてよ、厭すぎる、総務とか。超厭すぎ」

「えー? 大げさだなあ、リコ。大丈夫、そんなの、すぐ慣れるってば」


ミホカの小さな手が、ぱしぱしとリコリスの肩を叩く。

リコリスはうなだれ、見るともなくミホカの履いている消音シューズを見つめた。

小さいビジューが、爪先に控えめに付いている。なかなか可愛い品だった。


昔は、ぜんっぜん、身なりに構う子じゃなかったのになあ、ミホカ。


シューズなんて「爪が絨毯に引っかかんないために、しょうがないから履いてる」って感じだったのに。ホント、変わったよ、最近。


……結婚決まってからだなあ。

たぶん。


そりゃ、私だって、まあファッション誌をめくったりするのは嫌いじゃないけど、でもそこまでオシャレにいそしんでるわけじゃないんだよね。


一応、専門職っていってもヒラの図書館員なんて、ブランド品に凝ったりするには薄給過ぎだし。公務員だからね。

本を抱え歩くのも、実は肉体労働だったりするし、書庫だって、本だって埃っぽいし。


「愛されOL」一か月コーディネートとか、ないない。

そういう風に頑張るっていうのとも、ちょっと違うんだよ。


……ってね。

彼氏のいない言い訳にもならないか。


ミホカ、旦那とは、学生の時からの付き合いっていうから……。

旦那だって、別にちゃらちゃらしてないミホカが、好きだったんだろうしね。そりゃ、最近、綺麗になって、旦那も嬉しいんじゃないかと思うけどさ。

まあ、それも「自分と結婚して幸せだから」綺麗になったってことになれば、さらに嬉しいだろうけど。


すると「あ、花園係長、すいませーん。新着の確認お願いします」

などと呼ぶ声に、ミホカまでも、リコリスの前から、テトテトと歩み去って行った。


ひとつ盛大な溜息をつき、リコリスは、自分の席にどさりと腰を下ろす。


っていうか、本当に、わたし異動なんだ。

総務とかの仕事、しなきゃいけないんだ……。


やだやだやだ。

嘘だ、うそだと言ってよぉ。誰か。


さっき書庫から出してきたばかりの、「吉弘大辞典」を、リコリスは横目でちら見する。


総務なんて、ありえない。

もう、図書館なんか、辞めちゃおうかな……いっそ。


いやいやいや。ないないない。

うん、辞めないよ、辞めないから。

別に、ちらっと思ってみただけだけだから。ちらっと。

大体、図書館員なんて、それこそ「ツブシがきかない専門職ナンバーワン」だよ。

転職とか、相当厳しいし、うん。


でも、やっぱり。


「……やだよぉおお、総務ぅぅ」


言っても詮無い泣き言を洩らし、リコリスは、積み上げた「吉弘大辞典」の上に、ゴンと額を打ち付け突っ伏した。


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