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「どうぞ。今、お茶をいれてもらっていますから」
ここは滝川由岐の屋敷。もはや家ではない。家の名前に恥ないイイオウチだ。古き良き日本家屋。さすがだ。私達は離れへと通された。
ほら千鶴ちゃん、キョロキョロしない。おのぼりさんみたいだから。
「それで?お話いただけるのかしら?あなた方があの場にいて、拓真君を使ってあの場から去らせた理由を」
ニッコリ笑っちゃいるけど機嫌がいいわけじゃないからね?むしろその真逆だから。
「奈緒ちゃんが男子と二人っきりで出掛けるなんて心配だったんだよ」
口を尖らせて西條呉羽が答えた。
心配って、お前は私の親かっ!…親だってそんな心配………するかもしれない。親じゃないけどお兄様は特に。
たかだかクラスメイトの二人で買い物に行くのぐらいいいと思うのに。
「何故千鶴が一緒に?」
「こいつもお前の後をつけようとしていたのを俺達が連れ込んだ」
千鶴?
私が千鶴の方に顔を向けると体を縮こまらせて私の顔色を窺ってきた。狙っちゃいないだろうけど上目遣いになっている。
……よし、許そう。
「奈緒。電車、僕も一緒に乗る」
「電車?」
……………ははーん。そういうことか。
神園瑠偉の言葉でピンと来た。
君達、みんな電車に乗りたかったんだね?電車なんて普段乗らないから。そうかそうか。残念だったね。君達のせいで私も乗りっぱぐれたよ。
………この恨み、忘れまじ。
「…機会があれば、ですわね」
そんな機会、絶対にないだろうけどね!ていうか絶対に作らないけどねっ!
「そろそろお暇いたしますわ」
仕方ない。本当は最寄り駅まで電車で帰れるはずだったのに、これじゃあ大誤算だ。お父様もお母様もお兄様もいないのは今日しかなかったのに……いかんいかん。恨み言は後だ。まずはこの……鳥肌の立ちかねない場所から立ち去りたい。それはもう切実に。
なにが悲しくて主人公…つまり千鶴のことね、彼女を軟禁同然にしていた(これからするやもしれん)部屋でのんびり和やかにお茶を飲もうというのか。私はそこまで神経図太くない。
………そんなはずないと思った君、自己申告なさい。夜な夜な夢に出てきて恨み辛みを延々と聞かせてあげるわ。
とりあえず、早く帰りたい。
「もっとゆっくりなさって構いませんよ?ここはあまり使用人達も来ない離れですから」
「そうそう。もっとおしゃべりしよー?」
「…眠い」
「おい、由岐。茶よりもコーヒーがいい」
……どこからつっこめばいいのか分からないので、全部まとめて。
…………………………くつろぎすぎだろ。
…やっぱりつっこんでおきたい人が一人。
だからこの部屋を軟禁部屋にしたのか、滝川由岐クン!?
「あ、そうそう。ちょうどよかった」
「え?なになに?」
ちょっと失礼しますと席を立った滝川由岐はすぐにノートパソコンを片手に戻ってきた。
テーブルの上にのせて立ち上げ、画面をくるりと皆の方に向けてきた。そこには『今年度学園祭計画書』という題と共に大まかなことがざっと書かれている。
………げっ。これはイベント中一、二を争う規模ではありませんか。棄権…はできないね、うん、知ってるよ?
「奈緒ちゃん、洸蘭の学園祭ってどんなことするの?」
「高橋さんがどんなものを想像しているかは分かりませんが、洸蘭の場合、そうですね……博覧会といっても過言ではないと思います」
「はく、らんかい?」
「博覧会の意味、分かる?」
「それくらい知ってるよ!知ってるけど…」
千鶴の言葉が尻窄みになって掻き消えた。
洸蘭の学園祭は博覧会と同意義。滝川由岐の言葉はちっとも間違っちゃいない。
普通の高校のような生徒主催なんて言葉は欠片くらいしか見当たらない。せいぜいが文化部の見せ場というところくらいだろうか。内装外装はもちろん、催しから飲食物まで全て外部の、それも一流と名の通った業者の手が入る。ぶっちゃけ忙しくなるのは生徒会と風紀委員くらいだ。
生徒会は計画とそれらの業者との連携、風紀委員は当日の警備がある。忙しさからかこの時期特に両者のいがみ合いが顕著になる。当然これからは私と千鶴もその渦中に放り投げられるわけで。
「なんだか大変そうだね…」
千鶴…そんな他人事みたいに。
他の四人も同ことを思ったのか苦笑あるいは呆れを見せている。
学園祭は九月。今は五月だからあと四ヶ月。実際ありそうでなくなるのが残り日数だ。たぶん夏休みもいくらかは生徒会の仕事で出なきゃいけなくなるはず。
そう考えると……なんで入っちゃったんだろう、生徒会。
「高橋さんは洸蘭の学園祭に来たことはありますか?」
「ううん。初めて」
「ではこれが去年のパンフレットなので目を通しておいてください。去年と同じものは基本できないことになっているので」
「うん。ありがとう」
千鶴はパラパラとその場で軽くページをめくった。
私も正直去年までの学園祭にはあまり積極的ではなかった。否、正直に言おう。ほとんど寮の外に出ていなかった。出れば最後、私は様々な場所に目の前の人物達に連れ回されていたことだろう。
当日が忙しい風紀委員と違って生徒会は比較的自由に回る時間がある。事実中等部一年の時、わざわざ寮の部屋まで来られた時は軽く恐怖を覚えた。すっかり油断していたのだ。やつらは忙しいに決まってる。だからこの時間、この期間だけは安息の時だと。油断大敵、私は人生においてもすごく大切なことをこの何年間かでよく学んだ。
過去の自分に目眩を起こしそうになるのを目を軽く瞑ることでこらえた。
「奈緒ちゃん、今年こそ僕と一緒に回ろうね?」
「あ!ずるいっ!奈緒ちゃんが回るのは私なんだから!」
「予約をいれたのは僕が先なんだから。君は由岐とかとでも回ってれば?」
「ダメ!」
…………あ、しまった。勢いよく言い過ぎた。
「千鶴は方向音痴ですから、あなた方にご迷惑をかけるかもしれません。当日は二人っきりでぶらぶらと気ままに回りますわ」
「えー!奈緒ちゃん、彼女が編入してきてから彼女のことばっかり!」
「そんなことありませんわ?でも、大事な親友ですから。万一のことがあっては自分が許せませんもの」
君達の君達による君達のためのバッドエンドとかね?この間のダンスパーティーみたいに上手く事が運べるとは思えない。
………そういえば大人しくなったなぁ、あの女狐三人組。
あれ以上何かしでかすつもりならこっちにも考えはまだまだあったんだけど。
…つまらないなんてこと思ってなんかないよ?残念だなぁとはちょっとだけ思ってるけど。
「………………」
「…どうかなさいました?」
「……いや?」
隠そうともせずに私の横顔を見つめてくる朝霞恵斗に私は我慢できなかった。
何もないんだったらそんな人の顔を穴開けんばかりにガン見しないで欲しい。めちゃくちゃ気になる。
「……もうこんな時間。今日はもうお暇いたしますわ。千鶴、ほら立って」
「うん!」
おうおう。今日一番のいいお返事だ。本当はずっと帰りたかったんだよね?私もだ。
「今日はうちでご飯を食べていってもらおうと思っていましたが」
「あーごめんなさい」
「やはりたまの休暇に食べるお母様の料理が一番でしょう?ね、千鶴」
「う、うん」
うちはお母様は厨房にすら入らないけどね。そういえばまだ千鶴の家族に会ったことないなぁ。
「あぁ、とても面白いお母様でしたね」
「え!?」
私より先にお母様に会ってるの!?何それ!ずるい!
「閉め出された」
「…ざまぁ……いえ、何でもありませんわ」
いかんいかん。思わず心の声がもれてしまった。
お嬢様の皮をかぶり直してっと。
「それでは失礼いたします。見送りは結構ですわ」
「お邪魔しました」
同じく部屋を出ようとする四人を押し止め、有無を言わさぬ笑みで反論を拒否した。
「それでは…また洸蘭で」
「バイバイ奈緒ちゃん」
ここに来るって分かった時、あらかじめ迎えを頼んでおいて良かった。神宮寺の優秀な運転手が車の外で私達を待っていてくれた。
「お待ちしておりました、奈緒様。そして初めまして、高橋様」
「え!?私の名前…」
「まことに僭越ながら、颯から高橋様のことは伝え聞いております」
「そ、そうですか」
「お気を悪くされたのでしたら申し訳ございません」
「い、いえ!びっくりしただけなんで…あぁそんなに謝らないで下さい!」
ほぼ九十度に腰を曲げる運転手に千鶴は慌てて体を起こさせた。
「川崎さん。そろそろお願いできるかしら?」
「失礼いたしました。どうぞ」
川崎さんが開けてくれた車のドアから乗り込んだ。決して横柄なわけじゃないからね?この車、防犯上だかなんだか知らないけど運転手じゃないと開けらんないのよ。
その後、千鶴をちゃんと家まで送り届けて中に入るのを確認した後、私達も屋敷に戻った。いや、学校に送ってもらおうとしたけど、川崎さんに泣きつかれたんだよ。自分のおじいちゃんくらいの人にそこまでされると……無理でしょ、精神的に。
あー今日は疲れた。早く寝ようっと。
ストレスたまりすぎてヤバイ。はげそう。この年でハゲ。
…嫌だ、絶対に嫌だ。ハゲ、断固阻止!
私はその日、お風呂上がりに頭皮マッサージをしっかりやった。
三日坊主にならないように毎日続けましょう。
頭皮マッサージはそれから半月ほど行われたが、面倒くさくなってやめることになったのはほぼ当然のことだった。




