1話 すき焼きパーティー
卒業生の追い出しも兼ねて、寮生による追い出しパーティーを開こうと最初に言い出したのは、同じゼミの仲間である吉岡だった。
同じゼミでなおかつ同じ寮生ともなれば、仲が良くなるのは必然で、大学内においては一番の親友というポジションについている。
明るい性格でムードメーカーなコイツはいつも何某かの企画を打ち出しては実行している。
それにいつも付き合わされて共に行動しているのが己である。
また何か言い出しやがったなと、呼んでいた本から顔を上げ、話の先を促せば、乗ってきたなとばかりに吉岡は喋り出した。
「先輩らが卒業じゃん。何の勘の言って1年の頃から随分と結構世話になったし、こう、パーッと盛大に追い出しパーティーなんかをやんないかって言ってんだよ。もちろん手伝ってくれるよな?」
断られるとは思っても無い様子で喜色満面の吉岡は既に何を用意するかなどぶつぶつと呟いて指折り数えている。
今年度の卒寮生は2人。
上下関係には厳しい江原先輩と、比較的大らかだが怒ると一番恐ろしい大下先輩が卒業と共にこの古い寮から旅立っていく。
要するにその記念に託けてパーティーを開こうと言う申し出だ。
根っからのお祭り好きはそう言えば去年も同じ様に何らかの理由をつけてパーティーを取り仕切っていたなと思いだした。
「大下先輩が肉好きだから、すき焼きパーティーとかどうだ?肉なんてここんところ喰ってねえだろう?俺もお前もさ」
「すき焼きってお前金あんのかよ?」
そんな金が何処にあるのだと、万年金欠男へと素早く突っ込みを入れる。
常に金欠2人組と名高い己と吉岡は先輩らによく飯を奢ってもらっていた位には金が無い。どちらも奨学生で寮暮らしなのだから理由はそれぞれに違うとしても余計な金が無いのは同じである。
「ひかえおろう!」
吉岡は渋い顔をして見せた己の目の前に、懐から封筒を恭しく取り出して掲げて見せた。そしてその中から万札の束を抜きだしてひらひらと空を煽ぐ様にして見せびらかしてきた。
といってもその枚数は高々5枚。
要するに5万円程度だ。
しかしそんな金額でも己と石岡にとっては数か月分の食費に値する金額だ。
「おま、どこで盗んできたんだよ!?」
「開口一番それか!?ちげーよ!盗んでねーよ!」
いきなりそんな大金が舞い込んでくるはずも無く、ならばどこからそんな金を調達してきたのだと黙して目で語れば、慌てた様にバタバタと手を振りながら吉岡は否定し、金の出所を話し出した。
「パチンコで買っただけだっての!」
「お前懲りないね…」
うすうすそうかなと思っていた答えが口から飛び出した瞬間吉岡の頭をはたいた。ギャンブル好きが玉に傷の此奴は時折こうやって一山当てるも、次の日にはすっからかんになると言うパターンを繰り返している。
借金をしてまでやるものでは無いと言うポリシーから借金はまだ背負ってないのが救いだ。
「ま、明日すっからかんにするよりはここで先輩らの為に使った方が有意義だな」
「ひっど!何気にひっど!」
涙目の吉岡を余所に、己は先輩らの部屋へと向かう事にした。
彼らにだって予定というものがあるだろう。
取りあえずは行動に移す前にお伺いを立てるべく、部屋のドアをノックした。
「先輩、片倉です。いらっしゃいますか?」
両先輩らは同室で、俺と吉岡も同室だ。
そして部屋は隣同士。
薄っぺらな壁一枚を隔てているわけであって、当然隣の部屋の会話などダダ漏れなのだ。
「ようこそすき焼き!」
「待ってたよすき焼き!」
ドアが開かれた先に待ち受けていたのは、今までに見た事がない程の笑顔を浮かべた先輩らの姿だった。
そう言えば先輩らって肉食だったな…野菜を己が買わねば肉だけのすき焼きになりそうなので、金の入っている封筒は自動的に己の手の中へと仕舞いこまれる事となった。
吉岡?あいつも勿論肉食だ。
突発的なすき焼きパーティーを行う事となった訳だが、勿論材料も無ければ調理器具も無い。無いならばこのあぶく銭を使っていっそ買ってしまえば良いのだと主張した吉岡の案を採択し、江原先輩に車を出してもらって近くの大型モールへと足を延ばした。
「久しぶりにここに来たねえ」
生鮮食品から日用品まで取り扱うショッピングモールなので、ここで一気に揃えてしまいたい所だ。
それぞれ手分けして材料を調理器具の調達へと向かった。
「それじゃ、二手に分かれますか。先輩らは東館を中心胃の願いします。自分らは食品なんで西館に向かいます。集合は30分後に車の前で」
先輩らには鍋やガスコンロ、お玉や菜箸などを頼み、隣にある酒のディスカウントショップで飲み物をもお願いする。
己と吉岡は肉と野菜、調味料を買い込む係りだ。
食器も無いが、そこは紙皿紙コップと行きたい。
かたづけが面倒なのと、そのまま次の日に花見にでも行こうかという話になったからだ。今日買った紙の食器類はそのまま残りを流用できると言う寸法だ。
こんな時でも無ければ料理なんてしはしない。出来ない訳ではないのだが、寮には飯が付いている。賄付きなのにわざわざ作るのは寮費に含まれている食費が勿体ない。そういう理由からだ。
「それじゃ、ちゃちゃっと買い込んできますか」
「味付けは己の味付けにしちまうけど良いよな?それ以外作れないからな?」
この中で料理が出来るのは実は己のみだ。
だからこそ吉岡は己へと声をかけてきたのだ。
親友のよしみというのもあるが、残りの3人は料理センスが0だ。
いや、一人は確実にマイナスだ。
地雷原回避要員として連れてこられたともいう。
其れゆえに、買い物も食料品は己と吉岡がかって出ているのだ。
先輩らに任せたら人外魔境になることこの上ない。
すき焼きなのにジャムを買うような人らだから。
「良いんじゃねーの?関西風だろ?全員西日本から南側出身なんだから問題ないだろ…」
「割り下めんどくさくてな。それに材料少なくて済むし」
貧乏性と出身地から関西風すき焼きと言う事に決まった。
牛肉を主体に、葱・春菊・糸こんにゃく・焼き豆腐・牛脂・白菜が買い物かごへと放り込まれた。
「調味料も全然ないよな?」
「ああ、砂糖と料理酒と醤油な…それと一番大事な卵!コイツを忘れたら意味ないって言うか、すき焼きじゃなくないか?」
吉岡の目を盗み、追加とばかりに大根としいたけをそっと放り込んでおいた。肉の量に対してその他の量が少なめだったので、せめてもの抵抗だった。
己は野菜も大好きなのだ。
紙コップ・紙皿・箸を買い込み、買い物かごを乗せたカートでレジへ向かった。4人分なのでそこそこの量になったが、男2人が持てばそんなでも無いなと軽口を叩きあい。先輩らが既に待っているであろう駐車場へと向かった。
「お待たせしてスイマセン」
「うわ!買いこんだねえ」
「肉!肉~!」
案の定己らよりも早く買い物が終わったであろう先輩らに車の後ろを開けてもらい、荷物を積み込んだ。
そのまま車へと乗り込んで寮への帰り道をひた走った。
先輩らが買い込んだ品とは別に、野菜と肉とで買い物袋は6つ。
うち3袋全てが牛肉という暴挙に先輩らと吉岡はハイタッチして喜んでいたが己はこの暴挙を止められなかった自分に心の中で涙した。
「野菜も食えよ!?」
「「「はーい!」」」
少し怖い顔をしていたかもしれない己の一言に、一瞬顔を見合わせた3人だったが、満面の笑顔でそう答えられてしまっては苦笑いするしかなかった。
4人とも久々に箍が外れそうになる位は楽しんでいたのだ。
そうして寮の駐車場へと帰りつき、それぞれが手荷物を持って運ぶことになった。
大量に箱買いした酒の箱をまず持って行かせ、次いでガスコンロなど日用品の類、そして肉、最期に己がもう一袋の肉と野菜・調味料を持って車を出た。
キーロックをかけて、両手に袋を下げたその瞬間だった。
鍵をポケットへと仕舞って顔をあげた己の目の前にはあるべきはずの建物は無かった。
ぼろくて狭いけれど、1部屋相部屋だけれど、寮費が1か月3万円賄月の月光寮の代わりにそこにあったものは、
木。
木々。
己の立っている位置を中心に丸い円があり、足元には背丈の短い草が生えていた。
そうして周り一帯は全て木々。
己はどこかの山中の中のような場所へと立っていたのだ。
すき焼きの材料を両手にぶら下げた状態で。