その4
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第〇七作戦区域。アデス大渓谷。
悠久の時を経て水による侵食が行われたその土地は、絶壁の赤い岩山を残し、見上げる者の天を狭くする。その跡地は土地を入り組ませる天然の迷路。数々の旅人の終を迎えさせたであろうこの大渓谷は、その昔、旅人を食らうと噂されていた。
しかし、その先にあるのは鉱山都市エルドランド。様々な色できらびやかに彩られた町の噂は、数多くの者にその足を運ばせ、そして多くの者の命を食らい、噂と言う魔物を大きく育て、より多くの者の命をまた食らった。
ペインス公国領である現在、金銀宝石などは掘り尽くされてしまったが、高品質な操魔石の原石がとれるため依然として重要な都市として発展している。
「うわぁ、なんだかすごいなぁ」
谷底を走る大型魔工馬車から顔を出すビュー。
壮大な青い空のキャンバスを、赤い岩山がその端を埋めていく。
「ぐおおおおおお」
魔工馬車の中でバーグランドの地鳴りのようないびきが鳴り響く。
「ああ、雰囲気が……」
「おいおい、観光じゃないんだぞ……。っと、あそこに野営してるのが見えてきた。ビュー、通信飛ばしてくれ」
操魔石のついた手綱を握るマグナートに小突かれる。
本当に観光で来たかったと思うと、ため息を一つしてから通話石を握る。
「はい。もしもし、聞こえますか? こちら第三魔工兵器観察部。第二一八小隊、接近許可願います」
「こちら第二一八小隊、回線は今日の天気のように良好であります。接近を許可します」
若い青年の声が拡声石から返ってくる。
マグナートは手慣れた手つきで誘導の兵士の横に着ける。
「第三魔工兵器観察部室長グラン・マグナートだ。小隊長はどこかな?」
「はっ! 小隊長でしたら――」
マグナートが誘導の兵士に問いかけたところで少し遠くから精悍な青年が足早にやってくる。
「お待ちしておりました、室長殿。自分が小隊長です。さっそくですが作戦テントに案――」
「着いたのかい? あー、よく寝たぁ。デカイ魔工馬車はそれなりに寝心地もいいねぇ」
青年が話している途中に魔工馬車の奥の方からバーグランドが大きな欠伸をしてかき消すと、大きく伸びをしながらのそのそと奥から出てくる。
青年はバーグランドを見て一瞬驚いた顔をするが、爽やかな笑顔で敬礼をする。
「お久しぶりです。バーグランド軍曹」
「えーっとぉ? 少尉殿に知り合いいましたかねぇ?」
バーグランドが寝ぼけ眼のまま敬礼を返すと、青年の襟元を見て首をかしげる。
年齢が若いとはいえ、自分よりも上役のはずの青年の態度にバーグランドも少し疑問に感じた。
「ルーカスです。ひよっこの頃に鍛えて頂いたルーカス・アルバです」
「おお、もやしのルーカスか。あれから死なずに元気にやってたんだな、出世したなぁ。それに見違えたぜぇ」
ポンと手を打ってニカッと笑うと魔工馬車から飛び降りるバーグランド。そのまま、バーグランドはルーカスに寄ると力いっぱい肩をバシバシと叩く。しかし、ルーカスはまったくよろける事もなく笑って受けている。その様子からは『もやし』の渾名を持っていた事は想像もつかない。
「これもバーグランド軍曹の教えてくれた事のおかげです。おかげさまで死なずに済んでいます。それにしても、バーグランド軍曹にこんなところで会えるとは」
「ああ、今は後ろのやつのテストパイロットをしてんだ」
バーグランドは親指で牽引してきた荷台を指さす。その上には跪いた『シラヌイ』が布をかぶせて縄で固定されていた。
「なるほどあれが『シラヌイ』。ふむ……、あれで一騎なんですよね? 想像していたより……」
ルーカスは驚きと言うよりも、思考に耽るように一瞬目線を右下に流し顎に手を当てる。
「どうかしたのかぃ?」
「あ、すいません。後でお話しします。第三観察部のみなさん、とりあえず作戦テントに案内します」
それに気がついたバーグランドがルーカスを訊ねる。思考を一旦中断したルーカスは改めてビュー達を陣の奥へ案内した。
◇◆◇
作戦テントの机の上でアデス大渓谷の地図が広げられる。
「かなり精度の高い地図だな。公国図書でみてもアデス大渓谷の地図だけは数本道があっただけでほぼ空白だったのにな。これはどうしたんだ?」
「ええ、我々小隊はもともとこのアデス大渓谷の地図を作る任務にあたってましたから。それで帝国迎撃任務の一番槍に当たってるわけです」
ルーカスは胸を張ると地図の上に白い三つ駒を置く。
「諜報部の情報によると、帝国軍は昔から使われてる幅広のこの道に五千と、川沿いの細めのこの道に一千の二手に分かれて通っていると言う事です。そしてこの二つの後ろには四千近い後詰の本隊が待機しています。合計で規模は一万ほどの旅団クラスと言う事です。うち、敵魔工鎧は五百騎程度と報告を受けています。
それでは、五千の方を敵A、一千の方を敵Bとして話を進めます」
白い駒のうち二つをそれぞれのルート上配置した後に、幅広のルート上の駒を指さす。
「敵Aの戦力はなかなか強大です。敵魔工鎧のほとんどははこちらにおり主力部隊のように思えます。
ただ、こちらの敵Aの進軍はそれほど早くはありません。しかしこれは、大軍で進行速度が遅れていると言うのではなく、おそらく陽動が任務です。そして本命はこちらでしょう」
次に、ルーカスはB敵の駒を指さした。
「対してB敵は拙速の行軍を行っています。乾季の川を利用して、迂回して制圧するつもりなんでしょう」
エルドランドに黒い駒を置いて幅広のルートの駒に近づける。
「敵の思惑がわかっているとはいえ、むざむざ敵Aを見過ごしても結果は同じです。ですから、こちらのA敵はエルドランド常設軍からの四千五百が迎撃に出撃しています。
そして、われわれ小隊がこちらの敵Bを押さえます」
ルーカスは小さな黒い駒を出すともうひとつの駒にぶつける。
「あの……、少しいいですか?」
「はい、なんでしょう? ビューさん」
ビューは恐る恐る手をあげると、ルーカスはニッコリと頬笑みを返す。
「この二一八小隊って……、小隊ですよねぇ?」
ビューは当り前の事を聞く。しかし、ルーカスは微笑みの顔を崩さず答える。
「はい、自分含めて四十八人の小隊ですよ」
「千対よ、よよよ、四十うう……」
ビューは口を金魚のようにパクパクさせる。
「何を驚いているんだビュー。我が軍は一騎当千だ、問題ない」
「……そ、そうですよね? え? そうなんですか? あれ?」
大げさに肩をすくめて見せるマグナートにビューが目を回しながら混乱する。
「精強な我が二一八小隊は一兵一兵が一騎当千、そうであると自負しています。
とはいえ、倍の差なら命がけでひっくり返して見せましょうとも言いますが。……実際はこの差でまともにぶつかったらお話になりませんね」
「まぁ冗談だ。ビュー、参謀部もそんな馬鹿じゃないさ。ちゃんと策はあるし、俺達はそのために二一八小隊と合流している。話は最後まで聞け」
ビューはハッとした顔をしてマグナートを見て頷く。
なんてバカなんだろう単純にぶつかりあう事なんてありえないのにと思うと、自然とビューの顔の温度が上がっていった。
「参謀部から下された自分たちの任務は、援軍が来るまでの時間稼ぎになります。今こちらには、公国最速と名高いシーデン一等術佐率いる魔工鎧連隊が来ています。そのためちょこっと時間稼ぎするだけでいいわけですが、それを今回は、自分たちが探索したアデス大峡谷の地理と『シラヌイ』を利用して行います」
ルーカスは敵Bのルート上にある横に長めの直線の続く道を指で沿う。
「この道は滝から流れる川に沿って距離にして五千二百ほどの直線があります。この滝の位置から『シラヌイ』による狙撃を行います。マグナート室長、『シラヌイ』の魔工砲――リュウジンノトモシビですか? それの射程は資料通りで間違いありませんか?」
ルーカスは地図に顔を向けたままマグナートに対して少しだけ上目遣いにして問う。
「間違いない。リュウジンノトモシビの有効射程は五千で威力の減衰も弾道のブレもほぼないといえるだろう」
マグナートは確信を込めた言葉をもって返した。ルーカスは少しだけ嬉しそうに口の端をあげると静かに目線を再び地図に下ろす。
「わかりました、では滝壺から少し離れたこの地点よりリュウジンノトモシビにより砲撃してもらいます。まずは敵Bが通る直前に岩壁に当てて崩落させます。
とはいえ、非常に頑丈な岩ですからそれほど崩れはしないでしょう。ですが、土煙りで視界は悪くなるため状況把握等の作業で初回はそれなりに時間が稼げるはずです。
そして次に敵が頭を出したところで第二射を行い出鼻をくじきます。以後インターバル終了ごとに発射すれば十分な威嚇になり、かなりの時間を稼げる見込みです」
「なるほどなぁ、そいつぁうめぇ作戦だ。だがよ……」
バーグランドが腕を組んで首を傾げる。
「拙速の行軍つって少数の軍だっつっても軍は軍だ。ちったぁ偵察も出るだろうがよ、魔工鎧じゃ崖は登れねぇし。五千ほど距離があるっつってもリュウジンノトモシビじゃ曲射できるわけじゃねぇから狙撃地点に最初からいたんじゃ姿がバレちまうと思うが?」
「バーグランド二等術曹の懸念は言われる通りです。それについても考えてはありました。実はこの滝壺の横の岩陰に小隊ごと偵察をやり過ごせそうな場所があったので、そこに身をひそめてやり過ごします」
納得したように三者が頷く。しかし、なぜか発案者であるルーカスだけがどこかすっきりしない顔をしているとそのまま続ける。
「……ただ、『シラヌイ』は自分の想像以上に大きいようです。滝から生じる霧も手伝ってやり過ごせるとは思うのですが、ちょっと確信が持てませんね」
「ふむ、そうかい。だが、これ以上のポジションはねぇし、これでやらなきゃなんねぇんだろ?」
「……そうですね。この作戦にはエルドランドの命運もかかっています。エルドランドは公国有数の魔原石の採掘都市です。ここを失っては公国の存亡にかかわります」
不安要素を払拭するべくルーカスは握り拳を作って自身を鼓舞する。
霧でも十分視野は悪くなる。だが、乾季の滝がどれほどの霧を生じさせるかとも考えるビュー。
しかし、これ以上のものを思いつくわけでもなく、これに頼らざるを得なかった。
「霧じゃなくて滝の後ろにでも隠れれば丸ごと隠れることができればいいんでしょうけど」
「……ビューさん。今なんと?」
ビューのつぶやきにルーカスが喰いつき顔を向ける。そのあまりの真剣な眼差しにビューはたじろぐ。
「うえっ! なんでもないですっ。くだらない独り言ですから……」
「いえっ、いいんですっ、聞かせてくださいっ」
ビューが一歩下がって両手を振ってごまかすと、ルーカスがツカツカと二歩詰め寄った。
「滝の後ろに隠れる事ができたらいいのになぁ……って。あはは、私何言ってるんでしょうね」
「それだっ」
ルーカスが感極まってビューの手を握り締める。
「それだそれだ、それならいけますよっ」
笑顔のままブンブンと握った手を振るルーカス。ただ呆気にとられているビュー。マグナートもバーグランドも得心がいかぬという顔をすると、マグナートが口を開く。
「小隊長殿よ、どういけるって言うんだ?」
「あのあたりを探索している時、目の端に数回水の精霊が映りました。その時は気にも止めませんでしたが、滝の近くとはいえ、乾季の時期に見かけるのはとても珍しい。ならば精霊の住処である水の祠が近くあってもおかしくないでしょう」
「なるほどね。で、探索してる時に水の祠を見つけていないなら滝の後ろにある可能性が高いってわけか」
「そこに体の大きい『シラヌイ』や他の魔工鎧も隠す事が出来れば、歩兵はもっと安全に隠れれます。こちらからの偵察もやりやすくなりますし。これはいけますよっ!」
ルーカスは大きく頷くと早口に続けた。
「あのぉ……」
呆気にとられていたビューが我に返ると恐る恐る声をかける。
「はいっ、なんでしょう? ビューさん」
「うっ……」
まぶしいくらいの爽やかな笑顔で返すルーカスに一瞬怯むが、なんとか持ち直す。
「えっと。そろそろ、手。……いいですか?」
「手? はっ! うわあああっ。婦女子の手を気安くずっと握るなんて自分は何と軽率な事をっ! す、すみませんっ」
壁まで勢いよく後ずさっては平謝りするルーカス。
「うわわわわわわわ。そ、そんなに気にされなくても大丈夫ですから。私気にしてませんから」
「しかしっ! 自分はっ、騎士の末裔としてっ」
ビュー必死にルーカスのフォローをするますます取り乱すルーカス。
「おやおや……。どうやら、小隊長殿はまだまだ経験不足のようだ。バーグランド軍曹、こっちは鍛えてやれなかったのか? そういうお店でよ」
「めんぼくねぇ。俺ぁ嫁さん一筋だからよ、盲点だったわな」
ビューの後ろで、マグナートがバーグランドに肩をすくめて漏らす。バーグランドもただかつての部下の醜態に苦笑いだけ返した。