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13話 墓前の本音




 直人の集中を破ったのは、突如鳴き声を上げたアブラゼミの声だった。


 直人がこの地にきてそろそろ三ヶ月を迎えようとしているが、日入り頃と日暮れ近くに鳴くはずの蝉、ヒグラシを見かけたことは一度もない。当初は気にもとめなかったことだったが、ふと何気なしに耳を澄ませた夕方、耳に馴染んだはずの鳴き声を聞かないことをとても不思議に感じた。そういえば、ミンミンゼミの声も全く聞いていないように思う。

 地方により生息する生物の種が異なることを、こうした折々に初めて理解する。それは三ヶ月居ればこそ気付いた変化なのかもしれないが、この己で定めたこの期間は、果たして長いのか短いのか。

 来る前は結構長いと思っていたが、実際過ごしてみるとこれは案外に儚い。――そしてこの三ヶ月の時間を儚く感じさせた要因、それが一人の人物が深く関わっているという事は――


 …はっきりと、自覚していた。



(もう、こんな時間か)

 けたたましいセミの鳴き声に顔を顰め、直人は向かっていた出張報告書から顔を上げた。首を鳴らしながら傍らの時計に目をやると、白いシンプルな置き時計の針は五時半過ぎを差している。

 約束の時間が近いと訴える秒針に、嵌め込まれた四角い窓を見上げた。

(――真昼よりはたしかにマシかね)

 窓の外は明るく、未だ高い陽は白く厳しい。僅かだが確実な日の巡りは太陽の位置を傾かせていたものの、気温の変化はその日射しの強さを見る限り期待できそうも無い。

 残暑長引くようになって久しいが、この激しさにはどうにも辟易するばかりだ。

「ま、仕方ない」

 溜息をつき、立ち上がった。

 二ヶ月半に渡る滞在で既に使い慣れてしまったホテルの部屋は、直人の私物――教材や資料、服や本など――で雑然と散らかり、一見掃除がなされていないように思える。しかし実際は二日に一度必ず掃除のスタッフが部屋を訪れており、掃除自体はきちんと遂行されている。部屋が雑然と見えてしまうのは、掃除の際物はあまり動かさないで欲しいという直人の希望を、ホテル側が受け入れているからに他ならなかった。


 直人は部屋の入り口横にあるクロゼットに歩くと、夏用の白いシャツと黒いネクタイを手に取った。ただの墓参りなのだから礼服を着る必要はないが、手は迷うことなく黒いズボンを選びクロゼットを閉める。

 黒を選んだのは、意識的な選択ではなく無意識だった。墓地に行くからという安易なイメージが働いたのではない、心にずっと燻っている罪悪感が関係しているのだと理解している。

 罪悪感。

 己を救ってくれた師に対し、葬式どころか、今まで一度も墓参りをしていない。

 ―――部下が聞いて呆れる。

 ベットに服を放りながら、部屋の隅にある姿見の前に移動した。するとそこに自分の顔が綺麗に映り、…思わず、苦々しい笑みが漏れた。


『もうそろそろ、目を逸らし続けるのも潮時じゃないか?』


 ―――どっちが。


 吐き捨てるように胸中で呟き、直人は着ていたTシャツを脱ぎ捨てた。

先週秀二と食事した際、沈黙した秀二は目をぼんやりと彷徨わせて、黙々と食事をとっていた。焦点の危ういその目は、迷子になって困っていると言うよりただ途方に暮れていて、秀二に巣くう闇の深さが如何ほどの物かを強く直人に示していた。――それを直人は、複雑な思いで見つめた。

 秀二の姿は、直人の鏡でもあると気付いてしまったからだ。

(情けない)

 放っていたシャツに袖を通し、形を整えながら釦を留める。鏡に映る、あまり好きではない漆黒の瞳はいじけたように暗く、その大人げない目つきに再び苦笑を浮かべた。

 目を逸らし続けるのも潮時。出勤日である秀二も、行こうと思えば来れる六時という時刻。

 ――小賢しくも、一緒に行って欲しいという真意を綺麗に隠して言っていたのだ。

 本当なら秀二の蟠りが取れるまで黙っていてやるべきだった。確かに秀二の背を押してやりたかったのは事実だが、こんなに早く解決を急ぐ必要など無い。

 直人は少し焦っていた。あと半月しかこの地にはいられず、それが過ぎれば本社に戻らなければならない。確かに戻ったからといって何か弊害があるわけではないし、戻ってからでも行こうと思えばいつでも行ける。

 しかし。


 一人で墓前に立つ勇気がない。


(―――情けない)

 情けない。あまりに、情けない。

 けれどもし、このまま出張を終えて戻ったとしたら。

恐らく自分は、二度とこの地を訪れることはないだろう。

こんな歳にもなって、否。こんな歳になったからこそ余計に、直人は自分の弱さを嫌になるほど理解していた。

 芹沢夫妻の申し出は、直人にとって都合の良い物だったのだ。


 ―――なぁ先生。俺、


「―――」


 食事の後、秀二が帰る前に呟いた言葉が耳から離れない。


 ―――俺


 ネクタイを首に回すと、しゅっと高い音が部屋に落ちた。

 慣れた手つきで形を作り、結び終えると黒い革のベルトを腰に通す。


 ―――俺、臆病だよな。


 かちこち、かち。

 響いたのは、時計の秒針。


 こち、かち。

 かち。


「…臆病なのは俺の方だよ、秀二」


 黙した部屋で、時計は五時四十五分を差していた。




 *




 秀二の父や祖父が眠る場所は、電車で三つほど駅を過ぎ、そこからバスで十五分ほど行った霊園――バス停から少し歩かねばならないが、山の中腹あたりに建立していた。

 永眠る場所としては悪くない場所だったが、秀二の自宅からは遠く、位置的な意味として決して行きやすい場所ではない。聞けば、名取技師の自宅も会長の自宅も、今秀二が住むアパートからそう離れていない場所だったと言う。

 直人に墓地とその話を教えてくれたのは、由希子だった。


『会長がな、そこの霊園を経営管理している寺の住職と仲が良かったんだよ。何でも浄土宗鎮西派の流れを組む古い歴史の寺院と聞いたけどね、七百数十年程続いてるとかなんとか――あぁ、どうやって知り合ったのかまでは聞いちゃいないよ』


 何故そんな遠くにと尋ねた直人に、由希子はそう言って溜息をついた。

 "まさか息子が先に入るとは思わなかった。"会長は四十九日前の土日、納骨が済んだ後に電話でそんなことを言っていたと、由希子は低い声で言った。


『――その間、秀二は』

『秀二かい?電話では何も言っていなかったけどね。私は秀隆の方の納骨には行ってないし詳しくは知らん。あぁ、いや、会長の納骨の時は私も行ったんだが、そういえば様子がおかしかったか』


 どうおかしかったのかと尋ねると、由希子は言いにくそうに唸った。


『どうというはっきりした変化があった訳じゃない。そうだね…まぁ何と言うか――表情、か。笑わないのは当然かもしれんが、泣きもしないし怒りもしない。我慢しているのかと思ったが強張ってる様子はないし緊張しているわけでもなくて――ただ、始終無言で』


 ――どちらが死人なのかと思うほどだった、と。


 読経が響く中、見開く秀二の目があまりに作り物めいていて、異様だったそうだ。

由希子はそう言って溜息を着き、泣く姿よりその無言の方が辛かったと呟いた。




「――工藤さん」

 墓参りに来た人の姿をぼんやりと見ていると、芹沢老人が遠慮がちに声をかけた。

 思考に沈んでいた直人は慌てて顔をあげ、老人が差し出している線香に目を丸くする。

「…え」

「どうぞ。私と家内はもう参らせていただきましたから」

 見れば、墓前の黒い真鍮製の線香立てには、二本の線香が静かに煙をくゆらせている。視線を戻すと、老人の側で夫人が少し暗い、しかし穏やかな微笑を浮かべて頷いた。――何か、憑き物が落ちたような、綺麗な顔だった。

 今から五十分ほど前の夕方六時。待ち合わせた駅に直人が向かうと、直人の側に秀二の姿がないのを見た夫人は、その顔を僅かに悲しみのものへと歪めていた。直人は秀二が交代出勤であることを告げ、終わったら来るかもしれないとだけ伝えた。――芹沢夫妻は、静かに黙礼してそれに頷いていた。

 直人は礼を言って差し出されていた線香を受け取ると、墓前にそっと屈み込んだ。霊園にたどり着いて既に十分が経過していたが、秀二の姿は現れないままだった。

 じじ、と線香が赤く光る。

(――ああ)

 墓石に刻まれた名。霊園を囲むように茂る木々から蝉時雨が降り注ぎ、それを途方に暮れたように聞いていると、声は段々と梅雨の酷い雨音に姿を変えていった。ざぁざぁと聞こえているのかしゃあしゃあと鳴いているのか、鎮守の森に響き渡る音響は既にどちらなのか解らない。

(名取さん)

 日暮れに入り始めた陽は色彩を暖色に落とし、艶やかな御影石にくっきり陰影を投げ込んでいた。

 情けない。苦笑いを浮かべ、血の気の引いた白い手でそっと線香を差す。

(秀二が見たら笑うかもしれないな)

 秀二が来ないのは逆に良かったのかもしれない。燻る何かを誤魔化すようにそんなことを考え、そっと両の手を合わせる。

 そこで―――

「――――…」

 直人は、己の術を見失った。

 ――何を想ったら良いのか解らない。

 師に赦しを請うべきか、世話になった礼を述べるべきか。

 己は一体今、何を想えばいいのだ。


 ―――先生。


 秀二の声が耳に響く。

 今が盆だけあって人の姿は多く、線香の香りが色濃くあたりに充満していた。現実とかけ離れた静寂を保つ静止空間は、巨木の森に棲む大勢の蝉が、大合唱の膜で鷹揚に包む。来る前に聞いたアブラゼミの声とは、まるでその音質を異とする壮大な協和音。――混乱する。

 自分は今、一体何をしているのだろう。

 秀二の声が直人を呼ぶ。先生、先生。

 ――秀二が。



『秀二を良く見てやれって――俺がか?』

 昨夜電話した佐々木は、怪訝な声を直人に戻した。

直人はそれに苦笑しながらも頷き、「秀二が倒れた時居た夫妻覚えてるか」と言った。

「栗原社長が言うには、名取技師が事故起こした一端になった人らしいけど――」

 そこまで言うと、佐々木があぁ、と思い出したような声を上げる。

『あの爺さんと婆さんか。名前は…確かセリザワっつったかな』

 頷き、やはり知っていたかと言えば、「まぁな」と渋い返答があった。

『秀二が入社してきた時、社長に一通り話は聞かされてたんでな。困ったのが接し方だ。あいつ見た目は完全子供だってのに、潔いというか諦観してるっつーか…世の中一歩引いた見方してやがってよ。いつ崩れるかとハラハラしたもんだぜ?』

 思ったより姿が幼く、そのくせ全く弱音を吐こうとしない強さがアンバランスだったと佐々木は言った。

 子供でアレはいかんだろと苦々しく言う声は低く、直人はその不器用ながらも正直な声に、確かにそうだなと同意を返した。だが学生時代のお前に似ている気もしたなとの言葉には、自覚があるだけに静かに苦笑を返して誤魔化した。

『で、そのセリザワさんが何だ?』

「墓参りしたいと連絡があった。で、秀二にこの前それを伝えた訳だ」

『――成る程』

 状況を把握し、佐々木が苦笑しながら呟いた。長い付き合いなだけに理解するのは早く、余計な言葉は発する必要がない。

「まぁそんな訳だから、気を付けて見るというか…迷うようなら背を押してやって」

『そりゃいいけどよ。俺もそう器用じゃねぇから上手く行くとは限らんぜ』

「いいよ」

 笑って構わないと頷いた。

 いいのかと首を傾げる佐々木に、「行かせる」必要はないと言った。

 こういう問題だ。無理矢理では意味がない。


「まぁただ、俺が居る間に会った方が心強いかと思っただけだからね」



 ―――馬鹿を言え。



「工藤さん?」

 背後からそっと名を呼ばれ、直人は痙攣するようにびくりと身を震わせた。

振り仰ぐとそこに、心配そうな顔を浮かべた夫妻が見下ろしており、直人は詰まっていた息をすっと吐く。――しゃんしゃんと、蝉時雨がサウンドスケープを作り上げている。

「工藤さん、顔色が良くありませんが…」

「いや、」

 ご気分が悪いですかと尋ねる夫人に、直人は大丈夫ですと苦笑して立ち上がった。心配をかけた事に謝罪をしながら見渡した周囲は、薄暗さを増し、蒸し暑さもだいぶなりを潜めていた。

 それ程暑くはない――なのに、直人は全身にびっしょりと汗をかいていた。

「やはり少し休んでいきましょう。霊園の近くに喫茶店がありましたし…」

「大丈夫ですよ、ご心配なく」

「ですが」

 蝉の声が響く。柔らかく穏やかな、蝉時雨。

 ――町中で蝉の声を聞くと、その大きさに驚くことがある。音が空気の振動として伝わることから、ビルや電柱などの高い場所から響く音は、遮る物がないため直接耳に届くのだ。それは決まって甲高い高音となり、酷く耳障りな音として捉えられてしまう。

 けれどこの霊園のように大きな木々が並ぶ森では、それぞれの蝉の声が齢を重ねた木や葉への反射を繰り返し、弱められながら人の耳に届く。それは染み入るような柔らかい音響となり、とても穏やかな空間を創り出す。

 場所が違えば音も違う。

 そしてそれは、行ってみなければ決して解らない。


『俺が居る間に会った方が心強いかと思っただけ』


 何が己が居た方が、だ。

 心強いのは自分の方だ。


 ――自分が、秀二に一緒に来て欲しかっただけ。


「―――、…」

「あなた、工藤さん真っ青だわ…」

「無理してはいけません。とりあえず座られた方が…」


 夫妻の声が遠くに聞こえ、直人は己の傲慢さに吐き気を覚えた。

偉そうに秀二へ説教したのは誰だろう。己の生い立ちを話し、家族は居ないがお前の父親に救われたと――もう平気であると笑って。

(違った。俺は)

 平気だったのは。

 秀二が居たから、平気だった。


 ―――馬鹿だ。


「あ、工藤さん!」

「いかんな、お前ちょっとハンカチを濡らして…」


 情けない。何たる傲慢。歳ばかり重ねて自分の本心さえ勘違いしていた。

 秀二に手を差し伸べているつもりだった。

 けれどそれは実際のところどうだったのか。――手を、伸ばしていただけではないのか。


 助けて、と。



「―――先生?」



 柔らかいテノールの、伺うような声が聞こえた。

自分でも解るほど血の気の引いた顔、それをゆるりと声の方角に向けると、仕事の制服を着たままの秀二が戸惑い気味に突っ立っていた。

 手に持っているのは財布だけ。胸のポケットが膨らんでいるのは、恐らく携帯を入れているからだろう。


「…秀二?」


 呆然と声をかけると、秀二の栗色の瞳が驚くように瞬いた。後ろに撫で付けている髪の横、こめかみから頬にぽつりと浮いた汗が流れ落ちる。

「――せ、先生顔真っ青じゃんか!」

「あ、」

「気分悪い?貧血?――あぁ、俺肩貸す!無理すんな!」

 目を丸くする直人を余所に、秀二は矢継ぎ早に問いながら慌てて側に駆け寄った。右足を庇うような歩き方をしていたが、躊躇うことなく直人の右腕を首に回す。

 そうしてそこでふと、初めてその隣でぽかんとしている夫妻に気付いた。

驚きより呆気に取られている夫妻の姿を見て、秀二はどこか気まずそうに笑い、羞恥の為か軽く頬を赤くさせて「遅くなりました」と小さく言った。

「済みません、色々くだらないことを考えていたら電車に乗り損ねてしまって。…もっと早く、来るつもりだったんですけど」

「…あ、―――…」

 ぼうっとしていた夫人が掠れた声を漏らし、その唇を堪え切れぬとばかりに震えさせた。優しそうな目元はみるみる涙の粒を溜め、嗚咽とも悲鳴ともつかない声が言葉を紡ぐ。

 あぁ。隔絶された霊園に、引き攣れた声が言った。

「…あ――ありがとう、ありがとう――…」

 ――"ごめんなさい"ではない、"ありがとう"。

 言われた方の秀二は「あ、え!?」とわたわた困惑していたが、それはきっと、この場の中で言うべき言葉として一番相応しく、そして美しい言葉だった。直人はそれを、どこか腑に落ちたような心地で見つめていた。

「名取さん」

「あ、は、はい?」

 直人の腕を肩に回したまま、慌てふためく秀二に芹沢老人が声をかけた。

既に直人は血色が戻ってきていたが、それにも気付かず秀二は直人の腕を握って、じっと見つめる老人の視線を受け止めた。

 ――ふと、何かを堪えるようにぎゅう、と秀二の手が直人の腕を掴む。

(あぁ…、そうか)

 肩を貸しているというより、今は直人の腕に縋り付くような動作をする秀二に、直人はぼんやりとその原因を理解した。

 ――名取会長の目に似ているのだ。

 最後に会ったのはいつだったか忘れたが、直人の記憶にある秀二の祖父は、この真っ直ぐ秀二を見る芹沢老人の目によく似ていた。長い歳月を生きた者特有の穏やかさはもとより、その薄茶色の瞳といい、突き抜けるほど揺るぎなく人を見る強さといい、――驚くほど、良く似ている。

 老人は強張る秀二にすっと頭を下げ、深い、精一杯に込めた感謝の声で礼を言った。

「本当に、…ありがとうございます」

 老人に倣い、涙を流す夫人もその横で深く頭を下げた。

いつしか薄暗さばかりが目立つようになった霊園は、人の姿を無くし、蝉の声もその勢いを静かに下げていた。直人の手を握りしめたままの秀二は、一寸苦しそうに口を閉ざす。

 ――そうではない。そう言っているようだった。

「…っ違います、俺―――」

「秀二」

 何かを弁明するように口を開けた秀二に、直人は遮るように声をかけた。

 何故止めるのかと歪んだ顔で振り向いた秀二を、できる限り優しく見詰め、そっと首を振る。秀二が何を言いたいのかは解る。――解るが、それは言うべきではなく、今は夫妻の言葉に頷くべきだ。

 夫妻へ罪悪感を覚えているのなら、尚更に。


 握っていた手を解かせ、そっと肩に手を添えて微笑むと、秀二は泣き笑いのような顔を浮かべた。そしてふっと小さく溜息のような吐息を零すと、静かに夫妻へと顔を向けた。


「…こちらこそ、――ありがとう、ございます」


 事故から十三年目の、八月十四日。奇妙な縁で繋がった糸は、絡んでいた尾を互いに解き、真っ直ぐな一本の線になった。

 それが故人がこの世に還ると言われるお盆だったのは、偶然だったのか、はたまた必然であったのか。非現実的であるのは承知しているが、やはり直人はここに師の何らかの意思が絡んでいるように思えてならない。

 名取秀隆というあの上司なら、充分にありえそうだと思った。


「工藤さん」

 秀二を見ていた夫妻の目が、穏やかなままに直人に向けられた。

「そろそろ帰ろうかと思うのですが――」

 瞬くと、直人を見る柔らかく弧を描いた目尻に細い皺が影を刻む。

 夫人が落ち着いた色で染められた紬の袖を押さえ、良かったら食事をご一緒しませんかと、口にした。

「食事、ですか」

 誘うというより提案に近いそれは、ふと見下ろした秀二の、伺うような視線でどう返答すべきかすぐに答えが出る。目を少し細めて視線に応え、直人は微笑んで「そうですね」と頷いた。


「もう時間も時間ですし、是非ご一緒させて下さい」


 蝉の声は、ふっつりと闇に呑まれ、消えた。

それを少し寂しく思いながら、直人は霊園を出る前軽く立ち止まり、師と会長に向かって黙礼した。


 (…名取さん)


「先生――!」


 秀二が笑って直人を呼ぶ。

 置いてくぜ、早く来いよ―――。



( ―――俺は、あなたの息子にも救われたみたいです)



 視界の届きにくくなった暗闇の中、前方を歩く夫妻と秀二の背に向かい。


 直人はそっと、胸中でありがとうと呟いた。




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