路上演説
「私は願いを叶えられる力を持っている。お前になら使ってもいいと思った」
突如目の前に現れた、黒いスーツを着る長身の男。20代後半から30代半ばくらいの年齢だろうか。汚れ一つないピカピカの黒いスーツと帽子と革靴が、すごく似合うダンディーな男。口を開くと、整えられた口髭が動いた。
「私はお前の演説に心を打たれた。この世の悲惨さを哀れんだ、この世の平和を唱える演説にだ。誰でも自分にとっての平和がある。だがしかし、それがあるからといって何かしようというわけではない。しかしお前は違う。人前で恥ずかしがりも悪びれもせず、演説している」
そう、私は演説をしている。戦争ばかりする戦争馬鹿がつくった、こんな国と世界が不満だからだ。今もどこで誰かが撃ち殺されているのが不満だからだ。自分の身だけ案じる隣人達が不満だからだ。ただただ、不満だからだ。
私は立ち上がる決心をした。こんなクソみたいな世界を、平和で住み良い世界につくり変える為に。だが道を歩く者達は、誰も私の話を真面目に聴いてはくれなかった。真面目に話を聴いてくれたのは、この黒いスーツの男だけだ。何日も何ヶ月も演説をした。だが、この男だけだった。
「どうする。君の願いは何だ?」
……私の願い。この悲惨で残酷な不満だらけの世界を、平和で住み良い世界に変えること。この男の言うとおり、人それぞれ自分にとっての平和がある。そう、ならば、だから、私の願いはこれだ。
「私の不満をとってくれ」
「……いいだろう、願いを聞き入れよう」
そう言うと、男はどこかへと姿を消した。その後、路上演説をする男の姿を見たものはいない。
人それぞれの平和、ですから。