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〔4〕

〔4〕


 クリスマスもお正月もいつもと変らず、兄ちゃんと私はテレビを見て過ごし、私のバイト先だったサンドイッチ屋は経営不振で閉店した。

後には百円ショップが出来て、私はそこで働こうかと思ったけど、店長がいないあの場所に行く気にはなれず、結局春休みも兄ちゃんの現場にお弁当を持って行く毎日を過ごした。

 そんなぐーたらな私に、兄ちゃんは何も言わず、美味しいとは自分でも思えないお弁当を食べてくれた。

 春だと言うのに、私にも兄ちゃんにも春めいた話もなく、夏になっても情熱的なこともない。そして、また冬が来て、私は花屋さんで短期のアルバイトをすることになった。

 その花屋さんは駅前の小さな店で、前は立ち食い蕎麦屋さんだった。

 かき揚げ天ぷら蕎麦の大好きな兄ちゃんは、仕事の帰りに俊之くんと、よくその店に寄っていた。仕事が休みの日は、私も兄ちゃんと食べに行った。

「もっと、美味しいもんを食べようぜ」と、兄ちゃんは寿司やイタリアンを提案してくれるのだが、私は兄ちゃんと並んで蕎麦を啜るほうが特別な気がしてた。

 ふーふーと熱い蕎麦に息を吹きかけ、一気に口いっぱいに蕎麦を食べる兄ちゃんに負けないように、私もキツネうどんを必死で食べるのだ。

 五分もかからない私と兄ちゃんの外食。

 そんな兄ちゃんの大好きな蕎麦屋のお爺さんが、引退をしてお孫さんが花屋を始めたのだ。

 不良時代から長年のご贔屓だった兄ちゃんは、格安の値段で水道の工事を請け負い、そんな関係で私がバイトを始めることになったのだ。

 仕事から帰ってきた兄ちゃんが、不機嫌そうな顔をしながら私に言った。

「寒いし、水仕事だけど、やってみるか。短期だし」

 確かに、その日は十二月でも寒い夜だった。でも、兄ちゃんの不機嫌な顔が、実は照れ隠しであることは、長年兄ちゃんの顔を見ている私にはすぐに分かる。

「いいけど、どうして急に」

 バイトをしろなんて言ったことがないどころか、出来ればしなくてよいと言うぐらい感じだった兄ちゃんの照れている理由が聞きたくて、ちょっと聞いてみた。

「綾瀬さんがな、ちょっと困ってるみたいです。暮れは花屋が忙しい時期だけど、今のところ安い時給しか払えないから、バイトをしてくれる人がいないらしいんです」

 兄ちゃんが変な丁寧語を使うのは、きっと、綾瀬さんが好きなんだと私は直感した。

 恵さんの時も、もっと前に中学の時に家庭科の先生に憧れてた時も、兄ちゃんは変な丁寧語で言い訳をしていた。

「綾瀬 のどかさんですか」

 私は兄ちゃんの変な丁寧語をもっと聞きたくなって、その人のフルネームを言った。

「ええ、その綾瀬 和さんが困っているので、ちょっとの間、助けてあげるのも悪くないのではないでしょうかと、僕は思うんです」

 椅子にキチンと座って話をする兄ちゃんの様子に、仕事道具の片付けをしていた俊之くんは、完全に怖がってしまい。パイプ用のレンチを足の上に落としてしまうほどだ。

「畏まりました。微力ながら、私、神楽 萌がお手伝いさせて頂きます」

 私も椅子の上に正座して笑いを堪えた。

 そして、十二月の半ばから私は花屋でバイトを始めたのだが、花に詳しいわけでもない私が出来ることは、言われたとおり花に水を撒くことと、贈り物にする花を専用のダンボール箱に詰めることだけだった。

 バイトを始めて分かったのは、こんなにも花を買う人がいることと、花をお歳暮にすることがあるということだった。

 冬の定番はシクラメンとポインセチア。クリスマス近くになると、ヒイラギも売れた。

 素焼きの鉢とダンボールで私の手をガサガサになり、そのひび割れた手に水やりの水はいっそう冷たく感じる。

 そんな私に、和さんは温かいホットチョコレートをご馳走してくれる。ミルクとチョコレートが喉を通りお腹の中に納まっていくのが分かる。

 ちょっとだけ、暇な時間に、私と和さんはホットチョコレートを飲みながら、話をした。

 二十九歳の和さんは歳よりも若く見えるが、話していると歳より大人に感じる。そんな和さんに、なんで花屋をやろうと思ったのかを聞いたことがあった。

「一人で子供を育てるのに、仕事をしなきゃいけなかったでしょう。でも、外に働きに出ると、なかなか自由が利かないから、自分で何かしたかったの。

 花屋になったのは、偶然。

通りかかった花屋さんに『お仕事楽しいですか』ってなんだか聞いてみたの。そしたらね、そのお爺さんの花屋さんは『楽しいですよ』って本当に素敵な笑顔で答えてくれてね。

『私にも出来ますか』って聞いたら、その人、『やってみますか』って言ってくれたのよ」

 和さんは、そんな簡単に自分の仕事をみつけたのだと、私は不思議でならなかった。

 春になると大学三年になり就職のことも真剣に考えなくてはならないと思っていたが、何がしたいのか見当もつかずにいたからだ。

「そんなに簡単に決めて良かったんですか」

 私は今後のために尋ねた。

「そうね。でも、私を花屋に誘ってくれたお爺さんの言うことは間違いないような気がしたの。

 きっと、楽しいんだろうな、ってね。

 それに、娘のまどかも花屋さんになりたいって言ってくれたし」

 和さんは、二十歳で結婚して円ちゃんを産み、五年で離婚した。

 それから、和さんは一人で円ちゃんを育てながら花屋で働いて、やっと小さな店をもてたのだ。

 そんな人を兄ちゃんが放っておくはずがない。だから、兄ちゃんは、ときどき仕事に行く前に花屋によっては、花を買い、新築の家にプレゼントをしては、宣伝していた。

 頑張るシングルマザーを応援するのは、私も大賛成なのだが、きっと兄ちゃんは、和さんに恋をしている。そんなことは、兄ちゃんの顔をみれば誰だって分かってしまう。

 年上で子供がいるけど、和さんは美人だし性格もいい。私は今度こそ、兄ちゃんの想いが伝わるといいと思っていた。

 クリスマスの夜に、兄ちゃんは大きなケーキを持って花屋にやってきた。

「ちょっと知り合いに頼まれて買ったんだけど、甘いのは苦手だから」

 ケーキ屋に知り合いなんでいないはずの兄ちゃんの考えた言い訳に、私は笑いを堪えるのに必死だった。

「ありがとう。でも、家も娘と二人じゃ食べきれないわ」

 和さんは大きなケーキの箱を両手に持って困ってしまった。

「うちでみんなで食べませんか」

 余計なお節介かもしれないけど、私は兄ちゃんの恋を応援したかった。

「馬鹿、ご迷惑だろう、あんな掃除もしてない家に」

 兄ちゃんの言うとおり、うちは散らかっている。

掃除は私の当番で、掃除の苦手な私がする家が綺麗なはずがない。

「ありがとう、でも今日は娘とレストランでご飯を食べる約束をしてるから。

 出来たら、このケーキは半分だけ頂けないかしら」

 和さんの提案に兄ちゃんは「きっと円ちゃんも楽しみにしてるね」と言いながら、ちょっと残念そうなのを私は見逃さない。

 そうして、半分のケーキを持って帰った兄ちゃんは、ついでに鳥の唐揚も大量に買っていた。

 ケーキを前にした兄ちゃんに、「ビールでも飲む」と私が言うと、

「そうだな」となくなった半分を見つめて上の空で答えた。

 半分のケーキをはさんで座る私と兄ちゃんに、俊之くんは言い難そうに「デートなんで」と言ってそそくさと帰ってしまった。

 ビールを注ぎながら、私は兄ちゃんに言った。

「来年は和さんと円ちゃんの三人でクリスマスが出来るよ」

 確信も予感もなかったけど、希望だけで言うと、兄ちゃんは苦笑いして首を振り、泡が多いビールをコクコクと喉を鳴らして飲んだ。

 大晦日まで私は花屋で働いた。

 特に初詣の予定もない私は、そわそわとする街で花を売るのが楽しいと感じていた。

 小学校が休みになった円ちゃんも、私より手馴れた手つきで小さな盆栽を店先に並べてお手伝いをする。

「玄関に万両の盆栽があると、華やいだ新年になりますよ」

 円ちゃんは、誰に教えられたのか上手いこと盆栽を売りさばいた。こまっしゃくれた言葉に、通りかかった人達は立ち止まり、つい買うつもりもなかった盆栽を買ってしまうのだ。

「円ちゃんは、本当の花屋さんみたいだね」

 ダンボールに花をいれるしか出来ない私が、感心して円ちゃんに言うと、円ちゃんは不満そうに「花屋さんだもん」と口を尖らす。

 その生意気な仕草が、和さんの横顔に良く似ている。

 私が欠伸をしたり爪を噛んだりしたときの顔は、亡くなった母親に似ているのだろうか。私の知っているお母さんはいつも正面を向いた写真だけだから、兄ちゃんがみている横顔や、俊之くんが見る後ろ姿が、お母さんに似ているのかは分からない。

「お母さんに似て、円ちゃんは美人だね」

 私は、ついそんなことを言ったのを、今でも鏡を見るたびに思い出す。

 大晦日はさすがに早くに店を閉めると、待っていたように兄ちゃんがやってきた。

 ジーンズにダウンを羽織った兄ちゃんは、相変わらずポケットに手を入れたまま小さく和さんに会釈した。

「萌、正月はなんか予定あるのか」

 兄ちゃんは私に予定などないことを知っているはずなのにボソボソと尋ねた。

「暇なら、温泉でも行こうか。近場だけど」

 兄ちゃんはパンプレットを見せてくれるが、気の効かない私は言葉通りにしか理解できず「いいね」と単純に喜んでばかりだ。

 その様子を見上げるように聞いていた円ちゃんのちょっと、羨ましそうな顔なんて気づかない。

「円ちゃん、温泉好きか」

 兄ちゃんは鈍感な私からパンプレットをひったくると、円ちゃんに湯気が上がる大きな露天風呂の写真を見せる。

「うん」

 ちょっと間が空いてから、円ちゃんは和さんの顔を見ながら返事をした。

「一緒に行くか」

 兄ちゃんは、最初から和さんと円ちゃんを誘いたかったのだ。やっと気がついた私は、「そうだよ、みんなで行こうよ」と和さんを強引に誘い、「でも」と何度も断る和さんを「日帰りなら」と言うことで連れ出すことに成功した。

「それじゃ、2日の朝にここで」

 返事が変るのを恐れたのか、兄ちゃんは、私をおいてさっさとひとりで帰ってしまった。

 テレビばかりを見て元日を過ごしている私の前で、兄ちゃんは明日の支度をしていた。

「ずいぶんとお菓子を買ったんだね」

 円ちゃんが退屈しないようにと、車の中で見るアニメまで借りてきた兄ちゃんは、何度も鞄の中を詰め替えていた。

「お正月にどこも行かないのって寂しいだろう。俺はおっさんに、いろんなとこに連れてってもらったからさ」

 亡くなったお父さんは、夏休みやお正月には必ず兄ちゃんと私を何処かに連れて行ってくれた。雪が降る遊園地には本当は行きたくなかったけど、お父さんは「行くぞ」と決めたら天気なんか関係なく行く人だった。

 兄ちゃんは、そんなお父さんに付き合って、不良になってしまった中学生の時も真夏の動物園にも来てくれた。

 ものすごく臭くても、兄ちゃんは父さん作ったオニギリをサル山の前でムシャムシャ食べていた。

 だから、兄ちゃんは円ちゃんを何処かに連れて行きたかったらしい。でも、温泉と言うのは、いささか下心が見えてしまう。

 当日は天気も良く穏やかな気候だった。

 私と円ちゃんが後ろの席に座り、助手席には和さんを座らせた。

 無口な兄ちゃんは、いつも以上に無口な男になりひたすらハンドルを握り、和さんの話しに相槌を打つのだ。

「下平さんは、恋人はいないんですか」

 和さんの質問に円ちゃんと一緒にアニメソングを歌っていた私は聞き耳を立てた。

「はい」

「なんで作らないの」

「ええ、まあ」

「楽しまないと後悔しますよ」

「そうですか」

「私には円がいるから、それで十分だけど、一人じゃ寂しいし、楽しくないもの」

「そうですね」

 そんな風に話が弾まないまま温泉に着いた。兄ちゃんは無口だけど決して退屈な男じゃない。兄ちゃんと話していると、どんどん心が緩んで来る。それは、兄ちゃんの心がいつも誰かを暖めてあげようとしているからなんだと思う。

 どうすれば、兄ちゃんみたいになれるのか、それは分からない。

 そんな兄ちゃんの心の中にある暖炉みたいなものは、きっと和さんにも分かって、「はい」とか「ええ」とかしか言わないのに、兄ちゃんに話しかけてしまうんだと思う。

 日帰り温泉から帰って何日かすると、和さんと兄ちゃんを蕎麦屋で見かけたと俊之くんが教えてくれた。

「剛さんは、相変わらず天ぷら蕎麦を食べて、和さんはとろろ蕎麦らしきものを食べてましたよ」

 俊之くんの情報はそれだけで、二人がどんな雰囲気だったか分からないが、きっと、あの温泉の時と同じように、和さんが話をして、兄ちゃんが頷いていたんだと思う。

 どうやって告白して、いつから付き合い、これからどうするつもりなのか、私は聞きたくてしかたなかったが、きっと聞いても、

「まあな」として答えてくれないのは分かっていた。

 和さんと兄ちゃんの二人に手を繋がれた円ちゃんのことを思うと、心から「良かったね」と言いたい気持ちと、自分だけ手を繋ぐ相手がいない寂しさが混ぜこぜになって、泣き虫な私は布団の中でシクシク泣いた。


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