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〔1〕

[1] 


花嫁控え室に、親戚のおじちゃんに連れてこられた兄ちゃんは、私の方を見もせずに、「きれいだな」と呟いた。

「ありがとう、こんな立派なところで結婚式をさせてもらえて、本当に萌は幸せだよ」

 私は、ポケットに手を入れたまま下を向くあんちゃんの背中が大好きだった。

 真面目で、照れ屋で、我慢強いあんちゃんの、そんな仕草が大好きだった。

 初めて、あんちゃんのそのポーズを見たのは、ずっと、ずっと昔、今日と同じように桜の花びらが風に舞う日だった。今から二十五年も昔のこと。

 

 まだ、十歳だった兄ちゃんは、六歳だった私の方を見ないで、半ズボンのポケットに手を入れて、父さんの後ろで下を向いていた。

 私の母さんは、私が三歳のときに白血病で亡くなった。それから、三年後に母さんの姉だった叔母も、同じ病気で兄ちゃんを残して死んでしまった。

 施設に預けるという兄ちゃんの父親の反対を押し切って、父さんは兄ちゃんを家に連れてきた。

 その時に、親戚中が大騒ぎになったのだろうけど、そのことを父ちゃんは死ぬまで何も言わなかった。

 水道工事の仕事を一人でしていた我が家は、玄関を入るとすぐに作業場になっていて、水道の蛇口やパイプ、それに工具がごちゃごちゃと置いてあった。

 兄ちゃんは、見たことも無い道具に目だけをキョロキョロと動かしていた。

「今日から、お前の兄ちゃんだ。仲良くしろよ」

父さんは、兄ちゃんの肩を掴んで、私の前に挨拶をさせた。

 「萌も、ちゃんと挨拶しろ」

 何も言わない私と兄ちゃんに、短気な父は怒り出し、兄ちゃんの頭をポカリと叩いた。

 驚いた私は、ポカリとやられては堪らないと、「神楽かぐら もえです」と挨拶をしたと思う。

 父さんは自分のことを兄ちゃんに、「おじさん」と呼ばせようとしたが、兄ちゃんは「おっさん」と呼んでいた。

 お父さんでもなく、叔父さんでもない「おっさん」だ。

 最初は、気に入っていなかった父さんも、次第にその夜ばれ方になれて、自分でも「おっさん」と言っていたが、私が、その呼び方をすると、ポカリと頭を叩かれた。

 兄ちゃんは、下を向いたまま「下平しもひら たけしです」と小さな声で挨拶をして、また、父さんにポカリとやられた。

 中学生になった兄ちゃんは、不良になった。学校で喧嘩をするたびに、父さんは、兄ちゃんと怪我をした家に謝りに行き、その間、私は一人で留守番をしていた。

 それでも、兄ちゃんが居なくなればいいと思わなかったのは、兄ちゃんは、私には優しかったからだ。

 泣き虫だった私が、兄ちゃんの隣の部屋で泣いていると、必ずドアの向こうから声をかけてくれた。

 そして、私が大好きな兄ちゃんパンマンの歌を歌うのだ。音程の外れた歌で、私は悲しいことを忘れて笑ってしまう。何度も、兄ちゃんは歌い、私は飽きることもなく、何度も笑った。

♪ 愛と勇気だけが友達さ~ ♪

 兄ちゃんは、「さ~」の音程が妙に上がる。それが、可笑しくてしかたなかった。

 だから、兄ちゃんのことを、私は『兄ちゃんマン』と呼んでいた。

 何度か補導もされながら中学を卒業した兄ちゃんは、父さんの知り合いの水道施設会社で働き始めた。

 父さんと一緒に働くものだと思ってた私は、家を出して寮に住ます父さんを、意地悪だと責めた。

 まだ、小学生だった私には、父さんの気持ちが全然分からなかったのだ。

 きっと、兄ちゃんも父さんを恨んだと思う。でも、兄ちゃんは一年もすると、父さんの気持ちが分かったようで、お正月には似合わないスーツを着て、父さんの大好きなお酒を持って来た。

 やっぱり、その時も玄関先の兄ちゃんは、ポケットに手を入れて下を向いたまま「あけましておめでとう」とニコニコする父さんに挨拶をした。

 三年間、兄ちゃんは大きな水道施設会社で修行をした。大きなビルの配管工事から、まだ下水の完備されていない田舎で浄化槽を地中に埋める仕事も出来るようになった。

 兄ちゃんは何も言わないけど、十五歳の子供が、大人の中で仕事をするのは、大変なことだったと思う。叱られたり苛められたりもしたと思う。

 それでも、兄ちゃんは頑張った。

 ときおり、兄ちゃんが勤めている会社の社長に電話をしていた父の声は、私たちと話す時とは別人のように気弱で、何度も、

「剛のことをよろしくお願いします」と受話器を持ったまま頭を下げていた。

 十八歳になった兄ちゃんは、父さんと仕事を始めた。

 本当は、まだ大きな会社で腕を磨きたかったのだと思うけど、その頃から、良く寝込んで仕事を休む父さんのことを、放って置けるような兄ちゃんではない。

 父さんは、随分と兄ちゃんを怒鳴って「弱虫」呼ばわりまでしたが、兄ちゃんは、そんな父さんの言葉を我慢して、父さんの仕事を手伝うことに決めたのだ。

 その頃、中学生だった私は、背も高くなり、男らしくなった兄ちゃんと、あまり話を出来なくなってしまった。

 そんな私を、兄ちゃんがどう思ったのかも、きっと教えてくれない。でも、悲しかったんじゃないかと思う。

 兄ちゃんが、風呂で兄ちゃんパンマンの歌を小声で歌ってるのを聞いた時は、心の中で「ごめんね」と言えたが、それでも、思春期の私には、前のように兄ちゃんと友達のことを話したりは出来なかった。

 不良で高校にも行かなかった兄ちゃんを、私は友達に恥じていた。

 頭のいい兄弟を持つ友達には「本当の兄弟じゃないから」と、平気な顔で言っていた。

 私が高校生になって、同じクラスの男の子が好きになってからは、もっと、兄ちゃんのことが嫌いになった。

 いや、嫌いじゃなく、邪魔に感じてた。

 だから、クラスで兄弟の話しになると、私は出来るだけ、その話題の中に入らないようにしていた。

 兄ちゃんと、顔を合わす機会が減ったのは、兄ちゃんが、私のそんな気持ちを分かってくれたからだと思う。

 本当は、自分の親でもない父さんのことなんて気にせず、家を出て、一人で暮らすことだって出来たのに、兄ちゃんは、この家で、父さんと私のために暮してくれた。

 高校二年の秋に、病院嫌いの父さんの癌が見つかった。

お酒が好きで、タバコが好きな父さんに出来た肺と喉の腫瘍は既に手当てをすることが出来ないほど大きくなっていた。

 入院を嫌がって、「どうせ死ぬなら、こんな所で死にたくない」と我侭をいう父さん。そんな父さんに怒鳴られながらも、兄ちゃんは、父さんを入院させた。

「なんでも、諦めたら駄目だ。人生なんて何度でもやり直せる。そう言ったのは、おっさんだろう。自分で言っといて、諦めるなんて変だろう」

 兄ちゃんの言うことは、ちょっと違うと思ったけど、父さんは必死な兄ちゃんの顔を見て、観念した。

 私は、ただ、オロオロとするばかりで、どうしたら良いのか分からなくて、父さんの前で泣いてしまった。

 そんな私に、兄ちゃんは、肩に手を乗せようとして止め、「大丈夫だから」と、言ってくれた。

 私は、そんな兄ちゃんの後ろで黄色い銀杏の葉が揺れているのを悲しい気持ちで見ていたのを憶えてる。

半年ももたずに、父さんは病院のベッドの上で息を引き取った。

苦しそうな顔をする父さんを見て、兄ちゃんは、歯が折れるほどきつく奥歯を噛み締めた。

 兄ちゃんは、悔やんでいたんだと思う。入院をさせて、大変な治療をさせたことで、自分を責めていたんだと思う。

 私は父さんが死んだ悲しみよりも、兄ちゃんの辛そうな顔が悲しくて、「大丈夫だよ」と、何が大丈夫なのか分からないけど、言ったのを憶えてる。

 そして、父さんの耳元で♪ 愛と勇気だけが友達さ ♪って、「さ~」の音程を外さずに歌った。


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