異世界ハチ公物語〜橋姫の地球・異世界ハチ公と銀細工師シャーリーより劇中劇〜
ここはヤシマ皇国の都。
皇居近くの広場の一角、若い男が沢山の聴衆を集めて何かを語ろうとしています。
誰も知らない秘密ですが、その男は転生者なのです。数日前にアマテラスの地球から、新しき神『橋姫』の手引きでこの世界に招かれて来たのです。
美しい少女と愛らしい子犬の描かれた板の横に立ち、男は語り始めました。
*・*・*・*・*
「今から1200年程前、このヤシマ皇国の生まれるより遙かに昔、
この地がオフラン王国と呼ばれていた時代の物語です。
どうか皆様、しばしのお時間、耳を傾けてくださいませ」
それは魔法の時代。
街路を魔法の馬車が走り、魔灯の光がこの街をくまなく照らしていたオフラン、その王都。
石畳の路地が迷路のように入り組んだ古い街に、
ハチという名の犬と、十九歳の若き銀細工師サリーが暮らしていました。
サリーは、この界隈でも評判の美しい娘でした。
亡き父から受け継いだ細工師の腕は確かで、彼女の細くしなやかな指先からは、まるで魔法のように繊細な銀の百合や、透かし彫りの施された手鏡が生み出されました。
作業着のエプロンには常に微かな銀の粉が光り、彼女が動くたびに、工房の蜜蝋と金属が混ざり合った独特の香りが漂ったのでした。
ハチは、彼女が見習いだった頃にひろった子犬でした。
サリーが作業に没頭している間、ハチは常にその足元で丸くなり、金槌が銀を叩く規則正しい音を子守唄にして過ごしました。
サリーの銀細工の腕がめきめきあがっていくのと一緒に、ハチもすくすくと大きく育ちました。
サリーにとって、ハチは単なる飼い犬ではなく、唯一の家族であり、魂の片割れでもありました。
ある春のこと、サリーの類まれなる才能が王宮の重臣の目に留まりました。
彼女は毎日、王城へ通い、王家伝来の古い銀食器や装飾品を修復する仕事を任されることになりました。
魔法王国の王宮にあるすべてには繊細な魔法がかかっていて、その輝きと魔法を守るにはサリーのような腕の良い銀細工師が必要だったのです。
毎朝、街に朝霧が立ち込める頃、サリーは仕事道具を革袋に詰め、ハチを連れて家を出ました。
二人の目的地は、街の境界にそびえ立つ重厚な石造りの「王城の門」です。
門の前には華麗な軍服に身を包んだ衛兵が立ち、物々しい雰囲気が漂っていましたが、サリーはそこで立ち止まり、ハチの首元を優しく撫でるのが常でした。
「夕方の鐘がなったらもどるから、必ず迎えに来てね。では、いってきます。わたしの大好きなハチ」
サリーが門の奥へと消えていくと、ハチはその場に腰を下ろしました。
大きな鉄の扉が閉まる音を合図に、彼の「待ちぼうけ」が始まるのです。
サリーは迎えに来てねと言いましたがハチは門の前を離れたくなかったのです。
夕暮れ時、城の尖塔が影を長く伸ばし、跳ね橋が下りてサリーが姿を現すと、ハチは歓喜の声を上げて彼女に飛びつきました。サリーもハチを抱きしめれば一日働いた疲れも全部消し飛んでしまうのです。
ちゃんと迎えに来てくれたハチに、ほんとはずっと待っていたハチに、ポケットに忍ばせた小さな焼き菓子を分け与えるのでした。
しかし、その幸福な習慣は、ある夏の日に唐突に終わりを迎えたのです。
その日もサリーは、いつものようにハチの鼻先にキスをして門をくぐりました。だけど、太陽が地平線に沈み、街の街灯に火が灯っても、サリーは戻ってこなかったのです。
城の中から出てくる宮廷人や職人たちの列の中に、あの軽やかな足音は混じっていない。ハチは不安に駆られ、閉ざされた鉄の門をひっかきました。けど、門番たちは冷たく彼を追い払うだけでした。
サリーは、王城の工房で作業中に激しい熱病に倒れ、そのまま帰らぬ人となっていたのです。十九歳の、あまりにも早すぎる死でした。
主を失ったことを知らないハチは、翌日も、その翌日も、王城の門へと向かったのです。サリーの親戚や近所の住人たちが、不憫に思ってハチを引き取ろうとしました。
しかし、ハチはどんなに頑丈な鎖で繋がれても、隙を見ては逃げ出し、あの門の前へと戻ってしまうのでした。
「必ず迎えにきてね」
その約束だけが、ハチのすべてでした。月日は流れ、オフランの街並みも少しずつ姿を変えていきました。
馬車の形式が変わり、人々の服装が変わり、かつてサリーを追い払った衛兵たちももっと若い門番達に交代しました。
しかし、門の脇にあるきまった石の上には、いつも変わらず一匹の犬が座っていたのです。
雨の日は毛並みを泥で汚し、冬の凍てつく夜には雪に埋もれながら、ハチは門が開くたびに、期待を込めて濁り始めた瞳を向けました。かつては真っ白に輝いていた毛並みに灰色が混じり、足取りも重くなりましたが、彼の忠誠心はけしてゆらぐことがありませんでした。街の人々は、いつしか彼を「忠誠の犬」と呼ぶようになりました。パン屋の主人は売れ残ったパンを供え、馬車の御者たちは通り過ぎる際に避けてとおりました。彼の崇高な使命を邪魔しないように。
そして、サリーが亡くなってから十度目の冬。例年にない猛烈な吹雪が街を襲った夜でした。ハチはいつもの石の上で、深く重い吐息をついていました。老いた体には、もう雪を払う力さえ残っていませんでした。意識が遠のき、世界が白銀の闇に包まれようとしたその時です。
重い鉄の門が、音もなく静かに開きました。
溢れ出す柔らかな光の中から、一人の少女が歩いてくる。銀粉のついたエプロンをなびかせ、蜜蝋の香りを纏った、あの頃と変わらない十九歳のサリーでした。彼女はハチの前に跪き、凍えたその顔を温かい両手で包み込みました。
「ハチ、お待たせ。ずっと待っていてくれたのね」
その声を聞いた瞬間、ハチの体から重苦しい苦痛が消え去ったのです。彼は子犬のような軽やかさで立ち上がり、大好きな彼女の胸に飛び込みました。サリーは彼を抱き上げ、光の向こう側へと歩き出しました。
翌朝、雪が止んだ王城の門の前には、穏やかな顔で息絶えた老犬の姿がありました。
その知らせを聞いた街の人々は、ハチの骸をサリーが眠る墓の隣に葬り『若き銀細工師と彼女を待ち続けた忠実な犬の物語』を語り継ごうと心に誓いました。
春が訪れるころ、頑健な鉄の門の傍らに、美しい少女の足元に寄り添う犬の銅像がそっと置かれました。
人々はその像を「真なる忠誠の像」と呼びました。
やがてサリーとハチの物語はオフラン全土に拡がり、像を見るために国中から多くの人が訪れるようになりました。
人々はその像の前で、大切な約束を交わしたり、若い男女がプロポーズを交わしたということです。
それから200年後、世界中の魔法国家が終焉の時を迎え、オフランもまた滅びを迎えました。
でも、その最後の時まで「真なる忠誠の像」はその場に置かれていたのでした。
*・*・*・*・*
拍手はなかった。
溜息と、鼻をすする音と、こらえても漏れる嗚咽の声
やがてパチパチと小さな拍手、しだいに大きな拍手の渦に変わっていた。
語り部の若者が手を上げると喝采は止み静寂がもどった。
「忠誠の犬と少女の物語を聞いて戴きありがとうございました。もう少しだけおつきあいください」
「真なる忠誠の像が200年間もオフラン王国の片隅で守られ続けたのには理由があります。
オフランの人々は魂の不滅を信じていました。みなさんと同じように。
サリーとハチが何度生まれ変わったとしても、この物語のもとに必ず巡り会えるようにと、
真なる忠誠の像を守り、この物語をオフラン王国が滅んだ後まで語り継いできたのです」
「私もまたこの物語を語り継ぐ者の一人なのです」
おおおおと静かなどよめきが起きた
「そしていつか、このヤシマ王国の片隅に『真なる忠誠の像』を建てたい。忠誠の犬ハチと心優しきサリーの姿を取り戻してあげたいのです」
再び拍手の渦が起こった。
塀に立てかけていたサリーとハチの等身大ポスターの前に賽銭箱のような箱を二つおいて群衆に顔を向ける。
「ありがとうございました。今日ご一緒にこの時を過ごしたみなさん、よろしければ頑張った私にご褒美をください。こちらの箱にお願いします」
笑いが起こった。
「そしてもし、私とともにこの物語を語り継ぎ、いつか『真なる忠誠の像』をここに置きたいと賛同して戴ける方はこちらの箱に寄付をお願いします。十エーンでも百エーンでも構いません。お気持ちだけで結構です。勿論もっとたくさんでも大歓迎ですよ」
そう言い終えて彼が「犬のようになつっこい笑顔」を振りまくといっそう大きな笑いが起こった。
ありきたりな大道芸が終わったときなら、殆どの観衆はそのまま広場に散らばって行くものだが、今日の観衆は違っていた。
語り部の箱に少しの小銭を落としてから、ハチの顔が描かれた箱に寄付をいれた。
語り部の報酬は多くて千エーン、全てを合わせても一万エーンに届くかどうか。
ハチの顔が描かれた箱にはその何十倍ものお金が集まった。
「そうね、サリーとハチのためだもの」そう言って宝石のついた髪飾りを外して箱に入れた貴婦人もいた。
人々が立ち去り、すっかり重たくなった箱を抱えて語り部は呟いた。
「異世界、チョロすぎ」
ハチ公の生まれ変わり?クロウと美貌の銀細工師シャーリーが紡ぐ凸凹産業革命
新しき神・橋姫の使命を帯びてクロウはこの世界にやってきました。
この世界が「橋姫の地球」と呼ばれるまでの物語です。
評判が良ければ連載します。




