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第9章 親友の覚悟

冬実から連絡があったのは、梅雨入り前の、少し湿った風の夜だった。

仕事を終えて、アパートの部屋で一人、くつろいでいると、電話が鳴った。


「千佳、今ちょっといい?」

いつも落ち着いている冬実の声が、今夜は少し弾んでいるようだった。

「うん。大丈夫。どうしたの?」

一瞬の間があって、冬実は言った。

「結婚したの」

千佳子は一瞬、言葉を探した。

同窓生の中で、最後まで独身だった冬実。

驚きはあったけれど、不思議と違和感はなかった。冬実が結婚する。

そのことをどこかで予感していたようにも思えた。

「そっか。おめでとう」

「ありがとう。先週、ハワイで、家族だけで結婚式をあげたの。ごめんね、事後報告になっちゃって」

「ううん、そんなの気にしなくていいよ。それより、どんな人?どこで知り合ったの?」

相手は、同じ会社で働く男性だという。


おそらく冬実は、千佳子の離婚のことを気にして、交際していることや結婚することを、告げることが出来なかったのだろう。冬実らしい気遣いだった。

彼のために料理教室に通っていたこと、その料理に嵌って、調理師免許を取得したこと。

「彼に何かあったら、いつだって食堂を開けるの」そんなふうに、楽しそうに報告してくれた。

「よかった。千佳にちゃんと伝えられて」

「ありがとう。お幸せに」


電話を切ったあと、千佳子は高校生の頃の、あの図書室の風景を思い出していた。

昼休みの静かな空気。窓際で本を読む冬実と、その横顔を盗み見る直太朗。

そうか、初恋は成就しなかったんだな。

谷川直太朗の名前を話題にしたことはなかった。

けれど、独身を貫く冬実をみて、もしかして今も彼のことを想っているのではないかと考えたこともあった。

どうやらそれは、千佳子の思い込みだったようだ。

そうだよね。もう高校を卒業して十五年。私たちはもう三十三歳だ。


ちゃんとした大学に進学して、ちゃんとした職場に就職して。

「そろそろ」「まぁいい人だし」と言われて「ちゃんとした人」と結婚したはずだったのに。

「ちゃんとした家庭」を、私は築けなかった。


千佳子は窓を開けた。

母屋の方から、姪っ子たちの元気な声が聞こえる。お風呂ではしゃいでいるようだ。

「彼に何かあったら、いつだって食堂を開けるの」

その冬実の言葉が胸に残った。

流されるように結婚してしまった千佳子に足りなかったのは、その覚悟だったのかもしれない。


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