第5章 立ち止まる決断
大学の四年間は、瞬く間に過ぎていった。
千佳子はいつも友人たちの輪の中にいた。
学生主導の行事の実行委員には、決まって名を連ね、研究室の雑務なども、率先して引き受けた。
裏方仕事は嫌いではなかった。
誰かの役に立つことや頼りにされること、感謝されることは素直にうれしかった。
けれど、本当にやりたいことは、結局何も見つけられなかった。
働きたいと思える職種も思い浮かばず、就職活動にも身が入らない。
夕食どきに交わされる母との会話にも、次第にうんざりしていった。
「卒業したらどうするの?」
「お友だちは、どんなところに就職するの?」
「千佳子はN女子大なんだから、いざとなったらお父さんが、知り合いに頼んでくれるから大丈夫よ」
「うちの印刷所でも、千佳子一人ぐらいなら雇えるから安心して」
母は、千佳子が何も答えなくても、声を荒げるようなことはなかった。
ただ、当たり前のことのように、将来の選択肢を並べていく。
その一つ一つが少しずつ折り重なって、胸が重くなっていく。
だんだんと母と顔を合わせないように、就職活動、卒論作成を理由に、帰宅時間が遅くなっていった。
そんなときN女子大付属高校の事務職員の募集を知り、一も二もなくこの話に飛びついた。
千佳子にとってそれは願ってもいない、「ちゃんとした就職先」だった。
教授の推薦もあり、採用はすんなり決まった。
通いなれた大学に隣接する高校の事務職員。
この仕事は自分に向いていると思えた。教員の補助、学生や保護者への対応。大きな事件は起こらず、毎年決まったサイクルで仕事は回っていく。
三年目、仕事にもすっかり慣れたころ、同じ職場の男性と結婚をした。
同僚たちに結婚を報告すると、「えっ?二人って付き合っていたの?」と周りが驚くほど、静かな交際だった。
「ちゃんとした職場のちゃんとした人」ということで、両親たちも素直に祝福してくれた。
彼の実家の近くのマンションで、二人での生活が始まった。
宮本家は、よくも悪くも、全てが母の采配で回っていた。
そこから離れた千佳子は、何を基準に行動すればよいのか分からなくなった。
朝ごはんはパンがいいのかご飯がいいのか、夜ご飯はおかずを何品作ればいいのか、そんな些細なことに戸惑った。
尋ねても彼は「なんでもいいよ」「千佳子のやりやすいようにして」と答える人だった。
本当は、ここで、話し合って、二人のスタイルを創り上げていけばよかったのだろう。
後になってそう思う。
けれど、その頃の千佳子は、何も言わない夫の本心を察し、それを先回りして差し出すことが愛だと信じていた。
言葉にできず黙り込む生徒に寄り添い、その想いをくみ取り、表現するのを手助けしてきたのと同じように。
そして三十歳の誕生日、冬実からメッセージが届いた。
「お誕生日おめでとう。あなたらしく輝く30代を過ごしてくださいね。太陽のように明るく素敵なあなたと親友であることは、私の人生の誇りです」
冬実はいつも、自分らしく生きていた。たぶん、本人は気付いていない。
彼女は、決してその他大勢の側には立たなかった。
その彼女に、誇りだと思ってもらえる自分でいたい。
立ち止まって、自分の人生を取り戻したい。
胸の奥から、湧き上がってくる思いを、無かったことにはできなかった。
もう、自分にも、親友にも、嘘をつくのをやめよう。
そうして千佳子は、離婚を決めた。




