出る
珍しくマンションのエレベーターは満員となった。
エレベーターが複数台あるので、混んでくると次を待つ人が多く、満員になる事は滅多に無い。私は高層階に住んでいるので、奥の方に詰めると、追いやられるように若いカップルが隣に来た。
二人は何やら小声で話し始めた。私はそれを聞くとはなしに、聞いていた。
「ねえ、今度の部屋はどう?」
「出るよ」
「不動産屋さん、出ないと言ってたのでしょう」
「普通の人は気付かないレベルだから」
「そう。あなたはそういう事に敏感だから。やっぱり嫌な感じがするでしょう?」
「大丈夫。気にしないようにしているから」
エレベーターは一人また一人と降ろしながら、各階に止まっていく。二人は更に小声となって話し続けるが、所々聞こえなくなった。
「……な感じ?」
「いや、……這いずり回る」
「私、今日泊まるのよそうかな」
「出たら……」
そこで女性と目が合ってしまい慌てて逸らした。
「前はどんな人が住んでたの?」
「お婆さんの一人暮らし。最後は……で亡くなったらしいけど、……が全く来なくて」
私は階数表示に視線を向けながら、耳をそばだてていた。
二人はドア付近に移動した。
「だから……、出るの?」
「そういう理由じゃないと思うよ。だって…………」
ドアが開き二人が降りた。
それは私が住む階と同じだった。私は図らずも、二人の後を追うように廊下を歩いて行く事となった。そして驚いた事に、男性は私の隣り部屋に鍵を差し込んだ。
女性が振り返り、続いて男性が私に気付き会釈した。
「こんにちは。先週引っ越して来ました。ご挨拶したかったのですが、ご不在な事が多くて。よろしくお願いします。ではまた改めて」
「いえ。こちらこそよろしく」
私は自分の部屋のドアを開けた。すると女性が声を掛けてきた。
「失礼ですが、お宅の部屋には出ます?」
女性は真剣な表情で続けた。
「高層階には出ないと言う話でしたけれど……ゴキブリ」