はじめての逃走その2
何人もの人間が交代交代でドアをノックしては、ドアの向こうから肉塊に何度も声をかけてきた。このまま返事がなければ、しびれを切らして彼らが開錠するのも時間の問題。何か対策を講じるべきなのかと、頭を絞るが特にこれといって思い付かない。というか、別にあれこれ考えなくてもいいのではないかとさえ思える。行く手を阻むのであれば処分すればいいだけだ。ドアを睨み心の中でそう決意したリアムだったが、すぐにその考えを改めることになる。
おもちは床を蹴って彼女の頭頂部に飛び乗ると、その場で立ち上がり前足を窓に向けた。鳴くこともなく、ただその場で指差すだけのジェスチャーだったが、リアムはそれが何を意味するのか理解した。
「――あの窓から飛び降りて、この場から逃走。おもちの言うことも分かるけど、どうしてリアムが人間から逃げないとダメなん? 邪魔するんなら屠ればええやんか?」
「チュウチュウ……」
「そんな無駄なことに時間を割くのなら、さっさと次の集落に行こうって? 確かに、その言い分は正しい。だけど、リアムもおもちみたいにストレス発散したいんやけどな~」
「チュウ!」
「はいはい、分かりました。はあ~、この鬱憤はどこで晴らせばいいのやら」
リアムは腰を上げ、ひび割れた窓を右手で勢いよく開けた。雑に貼られた透明テープはバリバリと音を出し、砕けたガラスと一緒に落下していった。先の音と落下時のガラスによる衝撃音が、彼らの突入させる合図となった。ドアが開くと同時に背後から怒号や罵声が聞こえたが、彼女は無視してそのまま窓から飛び降りた。
彼らはここで起こった出来事を直視できずにいた。こんなことが現実にあり得るのか夢なんじゃないかと、部屋を見た全員がそう思った、そう思う込むほか選択肢がなかったのだ。ほんの数分前まで上客だったものが床に転がり、実行犯は五階から躊躇なく飛び降りた。高さ十五メートルから飛び降りたことは衝撃的ではあったが、それよりも驚愕したのは上客の死に方だった。
部屋は一切荒らされていない、家具の位置も変わっていない。キッチンには包丁などもあるが、施錠棚に置かれていて、顧客が要望した場合のみ開錠する。だが、それらが開錠され使用された形跡もない。手荷物検査はしたが、殺傷能力がありそうなものは持っていなかった。もしかすると、どこかにナイフなどを隠し持っていたのかもしれないが、だとしてもこんな状態で殺されることはないはずだ。
部下が取り乱すなかグラファスだけは、恍惚の表情で窓から去る少女を見入っていた。返り血のひとつも浴びずに見た者を恐怖させる華麗で見事な殺し方。あの圧倒的な力による粉砕、特に顎の損傷が著しい、顎を狙って鈍器を振り上げたに違いない。首が千切れ天井まで吹っ飛び、張り付いて落ちてこないほどの威力とそれを可能にする技術。あの少女ならば、この程度の高さから飛び降りたとしても無傷だろう。その時、彼はあの少女が自分の運命の相手だと確信した。
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