6 王の更生(完)
さほど長居をしたわけではないのだけれど、ぎゅっと濃厚なひと時を過ごした気がして、暇ごいをする頃のグラーニャはすっかり気疲れしていた。
「……と言うわけでね。いまの私はすっかり、しろうと史書家きどりなんです。御方も、いつか史実で武装する必要があったら、遠慮せず言って。全力で証明しますからね」
変てこりんな言い方だが、これも完全なる好意と受け止め、グラーニャは小さく笑って離れを後にした。
「……陛下は、ずいぶん変わられましたね」
城に向かう道すがら、表向きの話し方でゲーツがグラーニャに言う。
「そうだな、とてもお元気そうで良かった」
「……内装が」
「?」
「……前に来た時と、違いました」
「? ……そうだな、……そうだったか?」
あまりの精神的疲労で、グラーニャの頭が回らないのを察し、ゲーツはそれ以上は言わなかった。
趣味は酷いものの、値打ちはありそうだった敷物や壺などが姿を消し、卓や椅子といった調度品が質素なものにすり替わっていた。豪奢な衣類は、装身具はどこへ行ってしまったのか。
――売ったのか。何にするために?
・ ・ ・ ・ ・
その夜。
離れの上階、特大級の湯のみから時折白湯をすすりつつ、隠居中のマグ・イーレ王ランダルは、草書用の筆記布に細かく文字を書きつけていた。本人は急いでいるつもりだが、綾桧の硬筆が連ねるその書体は、くっきりと色濃く美しい。
――聞き取った詳細を、忘れないうちに、早く早く。
「あなた、お先に休ましていただきますね」
扉をほんの少し開けて、ふわりと言ってよこしたミーガンに、「ああ、お休み」と言って返す間も、作業はとめない。
やがて王の硬筆は、びっしり文字で埋まった布の下の方に、下線付きの太い一語を書き添えた。
“ミルドレ”
夜も更けた頃、その長い記録を読み返して、ランダルは改めて呆然とする。
これは史観ではない。収集したいくつかの事実の寄せ集めでしかなかったが、それらにより自分の推測が次第に裏付けられていくことに、彼自身震撼したのであった。
次いでランダルは、書机の横にしつらえられた棚を探る。布の書束や羊皮紙づくりの本を、探しては開くことを延々繰り返した。
――何てこった。やはりグラーニャ・エル・シエは、どこまでもマグ・イーレの切り札なのだ……。
宝石や調度類を売って“個人的な”費用をつくり、調査を外注してみた。その結果判明した細かい事実とも、一致する。
たまたまはまりこんだ歴史編纂の作業が、それまでランダルの心身を拘束していた自己評価の低さ、自信のなさと、それを取り繕うために着込んでいた分厚い虚無的皮肉思考を融かしていた。
王の心は史実の中で躍る。過去に向けて自由に想像の翼を広げることが、いまやランダルにとって大きな喜びとして感じられるようになっていた。
ミーガンの透明な精神、書を通して知ったその父の影響も大いにあろう。だがランダル自身もまた、歴史という広大な織物のなかの一糸だと気づかせ、受け入れてくれたのは、やはり連綿と続くこの地マグ・イーレ史そのものだったのである。
――馬鹿だね、私は。本当に長い間、迷って来たものだ。つまらない意地悪で、あの子……彼女にも、かわいそうなことをした……。
ずいぶん驚いた様子ではあったが、それでもグラーニャは今日、ちゃんと会話に付き合ってくれたではないか。
――しかもあの傭兵君、その気になればもっと権力も持てるだろうに。あれきり私に脅迫を追加するでもなく、ひたすら秘密を守っているようだし。
ふうう、と王は鼻から長く息を吐く。
――ニアヴ、フィーラン、オーレイ……。死ぬ前に、何らかの形でひと花皆に持たせてやりたい。でなければ、一体何のための王生だろうか――。
昔も今も自分は小悪党に過ぎないが、求心力を増して来たマグ・イーレという悪党ぞろいのこの家に、これから十分貢献できる情報を得た、とランダルは思う。しかも、この事実を掴んでいるのは、恐らくこの地で自分ひとりだ。
だが一体どの機会で、どのように明るみに出せばよいのか、……今はまだわからない。
ランダルは手燭の灯から離れて窓布をめくり、中空に浮かぶ月を探したが、そこに瞬くのは無数の星々である。
――あと、今の自分にできることは……そうだな。……とにかく、考え続けよう。
【完】
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みなさまこんにちは、作者の門戸です。
「海の挽歌」のサイドストーリーである本作品、「白き牝獅子の氷解」に触れていただき、誠にありがとうございました。よろしければページ下部分にて☆評価やブックマークなどをお願いします。
グラーニャとゲーツ、さらにランダル王は、今後も「海の挽歌」本編での敵方マグ・イーレ側として、みっちり大活躍をいたします。多くの謎にも深くかかわってきますので、ぜひごひいきに。
引き続き、「海の挽歌」の世界に触れていただければ幸いです。
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門戸