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1 ルリエフ・ナ・ターム

「ふうーむ! じつに山々森々やまやまもりもりしたところだな、ここは」 


 アイレー大陸南東部。海に面した緑ゆたかな部分に、ひしめき合うように築かれたイリー都市国家群が存在する。これらを結ぶのがイリー街道、おもに沿岸地域に敷かれていた。


 最西端はデリアドから、マグ・イーレ、ガーティンロー、ファダン、オーランを通過してテルポシエへ。そこから北上して、大陸北東部の穀倉地帯へとのびている。


 デリアド国境との手前、マグ・イーレからは山国フィングラスへ通じる分かれ道がある。あまり良い道ではない。北上してゆく者は、深い森に覆われた暗い山々の連なりを左手に見ながら進むことになる。この厚い山脈の向こうには白き沙漠がある、……イリー人のなわばりの外、踏み越えようとも思わぬ世界の果てだ。その森のこちら側に立ち尽くし、小さな女はむしろくつろいだ様子にて、周囲の森を悠然と見回している。



「こんな辺鄙へんぴもよいところに、屋敷を構えるとは。酔狂な先人もいたものだのう? じいや。一体どんな変人が住んでいたのやら」



 ぼろぼろの石組み壁を左足の爪先でつっつきながら、小柄な女は言った。


 フィングラスに繋がる街道を、やや外れた所にある大きな石くれ廃墟。妙な取り合わせの男女ふたりが、そこを訪れているのである。


 ここに来る途中、二人は周囲に幾つか荒れ果てた集落跡を見た。案外これで、前世紀あたりまでは結構にぎやかだったのかもしれない。しかし今は閑散として、山鳥の声さえ聞こえなかった。マグ・イーレの領内でも、過疎化の著しい部分、辺境である。



「狩りをお好みの方には、理想の宮かもしれませんよ」



 女の後ろ、じいやと呼ばれた年輩の男が、うまみのある声で答えた。


 日暮れまであと一刻というところ。かげり始めた陽光が、男の色あせた濃灰色の外套を、さらにみすぼらしく照らしている。そんなに大柄でもない男は足が悪いのか、杖をついてやや大儀そうに女の後を歩く。肥った身体で背をかがめて、いかにも老僕であった。



「何がとれるのかな。山のどうぶつであろうか」



 対する女はとりがら・・・・風だ。うすい柳色の質素な外套の下は少年用の麻衣と墨染股引、男装のていである。



――革鎧を着てこれだけ薄いんじゃ、ほとんどなんてないんじゃないのか。



 廃墟のまわりの樹々の後ろから二人の姿を観察していた男達は、女の貧相な外見に、思わず内心で失笑していた。



――これが噂の、【白き牝獅子】? 我らが祖国の元王女? ほんとかい、笑わせる!



「……山犬くらいしか、見ていませんよ。ろくなものがおりません」



 乾いた声がした方に、小さな女は顔を向ける。


 崩れかけた壁の裏側から、男が三人歩いてきた。皆、似たような褐色の外套姿である。



「おたよりを差し上げた者です。グラーニャ・エル・シエ妃殿下?」


「いかにも」


「……他に、お連れ様は?」



 マグ・イーレ第二王妃は肩をすくめた。



「人手不足でのう。騎士以外なら二名まで同伴可能と貴殿は書いてよこしたが、機密守秘を傭兵に頼むには追加料金がかかるのだ。こちらは長く王室に仕えとる執事の一人でな、法令関連の書類しごとに強い。連れがこのじいやでは、だめか?」



 先頭の若い男が視線を向けると、好々爺は苦笑してみせた。背後の別の男が言いかける。



「では、得物を預かろう……」


「いや、いい」



 先頭の男がすっと手を出して、それを止めた。



「座る場所もありません。杖はそのまま、お使い下さい」


「ありがとう存じます」



 安堵を滲ませて、老執事が言う。


 一同は、荒れ果てたやしきの内部へと向かう。屋根天井も朽ち落ちて、壁だけの残る角部屋へと導かれた。でこぼこした石床の合間から、草がふき出している。



「指示どおり、近衛騎士団は街道口に待機させた。マグ・イーレ諸侯の耳に入れず、この俺に直接話したい事と言うのは、何なのかな。ターム侯?」



 自分に向かい合って立つ青年の風貌にも怯まず、グラーニャは平らかにその名を呼びかける。


 ずいぶん長く伸ばした白金髪を揺らして、男は何かを否定しつつ笑った。


 よく見ればずいぶんと若い。はるか昔に夢中になったあの人を、まんま幼くしたらこうなろう、ところどころよく似ている。胃の腑のあたりに気合を入れねば、嫌悪感でうげえと呻いてしまいそうなグラーニャであった。



「まだ叙勲前です。ルリエフとお呼び下さい」


「ルリエフ・ナ・ターム。……テルポシエ前王の甥御ともあろう者が、身代脱出しマグ・イーレくんだりまで落ちのびて来るとはな。何ぞたくらみでも抱いているのか」



 目を細め、口角を片方だけ上げつつ、グラーニャは男をじいっと見据えた。自分を見下げる高さあいてに、こがらな者が邪悪な圧迫感を与えようと言うのは、なかなか至難の業である。



「……庇護していただきたいのです。妃殿下のマグ・イーレに」


「相当のもの好きだな」



 陥落前から、多くのテルポシエ貴族がイリー諸国へ脱出していたが、マグ・イーレに逃れてきた者は皆無だったのだ。


 海路を使ってさらに遠くのデリアドまでやってきた家族があったと聞き、ニアヴとグラーニャは港に天幕を張って待ち構えた。まさに丸め込みどき、ここぞとばかりに恩を売るのだ、うまく引き込んでおこう! 場合によっては終戦・帰国の折に、やわらか間諜役として大いに役立っていただこうではないか!


 ……しかしテルポシエ貴族の反マグ・イーレ意識は一貫していた。誰も来なかったのである。彼らにとってマグ・イーレはエノ軍と同等憎むべき大敵らしい、陥落後ですら遠い知己を頼って来る者もいなかった。



「他に、あてはなかったのか。祖国の宿敵である鬼女の俺に、助けを求めるとは」


「グラーニャ様、ちょっとご自分で言いすぎなのでは……」



 そそっと老執事がたしなめる。



「よいのだ、じいや。実際俺のことはわるく語られておるのだろう?」


「ええ。テルポシエ人は虐待される恐れがあるので、マグ・イーレを退避先にするのは極力避けろと勧告されていました」



 若者は頷いて言った。



「……ぎゃくたい、とな……」


「私は信じませんでしたけど。テルポシエ宮廷なんて、嘘っぱちの集合体です。滅んじゃって当たり前だったのです」


「草色外套を着ておきながら、不敬なことを言うのだな。ルリエフは」


「だから皆、裏返しているんじゃないですか。私のは深緑だけど」



 ルリエフは自分の外套裾を、ちょっとめくって見せた。準騎士、騎士見習の色である。後ろにいる二人は、きまり悪げにもそっと体を揺らした、ルリエフよりは少し年かさと言うくらいで、やはり彼らも若い。



「……俺は、もともとがいい迷惑だったんです。親族に王がいるなんて……。良い元首だったら話は違ったんでしょうけど、あの人はやること為すこと、恰好わるい失態ばかり。伯父は父の恥でしかありませんでした。酒にまみれて皆にけむたがられて、しまいに自死してしまうだなんて。オーリフ王が死んだ後の、我がターム家の凋落ぶりをご存じでしたか?」


「知らなんだ」


「俺の父……、ターム家宗主は文官騎士でしたが、陥落直前に登城したまま行方不明です。むりやり実戦に従軍させられて、命を落としたのかもしれない。けれどその前に、俺に書箱をのこして行きました。もしテルポシエと王家に存亡の危機が迫ったなら、これを持ってマグ・イーレのグラーニャ姫を頼れ、と言って」


「ほほう。何やらおもしろい書束でも入っておったか」



 久し振りにとよばれたな、とグラーニャは思う。



「ええ。大変おもしろい書が、二つまとまっていました。……これを使って、俺はあなたに取り入ろうと思うのです」


「直球だのう。詳しく言うてみい」


「詳しく話しちゃったら取引に不利になるので、さわりだけ教えます。一つは、あなたのマグ・イーレ軍がテルポシエに侵攻する、うってつけの理由になるものです」



 笑顔に自信がちらつく。どうだ、とは言わないものの、声の下げ具合に傲慢さがまじった。言い方練習しおったな、とグラーニャは見抜いている。



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