朝廷からの見方。
<空気が読めないとは>
空気が読めないという言葉の意味ですが、おおむね「他人の気持ちが分からない」「その場の雰囲気に沿った考え方・感じ方ができない」といったところでしょう。
では、義経は「なぜ空気が読めないと言われているのか」「本当に空気が読めていない行動をしているのか」を見ていきます。
<義経が空気を読めなかった(?)点と、記録から見る行動について>
これはおおむね、ある一点が焦点でしょう。
すなわち、
「平家追討の際、頼朝の戦後構想を理解せず、平家を一方的に滅ぼして、三種の神器や安徳天皇を奪還できなかった」というものです。
ここから派生して、「戦後に、頼朝に無断で官位をもらってしまった」というのもあります。
これらを見ていきます。
1.朝廷からの見方
神器・安徳の奪還失敗は義経の大悪手で、戦で勝っても戦闘の結果としては大失敗だったという声が多いです。
ただ、記録上は神器の奪還や安徳天皇の入水について、謹慎や注意含め、義経は何の処罰もされていません。
当時リアルタイムで書かれた、朝廷の中心人物・九条兼実による一級史料、『玉葉』でも「残念だったけど仕方がない」くらいで済まされています。
なお、この人後白河法皇や横暴な武家に対する感想表現はこんなもんじゃないので、本当に義経が大失敗を犯したならたぶん凄まじい表現をしていたでしょう。
なので、まず朝廷的には、痛手だけどそこまでではないと。
また無断任官については、義経の立場が非常に大きく絡みます。
義経は、唯一の在京の頼朝の代官でした。
いわば幕府と朝廷という、表向きは主従関係にあるけど実情はギッスギスの二大勢力のバランサーという立場です。
ここで、朝廷が無理にでもくれるという官位をあくまで突っぱねていれば、兄、ひいては源氏にどんなマイナスが作用するか分かりません。
空気が読めないのではなく、空気を読みまくった結果、やむなく官位をもらって事後報告した、ということも考えられます。
実際、義経は「仕方なかったんです」という手紙を頼朝へ出しています。