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Unhappiness  作者: 三千
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絶望


「嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ、」


僕が投げつけて割ってしまった花瓶には、花は活けられてはいなかった。


「フラワーショップで花を買ってくるって? やめてよもったいない。お金の無駄よ。こんな薄暗くて陰気な家に花なんか似合うわけないでしょ!」


結婚したとき、僕が30年ローンを組んで買った、戸建ての家だった。


建て売りだったので間取りは決まっていたが、キッチンカウンターがあるわと妻は喜び、リビングに置くソファやテーブルなんかを一緒に買いに行ったりした。もちろんこの花瓶もだ。


それがなぜこんなことになったのかと言えば、僕に原因があると言ってもいい。


妻は結婚する前から子どもを欲していた。家族に憧れがあった。野球チームが組めるほどの子どもを、心から望んでいた。それなのに一向に妊娠しないのを訝しんで、不妊治療に通うようになった。


「診察の時に出来ちゃった妊娠の若い女の子が来ててさあ。赤ちゃんをどーーするかって相談してて。ほんっっっとにムカついたわ。ならセックスするんじゃねえよガキどもが! 欲しくてもできないこっちの身にもなってみろっての! っんとにマジでキレそうだったわ」


けれど、僕はそれに答えることができなかった。僕は他人さまにどうこう意見を言える立場になかった。


不妊治療の過程でわかったのは、僕が無精子症だったということ。僕は僕の子孫を残すことができないという現実を突きつけられ、頭をバットかなにかで殴られたような気持ちになった。


それくらいの頃からだったと思う。妻が少しずつ乱暴になり、僕に暴力を振るうようになったのは。


僕はできるだけ妻の支えになろうとした。僕のせいでごめんという、申し訳なさもあったと思う。

食事を作り掃除もし、妻のうさ晴らしによる散財にも目をつぶり、暴言や暴力にも耐えた。


離婚するべきかを考えていた。

子どもを欲する妻だから、他の男と結婚した方が幸せになれるかもしれない。何度も話し合った結果、このまま夫婦二人で生きていこうと決めた。


けれど、妻の暴言や暴力が激しさを増してくると、「離婚するべきかどうか」の問い掛けがいつの間にか「離婚したい」という願望に変わっていった。


離婚したかったし、しなければならないと思った。このままでは二人ともだめになってしまうような気もしていた。


けれど、妻は承諾しない。罵られる日々。僕に原因がある。だから仕方がない。一日一日をどうにか耐え忍ぶ。

子どもを持てなくともあなたと生きていくと言ってくれた妻は、長い月日を経て、どこかに消え去ってしまったらしい。


そして、ついにあの日。

僕が妻めがけて、花瓶を投げつけてしまった運命の日。


「おいサチ? 大丈夫、か?」


倒れた妻の頭の周りに、徐々に広がっていく鮮血。最初は鮮やかな赤だったのが、次第に色を変え、どす黒いマーブルに染まっていった。やがてその広がりもぴたりと止まる。この世界のすべての時が止まってしまったかのように。


呼吸が浅くなる。はっはっはっ。その息遣いが自分のものと認識するのに、かなりの時間が必要だった。


「さ、サチ、」


僕は妻の側に恐る恐る近づいていき、片手で彼女の肩を掴んで、ゆさゆさと揺らした。けれど、妻の顔は少しぐらぐらするだけで、唇は開かれ、そして目も開かれたまま動かない。

その開かれた目が、僕をじっと見ている気がして、その場で吐き気をもよおした。


「サチ、サチ……おえ、おえぇぇ」


死んだ。


妻が死んだ。


僕が投げつけた花瓶が頭に当たり、その衝撃でよろけ、そして倒れたところに運悪くローテーブルがあり、そこでさらに頭を打ち付けて死んでしまった。


「なんでだよ、なんでこんなところにテーブルがあるんだよ⁉︎」


妻が気に入って購入したローテーブルだった。


うわああぁぁああと叫びたい衝動に襲われる。恐る恐る時計を見ると、秒針のカチコチカチコチという音が僕を責めてくるように鳴り響く。時間が元に戻らないかな。戻らないかな。


狂いそうだった。狂ってしまいたかった。


救急車は呼べなかった。そこにまず思い至らない。今思えば神経が麻痺していたのかもしれない。手は震え、スマホを手にできない。色々な思いや考えが走馬灯のように巡っていくような気がした。パニックというのはこのようなものなのか。


妻は動かない。それで死んだと思ったのだが、もしかしたらまだ死んでないかも知れない。それでも息をしているかどうかを確かめることもできずに、僕は後ずさり、ソファによじ登った。


どうしようどうしよう。抱える足が震える。どれだけ経ったのだろうか、混乱しつつも少しして冷静になり、妻とともに一晩を過ごすことにした。その間、起き上がらなかったのだからやはりもう死んでいる。


僕はとうとう殺人者になってしまった。その考えにようやく辿り着いたとき、外が白んでいて夜が明けたことを認識した。


「どうしたらいいのか、調べよう」


閃いたかのように慌てて使い慣れないスマホを取る。すでに震えは治っていたが、検索しようとしていた指が止まった。僕はネットを調べることに躊躇してしまったのだ。だって、どうやって検索するのだ? 僕は自分がどうしたいのか、明確な意思を持っていなかったことに気づいた。


検索画面を凝視する。ネットニュースで同じような事件がないかを無意識に探し始めた。スクロールしていく。もちろん殺人や殺人未遂の事件は、そこら中に転がっている。画面を食い入るように見つめていたら、ひとつの宣伝に目が留まった。


マッチングアプリのwebCMだ。『W』の文字が踊る。聞いたことはあるが、実際どんなものなのかはわからない。


『出会いを求めて』『お話ししませんか』という言葉になぜか惹きつけられ、僕はそのアプリをダウンロードした。


誰かにこの惨状を聞いてもらいたかったのかも知れない。いや。こんなこと到底話せない。頭がおかしいと思われる。最悪通報されるかもしれない。


けれど誰かと話しがしたかった。誰かと繋がりたかった。冗談っぽく話せばいい。引き込まれるようにしてタップしていき、名前をCと登録してから、返事を待った。その間に会社に電話して今日と明日は体調不良で休むと連絡。


それから僕は家中のカーテンを閉め直した。ひとすじの光も入ってこないようにと。


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