08.お母様にお願い
「まぁ、ネオから剣の稽古をお願いされるなんて、お母さんとっても嬉しいわ。まだ三歳だし早いと思っていたんだけど、本人にやる気があるなら問題ないわね。でもさすがに木の枝じゃ可哀想ね。そうだわ、練習用の木剣と真剣を作ってもらいましょう。もちろんあなたのサイズに合わせた特注のものよ」
俺がアメリアに稽古を頼むと、彼女は快諾してくれた。
まぁ、別に初めから断られはしないだろうと思っていた。彼女は書類整理だのといった事務仕事は苦手で、体を動かすことの方が好きなのだ。事務仕事は全部ブルーノに押し付けているし。
「あ、有難いのですが、別に特注じゃなくて大丈夫です。大人用のものでも僕は問題なく振れるので。でもそれでしたらルイーザ用に作ってあげてくれませんか。ルイーザも剣術に興味があるようなので」
「まぁ、そうなの! 嬉しいわ。ただでさえ特別な子だというのに、なお精進を怠らないなんて。あ、もちろんあなたも特別な子よ。あぁ、あと二年もしたら養子に出さなくてはいけないなんて。お母さん悲しいわ」
アメリアに抱き締められた。
ぽよぽよとした弾力に包まれる。
悪くはないのだが、それよりも恥ずかしい。そしてこんなところをブルーノかルイーザに見られたら何か言われそうだ。
「か、母様、苦しいです」
「あら、ごめんなさい」
アメリアはすぐに離してくれた。
うむ、ちょっと名残惜しい。
「そ、それで、もしうちに木剣があるなら貸していただけないでしょうか」
「貸すだなんて、もちろんあげるわ。でも、ごめんなさい。うちに練習用の剣はなかったはずよ。あるにはあるけど、あれはクルトのものなのよね」
それはちょっと要らない。
どうせ子供用だろうし、俺が欲しいのは大人用の木剣だ。
サイズ的に合わないのはわかっているけど、どうにも大きいものに慣れてしまったらしい。
「ということで、ちょっと待ってちょうだいね。取り寄せるだけならそんなに時間はかからないはずよ。ニール!」
アメリアが部屋の外に向かって声を掛けると、「失礼します」と言って我が家の執事が入ってきた。
ビシッと決まった背広を着たイケメンであるが、彼もまた人族ではない。背がアメリアの豊満な胸の下くらいまでしかなく、額からちょこんと角が生えている。
彼はゴブリンという種族だった。
この世界のゴブリンはモンスターではないのである。
「話は聞いていた?」
「ええ、もちろんでございます」
「じゃあ、お願いね」
「畏まりました。バルネオ様、何かご要望などはございますか?」
おお、いかにも仕事の出来る執事さんという感じだ。
どことなく無表情なところがブルーノを思わせる。
「ええと、そうですね。木剣は本当に一般的なものでお願いします。真剣の方も同じで」
「特に軽くしたりする必要はないということですね。では、ミスリル製のものより鉄製のものが良いでしょう」
あるのか、ミスリル。
ファンタジー武器なんてそりゃ興味あるに決まっているけど、今は我慢だ。
ミスリルは羽のように軽いって指輪の映画で言っていた。それにニールさんの話からして、この世界でもミスリルは軽くできているのだろう。
俺はたぶん軽い剣が手に馴染まない気がする。
ここは武骨な鉄剣の方が良いのだ。
ニールさんは俺にいくつか確認を取った後、部屋を出て行った。
自分で発注しに行ったのか、誰かを遣いに出したのかは知らんが、イグニスの里にも武器屋はある。イグニスの里には、ガイアの里に次いでドワーフが多く住んでいるため、きっと優秀な武器屋があるに違いない。
明日くらいには俺専用の武器が手に入ることだろう。楽しみだ。
「ありがとうございます、母様」
「うふふ、これくらい大したことじゃないわ。あ、そうだ。折角だから皆で稽古しましょう。家族皆で稽古なんて楽しみねぇ」
ん? ということはブルーノやクルトも加わるのだろうか。
クルトは自分の剣を持っているようだが、アイツが鍛錬しているところなんて見たことがない。
ブルーノもそうだ。あの人は鍛錬している暇なんてなさそうである。書類の山に埋もれているか、どこかに出掛けているか。アメリアだって外出の多い忙しい人であるが、ブルーノほどではない。
うーん、大丈夫かな。
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翌日の午後、練習用の木剣と本物の剣を手に入れた。
早速自分の部屋で振ってみる。
木剣が思ったより軽いようだが、まぁ、練習用だし、そこまで問題はないだろう。
鉄剣の方はずっしりと重く想像以上に俺の手に馴染んだ。
前世で日本刀を持ったことがあるのだが、あれとは見た目が全く違った。
こっちのは西洋剣だ。多分ロングソードだろう。
俺が持っていると、まるでツーハンドソードみたいだけど。
部屋にはルイーザもいる。
ルイーザもとりあえず子供用の木剣を買ってもらえたようで、俺を真似て素振りしているのだが、やや大きいようだ。子供用と言っても、もっと上の年齢を想定して作られたものだろう。ルイーザ用の木剣が届くのはもう少し先になりそうである。
「やっぱりお兄様はすごいね。私は持ち上げるのも無理そう」
ルイーザが言っているのは俺が振っている鉄剣のことだろう。
普通の三歳児はそうである。しかし、いや、持ち上げることぐらいはできるだろう。
あ、ルイーザは剣じゃなくて俺を持ち上げてくれているのか。なるほど、深いな。
そんなどうでもいいことはともかくとして、俺は明日が楽しみだった。
アメリアが今日のディナーで皆に話して、明日稽古をつけてくれるらしい。
そしてディナーの時間、広い食堂で六人が座り、俺たちの後ろにはそれぞれの専属のメイドや執事が立って控えている。
未だに慣れないが、気にしていても仕方ない。
それよりも今はこの空気だ。
アメリアが明日皆で稽古をしようと言い出した瞬間、部屋の空気が凍り付いたのである。
クルトが俺を睨んでいた。もう目が物語っている。「お前よくも余計なことを言ってくれたな」と。
フローラも目を左右に泳がせているし、ブルーノも何やら頭を悩ませているようだ。
楽しそうなのはアメリアとルイーザだけだった。
うん、もうわかったよ。アレだろ? どっかの神様みたいにスパルタなんだろ、どうせ。
ルイーザが一番気楽だろう。なにせまだ素振りを始めたばかりなのだ。それほど恐ろしい目には遭うまい。
他の家族には悪いことをしてしまったかもしれない。皆を巻き込むことになるとは思っていなかったし、こんな反応されるとは思っていなかったのだ。
だが俺はそれでも興味があった。
イグニス最強と謳われる自分の母親が、どれだけの強さを秘めているのかを。
「私はまだ書類仕事がたくさん残っていて……」
ブルーノがなんとか逃げようとするが、アメリアが笑顔のまま「ダメです」と退路を断ってしまった。
「いい? 明日は記念すべき日なの。なので家族全員で稽古をします。これは公爵であるわたくし、アメリア・ランドルトが決めたことです」
おお、爵位まで持ち出しちゃって、まぁ。もう逃げ道は完全に断たれたね。
ブルーノも意を決したようで、「どうせ遅かれ早かれこんな日は来たんだ。諦めよう」と遠い目をしながら自分に言い聞かせていた。俺は心の中で合掌しておいた。