04.魔神と一緒に修行
俺が生まれてから二年の月日が経った。
めでたく二歳になった日の晩、俺は夢の中でお面をつけた人物と出会っていた。
そう、夢の魔神だ。夢の魔神というのは、どうやらそういう意味で夢の魔神らしい。人の夢の中に現れる魔神とは、何とも安直なネーミングだが。
「今晩は。福間辰巳君。いえ、今はバルネオ・ランドルト君と呼んだ方が良かったですかね?」
「別に、どっちでもいいですが……」
バルネオ・ランドルト。それが今生の俺の名前である。
まぁ、名前なんてどうでもいい。
この神様に訊きたいことなんて山ほどあるのだ。
アンタ人の夢に自由に出入りできるのかとか、この場所はどう見ても野球スタジアムだけどどうなってるのかとか、俺は人間に転生するんじゃなかったのかとか、元恋人が双子の妹になってるんだけどどういうことかとか、もう本当に山ほどだ。
でも一番に訊くべきことは決まっている。本当は二年前に訊きたかったことだ。
「で、俺をこの世界に転生させて、アンタは俺に何をさせたいんですか?」
夢の魔神が顎を指でつまんで小首を傾げた。
正直に洗いざらい話してくれる、というつもりはないようだ。
「君は家族にネオと呼ばれていますね。いいじゃないですか。どこかの世界の救世主みたいで実にカッコいい。僕もネオと呼ばせていただきましょう」
俺が魔神を睨みつけると、彼はくすくすと笑った。
「ふふふ、ネオ、そんなに睨んだって可愛いだけですよ。君はまだ二歳なんだから。ああ、笑ってしまって申し訳ありません。君をなぜこの世界に送り出したかでしたね。確かに君にやってもらいたいことはあります。でもそれは君がどう成長するかにもよりますし、今すぐお願いしたいわけでもないんです。
逆に訊きますが、君はこの世界で何がしたいんですか?」
「俺は……」
今度こそ失敗したくない。愛する者を守りたい。とりあえずは妹を。
そのためには俺が俺自身を信頼できるように、強くならなくちゃダメだ。
俺はこの世界に転生してから、まずは言語を覚えた。
まぁ、俺に限らず生まれてきたら誰だってまずはそうする。ただ、生後二週間で喃語を話し始める赤ん坊というのは気味が悪かっただろう。しかも双子揃ってだ。両親は自分たちの子どもが天才だと思って、大変喜んではくれていたが。
言語を覚えたら早速魔法を使おうとしたのだが、ダメだった。
この世界の子ども、と言うと語弊があるので、俺の種族の子どもは、と言わせてもらうが、通常俺の種族の子どもは、三歳くらいになると魔法が使えるようになる。
だけど俺が魔法を使えないのは年齢の問題ではない。家族は誰も知らないが、俺自身は俺が魔法を使えないということに気付いている。自分の体のことだ。そう認めざるを得なかった。
だいたい双子の妹、ルイーザは魔法がすでに使えるのだ。彼女もまた特殊な人間ではあるが、それも関係ないだろう。
強くなりたいのに一番手っ取り早そうな魔法が使えない、これは大きなネックだ。
「強くなりたい、です。でも、その、話が違くないですか? なんかチートみたいなのくれるって話でしたよね?」
「ん? ボーナス特典とは言いましたけど、チートなんて言ってませんよ?」
言われてみればそうかもしれないが、異世界転生といえば何かしらのチートスキルだ。それが何もないなんて、話が違うとも言いたくなる。
「まず君の種族、精霊人は人族の上位種族です。それだけでも十分すごいでしょう?」
魔神の言う通り、俺は人ではない。
この世界の広義の人間には含まれるが、生物学的に言えばホモサピエンスと同種ではないだろう。
だけどイリスの他種族に対するアドバンテージというのは、その強力な魔法があってこそだ。魔法が使えないイリスなんぞ、何の意味もない。
「俺、魔法が使えないんですが?」
「使えますよ? 魔力結晶とか魔石を使えば」
この世界にはそういった道具がある。
最も簡単に手に入るのが魔石だが、この魔石で使うことが出来る魔法は、明かりを灯すだとか、水を発生させるだとか、生活魔法と呼ばれるしょっぱいものばかりだ。
魔石より希少な魔力結晶があればもっと戦闘向きの魔法も使えるが、なにぶん希少なので簡単に手に入らない。
それに、精霊人はそういった道具に頼らずとも魔法が使えるものなのだ。
「だいたい君は強くなってどうしたいんですか? 妹を守りたいのかもしれませんけど、君の妹は十分に強いですよ」
確かに魔神の言う通り、俺の妹は強い。
何せ俺の種族の頂点になるべくして生まれてきたのだから、その強さに類するものは数えるほどしかないだろう。
「だけど俺は強くなりたいんです。じゃないと、俺は自分を信じることが出来ない」
「なるほどね、力を過信することはお勧めできませんが、自分の弱さに抗うためということなら悪くない。いいでしょう、それではボーナス特典として君を鍛えて差し上げましょう。まぁ、実を言うと初めからそのつもりだったんですけどね」
「へ?」
ん? 聞いていた話と違うぞ。
俺はいきなり強くなれるんじゃなくて、この魔神に鍛えられないといけないのか?
魔神がどこから取り出したのか木刀を投げ渡してくる。
俺はなんとかそれをキャッチした。
デカい。二歳児には大きすぎるんじゃなかろうか。
あ、これはダメだ。訊くだけ訊いといて断れないタイプの奴だ。
「さ、行きますよ」
いつの間にか魔神も木刀を構えている。
俺は見様見真似で木刀を構えるのだが、魔神が一振りしただけで木刀が弾き飛ばされてしまった。
「うーん、まずはちゃんとした構えからですね」
俺はその後、構えては弾かれて構えては弾かれてという、一見すれば地味に見える地獄のような時間が始まった。
腕が痛いは痺れるは精神的にくるはで、もう心身ともにズタボロだ。
「ずっと力を入れっぱなしでどうするんですか。そんなんじゃ振れませんよ」
「僕の剣を馬鹿正直に受ける必要はないんです。時には避けてください」
「体はリラックスさせて、神経だけ集中させておいてください。来るときにだけ全力で受けるんです」
魔神はスパルタだった。
だが驚くほど丁寧に教えてくれる。
ただの愉快犯かと思っていたけど、そうでもないらしい。
「あと今できることは素振りですかね。素振りといってもただ振っているだけじゃ強くなりません。まず大きく振る練習と、斬るという感覚を身につける練習が必要ですね」
魔神が剣の振り方を教えてくれる。
小さい体で苦労してそれを振っていると、魔神は突然小石を投げつけてきた。
アンダースローだったので怪我するほどではないが、痛いものは痛い。
「な、何するんですか!」
「だから斬る練習ですって。この小石を斬れるようになってください」
「木刀で?!」
「はい、木刀で」
小石なんて斬れてたまるか。
全集中したって刀じゃなきゃ岩は斬れないんだぞ?
しかし魔神の気配は本気だった。「斬れますよ?」と、本気で思っているようだ。
魔神が小石を自分の目の前に投げた。
魔神がその小石に向かって手刀を振るう。
あのか細い腕を振っただけとは思えない、凄まじい風切り音がした。
「ほらね」
魔神はそう言って手の平に乗った、真っ二つになった小石を見せてきた。
化物だ。いや、神様か。
でも俺は神じゃないし、化物でもない。
「ああ、何も今すぐやれと言ってるんじゃないです。ともかく今は斬るという感覚を身に着けて欲しいだけですよ」
その後も魔神の特訓は続いた。
特訓は俺の腕が上がらなくなっても終わらない。
「ヒール。さ、続けましょう」
鬼だ。鬼がいる。もはや魔神ではなく鬼神だった。
何時間素振りをやらされたのかわからない。
残念ながらこの体じゃ一回振るだけでかなり疲れるから、「素振り1000本」とかは出来なかっただろう。
だが100回以上は確実に振っていた。
二歳児になんて無茶させるんだ。
「それにしてもよくそんなに振れましたね。一回だって振れるかわからないと思っていたんですが」
「アンタがやらせたんでしょうが」
俺がグランドと熱い抱擁を交わしながら言うと、魔神は悪びれもせずに笑った。
「いやいや、君は案外チートを持っているのかもしれません。怪力とか、根性とか」
いらんよ、そんな暑苦しいのは。
俺が期待していたのは何というか、もっとスマートな奴だ。できれば『鑑定』とか『無限収納』とかが欲しかった。
「さて、そろそろお別れですが、日中もちゃんと素振りはしてくださいね。あ、それと、君が魔法を使えないのは、僕が君の魔力の90%を封印したからです」
「はぁ!?」
おい、この魔神とんでもないこと言いやがったな。
つまり俺が魔法で華麗に活躍できないのはこいつのせいということか。
「別に意地悪でやったわけじゃないですよ。ちゃんと君のためにやったんです。じゃないと、君は遠からず死ぬことになっていたでしょうから」
よくわからんが随分と物騒な話だ。
俺の魔力が高すぎて、体が耐え切れずに爆発するとかだろうか。
「詳しくはいずれ話しましょう。あ、もう一つ、君は最近色んな文献を読んでいるみたいですが、この世界の歴史はほとんど嘘なので、信じない方がいいですよ。ま、だからと言って僕を信じろとも言いませんけどね。何を信じればいいか、それは君がよくわかっていると思いますが」
何を信じればいいか。
それは確かに難しい問題だ。
信用できるものなんて今はほとんどない。この魔神だってそうだし、俺自身だってそうだ。
だから今は何も信じない。
「では、最後に【エクストラ・ヒール】!」
魔神はなぜか荒ぶる鷹のポーズを取って、俺を見下ろした。
確かに俺の体は癒されていくような気がするのだが、そのポーズは必要なのだろうか。否、絶対に必要ない。だってさっきまで触れただけで回復させていたじゃないか。
いかん、何だか見ているこっちが恥ずかしくなってきた。
「それじゃあ、また今夜」
「えっ、今夜も?」
しかしすでにそこに魔神はおらず、目の前には見知らぬ天井、いや、この二年でだいぶ見知った天井があった。