3、命を懸けた叫び
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青年のロケットペンダントの中身を見た瞬間、ディーナは彼が何者であるかを察した。それを受けて、彼を介抱してよいものかとも悩んだ程である。
だが、全身傷だらけの姿を見て、その悩みはすぐに消えてしまった。手当をするのに国や立場の違いは関係ない。敵対している国の王子であっても、それは同じだ。ただ目の前にいる人物を助けたい、その一心だった。
だから一命を取り留めて、本当にほっとしていた。記憶喪失になっていたのは予想外だったが、それに関しては体が元気になったら、ゆっくり思い出してくれればいいと思っていた。
しかし、彼が身内から命を狙われていると知ったとき、ディーナは何としても今の争いを止めなければならないと思った。
そうしない限り、彼に安寧の地は永遠に得られない。国に戻ったとしても、命を狙われ、果ては殺されてしまうかもしれない。どうにかしてそれを阻止したかった。
いつしかディーナは自分のことよりも、彼のことを第一に考えるようになっていた――。
* * *
床の上から伝わってくる冷たさによって、ディーナは目がさめた。暗闇の中で横になっているようだ。
体を動かすと、両手は背中側に回されていた。そこで両手は縛られ、両足についても縄で固く縛られていた。
口は猿ぐつわを噛まされている。詠唱をしなくても魔術は起こせるが、声に出すか出さないか、そして満足な体力があるか否かで、威力は変わっていた。
今の体力の減少や声を出せない状況下では、大勢の人間を蹴散らすといった、大がかりな魔術は使えないだろう。
ウェルス国側にいたから警戒心を疎かにしていた自分が情けなく思った。だがここで立ち止まってはいけない。
まずは縄の拘束を解くために、足首に意識を集中させた。風が足下に集まってくる。それから間もなくして縄の一カ所に切れ目が入った。ディーナが少し力を入れて引っ張ると、縄はあっさりと切れた。同じように手首を結んでいる縄も切ってから、上半身を持ち上げた。猿ぐつわを解いて一息をつく。
その時、部屋の鍵が静かに開いた。振り返ると、ランタンを持った金髪の青年がディーナのことを冷たい視線で見下ろしてきた。とっさに口を開こうとすると、男が静かに言い放った。
「ここで妙なまねをすれば、ウェルス国は不利な状況に陥るぞ」
でかかった言葉を寸前で飲み込んだ。
男は扉を閉めて、ランタンを手にしてディーナに近づいてくる。そして彼はランタンを床に置き、腰を落とした。
鋭い目つきだが端正な顔つきの青年を見て、目を丸くした。優しく穏やかに微笑んでくれたシゲイルと、目元の部分などが似ていたのだ。
「イルス国の第一王子、ラドリル王子……?」
青年は眉を若干上げてから、ディーナの顎に手を添えた。
「過去の戦いで大活躍された魔女に知られているとは光栄だ。お前の言うとおり俺はラドリルだ。お前とはずっと会いたいと思っていた」
顎をきつく握られ、ディーナの顔はラドリルに近づけられた。青年は小さく笑みを浮かべている。
「思ったよりも美人だな。もし胸が大きければ俺の側室に入らないか?」
「は?」
突然の申し出に目を丸くする。するとラドリルは表情を消すなり、顎から手を離し、乱暴にディーナの体を床に押しつけた。そしてナイフを取り出して、ディーナの服の襟元に添えた。大きくにやけたのと同時に、ナイフが服を縦に引き裂く。
ディーナは声をあげそうになったが、必死に歯を食いしばった。服の中心が切られると、胸や上半身の肌が露わになった。
ラドリルは軽く鼻で笑う。
「胸の大きさはまあまあか。……側室なんて嘘に決まっている。忌々しい魔女と体の関係なんか、持ちたくもない」
そしてナイフをディーナの胸に軽く突き刺してきた。
「戦場を去った魔女がなぜ戻ってきたかはしらないが、出会えたからには最期まで働いてもらおう。お前の浅はかで愚かな考えは、所詮権力の前には無意味なのさ」
ラドリルはナイフを離して立ち上がる。刺された部分からは、赤い血の玉が浮かび上がった。
「一つだけ教えてやる。お友達だと思っていた奴らは、既にこっち側の人間だ。傭兵たちも一枚岩ではない。負けるのがわかっていれば、力が強い者たちになびくのは当然だ。逆恨みなんかするなよ」
ディーナは切られた服を手で庇いながら起きあがる。ウェルス国内で襲われてから、誰かに裏切られたとは薄々悟っていた。ラドリルに言われなくても、その誰かを恨む気持ちはない。
「それと、ここから逃げた場合、お前が親しくしているイルス国の第二王女を殺す」
ラドリルの冷たい言葉を聞き、顔をひきつらせた。ランタンを手にした青年はそれを見て、ほくそ笑んだ。
「わかりやすい女だ。一時期、妹がウェルス国を訪問した際、お前と懇意にしていたのは知っている。ウェルス国に親しみを持っているあいつは、ずっと戦いをやめるよう叫んでいる。正直言ってうるさいからな、適当な理由を付けて殺したいところだ」
「妹さんは関係ないでしょう! 邪魔であれば……同じ血を引いていたとしても、殺すの?」
「兄弟同士で意見が合わなければ、今後の国政が歪む可能性がある。円滑に物事を進めるためにも、意見が合わない者を予め排除しようという考えになるのは当然さ。――いいか、力のないウェルス国は近いうちに終わる、覚えておきな」
そしてラドリルは扉を勢いよく閉め、鍵をかけて去っていった。部屋の中に暗闇が戻ってくる。
ディーナはぎりっと歯を噛みしめた。ラドリルは既にウェルス国の東部に裏で手を回しているだけでなく、魔女とも言われたディーナの素性を調べ上げているようだ。
かつてディーナは王宮に住まう魔術師として働いていた。そこで王宮の人やイルス国の第二王女とも懇意になっていたのだ。
思ったような展開にならず、悔しいという思いでいっぱいだった。だが捕まるという可能性も考えていた。だから今後、どういう行動をとるかも、おおかた決めてはいた。
ディーナがしたいのは、争いをやめさせるよう、イルス国の王に投げかけること。それさえできるのであれば、有明を見る前に暗闇の中に溺れても構わなかった。
* * *
目は布で覆われ、周囲の景色は見えない。しかし人々のざわめき声は少しずつだがはっきり聞こえてきた。
馬車に揺られながら、ディーナはある場所まで連れてこられていた。ラドリルには「魔女にはうってつけの場所だ」と皮肉を言われている。
手を拘束され、口は猿ぐつわを噛まされた状態で向かう先など、ろくな場所ではない。それでもディーナは耐えていた。これまで拷問に近いことを受けても、辱めを受けても、逃げだそうとはしなかった。
ディーナが一度表舞台から去ったにも限らず再び出てきたのは、第二王女のこともあるが、大切なあの人を護るためだ。
馬車がゆっくり止まる。左右にいた男たちに腕を捕まれ、外に出された。ディーナが外に出ると、ざわめきが一瞬静まりかえった。
「あれがウェルス国の魔女……」
誰かがぽつりと呟いた言葉がディーナの耳に入ってくる。顔さえ知られていない人たちに魔女と呼ばれるとは、随分と有名になったものだと思った。
ある地点で止まると、視界を覆っていた布が取り払われた。雲天の空であるが、先ほどまで暗い世界だった目には眩しく感じられた。目を細めて空を見上げる。あの人と初めて出会ったときのような空だった。
男に背中を押されて階段を上らされる。階段の先には木でできた十字架が立っていた。その脇には薄ら笑いを浮かべているラドリルがいる。
「ウェルス国の魔女よ、よく逃げなかったな。それだけは賞賛してやろう。だがお前の命運もここまでだ」
ディーナは視線をラドリルから階段の下にいた民衆に向けた。イルス国の住民が少なくとも百人はいるように見えた。視界の端に目を向ければ、高貴そうな服を着た人間たちもいる。そこにはディーナが懇意にしていた第二王女らしき姿も見えた。
さらに視線を遠くに向ければ、二つの国を隔てる川があった。川向こうからも人々がこちらに目を向けている。なかなかの人を集めてくれたようだ。これならば悔いなく事を進められる。
ディーナが事をなした後どう変わるかは、まともな考えを持っているイルス国の人間と、ウェルス国の人間次第だ。ディーナは賽を投げるにすぎない。
ラドリルの横まで歩かされ、その場に座らせられた。そして第一王子は高らかと声を上げた。
「皆の衆、これからイルス国に多大な犠牲を与えたウェルス国の魔術師ディーナ・シュリアを処刑する。この女を処刑することで戦況は一気にイルス国側に傾き、我々の勝利も近いだろう!」
兵士たちの一部から賛同の声があがる。しかし民衆たちは左右を見ながら、どう反応をすればいいか判断に窮しているようだった。
ディーナの目で見ても、民衆が今の争いに疑問を抱いているのは明らかだった。
「さて、時間ももったいない。さっさと準備をしろ!」
背後にいた兵に向かって言い放つと、彼らはディーナを背負い、木の十字架にくくりつけ始めた。両腕を横に広げられて、足は下の棒にくくりつけられる。ラドリルはにやりと笑みを浮かべてから、視線を民衆に戻していた。
ディーナは頭の中で言葉を思い浮かべて、魔術を発動する。猿ぐつわを軽く噛むと、いとも簡単に切れた。
「これから魔――」
「――いつまで見て見ぬ振りをするのですか?」
ラドリルの言葉を遮るようにして、ディーナは声を発した。空気をうまく震わせているため、通常の声よりも遠くまで聞こえているだろう。だからか、後ろにいた人たちも驚きの目を向けていた。
「この、ま――」
ラドリルが鋭い目を向けてきたのに対し、ディーナは冷たい視線で見返した。途端に彼は顔を青ざめて、その場にしゃがみ込む。周囲にいた男たちも苦しそうな表情で同様の動きをした。軽い麻痺の毒を含ませた蜂に刺されれば、体調は悪くなり、声は一時的に失うものだ。彼らを刺した蜂は既に飛び去っているため、証拠として見つかることはない。
舞台が整ったところで、ディーナは口を大きく開けた。
「今回のウェルス国とイルス国との争い、きっかけは何であれ、誰が開戦しようと言いましたか? ウェルス国側ですか? イルス国王ですか? それともこちらの王子ですか?」
下にいた民衆たちはひそひそと話を始める。誰もが即答できない状態だった。どうやら情報が錯綜しているようだ。
ディーナは周囲を見渡しながら続けた。
「ウェルス国側では開戦のきっかけはこう伝えられています。『ウェルス国民がイルス国の領地にある資源を掘り起こして奪おうとした。イルス国民はその行為を非難するために、国王が開戦を決めた』――と。しかし、これにはいくつか間違いがあります」
正しい情報を伝えるために、ディーナは丁寧に言葉を発した。
「一つは開戦を決めたのは、こちらのラドリル王子であること。当時、イルス王宮に国王はいませんでした。それを知っている者はイルス王宮の中では大勢いるはずです」
「……国王はどこにいたんだ?」
前の方にいた男がぽつりと呟いた。男は周囲から一斉に視線を向けられると、はっとした表情をして、視線を地面に向けた。
ディーナは王宮の人間がいる方面を横目で見る。
「――イルス国王はウェルス国にいました」
一瞬の沈黙の後、さらに激しくざわめき始めた。それを打ち破るかのように声を大にして続けていく。
「イルス国王がウェルス国の王宮にいるときに、領地の無断立ち入りと開戦するとの旨が、ほぼ同時に発せられました。それを聞いたイルス国王はすぐさまお帰りになりました。こんな勝手なことをするのは、一番上の王子しかいないと言葉を漏らしながら」
民衆の視線がその場で膝をつけているラドリルに向けられる。それは戸惑いと疑惑を含んだものだった。
「真実を知りたければ、思うような動きが取れなくなっているイルス国王からの言葉を聞いてください。今まで第一王子がもみ消していた、本当の言葉を」
「……仮に第一王子だったとしても、領地を侵犯したのはウェルス国側だろう? 開戦を宣言したのが王でないとしても、その事実が変わらなければ――」
「その事実というのは、何を持ってそう言い切れるのですか?」
ディーナが目を細めてラドリルを見下ろす。彼は手を握りしめて、こちらを睨み上げてきた。
民衆は哀れなものである。力ある者の言葉を信じやすい。嘘であっても信じてしまえば、それが真実ということになる。
「ウェルス国民がイルス国の地に無断に入って、資源を荒らした証拠はどこにありますか? そして犯人は誰ですか? 国家問題にもなりかねないことに対し、なぜ確固たる証拠もなく決めつけたのですか。あまりにも不躾な判断ではないでしょうか、ラドリル王子!」
鋭く言いつけると、彼はたどたどしい声で言い返してきた。
「よ、夜中にわざわざ土地を荒らすなんて、同じ国の者が行うはずないだろう!」
「つまり推論だけで言っているのですか。それではここにいる民衆は納得しませんよ。同じ国民であっても、残念ながら犯罪に手を染める者はいるでしょうから、その言葉だけではまったく信憑性がありません」
ラドリルは唇を噛んでいる。ディーナは軽く目を伏せてから、こちらを見ている民衆たちに再び目を向けた。
「今回の大戦では、私も情報を真に受けてしまい、戦場にて多くの人を傷つけました。その罪は罰せられて当然です。しかしそれとは別に、大戦の今後については根本から見直すべきです。そのためにも私はウェルス国王とイルス国王との間に、対談の場を設けることを提案します」
「――私もその提案には賛成です!」
民衆のざわめきとは違う、確固たる意志を持った青年の声が耳に飛び込んできた。民衆は静まりかえり、声を発した人物を見ると、彼が歩く道を作るかのように左右に広がっていった。




