空から美少女がふってこようよ
「親方ぁ、空から女の子が降ってこないんですけどー。」
少年が、少年に声を掛ける。あほなことをほざいた、このあたまよわそうな少年は憎らしい程のイケメンだ。顔面偏差値の無駄遣いここに極まれり、である。一方親方と呼ばれた少年は精悍で野生的な、親方呼ばわりも納得の厳めしい顔立ちだ。何とも対照的な二人組が、高校帰り、周囲に田んぼが広がる農道をのんびりと歩く。
「誰が親方だ、誰が。そもそも飛行船から足を滑らせた女の子が飛行石を持っている可能性ってどんだけだ?よしんばお前の前に女の子が降ってこようとその子は既に終端速度で目があう間もなく地面で赤い花だろうさ、けッ。」
雄々しい方の少年が荒れている。風が稲の葉のにおいを運ぶ。田の隅には浮草が増え始めていた。
「えっと。一体、どうしたん?」
突然の荒れように、あたまよわそうな方の少年がたじろぐ。農村の穏やかな空気と、やや鼻をつく田んぼのにおいが、営々と続くのどかな日常をゆるやかに主張している。かれらの歩くそこは少年の荒れようなどどこ吹く風の穏やかな砂利道だ。
「どうしたもこうしたも、可愛いなって思ってたあの子が彼氏持ちだったんだよ!幼馴染なんだってよ!口約束ながら結婚の約束もしていてステディな関係なんだってよ!知らずに半年も片思いしてたんだよあの子にのろけ話聞かされて知ったよようやく友達になれたと思ったらこれだよ絶望だよ道化だよどうしようどうしてくれるどうしようもないよどうだわかったか!?」
コワモテ君が叫ぶ。息が苦しそうだ。それ以上に心が苦しそうだ。
「あー、その、ごめん。」
ぱーぷー君は言葉に詰まる。
「けッ。」
コワモテ君はやさぐれる。きまずい。はてしなく、自然飲料を追求したくなるほどはてしなく、きまずい。水田の水面では、アメンボが伸びやかに滑る。ああ、何て空気だろう。もう見てらんない。水棲昆虫になってこの場から逃げだしたい。何か、話題を変える何かがないだろうか……
「あ、あれは何だろう!」
ぱー君が砂利道の途中に出来た水たまりを指さす。わざとらしい話題転換だが、この空気だ。癪だが彼にはグッジョブと言っておこう。
「あん?露骨に話を逸らしやがって。」
不機嫌もあらわに、コワモテ君はぱー君の指す水たまりに視線を向ける。
「ってありゃなんだ!?」
視線の先、水たまりから腕が伸びて、轍の雑草を掴んでいるではないか。少年たちは慌てて駆け寄ると、件の腕を掴み、水たまりに埋まっているであろう人物を引っ張り上げようと踏ん張った。湿った人間がこんなに重いとは。少年ふたりの顔が赤く染まる。あと一息!息をそろえ、タイミングをそろえ、大声を張り上げ後ろへ体を投げ出すように、全力で引っ張る。慌てる二人だ、おっさんの腕が抜けるとか考えない。幸い、おっさんの腕が千切れる様子もない。
「って、なんだこりゃ?いや、もしかして」
コワモテ君は呟いたきり黙り込む。
引き上げられた男の格好は見慣れないものだった。上半身、主に胸部を覆う、少しふやけた皮鎧。浅黒い肌の上、鎧の下には見慣れない生地の地味な肌着。それに何より、
「なんだろ、この人。人?」
やや薄くなった黒い頭髪の左右から、どう見ても猫耳にしか見えない物体が生えている。人であれば耳がある位置には毛髪だけ。また、腰のあたり、ズボンの少し上の辺りからは、やはり黒いしっぽが生えている。
コワモテ君が我に返る。
「っと、ンなことより蘇生だ!AEDはっと、あるわけねーか。しゃーねー、『微電撃』!」
衝撃の事実。コワモテ君は魔法使いだった。三十路には遥かに足りないのに、可哀想に。猫耳薄毛おっさんの体がぴちぴちと気持ち悪く跳ねる。驚くぱー君。
「ちぃと強かったか?まぁいい次だ。時間計ってくれ。時計してるだろ?秒針に合わせて手拍子頼む!」
コワモテ君の指示に我に返った彼の手拍子を背景に、顔を近づけ猫耳おっさんの呼吸を確かめる。
だがだめだ。浅い喘ぎのようなものを繰り返すばかりで呼吸になっていない。コワモテ君は天を仰ぎ、小さく呟いた。
「さよなら、初キス。」
切ねぇッ!失恋に追い打ちでファーストキスまで失うとは、どこまで運がないんだろうこの子。
覚悟を決めたコワモテ君はおっさんの顎に手を添え、静かに息を吹き込んだ。胸が膨らむのを見届け、口を離す。息が吐き出され、胸が戻りきると再び吹き込む。
ぱー君の手拍子を頼りとして、うららかな景色と裏腹の緊迫の蘇生作業が続く。
どれだけ繰り返しただろうか。おもむろにコワモテ君が口を離す。おっさんの呼吸は安定していた。ぱー君も手拍子を止める。ふとよぎる影に空を見上げると、猛禽が一羽、優雅に舞っていた。彼の頬を伝うのは、汗か、涙か。
「どうしよ、救急車呼ぼうか?」
ぱー君が常識的なことを言う。
「あー、それは止めたほうがいいな。騒ぎになる。このおっさん、獣人だから。」
コワモテ君が非常識なことを言う。鳩が豆鉄砲を食ったような顔のパー君。
「んーとな、この辺、渡部って名字多いだろ?」
コワモテ君の問いに、ぱー君は頷く。
「それ、渡し部のことなんだ。別世界からの漂着者をこっちで生活できるまで面倒見るってことを代々やってきた。お上公認だったんだけど、維新の後いろいろうやむやになったらしくて、いまはこっそり続けてるらしいんだわ。」
ぱー君、あほ面を晒す。うん。似合ってるぞ。
「ほら、鎮守の社の五十里姐さん、全然年とんねぇだろ?あの人も漂着者なんだと。」
判りやすい具体例に、ぱー君も納得したようだ。ちなみに姐さんに年を聞くとぶっ飛ばされるとの噂だ。実際、年に数度、命知らずが社から天高く打ち上げられるのを村人が目撃している。空から落ちてきた馬鹿共に事情を聞いても、皆貝のように固く口を閉ざすので詳細は分からない。どうやら姐さんの仕置きはとても恐ろしいようだった。
「ってことで、当代の渡部、うちの爺さんのとこに運ぶぞ、手伝え。」
爺さんに電話で伝え、風呂を沸かしてもらうように頼む。コワモテ君が脇から胸を支え、ぱー君が尻を抱え、それでも余った足先は引きずるようにして、ふたりでおっさんを運ぶ。幸い、爺さんの家は近い。汚い絵面だが、おっさんの臭いは水たまりの泥の臭いで隠れている為、見た目よりはいくらかましなのが救いか。
田んぼが途切れ、屋敷が見えてくる。生け垣が鋭く境界を引く。立派な構えの門を潜る。門から続く石畳の向こうに見える母屋の玄関は、こちらの手が塞がっていることを予期してか、開け放たれていた。土間に踏み入り、爺さんを呼ぶ。
「おーい、じっちゃん、きたぞー?」
框の向こう、廊下から落ち着いた足音が響いてくる。
「ご飯にする?お風呂にする?それとも、わし?」
コワモテ君とぱー君が呆然とする。力が抜け「ゴスッ」おっさんを取り落とす。痛そうな音がしたけれど大丈夫だろうか。
さて、ふたりが呆けるのも当然の光景が目の前にある。白髪、白髭、白胸毛のゴリマッチョが裸エプロンでボディビルのポーズの一つ、サイド・チェストを決めているのだ。やや横を向き、大胸筋を強調する偉丈夫の異常に、ふたりの意識は束の間飛んでいた。
「ファンタジーに夢見るなよ、現実になったらこんなもんさ。」
何かを悟ったように、何かを堪えるように、絞り出すように。コワモテ君は言葉を紡いだ。
「なんか、その、ごめん。」
目の前には裸エプロンゴリマッチョ爺、足元には未だ目を覚まさない薄毛猫耳おっさん。ふたりの前に、覚めない夢より質の悪い現実が蟠っていた。
結局その日、彼らの許に空から美少女は降ってこなかった。