チャラいアイツの別の顔
木下子猫が私を籠絡してから、一週間が経った。
終始私にべったりなのはいただけないが、仕事はきちんとしてくれるので、本当に助かっている。
それに約束通り毎日欠かさず、手の込んだお菓子を持ってきてくれるのだ。昨日はロールケーキだった。今日は一体何だろう。
……いけない、顔がゆるむ。
「ルイカちゃーん、なんか良いことあったの?珍しく笑ってるね」
私の後ろから、いらつかせる脳天気な声がした。鈴木だ。
せっかく良い気分だったのに……。
いや、空耳だ。早く図書館へ行こう。
「ルイカちゃーん? ルイカちゃんってばー。シカトしないでよー」
……うるさい。本当にうるさい。
何故この男は、こんなに私の気持ちを逆撫でするのだろう。
「ねーねー、待ってー。落とし物ー」
「落とし物?」
振り返ると目の前に鈴木の顔が。鼻が当たった。
「ぎゃー!」
「痛ー!」
思わずアッパーを鈴木のアゴにヒットさせてしまった。
「……はっ! すまない! 大丈夫か?」
見ると、鼻から血が出ている。
私は急いで鈴木の鼻にハンカチを押し当てた。
「サンキュー。でも大したことないよ」
「本当に申し訳ない! 保健室へ……」
「いやん、ルイカちゃんってば。いきなりそういう関係になりたいの? 意外と積極的なんだね」
この男は何を言っているのだ。
殴ったせいで、元々悪い頭が更におかしくなったのか?
「意味が分からん。脳しんとうを起こしているかもしれんな。早く先生に看てもらおう」
「はぐらかすのが上手いねー。ベッドのある場所で男と女が二人になったら、する事は一つだよねー」
「な……っ?! 人をからかうのもいい加減にしろ!」
「冗談じゃーん! ルイカちゃんって結構ウブだねー。カワイイ! 世間知らずのお姫様って感じ。見た目もそれっぽくて『図書館の姫』ってあだ名ピッタリ。あ、鼻血止まった」
……これ以上この男といると、私まで脳が腐りそうだ。
それより、何気なく可笑しなことを言っていなかったか?
「一つ聞きたい。私が何とあだ名されていると……?」
「あー、『図書館の姫』ねー。誰が考えたか知らないけど上手いよね。髪型もかぐや姫みたいだし」
いつの間にそんなふざけたあだ名を付けられていたのだ! 『図書館の主』ならまだしも……犯人は一体誰だ!
「それよりさあ、この前の話、考えてくれた?」
「この前?」
「付き合ってって言ったじゃん!」
「はっきり断ったはずだ。私は軽薄な男は趣味ではない」
「ケーハクって……ヒドいなあ。僕はキミ一筋なんだけど」
よくもまあ、こんな白々しい嘘が言えたものだ。
「あなたはこれまで三十人の女性と交際していたと、私の後輩から聞いている。これで一途だと言えるか?」
「え!? 三十人!?」
「しらばっくれるな、仮に本当はもっと少ない人数だったとしても、あなたのその態度では到底信じられまいよ」
「誤解だよ! 三十人どころか、今まで誰とも付き合ったこと無いよ!」
「どうだろうな。さぞかし派手な女性関係で有名なのだろうが、私には興味ない」
「ホントだって! 僕、そういうとこ真面目だよ?」
私が簡単に騙されると思っているのなら、ずいぶん見くびられたものだな。
相手をしている暇は無い。同志達が私を待っている。
私はため息を吐いて、その場を離れようと鈴木に背を向けた。
「ルイカちゃん! 頼むから信じてくれよ!」
気が付くと、私は鈴木に抱きすくめられていた。
「な……! 離せ!」
「ルイカちゃんがちゃんと僕のこと信じてくれるまで離さない」
振りほどこうと体をよじったが、意外と力があるようでびくともしない。
「誰が信じるものか!」
「だったら、僕のことを聞いたその後輩に会わせてよ。きちんと誤解を解きたいから」
私ははったりだと思ったが、声が真剣味を帯びていたので、騙されたつもりで鈴木の話に乗ることにした。
「……良いだろう。だが、本当にあなたの潔白が証明されなかったら、二度と私に近寄らないでもらおう。良いな」
「……分かったよ」
鈴木はやっと腕をほどいてだらしないニヤケ顔をこちらに向け、勝ち誇ったように言った。
「誰が言ったのか、見当は付いてる」
予想外の言葉に私が驚いていると、鈴木はいきなり私の手を取り、先導して歩き始めた。
「おい! 私に気安く触るな!」
「良いじゃん! 減るもんじゃないしー」
「減る! 減るぞ! 私は男に肌を許したことなど一度も無いのだぞ!」
「やっぱりー? そうだと思ったー。処女っぽいよね、ルイカちゃんって。……ぐはっ!」
怒りが頂点に達したので、鈴木の背中に正拳突きを食らわせてやる。
「口の減らない男だな。男子たるもの、そのように軽口ばかり叩くものではない。いざというとき、言葉に説得力が無くなるぞ」
「母さんが言うには、僕は口から生まれてきたらしいよー? 喋ってなきゃ死んじゃうよー」
全く、ああ言えばこう言う……。
「あなたは私と交際したいのではなかったのか?」
「ん? そうだよ?」
「だったら、相手の好みに合わせるという気は無いのか。私はうるさい男は正直に言って嫌いだ」
そう言うと、鈴木は強引に引っ張っていた私の手を突然離し、こちらに振り向いた。
「……静かにして欲しいときに黙る努力はするけど、僕は僕でいたいから、無理してまで人に合わせる気は無いね。たとえキミの頼みでも」
さっきまでのニヤケ顔はどこにもなく、瞳にはやや怒気を含んでいる。どうやら私は鈴木の地雷を踏んだらしい。
「ルイカちゃんはさ、僕じゃなくても誰かがキミに好かれようと、本当の自分を隠して無理したら嬉しいの?」
──軽薄だと思っていた彼の口から、こんな真っ当な言葉が出てくるとは夢にも思わず、また正論だったので私は答えに窮した。
「僕は、ありのままの僕を見せた上で勝負したい。しばらく友達としてで良いから、僕と話をしてくれないかな」
「……分かった。気に障ることを言ってしまったのなら、すまなかった」
私が謝ると、にかっと歯を見せて笑う。
「なんちてー! 僕らしくないとこ見せちゃったなー。あ、ギャップで好きになっちゃったー?」
「なるか、馬鹿者」
またへらへらと笑う鈴木に戻ってしまった。
しかし、この男には何か裏がありそうだ。それを確かめるためにも、もう少し軽口に付き合ってやっても良いか……。
「さ、図書館へレッツゴー!」
「頼むからあちらではおとなしくしてくれよ……」