宿敵、現る……って早過ぎない?
さて、晴れて『図書館の主』になった私は、二年生になってからも心おきなく本を読み漁り、読みふけり、一人の時間を満喫していた。
復活した図書館には、ぽつぽつと同好の士が来ているが、程良い距離感を保った付き合いができている。蔵書を管理する流れ上、私が貸し出し手続きも行うことになったので、同志達とは二言三言話すがそれ以上は必要ない。
くだらない誰かの噂話や悪口を無理矢理聞かされずに済む。それだけで私は幸せだった。
──あの人が現れるまでは。
「ねぇ、黒岩さん。ちょっと顔貸してくれない?」
ある日、三人組の女生徒達から珍しく本名で声を掛けられた。襟のスカーフが臙脂色ということは、三年生か。
(我が校では、女子はセーラー服のスカーフを学年ごとに色分けしている。二年は青、一年は白だ。男子は学ランの襟に付いている組章で分かる)
放課後になったので図書館に行く途中だったのだが、上級生から話しかけられたなら、一応は聞くしかない。渋々立ち止まり、
「何でしょう。私はこれから図書館へ赴かねばならないので、恐れ入りますが手短にお願いいたします」
丁寧に返事をした。それなのに。
「すかしてんじゃないわよ! いいから黙って来なさい!」
と、高圧的に脅してくる。だが、そんなものに怯える私ではない。なので三人に向き直り、きちんと背筋を伸ばして言った。
「恫喝すれば相手が意のままになると思ったら大間違いですよ。人にものを頼みたいのであれば、相応の態度をお示しください」
私は踵を返して立ち去ろうとしたのだが、言葉が通じなかったのだろう、私の肩を掴んできた。一人が前方に立ちふさがる。
「あんた! 前から気に食わないのよ! ちょっと可愛いからって調子に乗ってんじゃないよ!」
セーラー服の襟を掴んで私を引っ張ろうとしたので、仕方なく手首を捻り上げた。祖父に教わった護身術が、こんなところで役に立つとは。
「きゃあっ! 痛い!」
さっきまでの威勢の良さはどこへやら。可愛らしい悲鳴を上げて、大げさなほど痛がる。そんなに力は入れていないのだけど。
「乱暴はお止めいただきたい。そちらが暴力を振るえば振るうほど、あなた達の品格は落ちる。少しは女性らしく、話し合いで解決しようとは思わないのですか」
「暴力振るったのはそっちでしょ! あーあ、手が痛ーい! 慰謝料払いなさいよ」
「今度は強請ですか……。やはり教養のない方というのはいただけませんね。まさか、衆人環視の中で堂々とお金を要求するなんて」
私の言葉が少しは理解できるらしい一名が、はっとして周りを見渡すと、教室の中から沢山の人が騒ぎを見ていた。
そして勿論、教師も。
「おい、そこの三年生! 何をやっている!」
「やば……行こう!」
彼女達は慌てて走り出したが、人だかりができている狭い廊下に引っかかり、すぐに捕まった。
大切な時間を無駄にしてしまった私は、怨嗟の声を上げる彼女達を後目に一刻も早く、本を借りようと待っているであろう同好の士の元へと急いだ。
やっと図書館に着き、重い扉に手を掛けたその時、いきなり横から扉を押さえる手が。
何者かと振り返ると、一人の男子生徒がこちらをニヤニヤ笑いながら見ている。知らない顔だ。
「……何か?」
不機嫌な私は極めて事務的に尋ねた。
だが、この男は全く意に介さず、ニヤニヤ笑いを崩さないままこう言ってのけたのだ。
「ねえ黒岩さん、僕の彼女になってよ」
……私は耳がおかしくなったのかと思った。
「今、何か仰いました?」
「あれー、聞いてなかった? 僕の彼女になって、って言いました! 聞こえた?」
うるさい上に嫌みが通じないようだ。
このような場合、どう返答すれば良いのだろうか。
今までこんな不躾なことを、初対面の相手に言う人間には出会ってこなかったので、対応策を私は知らなかった。
「何故、私があなたと交際しなければならないのですか? そもそも、あなたとは初対面です。まず名乗るのが先でしょう」
至極当たり前の話であるが、こんなことも分からない人間がこの世に存在するのだから、世界はまだまだ広い。
男は、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていたが、すぐに元のニヤケ顔に戻って言った。
「僕は、鈴木啓太郎。一応君と同じ学年なんだけど、知らなかった? 残念だなぁ、これでも結構有名人なんだよ?」
同じ学年? なるほど、襟の組章が青だ。しかし、一学年何クラスあると思っているのだろう。
「十組もあるのだから、あなたを知らない人間がいてもおかしくはない。それより、早く退きなさい。皆が待っているのだから」
「冷たいなぁ。仮にも交際を申し込んでいるっていうのに」
しつこい人。ますます不機嫌になる。
「その気が無いのに優しくする方が、よほど残酷ではなくて?」
鈴木という男は、それでも笑っている。
「あちゃー、フラれちゃった」
「では、失礼する」
ようやく図書館の扉を開けた私の背後から、彼の声が追いかけて来た。
「またねー! 黒岩ルイカさーん! 何度でもアタックするからー!」
扉は、騒がしい彼の言葉を最後まで通してから、バタンと閉まった。