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3: Boojam

 ――――黎暦37年10月 湖水地方 廃墟都市ステラ(旧名:ルーナ)


 マングローブの森を抜けると、広い湖を埋めつくすビル群がそこにはあった。ショカの助手になってからは依頼であちこちに行くことが多いけど、少なくともここまで高層の建築物が立ってる地域はそうそうない。厳密に言うと、立ってるっていう表現は正しくない。どれもこれも朽ちていて、まっすぐ立ってるビルは稀だ。湖に斜めに突き刺さり、ところどころ苔や蔦の侵食を許している。それでもガラス張りの一部は太陽の光を強く反射して、目が痛いくらいだ。ビルに近づくにつれて、手前の建物の天辺付近は体を後ろにそらさないと見えないくらいになった。

「すっげえ!でっけえ!!!」

「そろそろ旧都市中心部に入っていくから、もしかしたらもっと大きな建物もあるかもしれないよ」

 ちなみに結局さっきの襲撃から、ショカに小舟漕ぎを交代してもらっている。とは言っても、ショカ自身はコトダマを使って【進め】と言っただけで小舟は何もしなくても一定の速度で進み続けている。しかも、俺が手で漕いでいた時より明らかに早い。最初からこの方法の方が絶対効率が良かった。コトダマを自在に扱えない身として、そしてショカの助手として、なおさらさっきまでの理不尽さを感じざるを得ない。それでも、

(責める気になれないのは何でかねえ……)

 逆に手持無沙汰になってしまった感もありつつ、適当に伸びをしながらショカをこっそり見てみる。こちらの葛藤を知ってか知らずか、当の本人は長い黒髪を風に遊ばせて、気持ちよさそうに目を細めていた。仕方なくため息をついて、言葉には出さない。代わりに、まったく別の少し気になっていたことを口にした。

「ショカ、さっきからヒガンバナの量が多くないか?」

 さっきから小舟にまとわり付くように、赤い花が浮かんでいる。小舟の速度に追いつこうとするかのようにそばでくるくると回り、しかしすぐに離れていく。そうしたら、また別のヒガンバナが流れてきて……という感じ。さっき倒したトコイのものではなく、また別のトコイのもののようだ。

「……さっきのトコイもそうだけど、どっかでトコイが出てるってことだよな?」

「恐らくはそうだね。そうすると、一番近い村まではまだ距離があるし、たぶん出所は遺跡調査隊の人たちか……」

 調査隊が言葉に気を付ければトコイはそうそう出現しない。これは確か依頼人たるポートマンの言だったか。

「さっきのトコイと言い、このヒガンバナの量と言い、遺跡調査隊の連中、言葉遣いが悪すぎだろ」

「彼らの言葉遣いが悪いかどうかはともかくとして、調査隊の規模がラジオ報道の通りだとすると、確かにそれに対してトコイの顕現数が不自然に多いような気がする。ヒガンバナに関して言えば、離れた地域からステラに流れてきてしまっているという線が考えられないわけじゃない」

 ショカもポートマンの発言には太鼓判を押していたが、彼女もまた今の状況は腑に落ちないようだ。

 ショカの発言に俺は小舟の後部に乗せている荷から湖水地方の地図を取り出した。ここに来るに先立って、地図屋から買ったものだ。船底に広げて人差し指で地図上の線をなぞる。

「ステラへの流入河川はルイーゼ川とクリスティーヌ川、それにマルタ川。流出河川はリラ川とリナ川の二本。……流入河川の上流には町村がいくつかあるっちゃあるけど、どれも小さいものばかりだぜ。湖の沿岸もデカい人里はない」

「でも、ヒトがいないところにトコイは生まれるはずがない」

「じゃあ、やっぱり調査隊の連中か?」

 ショカは考えるように唸って、最終的に首を横に振った。

「今、これ以上は止そう。幸い、さっきの蛇型トコイも大きさとしてはせいぜいD級くらいで、そんなに数も出ていないみたいだし急を要するほどのことでもない。それに、憶測でものを言ったところで、その言葉は憶測以上にはならない。実際にその出所を見てみないことにはどうにも結論は出ないだろう。今日はこの先のシャロルの村で宿を取る予定だし、そこで村人に事情を聴いてみれば良い」

「それもそうだな」

 これ以上の憶測は無駄だというのは俺も同意見だった。結局結論が出なかったあたり、言葉を浪費してしまった気もするが、それはさておき。

「あーあ、やっぱ言葉って色々難しいもんだ……」

「そういうものだよ」

 どこか達観した様子の魔法使いにあまり良い気がしなくて、浮かぶヒガンバナと湖面とをジャブジャブかき混ぜてみる。建築物のガラスと同じように日の光を反射する水面がまぶしく光る。それを目を眇めて覗き込んでみると、水はどこまでも澄んでいるはずなのに、どこまで続くのか底は見えない。建物の残骸らしき鉄骨やコンクリートの塊、あるいは建物そのものが沈んでいるのが辛うじて視認できる。その合間を縫うように大小様々な魚が泳ぎまわっている。

「水の中に大きな街がある……」

 俺の言葉にショカも、ああ、と応じながら水の中を覗き込んだ。

「ここはその昔、ルーナと呼ばれる都市国家だったからね。切れ者の君主のおかげで大層繁栄したそうだが、黎暦前の史上最悪のトコイ大量発生、《赤のブージャム》の時に壊滅し、繁栄の象徴たるビル群はこうして水に没してしまった」

「《赤のブージャム》……」

 俺も話くらいは聞いたことがあった。

 人類史上最悪の災厄。突如として世界中で大量に顕現したトコイは老若男女問わず目につくすべてのヒトを喰らったという。当時の魔法使いたちはコトダマでこれを迎撃、辛くも殲滅に成功した。しかし、ヒトはその数を9割減少、数々の都市や国家が壊滅したという。たった一夜のその凶事の後、ヒトの流した赤とトコイのヒガンバナの赤が世界に残された。

「確か、そのブージャム?の原因とか分かってないんだろ?」

「うん、詳しいところは誰にも分かっていない。けれど、トコイが生まれる要因が言葉であるならば、言葉を発する私たち人間がその原因に他ならない。それは火を見るより明らかだ」

 自業自得だ、とショカは柄にもなく言葉を吐き捨てるように発した。彼女の言葉を受け止められる人間は生憎この場には俺しかいなかった。上手く受け止められたか自信はないが、捨てられそうな言葉をどうにか拾って言う。

「やっぱ言葉は難しいんだな」

「うん、そうだ。でも、綺麗だよ」

 ショカの左目の包帯にヒガンバナの赤が水の光と共に映る。俺は静かに頷いた。



 ※



  旧都市中心部は殊更大きな建物がひしめくようだった。よく目を凝らせば、ビルを住処にしている小動物たちもいるようだ。平和、という言葉が頭に浮かんだ。ヒトがいなくて言葉がない。そうすると、ここまで平和で穏やかなのが不思議だった。

「このペースだと、村まであと2,3時間くらいだね」

「何でこの湖はこんなバカでかいんだろうな……」

 ビルの合間から見えるのはどこまでも続く水平線だ。

(ここまで来ると、まるで海だな)

 心中で思ってみるが、実は俺は生まれてから海は見たことがない。『ブックエンド』にある書棚を整理している時にパラパラめくった本の中で写真とちょっとだけ記述を読んだだけだ。

「都市国家が一つ沈んでいるわけだからね。それは大きいよ」

「にしたって、広すぎるだろ……」

 高い建築物ばかりではそろそろ気疲れしてきた。ずっと小舟の上ってのも効いてきている。思い切り体を動かしたい。あるいは、いっそひと眠りしてもいいかもしれない。さっきあれだけ漕いだんだし、それくらいしても罰は当たらないだろう。

「ショカ、俺ちょっと寝、」

「フォリオ、静かに」

 ショカが俺の言葉を遮った。さっきから飽きもせず眺めていた景色に今は鋭い目を向け、見回すようにその青い瞳が動く。

 どんな言葉は最後まで聞くべきだし、最後まで話すべきだ。これはショカが常々言っていることだが、それをこうして曲げてくるとは珍しいこともあったものだ。

 口をつぐんで俺も改めて辺りに目を凝らす。目に入るのは似たような建物と一面の水ばかりで、見た目が変わった様子はない。しかし、何だろう。どこかおかしい。ショカに疑問の視線を投げかけると、彼女は短くこう言った。

「来る」

「……!」

 穏やかだった空気が一気に緊迫する。静かさが凝縮され、俺は咄嗟に息を止める。そして、空気が一気に弾けた。


 ギャァアァァァアアァアアアアアギャァアァァアァァアアアアッ!!

 ギャギャッギャアアッギャヤギャギャアアアァアァァァギャギャ!!


 叫び声のような鳴き声があちこちで上がる。耳を裂くような騒音だ。バサバサと翼が空気をかき回す音も耳障りだ。黒い影たちは取り囲むように現れてこっちを悪意を持って睨む。

「何だ!?」

「鳥型のトコイだっ!!」

 ショカが鋭く叫んで、立ち上がった。

 そこら中に立つ建物から細かい黒い影が一斉に沸き立つ。一つ一つに目を凝らせば、それが鳥の形で、しかし、鳥で鳥でないことが見て取れた。黒い翼から羽が抜け落ち、鮮やかな黄色の嘴から紫の舌と黄ばんだ歯、やたら血色の良い歯茎らしきものが覗いている。一羽一羽の大きさは大したことはないが、数が多すぎる。トコイたちはまっすぐこちらに向かって飛んでくる。俺たちを、喰らう。ただ、それだけのために。

「トコイ!?何でこんなに!?何でいきなり!!?」

「分からない。一先ず、【湧け】」

 ショカが腕を上へと振る。トコイの進路をふさぐようにそこかしこに高々と水柱が上がった。鳥型トコイたちは相変わらず鳴きながら、首を上下に揺らして飛ぶ。何羽かが水柱にぶつかるが、すべてを防ぎきれたわけではない。水柱を縫って、尚も大量のトコイが近づいてくる。

 ショカは弾みをつけて小舟から飛び上がり、後方で傾いて沈んでいる廃墟ビルの大きな看板に、飛び移った。看板の文字は風化しているためか読むことはできない。舟が大きく揺れて、その縁につかまりながら俺は遠のく彼女を見上げた。

「ショカ!」

「大丈夫!先に行くんだ!」

 小舟はショカのコトダマで進み続けている。それどころか、少しスピードが増したような気さえする。目的地のシャロルまではまだ距離があるから、助けを呼びに行くのは現実的とは言えない。ショカはただただ俺を逃がそうとしている。

(くっそ、ふざけんなよ!バカショカ!こんなんで逃げたら、)

 こんなところで一人逃げたら男が廃る。ショカは強いから大丈夫とか、そういう問題じゃない。俺が単純にあんなにトコイがいる中でショカを一人にしておくのが我慢ならないのだ。

 コトダマで進み続ける小舟をどうにか止めようとオールの持ち手を伸ばして、建物から伸びているに蔓延る蔦に引っ掛けようとする。が、すぐにするりと抜けてしまう。しかも、その拍子にオールを取り落としてしまった。こうしている間にもショカの姿が離れていく。今度は灰色の石の柱から伸びる黒いロープをつかんだ。舟を足で引っ掛けて両手でロープを握る。掌が擦れて焼けるように痛い。舟を捨てることも頭に浮かんだが、それは無理な相談だった。そのうち、そのロープも手からするりと抜ける。

(何で俺は、)

 何で俺は、いつも、こんな、

 ショカの助けになれないんだ。

「ちくしょおお!!!頼むから、止まれよ!!止まってくれ!!」

「止まらなくて良いぞ、坊主!!進んで良し!!むしろ、進み続けろ!!」

 突然だった。大きな声が木霊して、上から何かが降って来た。厳密には、大きな男が舳先に着地した。舟を中心に波が起こる。危うく沈むところだ。

「はぁ!?」

「よっ!」

 赤いフード付きのローブを身にまとったその男は、街中で知り合いに会ったかのように、軽く左手を挙げてそう挨拶した。がっしりしてそうな体つきにその服装が絶望的に合っていない。が、不思議とその赤という色はしっくり来た。右手に男の身長ほどの大きな鉈、背中には何やら他にも色んな武器が乱雑に背負われている。腰や足にも何か吊るしてあるようだ。

「アンタ、誰だ!?」

「あれ?俺のことを知らないのか?」

 拍子抜けだなあ、と呟きながら男は呑気に頭を掻く。そして、歯茎を見せ、ニシシと声を出して笑った。

「まあ、知らんなら知らんでも構わん。今覚えりゃ良い話だ」

 赤いローブは翻り、男の赤いブーツが船底を踏みしめた。巨大な鉈が男の肩に担がれる。俺の目の前に左の拳を突き出して、男はこう宣った。

「俺の名は、ジャックウェル=フィラー。トコイ殲滅部隊首都本部、第二隊隊長だ。よろしく頼むぜ、『ブックエンド』の坊主」


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