12:Preconscious
――――黎暦37年9月 首都クレイドル 居住地区マリア 何でも屋『ブックエンド』
「ありがとうね、フォリオくん」
唐突に礼を言われて、俺は我に返った。緑のシルクハットの下で銀髪と派手なメイクの微笑が揺れる。
女王の殲滅部隊が遺跡で何をするつもりなのか調べてほしい。ショカがポートマンの依頼を引き受けて、少し世間話なんかもして。お茶とお菓子を堪能したポートマンを俺は庭先まで見送りに来ていた。
庭先には様々な草花の鉢植えがある。俺がお茶やお菓子用に育てているものもあれば、ショカが育てている名前の分からない、見た目が奇怪な植物もある。要するに統一感や季節感といったものが皆無の煩雑な庭だ。午後の日差しはそれらを隔てなく、平等に照らしている。その真ん中をレンガの道が突っ切っている。ショカは家の中にいて、ここにいるのは俺とポートマンだけだった。鈴虫の奏でる涼やかな音色が黄金色の日差しの中で響いている。
「……何だよ、急に殊勝になりやがって。気持ちわりい」
「レディにそゆこと言うもんじゃないわよぉ」
妙に整った顔がちょっと膨れる。けれど、すぐにその表情は笑みの中に真面目さを混ぜたものに切り替わった。
「でも、本当にこれだけはお礼を言っておかなきゃって思ったの。ささやかな言葉だけど、受け取っておいてちょうだいな」
ポートマンにお礼を言われるようなことなんて俺は何もしていない。強いて言うなら、今日はマカロンと紅茶をふるまったが、あれは依頼人に対するサービスのようなもんだし。
怪訝な顔をしてみせると、ポートマンは少し困ったように笑みを浮かべた。右手を頬に当てて、
「アタシ、アナタに会う前の彼女を少し知っているんだけど、酷いもんだったの。それがアンタが来てからは、あんなに笑顔になってね。ちょっと安心しちゃった。”ああ、ショカちゃんは、ちゃんと生きることができるようになったのね“って」
「何だよ、それってどういうことだよ?」
意味を測りかねて俺は尋ねた。そんなこと、初めて聞いた。
俺に会う前のショカ。正直、こうして言葉にされるまで意識したことはなかった。俺にとって今のショカがすべてだったから。
ポートマンは庭の柵についている木製の扉に手をかけた。ギィーと錆びた蝶番が動く。庭の緑の香りがどことなくいつもより濃いような気がした。
「そうね。ショカちゃんが生きているのは、アナタのおかげって言えば良いかしらね」
「な、いきなり何言ってんだ!訳分かんねえ!」
うわ、何かこっ恥ずかしい。不思議と顔が火照ってくる。ショカが生きているのが俺のおかげなんてそんな馬鹿な。
(むしろ……)
むしろ逆だ。俺はショカのおかげで生きている。あの雪深い村から彼女に救われて、俺は生かされた。今も生かされている。
「あら、照れちゃって可愛いわねえ。よっぽどショカちゃんのことが好きなのね」
「るっせーよ、アホ。そんなんじゃないっつの」
だから、
「まあ、とにかくね、フォリオくん。これからもあの子のこと……」
ああ、言われなくても、そんなことはとっくに。
「分かっているよ」
だから、ショカのためなら死んでも良いと、俺は魂の底から思っている。
※
――――黎暦37年10月 廃墟都市ステラ 第三遺跡群 ???
「――――フォリオさんっ!!!」
頭が重い。体も重い。加えて、少し寒い。空気が湿っている。水が流れる音がする。
固くて冷たい岩床に俺は横たわっていた。名前を呼んだのは、頭の傍でしゃがみ込んでいるジルだった。これまで鉄面皮しか見たことがなかったから、少し慌てた表情はレアかもしれない。彼女の持つ錫杖の先端は薄赤色の光を放っている。たぶん、これが唯一の光源なのだろう。照らされた周囲は床と同じく岩の壁になっていて、あまり高くない天井までそれは続いていた。
さっきまでのあれは夢だったらしい。それにしてもポートマンの夢なんて。正直、すすんで見たいものではない。
「……ジル」
「ああ、良かった。ご無事ですね」
ジルがほっと胸を撫で下ろす。
「確か俺たち……」
言葉を発することで意識が少しずつ覚醒してくる。今に至るまでのあれこれを俺は脳内で辿る。上半身を起こしてジルと視線を合わせた。
「ユーリの案内で、道を下っていて……」
「私たちは第8階層へ向かっている途中で、爆発に巻き込まれました。恐らく何らかの要因で遺跡発掘用に使用していた火薬に引火したのでしょう。視認できた範囲では階層二つ分くらい、かなりの範囲で崩れていました」
手短に説明するジルの表情はどこか釈然としない感じで、言葉も曖昧になっている。
ああ、そう言えば、何か焦げ臭さを感じたような気はする。そして、轟音も。それに巻き込まれ、足場は崩れ、俺たちは吹っ飛ばされた。世界がひっくり返って、
「私たちは谷底まで落ちたようです」
そう。落ちた、はずだ。
「……何で俺たちは無事なんだ?」
「これを使ったんです」
差し出されたのは、小さな金のリングでまとめられた紙の束だった。裏表に分厚めの赤い紙で表紙がついている。
「メモ帳?」
「トコイ殲滅部隊には兵装として、緊急用のメモ帳が配られています。中の紙にあらかじめ文字を書いておいて、いざというとき切り取って使用するんです」
パラパラとめくられた白い紙には細くて丸い字で何かたくさん書いてあった。
あらかじめ文字を何かに記しておくのは、”トコイを生みだしかねない危険な行為”として、一般的には禁止されている。あらかじめ文字を記すということは、記された時点ではその言葉の受け取り手がいないことになる。つまり、それは行く宛のない言葉になってしまうわけだ。
黎暦以前には存在した小説や新聞、雑誌、学術文献、歴史的な資料、その他あらゆる記述文字が、今では存在・作成・複製は許されていない。言葉による記録が許されていないと言えば分かりやすいだろうか。まあ、抜け道はあるにはあるのだが。
で、その抜け道の一つが今目の前に提示されているものだ。赤い表紙には、意味は分からないが謎の文だか印章だかが描かれている。星府機関や一部許可された者は、記述文字を運用できる。以前ショカに聞いた話じゃ、この描かれているものでトコイの発生を防いでいるのだと言う。具体的にどんなからくりかは知らない。
「落下時の空中制動と衝撃緩和。あと、この空間を確保するのにメモを計三枚使用しました。使いすぎてしまった感は否めませんが、そんなことを言っている場合ではないですから。仕方ありません」
ジルが続ける。
「今回は私だけではなく、貴方も守らねばなりませんでしたから」
落下しながらここまで状況判断をして、的確な対処までして、恐らく無様に気絶してしまったのであろう俺を助けて。こんな小さな女の子がよくやるというか。正直、真似できない。
「そっか。ありがとう……悪かったな」
「あ、いいえ、嫌味を言いたかったのではありません。失言でした」
こっちもそういう意味で言ったわけではないのだが。ジルは赤い目を少し伏せてしまった。編まれている赤髪が少し乱れている。どうしたんだろう。変に態度がしおらしい。
まあ、俺も大概変なのかもしれない。恐らく数kmに及ぶ落下を経験して、今は岩に囲まれて八方ふさがり。でも、そこまで焦っていない。むしろ、今はまだ生きているという安心感の方が優っていた。
「ユーリは?」
俺はあえて触れていなかったところを口にした。
「ユーリさんは……たぶんですが、ご無事です」
ジルはまた言葉を濁した。
「少なくとも私が足場から落ちたときには、横穴の奥へと逃げて行くところでした。そこが崩れていなければ」
「俺らと一緒には落ちてきていないんだな」
「ええ、恐らく」
なら、今最優先で考えるべきは……。
ここに留まるか。それとも、ここから動くか。しかし、その答えは、考えるまでもなく明確だ。
「ここで待っても、助けが来るかどうか微妙だよな」
「え、どうしてですか?」
「どれだけ落ちたか分からないが、まだ調査が終わっていない区域まで落ちたんなら俺たちの捜索はそう簡単にはいかないはずだ。下手したら、死んだと思われて捜索すらされないかもしれない」
「そんな……」
(ショカ……)
トコイの発生に、謎の爆発。上がどれくらいの被害状況だったのか分からない。しかし、ショカもジャックも、あのトンデモ魔法使い二人は、確実に、間違いなく、十中八九、無事なはずだ。そして、ショカもジャックも俺たちを見捨てるとは考えにくい。俺たちを救おうとする。
であるからこそ、このままだと捜索はされないのだ。
「なら、どうすれば良いのですか」
ショカたちに俺たちの居場所を知らせたい。どうにかして、
「え、ジル、お前……」
思考していたところに冷たい岩の壁に反響して聞こえてきたのは、すすり泣きだった。慌てて、そのすすり泣いている赤い塊のそばにしゃがみ込んだ。赤いローブの袖で顔を頑なに隠している。
「私、私……ジャックに、また……」
「お、おい、大丈夫か!?」
「大丈夫じゃありません!!貴方のせいです!」
「は?」
勢いよく上げられた顔がいきなり叫ぶ。真っ赤な目はさらに充血して大きく潤んでいる。ああ、もしかして、
「悪い。その、捜索が来ない云々はもしかしたらって話だし。それにな、俺たちの方から動けば、」
「そういうことを言いたいんじゃありません!魔法使いでもないのに。どうして。この、このぉ……」
錫杖にすがりついた体がしゃっくりで大きく揺れていた。涙目で睨みつけてくる割には罵りの言葉が続かない。まあ、罵られたいわけではないから別に構わないが。
周囲を見回すことで見えるのは岩だけ。実際は、俺たちがこの状況から脱するためのヒントもある。
「……聞いてくれ、ジル。少しだけど空気が流れているんだ。水も、ほら」
狭い空間の溝を僅かな水が一定方向に流れていた。風が吹いているということは、どこかに外に通ずる穴か隙間がある。
足元に転がっている小石を拾って、水が流れている方向の壁に向けて放る。
「……ってことは、だ」
小石が跳ね返って床を何度か打って、止まる。音の響きに耳を澄ます。
「俺たちで一先ず、外を目指すべきだ」
「外を、目指す……?」
「そうだ。ショカとジャックを信じて、俺たち自身も行動する。そのために、お前のコトダマが必要だ」
俺だけで落ちていたら死んでいたし、百歩譲って助かったとしても恐らくそこで詰んでいた。
“君自身は魔法使いではない。そんな中で自分の無力さを感じるはずだ”
“魔法使いでない者はどうしようもなく無力で、害悪にすらなりうる”
ああ、そうだな。確かに。俺は今何もできない。その上、足手まといだ。
“その気持ちを、どのように処理している?”
(るっせえな。細かいことは良いんだよ、今は)
「力を貸してくれ、ジル」
小さな赤い魔法使いは怪訝な顔をした後、泣いた後のかすれ声で、しっかり応えた。
「分かりました、フォリオさん」