11:Tactics side:Q
――――黎暦37年10月 首都クレイドル 中央地区 城塞『黄金の午後』 女王執務室
まず、その部屋の中央には真っ赤な丸テーブルが置かれていた。その脇には、肘掛けと背もたれがある黒い革張りの椅子が一つ。その上にしゃがみ込むように10代前半と思しき少女が座り込んで、テーブルの上を一心に見つめていた。いや、正確に言えば、そのテーブルの上にあるものを、なのであるがそれはさておき。
少女はその全身を赤と黒の衣服で覆っていた。赤い靴、赤と黒のストライプのストッキング、赤を基調としたドレスは黒いパニエで膨らみ、腰には黒いコルセット、その他黒いレースやリボンでしつこくなく上品に飾られている。少女自身はと言えば、少しウェーブがかった短い黒髪ボブカットの合間から、赤くて大きな瞳をキラキラと輝かせていた。そして何よりも特筆すべきは、少女の頭の上に小さな赤色の王冠が乗っていることだろう。こちらも黒い宝石があしらわれていて、少女の色白い肌とドレスによく似合っている。小さな手がテーブルの上にあるものに触れようとした。その時だった。
「陛下」
「女王さぁん!いらっしゃいます?」
声と共に執務室の扉がノックされる。少女はそこから手をぴくりと引っ込め、声のする方に顔を向けた。その表情は、あどけない少女らしく花が開くように明るくなる。
「来てくれたのね!」
椅子から飛び降りて、少女は扉まで駆けていく。勢いよく扉を開けると、そのままそこに立っていた人物を両手いっぱいに抱きしめた。少女は青年の腹に顔を埋める格好になる。
「女王陛下!?」
「お、女王さん、やりますね~」
「来てくれてとっても嬉しいわ、トゥイードル。入ってちょうだい。一緒にお茶にしましょうよ」
トゥイードルと呼ばれた一人の青年は縁のない眼鏡の奥で困惑した表情を浮かべ、女王である少女を見下ろした。トゥイードルと呼ばれたもう一人の青年はそれをニヤニヤ横から見ている。
「女王陛下、はしたないですよ……」
女王を窘める口調はやや厳しいが、青年の眼鏡の奥から覗く目はどことなく優しく、慈しみさえ帯びているようにも見える。女王に抱き着かれたトゥイードルは白い手袋をした手で女王の肩をやんわりと押して、体を離した。少女は二人を見上げ、頬を膨らませた。
二人の青年は、片方の青年がかける眼鏡以外、頭の上からつま先まで瓜二つの格好をしていた。眼鏡のトゥイードルはその場でかしずく。仕立ての良い白の軍服にはところどころ女王陛下の臣下としての意匠が金や銀で慎ましく飾られていた。彼はそれを一分の隙もなく着こなしている。
「いいえ、私、トゥイードルは女王陛下に忠誠を誓った臣下でございますゆえ。ご一緒にお茶など、」
「そんなことはどうでも良いわ。私たちはお友だちなのだから。ね!」
「そうですよねえ。まったくトゥイードルは頭が固くて困りますよ」
「余計なお世話だ、トゥイードル。お前という奴は不真面目すぎなんだ……」
「え~もしかして、おこなの?ねえ、おこなの?」
「待って、トゥイードル!“おこ”ってなあに?面白そう!」
「“おこ”とは、怒っていることを可愛く表す言葉です。城下でも流行っている今一番イケてる言葉らしいですよ~」
「貴様、陛下に何て言葉を教えているんだ!」
「あっれ。やっぱお前、おこじゃん」
「どうしてトゥイードルはおこなのかしら?……まあ、本当だわ!とっても可愛い!気に入ったわ!」
「でしょう?是非怒っている方の前で使ってみてくださいませ、女王さん」
「すっごく怒り狂っているバンダ―スナッチにはきっと最適の言葉に違いないわ!きっと正気を失うわよ!」
「はは、女王さんの言うことは相変わらず面白いですねえ。バンダ―スナッチって、それ、また新しいお話でもお作りになったので?」
少女とトゥイードル、怒りを煽るだけ煽って笑い合う二人を見て、眼鏡のトゥイードルは自分の中の何かが切れる音を聞いた気がした。
「恐れながら、女王陛下!!!!」
眼鏡のトゥイードルは大きな声を上げた。その直後、己の女王に対する愚行を恥じる。怒りこそしたが、眼鏡のトゥイードルはやはり真面目な青年なのだ。
「まあ、大きな声ね、トゥイードル。まるでジャブジャブに喰われた後みたい」
「……失礼いたしました」
「いいえ、貴方はそれだけ気を悪くしたのね。本当にごめんなさい、トゥイードル」
「謝らないでください、陛下。私は貴女の忠臣。貴女に仕えられるならそれが一番の光栄なのです」
「俺もごめんな~トゥイードル。ついでに許してちょ」
「お前は後で説教だ」
「うへえ、マジかよ~」
二人のトゥイードルのやり取りを少女はくすくすと幸せそうに笑いながら、眺めていたのだった。金色の美しい日差しが差す午後のことだった。
※
「……改めまして、女王陛下。報告がございます」
結局、女王執務室に招かれた二人のトゥイードルはお茶菓子と美味しい紅茶をいただくことになった。
より正確に言えば、客人用の赤い革張りの椅子に座った眼鏡でない方のトゥイードルと、さっきまで座っていた椅子の上に戻った女王が、ものすごい速さで上品に、山積みのスコーン、それらにつけるジャムやホイップや温かく溶けたチョコ、そして大きなポットに満杯のローズヒップティーを消化していた……というのが正しい。眼鏡のトゥイードルは何も食べず二人のちょうど間に立って、しばらく二人を代わる代わる見ていたが、最終的にはテーブルの中央を陣取っているあるものを見ることにしたのだった。
トゥイードルが来る前に少女が触ろうとしていたもの。それはチェス盤とチェスの駒だった。ナイト、ルーク、ビショップ、キング、クイーン。そして、ポーン。女王の服やこの執務室の色合いと同じように赤と黒のチェックになっているチェス盤。その上に、同じように赤と黒の駒。盤上の駒は、逆さに置かれたり、行けるはずもない場所に置かれたり、他の駒の上に乗っていたり、倒れていたりと散々なことになっている。
どこに目を転じても、ため息を吐かざるを得ない。小さく息を吐いて、眼鏡のトゥイードルは報告を始めた。
「遺跡調査の件ですが、先程、調査隊から臨時連絡が入りました。つい先ごろ、調査隊のいる第三遺跡群をC級蝙蝠型トコイが多数急襲、ジャックウェル=フィラー率いるトコイ殲滅部隊首都本部第二隊が迎撃、これを排除いたしました。この一件での調査隊に被害者はいませんが、調査機材の一部が破損したとのことです」
「まあ、怖いわ。けれど、死んでしまった人はいなかったのね。良かったわ」
少女はほっと胸を撫で下ろした。口の端にチョコレートがくっ付いている。
「それが……一概に一件落着ではないようなのです」
「え~何で?」
トゥイードルの口にはイチゴジャムとスコーンのカスがついている。発言も相まってすごく間抜けな顔に見える。少女の泣きそうな表情とは対照的だ。
「どうしてなの、トゥイードル?何か他に悲しいことがあったというの?」
「トコイ急襲中、原因不明の爆発があり、遺跡の一部階層が大幅に崩落。重傷者は確認されておりませんが、軽傷者が調査隊、殲滅部隊23名出ています。他の被害詳細や爆発原因が発覚した場合は追って連絡をするそうです」
カチャン……
ティーカップを置こうとした小さな手がショックで少し滑る。顔が憂いに伏せられた。
「心中お察しいたします。しかし、それ以上に奇怪なのは、」
「何だよ~トゥイードル。もったいぶるなんて趣味悪いよ~」
眼鏡の奥からの視線で、調子の良いトゥイードルを黙らせる。
「奇怪なのは、第三遺跡群に、何でも屋『ブックエンド』がいあわせていたそうで、」
「まあ、『ブックエンド』が!」
少女はパッと顔を上げる。涙で少し潤んでいた赤い目がルビーのように輝いている。
「本当なの!?」
「……はい。今回、ジャックウェル隊長の判断で現場入りしていたようです」
「ああ、なるほど。そうだったの、彼らが……」
少女はそう嬉しそうに頷きながら、テーブルの上に身を乗り出した。チェス盤の上で転がっていた赤のルーク、ナイト、ポーンを一つずつ、その場に立て直す。
「彼らがいるなら、心強いわね」
「そう、でしょうか……」
眼鏡のトゥイードルは疑念をその表情に滲ませる。自らの女王に対する疑念ではない。あくまで、何でも屋に対する疑念だ。
「そもそも今回は奇怪なことが起きすぎていると思うのです。特に、度々発生するトコイの急襲……ただの自然顕現とは思えない。何者かが糸を引いているのではないでしょうか」
「トゥイードル、貴方は、ヒトの手でトコイを生み出すことができるって考えているの?」
少女は囁くように青年に問うた。まっすぐな瞳に射られた青年は怯み、チェス盤にまた視線を転じる。
できると、少なくともトゥイードルは考えていた。むしろヒトであるからこそ、トコイは生み出せる。ヒトが言葉を話すなら、トコイを生み出すのもまた、ヒトなのだ。言葉にするでもなく、それは確定的に明らかで。しかし、
「バッカだなあ、トゥイードル。しっかりしろよ」
赤い椅子にふんぞり返ったトゥイードルがへらへら笑いながら言葉を発した。
「女王さんの言いたいことはそういうことじゃないだろ~。ヒトは人為的に、意図して、それができるかって話じゃん?そうですよね~女王さーん!」
人為的に、意図的に、トコイを生みだすだって。眼鏡のトゥイードルは恐ろしく感じた。そんなこと……それこそ馬鹿な話だ。自然顕現するだけでも厄介な存在なのに、いるだけで害でしかないのに、それをヒトが自らの意志で生み出すなんて。女王の瞳が弧を描く。綺麗だ。女王らしい、綺麗すぎる笑みだ。
「そうよ。それができたらちょっと面白いことになるかもしれないって思わない!?お茶会みたいに!カップもポットもたくさんあるの!楽しみね!!お鍋を頭に被らなくっちゃ!」
女王は楽しんでいる。この状況を。
自分は女王に仕える身で、女王の言うことには絶対服従を誓っていて、でも、やはり、たまにこうして彼女は恐ろしい。
「はは、やっぱお前、あったま固いわ、トゥイードル」
「そんなに心配しないで。条件は揃っているわ。穴に落ちた先が暗闇とは限らないのだから」
ならば、今回の穴、落ちた先には何がある。
左右から聞こえる少女と青年の笑い声に、眼鏡のトゥイードルは頭を抱えた。チェス盤の上、そのど真ん中にさっきとは別の赤のポーンと赤のビショップが並び、そばには黒のキングが倒れているのが目に入る。そんな悩める青年に少女はひっそりと耳打ちをする。
「大丈夫。私たち、チェックをかけているのだから」