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9:History

 ――――黎暦37年10月 湖水地方 第三遺跡群 東側第1階層~同第7階層



(やっぱ、たっけえ……)

 俺たちは峡谷を岩壁沿いに下り始めた。調査隊が急場で作ったらしい足場はあるにはあるが、数㎝という幅で心もとない。場所によってこの簡易な足場さえもないところを行かなければならない。

「すみません。本当だったら作業用リフトとか使っていただくんすけど、ちょっと調子が悪いので……」

「いやいや、何の問題もない!気にするな!!」

 調査隊やトコイ殲滅部隊の面々ならそれでも十分なのだろうが、こっちは素人である。高所恐怖症というわけではないが、鋭く吹き抜ける冷たい風には冷や冷やする。俺はしっかりと目の前の綱を握りしめた。一応全員、作業用ハーネスを装備して、頭にはヘッドライト付きのヘルメットも被っている。

「ハーネス付けてるとは言っても、何が起こるか分からないっす。落ちないよう慎重に行くっすよ……。できるだけゆっくり行くんで、皆さん焦らずに」

 ユーリを先頭にジャック、ジル、俺、ショカの順に一列で足場を進む。ユーリはまだ顔を引きつらせているようだったが、それでも俺たちの様子を見ながらスムーズに先導していくあたり、やはりこの人も調査隊の人間らしい。

 ジャックとジルはかさばるのにも関わらず、変わらず武器と錫杖を背負っていた。ジルはともかくジャックの大量の武装が揺れるたびにハラハラする。

「そんな全部使わないだろ……。いくつか置いてくりゃ良かったのに」

「何言ってんだ!男なら、武器をケチるな!こいつらは俺たちの力を補正してくれる優れもんなんだぞ!いざというときにゃ、絶対に役に立つ!」

「はあ、さいですか……」

 そんなこと、そうそうあってはたまらない。そういうことがあったとしても、できれば武力行使はせず、何事も穏便な話し合いで解決できればどんなに良いか。トコイと言葉を交すことができれば、どれだけ平和な世界ができるんだろうか。そんなことはまずありえないと分かってはいるが。

 壁面には、ここがルーナと呼ばれていた頃の住居や採掘跡らしい横穴が見える。横穴や壁面で作業中らしい機械音や、案の定調査でイラついているらしい調査隊員の怒号が鳴り響いた。

(トコイの発生ってもしかしてこれが原因なんじゃねえの……?)

 一瞬そんなことも思ったが、その可能性が低いことにすぐ気づいた。ジャックの話によると、殲滅部隊の面々が交代で調査隊の言動を監視しているらしいし、そもそも、聞こえる怒号は隊員から別の隊員に対してのもので、言葉の内容は別にして、一応その言葉に行く宛はあるし、受け取り手もいる。これらの怒号はトコイになる要素がない。そもそも、俺でも簡単に思いつくような原因なら、とっくに殲滅部隊が原因を明らかにしているはず。そうなるとますます、トコイの発生の謎が深まるばかりだ。

「ここらは全長300kmほどの構造谷なんすけど、ここまで深くなったのはここを流れている河川や風雨の浸食が原因なんす。あと、《赤のブージャム》のときにもトコイのせいで地殻変動が起こったでしょ?それも深さの一因になっているんすよね。このまま下流に行くといくつかの支流に分かれていて、そのうちのルイーゼ川はあの湖に流入しているっす。俺らが調査している第三遺跡群は、ここからルイーゼ川までと、湖の北部の一部エリアになるっす。つまりは、ステラ……旧ルーナの真北あたりっすね」

 全長300kmの峡谷。途方もない数字に聞こえるが、第三遺跡群はそのほんの一部らしい。思わず生唾を飲んだ。

「ふ、深さはどれくらい……?」

「大体浅いところは2kmくらいっす。けど、深いところはもっと深いっすよ。一応、俺らは深さを測りつつ、上からある程度階層で分けていて……今俺らがいるのは第5階層中間くらいっすね」

 2kmが浅いという時点で、もう自分の想像の範疇を超えている。とりあえず落ちたら確実にヤバいということは嫌でも分かる。情けないが、心臓が縮みそうだ。あまり下を見ない方が良いかもしれない。今が第5階層なら、一番底は第何階層になるのやら……。

「ところで、何でも屋のお二方は、何故この地はステラと呼ばれるようになったか、歴史的なところはご存知で?」

 俺とショカは首を横に振った。ユーリは何でこんなに軽々と足場から足場へ移動できるのか。歴史云々よりそのコツの方を教えてほしかったが、それを尋ねる余裕さえも今はあるとは言えない。移動に集中しつつ、ユーリの話を聞くことにする。

「黎暦以前、この地はルーナと呼ばれる一つの国でした。ルーナは、この地の古い言語、ルーナ語で“月”を意味するっす。当時のルーナの国の栄華を誇示する言葉でもあったんすよ。けど、」

 しかし、その永遠に続くと思われていた栄華は突如として崩壊する。その原因が、

「《赤のブージャム》だった、というわけですね」

「その通りっす。流石、ショカさん」

 後ろからの声にちらと振り向くと、ショカがちょうど足場を蹴ったところだった。ヒールのある靴でかなり器用に岩と岩の間を飛び移っている。さっきまで眠くて呻いていた人間とは思えない。

「《赤のブージャム》の影響で、世界人口が激減、これはルーナも例外ではなかったんす。《ブージャム》そのものもそうでしたけど、それによって起きたクーデターやテロ行為が原因で、ルーナは国として維持できなくなり崩壊したっすよ」

 《赤のブージャム》が原因で多くの国が滅びた。そう一口に言っても、その意味するところは違うということか。ルーナという国を滅ぼしたのは、トコイではなくヒトだった。

「《ブージャム》後、当時の女王は滅びた国々を再編して今の一つの大国を作りました。そして、ルーナの人々はその砕けるようにして崩れてバラバラになった自分たちのルーナを見て、この地をステラ……ルーナ語で“砕けた星”を意味する言葉で呼び表したのです」

「ユーリさんはルーナの歴史に詳しいのですね。それに言語も」

 ふと、ショカがそんなことを言った。

「そ、そんなことは……!一応、自分は調査隊に志願した身ですし、ルーナ語もルーナの歴史も逆に知っていないとメリッサ女史に殺されるっすからでして……」

 実際どんな人物なのかはさておいて、俺の頭の中でメリッサ女史とやらの人物像が恐ろしい方向にどんどん広がっていく。

「では、一つお尋ねしたいのですが、ルーナがそれほど栄華を誇った理由は一体何だったのでしょうか」

 確か以前地図で見た限りだと、旧ルーナの領土は、現在の区分で言う湖水地方の約9割を占めていた。比較的、大きな国だったんだろうが、そこまでに至った理由は何なんだろう。確かに興味がある。みしみしと鳴る足場にビビりながらも俺は黙って耳を傾ける。

「そ、それは様々な説があるっす。けど、その一つと目されているものは、たぶんこれから見えてくるっすよ」

 もうどれだけ下っただろうか。下に行くほど、足場は狭まる。しかし、その分崖の建築物も多さを増していった。建築物の真上を通る足場からその屋根を覗くと、尖ったような模様が彫られている。それらはシェリルの村で見たものにも似ている。この地域に伝わる伝統的な模様か何かなのだろうか。

 採掘機器の駆動音が鳴り響き、蒸気を吹き上げている。湿気と黒煙、それと煤の匂いがすごい。

 ユーリがヘッドライトを点けた。光が点り、調子が悪いのか一度消え、また点る。

「ユーリさん、どうかしましたか?」

「ああ、えっと、」

 ショカの声にユーリが足を止めて振り向いた。こっちに強い光が当たって、ひたすら眩しい。ユーリの表情は陰になって見えていない。

「ちょ、ちょっとライトの調子を確認してたっすよ。こ、この先ちょっと危ないっすからね……」

(これ以上危ないって何なんだ……)

 今でさえ、もう十分危ないのに。思わず俺は空を仰ぎ見た。それなりに距離を潜って来たので、空が狭く遠く感じる。太陽は見えないが、それなりに明るくはなってきて……

(あれ……?)

 視線の先の上空で、何かが閃いた。ような気がした。

 見間違いか。そう思って目を凝らした次の瞬間だった。

「……!?みんな、上だ!!」

 俺は叫んだ。

 閃きが瞬時に数を増して、黒い霧のようになって上空から急降下してくる。この峡谷に向かって。

(あれは、昨日の……!?)

「全員、頭を下げろ!【空気はあああああ爆発だああああ!!!】」

 一番初めに反応したのはジャックだった。

 頭上を空気の圧が通り過ぎる。指示通り頭を伏せ、メットの隙間から覗いた先で、黒い塊でやってきたトコイたちが悲鳴を上げて数百羽爆散する。頭を下げろと言った当人、ジャックは、腰から多節棍を振り抜いていた。俺は声を上げる。

「トコイだ!!昨日のとは……違う!?」

「恐らくすべてC級蝙蝠型です。数は……確認不能!」

「おう、大量、大量。どこの誰の言葉が迷っているんだか知らんが、やりがいがあるってもんだ」

 ジルの焦りをジャックが宥めるように笑う。急激に降下したトコイは途中ばらけて反転し、バラバラに散って言葉のあるところ、つまり人間がいる場所を襲う。あちこちの穴でも爆破音がした。よく見ると、ジャックとジルと同じ殲滅部隊の赤ローブを着ている人影が、各所でトコイを迎撃している。

「呑気なこと言っている場合ではありません、ジャック。昨日の湖上のときよりも数が多いです。速やかに迎撃します」

 ジルも背中から錫杖を抜いた。狭い足場で少し不安定ながらもそれを腰だめで構える。俺も申し訳程度にナイフを抜いた。もちろん、ナイフ一本でこの状況をどうにかできるわけでもないのは分かっている。

「いや、待て待て。ジルは待機だ。ユーリとフォリオを守れ」

「な……!」

「ショカ」

 せり出した岩のせいで太陽の光は当たらないはずなのに、こちらを向いたジャックの瞳は獰猛にギラついている。その口元は不敵に笑っていた。ジャックはそれ以上言葉を紡がなかったが、その短い呼びかけに背後からすぐ答えが返る。

「無論、構いません。ご一緒します。ジルウェットさん、ここはよろしくお願いしますね」

「うちの娘っ子を頼むぜ、フォリオ!」

 ナイフを握り直し、俺は頷いた。背後から【切れ】と短い声がして、ショカとジャックのハーネスがはらりと落ちる。二人は壁面を蹴って飛び出していった。

「うわああ、ちょちょ、ちょっと危ないっす!待つっすよ!」

「ジャック!ジャック=フィラー!勝手にそんな……」

 信じられない跳躍力とコトダマで、大人二人はでこぼこの岩壁を蹴り上げ、トコイが一番密集している場所へ向かっていく。ジルとユーリの叫び声に対しては軽く手を振って応えるだけだった。

(あの人ら、化けもんだなあ……)

 俺はと言えば、そんなことを呑気にも思っていた。彼らの真似はとてもできそうにない。まあ、真似しようとも思わないのだが。



 ※



 峡谷が底から揺れる。トコイが近くを飛び過ぎて、金切り声が耳を突く。


 ママァ……マ…マ……

 コナ、イ……デ

 イヤィヤ……


(耳、いてえ……)

 耳どころか頭も痛い。痛いというか、沁みるというか……。

「……あ、あ、あのぉ、やばくないすか。流石にここは待機するには危険すぎるっすよ。もっと安定したところまで行った方が良いっすって」

「進むって、ことか?」

 そうっす、とユーリが震え声で言った。同じく震える手で腰のポーチから地図を取り出した。

「今この第7階層まで、降りてきているんす。この道まっすぐ500mほど先に第8階層のトロッコ中継地点があるっす。そこなら足場が安定してるから、万一トコイが来ても何か対処できるんじゃないかなあ……と思うんすけど」

 周囲で巨大な岩が落ちる。見回すとところどころで、道が崩れ始めていた。確かにここにずっといては危ない。進んだ先が安全とも限らないが、留まるよりはマシだろう。

「ダメです。ジャックはここで待機だと言いました」

 鋭く声が上がる。ハッとすぐ隣を見ると、ジルが至って真面目な顔でそんなことを言っていた。

「……何だって?」

 何を言っているのか分からなかった。頭が痛いから判断がついていないだけなのかもしれない。この危機的状況で自分の判断力が鈍っているだけなのかもしれない。そう思ったが、

「今言った言葉の通りです。ジャックウェルの命令です。我々はここに留まるべきです」

「はあ?」

 頭が痛い。トコイのせいなのか、目の前でわけ分からんことを言い始めた役人のせいなのか。メットを押さえながら見やると、ジルが顔をサッと赤くして、怒りの表情で喚き立てた。

「私たちはまだ半人前です。対して、ジャックは魔法使いで、私たちより大人で、上官で、私たちよっぽど知恵があります。彼が判断したことに疑いの余地なく、私たちは従うべきなのです!」

「……バカ言うな。ここにいたら下手したら死ぬんだぜ」

 そうだ。このままだと死ぬ。瓦礫や機材に潰されるか、トコイに喰われるか。あるいは谷底まで落ちるか。それは分からない。

 死を言葉にして、俺はそれを否応もなく痛感した。変な汗が出てくる。しょうもない話だ。だが笑う余力もない。俺は心底恐怖を感じた。この場では何の役にも立たないナイフを俺は、どうにかこうにか腰のホルスターに戻した。

「命令なんか糞くらえだ!んなことより、俺は命が惜しいわ!!」

 心の底から俺は叫び、ジルは怯むように唇を結んだ。情けないとか臆病だとか、そんなことを、そんなアホなことを言ってはいられない。

「では、貴方は私に命令に背けと言うのですか!」

「そうだよ!そう言ってんだ!お前、本当はバカなんだな!」

「バ……!?さっきから貴方、なんて言葉遣いをするんですか!それでも魔法使いの助手なのですか!?」

 俺たちの言い合いをハラハラした様子でユーリが見ている。言い合いと言えば、確かにそれっぽいが、

「言葉なんか選んでられっか!俺はアンタほど死にたがりじゃないんだよ!」

 正確には、たぶん俺が一方的に喚いているだけである。

「でも、ジャックは、」

「うるせえな!!アンタも来るんだ!まだ、生きたいなら、動け!」

 乱暴につかんだ小さな手は一瞬だけ引く動作を見せた。それを拒否して、俺はさらに強い力でその手を握る。最悪だ。こっちは手汗も酷ければ、震えも酷い。頭は割れそうで今にも吐いてしまいそうだ。さっきまでのユーリよりも余程今の俺の方が酷い。

 でも、死にたくなかった。みっともなくてもいい。俺はこんなところで死ぬわけにはいかない。


ド…ゥシ、テ


(それは、)

「……ユーリさん、」

 その間たぶん数秒、俺は俯きながらジルの声を聞いた。

「あ、はい。な、何すか!!」

「案内、頼んでもよろしいでしょうか?」

「……もちろん了解っす!!こっちっす!早く!!」

 ユーリが道を示す。吐き気をぐっとこらえて、俺は小さな手を握り直した。ジルも応えるように指に力を込めてくる。俺たちは生きるために、いつ崩れるとも知れない道を歩き始めた。


2016/02/07 内容微修正。

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