8: Canyon
――――黎暦37年10月 湖水地方 シェリルの村はずれ~第三遺跡群
昨晩、バルドアは俺たちに村役場の宿泊スペースを使うようにと言ってくれたが、ショカはそれを固辞し、結局俺たちは村はずれのトコイ殲滅部隊の拠点で一晩を過ごした。拠点といっても広い空き地にテントを複数個張っただけの簡素なものだ。それでも、疲れ切って美味い肉料理をたらふく食べた後となれば、その簡素なテントでも貸してもらった寝袋でも一瞬にして深い眠りにつくことができたのは言うまでもない。
一晩明けてまだ日も昇らない早朝、冷えた空気が停滞する拠点で俺たちは湖へと向かう準備をしていた。息を吐くと僅かに白い。つい最近まで夏だったとは信じられない。ディズタールの話によるとクレイドルと比べると夏の熱さ・冬の冷え込みが厳しいらしいから、そのせいなのかもしれない。
殲滅部隊員たちが荷物を背負ってテントから続々と出てきている。湖の外れに殲滅部隊の飛空艇が停泊しているらしい。今日はそれに乗って、遺跡調査現場へと向かうのだ。ジャックの許可で俺たちも便乗できることになっている。ジャックとジルは先行しているのかテント群の中に姿は見えない。人が集まったところで俺たちは拠点を出発した。
湖岸から湖上にかけては朝靄に包まれて、しんと静まり返っている。辺りを見回していると、桟橋の上のおじいさんが昨日と変わらぬ体勢で釣り針を垂らしていた。もしかしたら、昨日会った時からここを動いていないのかもしれない。そんな馬鹿なことを考える。それはそれで、なかなかのホラーだ。ショカは軽くおじいさんと言葉を交わしていた。挨拶でもしたのだろうか。
まだ暗い湖沿いをしばらく西に歩いていくと、いくつかの大きな照明に照らされる中に殲滅部隊の中型飛空艇が鎮座していた。もうすでに大小あるプロペラが回転し始めていて、周囲には激しく風が吹いている。これに乗るメンバーは殲滅部隊数十人、そして俺とショカ。向かう場所は、現在調査隊がいる第三遺跡群だ。
飛空艇の傍では風に煽られながら部隊員と何やら打ち合わせをしているらしいジルいた。昨日彼女が殲滅部隊と星府について言っていたことを思い出した。
“星府の力を持ってすれば必ず……”
言わんとするところは少し考えてみれば大体分かる。要するに、星府に任せて部外者は口を出すな、だ。どんな言葉にも裏がある。どんな言葉にも向けられていない部分がある。
“だからこそ、どんな言葉にも意味がある。それを忘れてはいけないよ、フォリオ”
こっちはショカの言だ。意味のない言葉は、どこにもない。
そのショカがどうしているかと言えば、彼女は朝に弱い体質で、さっきのおじいさんとの会話の時もそうだったが艇に乗り込んだ今も、こっそりあくびをしたり目を擦ったりしている。俺はそんなショカと並んで飛空挺デッキの柵に寄り掛かった。濃い朝靄の向こうに、昨日トコイと戦った廃墟がうっすら見える。飛空艇の駆動音が大きくなり、床が揺れ、軋んだ。
そして、焦れるほどゆっくりと中空に浮かび上がる。
「いざ行くぞ!!第三遺跡群へ!!!」
艇のどこかからジャックが轟くような声で叫ぶのが聞こえた。
闇空に僅かに橙色が差し、真っ暗だったそこに、光の亀裂が走る。息を詰めて見つめていれば、廃墟の向うに非常に薄くだが自然保護地区のマングローブ地帯の緑も視界に入る。夜明けだ。朝が夜を塗り替えていく。
「うう、日差しが眩しい……。目が痛いよ、フォリオ」
「……そうかよ、バカショカ」
全く。何もかも台無しである。
呻く魔法使いの頭を俺は軽く叩いてやった。
※
第三遺跡群。今回調査対象となっている地帯の総称だ。その実態は複雑に入り組んだ巨大峡谷で、その地形や原因不明のトコイ発生もあって危険度も高く、調査は比較的難航していた。出土した建築物や物品、地層から、この場所には黎暦以前のまだ蒸気機関もない時代、大きな炭鉱街があったのではないかとされている。というのが、昨日バルドアから受けた説明だ。
飛空艇で俺たちは峡谷の上へと降りた。地面は赤っぽい土になっている。峡谷は曲がりくねりながら続いており、その先は途中で山陰になっていて全長は分からない。谷を挟んで向かい側までは、簡単な作りの釣り橋がところどころに架かっている。たぶん、調査隊が作業用に組んだものだろう。向こう岸まではかなり距離があるようだ。
下を覗き込むと谷の両サイドが壁のように切り立っていて、赤っぽいでこぼこの岩壁のところどころに木でできた足場や、よく分からない機材、あるいは遺跡群の一部らしき建物がミニチュアのようにくっついたり、壁にめり込んだりしている。さらにそのミニチュアの傍にはさらに小さい人影が見える。太陽はある程度昇り、峡谷の中を照らせるまでになっていたが、それでも尚峡谷は深く、底までは見通せない。まさに断崖絶壁。そこから吹いてくる風に俺は身震いしつつ、視線をそこから逸らした。
「フィラー隊長、ご足労痛み入ります!」
俺たちが飛空艇から降りる否や、待ってましたと言わんばかりに張り切った声が響いた。声の主らしい小さな男が駆けてくる。……まあ、残念ながら、身長は俺よりはデカい。年齢はたぶん、俺より少し年上くらいだろう。ベージュのつなぎを身に着けて、鼻先が黒い煤のようなもので汚れている茶髪天然パーマの男だ。
「自分は遺跡調査隊所属のユーリ=ガードナーっす!ディズタール知事からお話は伺っています!本日は、調査主任のメリッサ=ジョイス女史から遺跡群案内をするよう仰せつかっているっす!」
(すげえ気合い入ってんなあ……)
ユーリはかなり力んだ敬礼をしてみせた。少し腕も振るえている。今のショカのテンションと足して2で割ったら結構ちょうど良いかもしれない。と思いながらショカを見れば、案の定まだ三白眼だった。一応、伸びをしてみたり自分の腕や脚を揉んだりして覚醒は図っているらしい。
「おう、朝からご苦労、ユーリ!」
ジャックもユーリに対して、しっかりとした敬礼で応える。
「メリッサは元気か?」
「は、はい!毎日作業が忙しすぎて、調査隊員を殺しかねないキレッキレの眼光をしてらっしゃいます!!加えて、トコイの発生もあり……」
それは、元気ってことで良いのか……。
ユーリは途中まで言って、あっと口を押えた。そっとその目が揺らいでジャックの表情を伺う。相変わらずジャックの傍らに控えているジルは、ユーリの発言を聞いてあからさまに渋い顔をしていた。ジャックはジャックで、ショカさえも目を覚ますような笑い声をあげると、
「おうおう、構わん。言いたいことは最後まで言っておけ、ユーリ。言葉は濁すのが一番よくないからな!」
「は、はい……。トコイの発生もあり、調査が難航しているので女史だけでなく他の調査員もキレッキレな状態っす、はい」
尚更、元気なのか何なのかよく分からない。けれど、かなりストレスは溜まっているようだ。
ユーリが気を取り直すようにつなぎのポケットからメモ帳を取り出した。つなぎやユーリ自身と同じく黒い煤のようなもので汚れている。
「えーっと、本日は旧北ルーナ、南α地区の方のご案内を差し上げたいのですが、いかがっすかね!?」
「確か川から湖の北側くらいまでか。OKだ。こっちは今日客人を二人連れているから、より良い案内を期待するぞ、ユーリ」
「何でも屋のお二人についても知事からお聞きしているっすよ。うっす!お任せくださいっす!!」
「俺らの方こそよろしくお願いします」
返答しながら、俺はユーリを見つめた。やっぱりユーリの顔と敬礼は、力の入りすぎで引きつっていた。