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【episode 1 - History of summer eggs. 】


胸を焼く夏の香り。

焦燥とした熱気。

明るい天気雨。

濡れた髪の彼女。

そして、彼女が胸に抱えた()()──。


──あの日、私は、犬の耳をした女の子と出会った。




【episode 1 - History of summer eggs. 】




「──じん」


 遠くから声が聞こえる。


「──じん。ご──じん」


 甘い香りのする、懐かしい声。


「うぅ……。ご主人、起きてください。もう朝ですよお」

「……んぁ」


 ゆっさゆっさと身体を揺すられて目が覚める。

 すると、薄手の毛布を掛けた私の上に跨って《《犬のような耳と尻尾》》をパタパタさせる、一人の若い女性の姿があった。


「……おはよう、夏香なつか


 少し懐かしい夢を見ていたせいだろうか。

 一瞬だけ記憶の混濁を自覚しながら、私は彼女の頭を撫でた。


「おはようございまふふ~♪」


 季節は真夏。朝だというのにもう家の外からは蝉の声が響いており、部屋全体がじわっと暑苦しい清々しさに包まれている。

 そんな部屋のベッドの上にあって、私に撫でられ、心地良さそうにわふわふ言っているこの犬耳少女『夏香』は──




──私の ”飼い犬” である。




 私よりもだいぶ規則正しい腹時計──もとい体内時計と生活サイクルを持っている夏香は、いつも決まった時間に目覚め、隣で寝ている私を起こしてくれる。朝に弱い私としてはとてもありがたいのだが、寝起きに人の体重を感じるのは少しキツい。


「……夏香。とりあえず降りてくれるか。重い」

「重い!? 重いですか私! ご主人のベッドは暖かいので降りたくないです!」

「降りないと朝ご飯作れないぞ」

「ハイ! 降ります!」


 今日の夏香はいつもよりテンション高めのようだが、自分の腹の虫に正直な彼女は、基本的に“食事”を人質にすればとても素直に言うことを聞いてくれる。


 ベッドから無事に脱出した私は、夏香とともに寝室を出て、浴室と繋がる脱衣所に設置された洗面台で髭を剃ったり顔を洗ったり──ごく一般的な意味での身だしなみを整える。そして再び寝室に戻って寝間着を脱ぎ、クローゼットから出したジーンズとワイシャツに着替え、ダイニングを兼ねたリビングルームへと足を向ける。


 あんな夢を見たせいだろうか。リビングに入ると、壁の本棚に並べてある幾つかの本のうちの一冊、《彼等》についての歴史解説書がふと目に留まった。





 事の発端は、近年、我々の住む地球に《彼等》が──有り体に言えば、いわゆる”宇宙人”がやってきた事から始まる。Xなファイルだとか、何たら・デイだとか、黒スーツのコンビが騒ぎまくる映画なんかに出てくるような、あの宇宙人という奴だ。


 元々住んでいた惑星で偶然発見された“とある金属”を加工する事によって宇宙空間での遠距離移動技術を獲得した《彼等》は、どうやら人工過密やら環境問題やらを理由に別の惑星へ移住する計画を立てるなかで我々の住む地球を発見したらしく、邪魔にならない程度の人数でいいから一緒に住まわせてはもらえないかと地球にお伺いを立てに来た。


 そう。よくハリウッド映画にあるようなド派手な侵略を目論むわけでもなければ、もちろん地球の空気で倒されてしまったりするわけでもなく、それはもう礼儀正しい来訪者として《彼等》はやってきた。


 対する地球人類側も、動物のような耳や尻尾が生えていたり、現在の地球人類よりも少しだけ発達した技術力を持っている程度の違いしかない友好的な来訪者に対して一方的な攻撃を加えるほど愚かではなかったようで、意外とすんなり《彼等》との共存が認められた。


 まぁ一部では共存反対運動も起きているようだが、元々あった人種差別思想に少々毛が生えた──ケモノ的なジョークというわけではなく──程度のもので、ごく一部の犯罪組織が危険であることを除けば、そう大規模な運動ではない。

 元より犬猫大好きだからな、地球人類。


 そんな事を考えながら、私はリビングと繋がるキッチンに入り、二人分の朝食を作るため冷蔵庫から生卵を数個ほど取りだす。朝食のメインは目玉焼きでいいだろう。夏香の好物の一つでもある。


 軽く熱したフライパンの上でぱりぱりと音を立てる卵をなんとなしに眺めつつ、私は再び《彼等》と地球人類との出会いに思いを馳せる。


 意外とスムーズに始まった《彼等》との共存生活だが、異文化交流には当然ながら問題や懸念が付き物。もちろんそれは国籍だとか政治的権力とかそういう大きな問題だけではなく、たとえば「ケモミミを持つ《彼等》と共に生活するにあたり『人類に飼われている犬や猫の扱い』はどうするべきか」といったような論点も存在した。


 だがこうした論点についても、地球人類側の予想とは裏腹に、特にこれといった波乱もなく話はまとまった。どうやら地球人類が猿を見るのと同じような感覚で《彼等》も鎖に繋がれた犬たちを見ていたらしい。


 無論、明らかな虐待などをしていれば《彼等》も地球人類一般と同様にそれを咎めることくらいはあるが、ペットとして犬や猫が飼われているだけで憤ったりすることはなく、そもそも《彼等》も元々住んでいた惑星で犬や猫を飼っていたのだという。


 さらに、これまで地球人類にとって犬や猫といった動物は、古代より『愛玩』だけではなく『生活や狩りのパートナー』『家族』『仲間』『信仰の対象』etc... といったように身近な存在である事が多かった。そうした歴史的事実からも《彼等》は地球人類に対して好意的な印象を抱いたようだ。「まぁそりゃそうか」といった具合に、地球人類と《彼等》は友好的な相互理解を深めていった。


 その後、地球人類と《彼等》との間で、国際法的な移民受け入れ制度の制定、それに伴う様々な法律などが施行・実施されるとともに、お互いの相互理解・環境整備のため各地で民間レベルでの交流が繰り返され、《彼等》からの技術提供により、たとえば医療や工業など各分野においての先端技術も少しばかり発展した。


 そうして進歩した技術の一つである”常識的な温度では焦げないフライパン”によって夏香の好きな「外はカリカリ中はとろ~り」に焼き上がった目玉焼きを、二枚の白い皿に乗せ、それぞれにサラダ用の新鮮なレタスとミニトマトを添える。


 こぼれ話だが、実はこうした食物の鮮度を保つ技術も《彼等》から齎された技術によって少し発達したという経緯がある。


 迅速な長距離移動技術を持つ《彼等》がやってきて以来、今となっては砂漠のど真ん中にさえ「今朝採れたばかりの新鮮な食物」を運んだり、清潔な居住環境を整える事が可能となった。


 さらには、長い宇宙船生活のため汚水や毒物ですら安全な飲用水にする技術を《彼等》が確立していたため、水の少ない地域の人々は大きく救われた。そういう意味においても、中東やアフリカ圏域など含め様々な国において《彼等》の登場は好意的に受け入れられた。


 ちなみに、元々《彼等》──地球人類としてはなかなかに言い難い正式名称なので、便宜上《彼等》と呼んでいるが、その《彼等》は地球人類よりも幾分「言語」に関して使用される脳や身体の各部位が発達しているようで「言語の習得」を比較的得意としている。


 しかも《彼等》の性質として、異文化を楽しむエンジョイ精神と現地文化への敬意を併せ持っているため、《彼等》はそれぞれ自分が住みたい土地の言語や文化を一通り学んで現地人にストレスを与えないよう心構えを作ってから移住の登録をするらしい。


「夏香。皿運ぶの手伝ってくれ」

「わかりましたー!」


 当然、こうして裸足でぺたぺたと軽快な足音を立てながらやってくる夏香もその例には漏れない。まだ日本にやってきて一年と少ししか経っていないにも関わらず、彼女は既に日常生活程度では困らない程度の日本語は扱う事が出来る。


……多少テンションのおかしな言葉遣いが混ざるのは、《彼等》の問題というより、きっと夏香の性格のせいだろう。多分。


 夏香が目玉焼きの乗った皿を丁寧に運んでゆき、二つの茶碗に白米をよそった私がその後に続くと、部屋の一角にある丸い座卓には淡いライムグリーンのランチマットが敷かれており、夏香は礼儀但しく座って尻尾をゆるくパタンパタンさせている。


 最後に私が、果汁百パーセントのオレンジジュースを二人分のマグカップに注ぐと、いつも通りの朝食が完成する。


 このランチマット、そしてこの家の各所に施された淡くどこか爽快感のある色の装飾は主に夏香によるものだ。これは夏香の少しお嬢様テイストな趣味趣向のせいでもあるが、実のところ《彼等》全体を見ても礼儀や装飾、清潔感なんかに対してこだわりのある文化を持っているようで、《彼等》の生活圏には白やパステルカラー、海の色や植物の色などナチュラルテイストな色や装飾が多く取り入れられている。


 《彼等》の移住先としてこの日本が比較的人気なのも、そうした生活環境や美意識、礼儀や作法に対しての感性など文化的な特性がわりと《彼等》好みだったことが理由らしい。日本の他にも、青い海に映える素朴な白い建築物など《彼等》好みの要素が多い地中海沿岸部を中心として、特徴的な文化や美意識、それに美しい自然を堪能できるような国がとくに人気である──と、解説書は言っていた。


「よし、それじゃ、いただきます」

「いただきます!」


 テーブルに着いてから発せられる、二人揃っての”いただきます”。

 目玉焼きをメインとした、極めて普通の朝食風景だ。


「んんぅ。ご主人のご飯は今日もおいしいです!」


 すっかり上達した箸使いで、夏香は目玉焼きと白米を頬張り、まさに至極といったような表情を見せる。


「……そうか? 褒めてくれるのは嬉しいけど、別に凝ったものは作ってないぞ?」

「いえ。こうして毎日ご主人と一緒においしいご飯を食べて生活できるのは、それだけでも私にとってごちそうなのです! それだけではなく、この”外はカリカリ中はとろ~り”の目玉焼き。ちょっとだけ奮発して買ったお醤油とお米。そして瑞々しいお野菜。最高です!」


 ストレートな言葉に、私も思わず頬が緩む。

 夏香は素直な性格をしているがゆえ、こうして胸に響く事をサラッと言ってくれる。それでいて礼儀但しく、かつ美味しそうに食べる姿がなんとも愛らしい。


 先にも言った通り《彼等》の移住先として日本はかなりの人気スポットである。だがそれは単に《彼等》が日本の文化や風景などだけを見て選んでいるというわけではない。

 実の所《彼等》のもつ礼儀──振る舞いやマナー、衣服や食事などへの真摯な態度に対して好感を抱く日本人も多く、《彼等》の性質が知られるや否や、瞬く間に積極的な交流を推進する団体や企業がアピールを開始。さらにはSNSツールや各地域の老舗旅館等多種多様な場所にて爆発的に歓迎ムードが広がり、民間レベルでの交流を求める声が外交レベルで《彼等》に伝わったため、地球に来訪した当時「友好的に共存するモデルケース」となる国を探していた《彼等》の上層部にとって、日本はとても条件が良い国であったという背景がある。


 うちの夏香にしろ、元々の育ちの良さもあるのだが、それを抜きにしても《彼等》の常である「食事マナーや礼儀作法へのこだわり」をよく感じさせてくれる。彼女と出会うまであまり文化だとか礼儀だとかを気にしないで生きてきた私も「もっと自国の文化も楽しみ、敬うべきです!」と夏香からお説教を頂き、色々と教えられる事の多い日々である。





「ごちそうさまでした! おいしかったです!」


 食事を終え、そう明るく主張した後、自分と私の分の食器を下げる夏香。

 片方が外出しているときなどは例外として、我が家では基本的に私が料理を作り、夏香が洗い物をする、という役割分担をしている。


 そして、夏香が洗い物をしている後姿、もっと言うなら百と六十センチ中盤ほどの身長の割には少しサイズ感のある尻尾をフリフリさせている後姿を眺めていると、どうしても抱きついてみたくなるもので……。


「──うわっと! どうかしましたかご主人?」


 つい、食器を洗う夏香の後ろから腕を回し、その少し低い肩の上に顎を乗せてみたりする。


「んー」

「んーって、またもふもふしたくなっちゃいましたか?」


 夏香はどこか嬉しそうに、しかしくすぐったそうに苦笑する。

 私は、こうして夏香をモフるのがお気に入りだ。ツヤツヤでさらさらとしたミルクティー色の髪や耳、そしてふわふわの尻尾をモフモフとするのは、もはや私にとっての日課と言ってもいい。


「んぁ…っ くすぐったひですよご主人」


 そんな夏香の訴えを無視して首筋から髪にかけての香りを嗅ぐと、甘いミルクティーの香りがする。これは夏香の毛色の比喩ではなく、本当にミルクティーやハーブティーのような、心地良い香りがするのだ。


「……やっぱり、夏香の髪は良い香りだ」


 まだどこか寝ぼけているのか、それとも夏香の香りで夢心地なせいか、私がそんな事を言ってみると、やはり夏香はどこか心地良さそうにふふっと笑い、


「忘れたのですか? ご主人が『ミルクティーのような髪の色だ。私はミルクティーが好きなんだ』なんて事を言うから、私も紅茶を趣味にしてみたんですよ? 私の部屋がミルクティーの香りなのだから、当然私もミルクティーの香りくらいします」


 そして彼女は少しだけ悪戯顔をして、


「──そんなにこの香りが好きなら、もっといっぱい抱き締めて下さいますか?」


 その夏香の言葉に、私も悪戯心が沸き、軽く頬にキスをする。


「わふっ──!」


 口では挑発的なことを言うが、夏香はあまりこういうアプローチに慣れていない。こうして恥ずかしがる姿もまた愛らしく、私は少しだけ力を込めて夏香を抱き締めた。





「……そういえば、今日は何時頃に出掛けようか?」


 ひとしきり夏香をモフモフした後、私がふと発した言葉に対して夏香は、


「うーむむ。家事が終わったら早めに準備して出ましょうか。あまり暑くなる前に」


 と答えた。

 壁に掛けられた電波時計を見ると、時間は午前九時を少し過ぎたあたり。すでに気温は二十二度を少しばかり超えて暑くなりつつあるが、それはさておき、今日は夏香と二人で外出する予定がある。


 まぁ外出とは言っても、特に目的があって外に出るという訳ではない。今日は私と夏香にとっての記念日なので、あちこち行き当たりばったりのデートをしようという話になっていた。



──今日は私と夏香の、一度目の()()()()()



──そう。私の ”飼い犬” である夏香は、同時に私の ”妻” でもあるのだ。





2018/12 改稿しました。

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