じゅう
なんだか普段よりもぎこちない会話を繰り広げ、俺は桂木と別れた。
あの子本当に何がしたかったのかしらん。
自転車で家の前まで着くと、予想外すぎる人物に俺は歩みを止めた。
その人物は俺の家の玄関の柵にもたれ掛かり、つまらなさそうに目を伏せている。
不審人物極まりないくせにそれがどうして、一枚の絵画のように完成していた。
「寿、さん?」
そう。寿さつきである。
彼女と会話にならない会話をしたのはつい先日だ。
教室で見かけた時は会話さえしなかった。
そんな彼女が俺の家の前までくるとは予想外すぎて思考が停止しかける。
偶然、ということではないんだろうな。
だって俺の家の柵にもたれてるし。ちょっとやめてよねー、曲がっちゃうじゃないのよー。すまん気が動転していてキモい発言をしてしまった。
「………………」
寿さつきは無言のまま俺ににじり寄ってきた。
なんか言えよ。怖いよあんた。
寿は俺の心中など御構い無しに不躾にジロジロと俺を舐め回すように観察した。
「なに?」
正直視姦されているようであまり気分の良いものではない。
少しだけいつもより冷たい声が出た。
ガチャリと家のドアが開いた。
すると出てきた母親があら? っと僕たち二人を交互に見る。
「お邪魔? かしらね」
「いやそう言うんじゃなくて」
「ていうか、あんた! この子! 凄く綺麗じゃない!」
おや? 母親の様子が変だぞ?
俺に向けていた視線を寿に移し、ガシッと寿の肩を掴んだ。普通なら悲鳴の一つや二つ上げそうなものだか、寿は興味がないといった風に無表情を貫いている。
くそ。なんでこのタイミングで現れるんだ母親よ。
いや分かってる。
なかなか帰ってこない俺の代わりに、「めんどくさいなー。でも夕刊取らなきゃなー」と外に出てきたことくらい。
面倒なのはこっちだ。
母親は寿に絡んでわーきゃー言ってるし、ていうかこんな取り乱す母親見たくなかった……、寿は揺さぶられながらも俺から視線を外さないし、これ以上ご近所に醜態を晒すのは気が引ける。
「あの、取り敢えず中入ってくれる?」
そう提案するしかなかった。
◯
俺は寿を自分の部屋に連れ込んだ。
…………字面だと凄いやらしいな。
もちろんそんな卑猥な意味など一ミリたりとも含んじゃいない。リビングだとまた母親がバーサーカーになるので消去法だ。
寿は部屋に着くまで何も喋らなかった。
言葉を知らないんじゃないかと思うくらいに無言であった。
ただ気になるのは、寿の視線がさっきから俺と、俺の制服のポケットを交互に見つめていることだ。
俺の部屋にクッションなんて小洒落たものはない。
板張りの床にベッドと学習机とカラーボックスが数個あるだけの質素な作りだ。
ベッドに親しくもない女性を座らせることに抵抗があったので、俺は自分の学習椅子を寿に勧め、俺は折りたたみ式のベッドの上で胡座をかいて座った。
「話があって来たんだろ?」
俺はもう寿に猫を被るのはやめた。
反応が帰ってこない相手に自分を隠したって仕方が無い。
寿は一度瞬きをした。
「どこでコングラチェフを手に入れた」
予想よりもずっと冷たい声音だった。
まるで機会音声と喋っている錯覚に陥った。生身の人間であるはずなのに、生きている感じがしない。
寿は俺の回答を待っているようだった。
「なんの話だ」
一先ず俺はとぼけることにした。
相手の出方を知りたかったし、どんな回答が飛び出すのか知りたかったからだ。無論、コングラチェフの名前が出たことで誤魔化せる筈はないと思っているが。
「私はあの戦いを全部見た。その上で問う。コングラチェフをどこで手に入れた?」
観られていたらしい。
あの戦いを? どこから?
どうも雰囲気から教えてはくれなさそうである。
さて、しかしどう答えたものやら。
寿の質問はほとんど恫喝に近かったが、素直に答えてやろうという気が起きない。俺ってSだったっけ。
「あれだ。近所のコンビニで売ってた」
「生き物がコンビニで売っているわけではないだろう」
「本当本当。卵の横に置いてたから」
「真面目に答えろ!」
シャラン、と寿は懐から鉄の棒を取り出し、俺の喉元にピタッと突きつけた。調子に乗りすぎた。だって一回は乗ってくれたじゃない。
「これ以上舐めたら殺す」
ずずっと鉄の棒が俺の喉に食い込む。
痛い痛い。何よりあんたの目が怖い!
光のない瞳が俺を殺さんばかりに捉えている。無駄にぱっちりと二重で大きいから余計に怖い。
「ふ、二日前。幽霊通りで変なおっさんにもらった」
「幽霊通り?」
鉄の棒がゆっくりと引かれて行く。あ、鉄の棒は簪だったのか。制服から簪って斬新だな。などと思ってしまう俺は多分危機管理がやばい。しっかりしろよ俺。
寿は何処だそこ? とでも聞きたげな表情だ。地元じゃないからわからないか。
「来る時に商店街があっただろ。そこらへんに小学校があるんだよ。この近くの通りにそんな名前の所があるんだよ。地元の奴らの間じゃ結構有名だぜ」
「…………どんな男だった」
「派手なおっさんだったな」
「派手?」
「あぁ。ローブ着て顔にどこの部族ですかってくらい派手なペイントして、ついでに占い師ときたからな」
「知らない」
てっきり寿はあのおっさんのことを知ってるかと思って話したのだが、そうか知らないか。
寿は何か考える仕草をした。その間俺は手持ち無沙汰になる。
寿さつきという人間がまた分からなくなった。
俺が周りから得た情報からの印象は『救い難き糞ビッチ』。
だが、今目の前にいる少女はそんな印象は微塵も感じられない。寧ろ男なんてどうでもいい。生きていることさえ苦痛だと言わんばかりに虚ろな目をしている。
どうしてこうも情報が食い違う?
「はいはいお邪魔しますよ、ジュース持ってきましたよお三方」
「いや二人だし」
空気を読まずに母親がノックもせずに俺の部屋に入ってきた。
盆の上にはコップに入ったジュースが二つ。中身はお歳暮の残りのなっちゃんグレープだろうな。あとホームパイとカントリーマームがいくつか盛り合わせた器がある。
「あんた変なことすんじゃないよ!」
「しませんわい!」
微妙にズレた母親を追い出し、俺はふうとジュースに口をつけた。
何やら視線が気になり顔を上げると、ポーッとした表情の寿が、口を半開きにして頬を紅潮させて扉を見つめている。
なんか普通の女の子みたいな顔してらっしゃる。さっきのターミネーターはどこいった?
「寿。食えよ」
「…………」
俺が声を掛けると、なにやら複雑そうに眉根を寄せて、もくもくと無言でカントリーマームを摘まみだした。ちょっと惜しいことをしたかもしれない。
「コングラチェフに会わせて欲しい」
暫く無言でお菓子を胃に収めたあと、寿はそう切り出した。
「一つ聞くけど、なんで?」
「…………理由は直ぐに分かる」
今知りたいんだけど。
しかし俺もわざわざ話を伸ばすのは趣味じゃない。ポケットからはんぞーを取り出した。相変わらずねばっとしてる。
寿はその工程を真剣に見つめていた。
「駄目だな。こいつ寝てやがる」
折角取り出したのだが、はんぞーはあの戦いから糸が切れたように眠り出した。
普段夜九時にならないと眠らないというのに珍しい話である。
「貸して」
右手を広げてそう言われれば無条件で従うしかないような錯覚に陥る。条件反射って怖い。俺はほらよっとはんぞーを寿に手渡した時に、あっしまった、と思ってしまった。
寿がはんぞーに何をするかと見ていると、はんぞーを自分の口ものまで持っていき、人間で言う耳の着いている側面に唇を当てた。
「コンドラチェフ。起きて」
かっ! とはんぞーは目ん玉を見開き、突如眠りから覚めた。ちょっとビビった。
ギョロギョロと魚介類のように目ん玉をグリグリ動かして状況確認をするはんぞー。直ぐに寿さつきに気がついた。
「コンドラチェフ。久しぶり」
【おー。おひさー】
寿は唇を噛み締め、両手ではんぞーを抱きしめた。
見ると寿の瞳には涙をいっぱいに溜め込んでいる。
感動の再会、というにはどこか寂しい感じだ。
はんぞーが人じゃないからとかじゃない。
まるで、思い出したくもない辛い過去の写真を収めたアルバムを、久しぶりに開いた時みたいだな、と思ったからだ。
だがな、お前らのそんな空気ぶち壊して本当申し訳ないとは思うけどな。ちょっと言わせろ。
なんで俺こんな空気になってんの?
ここ俺ん家だろ?