きゅう
「これは夢ですか?」
【いいえ違いまーす】
「周りの文字は何ですか?」
【それが勝者の証ー】
「古林の右手があるように見えるのは何でですか?」
【生身の体は食べれぬー】
成る程。
さっぱりわからない。
状況を整理しよう。
あの後、つまり俺がスライム、もといはんぞーを腕に装着し、古林の攻撃を防いだ後だ。
はんぞーはあろうことか古林の化け物の手を古林の肉体と切り離し、化け物の部分だけをもぐもぐと消化した。
直ぐに俺の腕から離れたはんぞーは、今では俺のポケットの中で沈黙している。
ルールブックの光も今はなりを潜め、あの書き込み以外更新もされていなかった。
暫くのたうちまわっていた古林も消沈し、これから俺どうすればいいの? と戸惑っていると、風景いっぱい、俺の周りの至るところに【YOU WIN】の文字が広がった。パソコンのバグかと本気で思った。
そういえばこの変な世界に来た時、古林は準々決勝を始めようとか言っていた。ひょっとしてこれはゲームだったのだろうか。それにしては少しスリリングすぎるぜ。
手持ち無沙汰になった俺は、取り敢えずもう危機は去ったと思い、古林の介抱に向かった。
「おい、おいって、大丈夫か?」
見たところ外傷はないし、頭を打ったわけでもない。
ぺしぺしと古林の頬を数回叩いた。
「ん、んん……」
古林は眩しそうにゆっくりと瞼を開いた。
「気が付いたっぽいな」
「っ!? ……あぁ、俺は、そうか、そうか」
すぐ近くに俺がいるとは思わなかったのだろう。
古林は俺の姿を確認してぎょっと身を固めた後、ゆっくりと息を吐き、何事かを口にした。俺には何といったか聞き取れなかったが。
「古林、その、なんだ」
「なにも言うな。俺は負けた。もうお前に何もしない」
「違うって! そうじゃないって!」
古林は身を起こし、さらばだという感じで立ち去ろうとしたので、俺は強引にその腕を掴んだ。
「何をする!?」
「教えてくれ古林。この世界はなんだ。お前の腕や俺の腕は何なんだ。準々決勝ってなんだ」
「お前……」
「こんな事になって申し訳ないんだけど、俺ちょっと前までは普通だったんだ。変なおっさんに変な生物と変な本持たされて、放課後気付いたらお前にガン見されてるしよく分からん場所にワープされてるしもう訳が分からん!」
言い切った。ちょっとスッキリした。
古林は少し目を丸くしていた。そんなに変か?
「お前、何も知らないのか?」
嘘だろう? と、まるでたちの悪い冗談でも聞かされているかのような表情で引きつらせる古林。
「あぁまったく知らん。教えてくれ!」
古林はすっと目を伏せ、唇を噛み締めた。
「何も知らない奴に、負けたのか。そうか」
何故だか心に突き刺さる一言だった。
何か事情が、俺が立ち入れない事情があったのだろうか。
こんな事態になって推測することもできない。
「えっと、お前」
「俺?」
古林は俺をすっと指差した。もうあの憂た表情はしていない。
「名前なんだ?」
まさかのね。
俺こいつに会った時、「どうせこんなリア充俺のことなんて嫌ってんだろ」みたいなこと決めつけてたのに。
まさか名前も知られていないとは。
おいおいおい。
やべえ死にたい。恥ずかしくて飛び散りたい。
俺は知っててあなたは知らなーい。
何だこれ歌の歌詞か? 笑えねえわクソッタレ!
「すまん。知り合い少ないから、学校のやつとかあんまわからないんだ」
「べべべべつに気にすんなよー!」
しかも変に気使わせちゃうしさぁ!
もう情けなくて漏れそうよ。漏らしたろか本当によ。
俺たちが会話していると、グラグラと世界が揺れ始めた。
地震か? と思ったがそれにしては地面が揺れていない。
「ステージ移動だな」
古林は何時ものことであるかのように動じていなかった。
「これからどうなるんだ?」
「元いた場所に戻る。さっきの通学路だな。時間も変わらない」
そうか、と返す前に、景色は暗転した。
◯
「目、覚めた?」
何処からか女性の声が聞こえた。
「はい」
「まだ寝ぼけてるね」
クスクスと何処かで聞いた笑い声が耳に届いた。
俺は辺りを見回した。
ここは、学校の保健室?
白いし、利用したことないけど、外からグラウンドか見えるし、古林の話が正しかったら戻って来たのは学校近くだ。そこで意識を失ったとなったら真っ先に担ぎ込まれるのは保健室くらいのものだろう。病院って選択肢はグラウンドが見えるから消した。
「あれ、桂木?」
「さっきからずっといたって」
俺の直ぐ横には数学の問題集を取りにいったとかで学校に戻っていった同級生の姿があった。そうか、さっきの声はこいつか。どうりで。
「なんでお前がここに?」
「いやー、なんての? 教室戻るじゃん? 校門まで行くじゃん? 人垣出来てるじゃん? 見知ったアホが倒れてるじゃん? お分かり?」
「担いでってくれたのお前か?」
「んなパワーあるか。先生呼んだ。軽い貧血だって。二十分も寝てないよ?」
そうか。
俺はあの世界から帰還後、貧血で倒れたのか。不思議でいっぱいですね。
「俺の他に誰か倒れてなかった?」
「誰かって?」
「あ、いやだから」
俺はここで考えた。
不用意に古林の名前を出していいものかと。
「誰も居なかったと思う。ていうかここにいないんだからそうでしょ」
俺が思案しているうちに桂木は勝手に結論づけた。
「ていうか、なんか一言あってもいいと思うんだけど?」
「あぁ、助けてくれてマジさんキュ。末代までご奉仕させて下さい」
「重いから! てか末代までとか普通あんまり使わないから!」
打てば響く会話は健在である。
「よっと」
「もう起きて大丈夫?」
「ただの貧血だしな」
「夜中まで卑猥なサイト覗いてるからだよ」
「馬鹿め。それは一昨日だ」
「聞きたくないわ、んな情報」
ベッドから降りてスリッパに履き替える。ん、スリッパまでわざわざとってきてくれたのか。本当に親切なやつだなおい。
「先生とかに報告しといたほうがいいのか?」
「したほうがいいと思う。あ、でも私先生のメルアド知ってるからそれに報告しといたらいいんじゃないかな。先生だってわざわざ時間とられるの面倒って言ってたし」
「本音は隠せよ生徒の前じゃ」
中ば呆れながら俺は桂木に、じゃあ頼むわとメールを打ってもらった。
「てか仲良かったんだな、保健の先生と」
「うん。私バレーじゃん? 軽い怪我なら自分たちでなんとかするけど、病院とか必要な時とか書類申請必要だし。私はまぁ結構お世話になってるほうだから。でもメアド交換してのは今日が初めてだよ」
「俺のせいかー」
「きっかけがあればいつでも訊いたから別にいいよ。てか嫌じゃないし」
辺りはもう日が落ちかけていた。
二十分くらいの貧血だろうが、もう殆どの生徒はもうはけてしまっている。日は沈みかけ、保健室は薄暗くなってきた。
「今日は悪いな、普通にありがとう」
「いえいえ、学食のアイスって自分じゃどーしてか買いたくないし」
「奢れってか、そんくらいでいいならいつでもいいよ」
そんじゃ帰るか、と俺は後ろにいる桂木に呼びかけるために振り返った。
だがどうしたのだろう。
なんだか桂木の元気がないように見える。
「どした? 腹壊したか?」
「あ、あのさキューピッド!」
いやに力の篭ったキューピッドじゃないか。どうしたどうした。
よく見ると桂木はさっきの空気と打って変わって、どうも自信がないように視線をうろうろさせている。
ひょっとして俺に惚れてんのか?
自意識過剰ですか、わかってるよ。
「な、なに?」
「お前って、好きなやつ、いるって訊いたけど、本当?」
自意識過剰ですか? マジで。
おいこら。
俺は鈍感系とか目指さんぞ。これ、フラグか? フラグなのか? どうなの、え、お?
「誰から、それを?」
よし、声は上ずらなかった。上場上場。
「あっちん。この前、ちょっと電話して。あ、別に答えたくないならいいし別にどうでもいいんだけど、あっちんが妙にしつこかっから。私も興味湧いてきて。で、興味能登のとこ行ったでしょ? 普段あんま能登と絡みに行かないからあ、これは! っとか思っちゃっただけで私個人としては凄くどうでもいいんだけど」
「ストップ。ストップカッキー!」
「ぐっ!」
わたわたと暴走しだした桂木を俺はなんとか止めることに成功した。
俺も桂木も無言である。
熱が入っていた時と比べ、時間が経つごとに桂木の顔は青くなっていく。
もうさぁ、これさぁ。
あ、ちょっと待て、確定じゃないぞ。
俺は頭の中の記憶をこね回した。
確か今の桂木の反応みたいなのを俺は一度何処かで経験している。
こう、俺に好きな子がいるのか訊いて必死に言い訳して真っ赤になる子。
もうこれ確実に俺のこと好きだよ! とか確信したことがあったはずだ。
思い出した。
高1の時に告った遠藤さんだ。
入学当初からずっと声をかけ続け、エンジェル様の噂を聞いてもずっと変わらない態度を続けてくれた彼女に俺がときめかないはずは無かった。
飛鳥ちゃんや桃ちゃんと比べると、そこまで派手な容姿をしてはいなかったけど、素朴な可愛らしさが彼女にはあった。
ある時彼女は俺にこう訊いてきた。
『き、君って、好きな人とか、いる?』
『え、それって』
『ち、違うの! 別にそんなんじゃなくて、そんなつもりじゃなくて!』
よっしゃ!
キタキタキタキタ!
これはもう確実じゃゴラァォァァ!! と、心の中でむせび泣いた俺は次の言葉を訊いて凍りついた。
『私も好きな人がね、出来たから。一緒に悩みとか、ね、打ち明け会いたいなぁって』
今なら分かるが、俺は異性からどうも男という感じを感じさせないらしいのだ。
どんなに俺がアタックをかけても振り向かないのは、それが異性として認識されないから。
でも頭では異性と分かっているから同性とはできない相談をする。
それが特別なことだと俺は勘違いし、深み嵌っていつもドボンと落ちてきた。
今の桂木からはそれに近いものを感じる。
まして俺と桂木はずっと男女の差なんて意識していなかった。俺が勘違いしないほどの清々しい友情が成り立っているほどだ。
そう考えると幾分マシになってきた。頭も冷める。
ただ、遠藤さんと桂木と違うところは、多分桂木は恋愛相談とかは俺には持ちかけないんじゃないかという所だ。
俺が実はエンジェル様と呼ばれることすら嫌がっていることを知っている桂木だ。本名も好きじゃないからキューピッドなんて長ったらしい中学のあだ名で呼んでくる友人である。
そんな奴が俺に恋愛相談なんて持ちかけてくるとは考えにくい。
おそらくだがこれは本当に飛鳥ちゃんの興味本位なのだろう。
俺が今度は一体誰を好きになったのかと。
そうかそうか飛鳥ちゃんや。
吹っ切れたとはいえ結構傷つくことしてくれるねぇったく。
ま、そうと分かれば別に彼女を楽しませる必要もなかろうて。面白おかしくするのも面倒だし本当の事を言っちまおう。
「あぁ。今狙ってるやついるよ。でもあんま人に言うなよ? 理由わかんだろ」
「え、いるの? 本当に?」
何処かで信じられないとばかりに目を見開く桂木。その気持ちは分かるけどな。
ちょっと前までやさぐれてたし。
「つーかもう帰ろうぜ。鍵返してさ」
「ん、ああ」
その後俺たちは保健室の鍵を職員室に返して一緒に下校した。
その時俺の気のせいでなければ、桂木はなんだか落ち込んでいるようにも見えた。