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「自分の部屋の中は探してみたのか? シャロン」

「いいえ、まだよ。でも部屋の鍵はあたししか持ってないから、昨日からは誰も入ってないと思うわ」

「それにしても、君は昨日、家を出て、なぜすぐに探偵事務所を探さなかったんだい? あんな真夜中になるまで何をしてたの」

 この質問はレイだ。

「う~ん。実は電話帳でいくつか探偵事務所の場所は調べてきたんだけど、いざ行ってみようと思ったら勇気が出なくって。だって、どんな奴がいるか判らないじゃない。あたしみたいな美少女だったら、もしかしたら閉じ込められて襲われて売り飛ばされるかもしれないし」

 こいつ、私立探偵を何だと思ってるんだ!

「で、どうしようか迷いながら、ウィンドウ・ショッピングをして、レストランで夕食を食べて、もう遅いからホテルにでも泊ろうと思って歩いてたら、いつの間にかリルケがいなくなっちゃって、探しまわってるうちに真夜中になっちゃったってわけ」

「あははっ。君って切羽詰まってるわりには呑気なんだねえ」

 後部座席のレイは何だか楽しそうだ。

「まあ、若い女の子だから他のことに気が向いちゃうのは仕方がないな」

「あなたには言われたくないわ、ケント」

 シャロンは横目で俺を睨みつけた。いや、だから何でレイじゃなくって俺が怒られるんだよ!

「っていうか、そろそろ行ったほうがいいんじゃねえか? のんびりしてらんねえんだろ? シャロン」

「そうね。行きましょう」

 というわけで、俺達は車から降りて屋敷に向かった。


 数段の広い階段を上り、シャロンが両開きの扉の前に立つとゆっくりとドアが開いた。まるで高級ホテルのような吹き抜けのある広いホールの先には革張りの椅子をいくつも並べたラウンジがあり、そこにいた二人の人物が驚いたような顔でこちらを見た。

「シャロン! 何処へ行っていたの! 心配してたのよ。携帯は着信拒否になってるし」

 青い花柄のドレスを着た金髪の女性は彼女の義母のアンナだろう。その横のソファに座っているイタリア製らしいスーツを着た若い男は誰だろうか。

「おはよう、アンナ、ロバート。あたし、探偵を雇ったの。これからこの人達に屋敷の中を捜索してもらうわ」

「何を言ってるのよ、シャロン。私は……」

 作り笑いを浮かべながら、シャロンに近寄ろうとしたアンナは顔を強張らせて立ち止った。

「どうしたの? こっちに来て、あたしを抱きしめなさいよ」

「シャロン。その犬を何処かへやってちょうだい! あたしが犬嫌いなのは知ってるでしょう?」

 シャロンは唇を噛みしめ、リルケをぎゅっと抱きしめた。

「とにかく、私達の邪魔をしないでね。さもないとリルケをあなたの寝室に入れるわよ! さあ、みんな、早く作業にかかりましょう」


「あの男は?」

「ああ、ロバートのこと? 執事だって言ってるけど、たぶんアンナの愛人よ」

「何だか住みづらそうな家だな」

 シャロンはちらりと俺の顔を見た。

「でしょう? こんなに広いのに一人ぼっちなのよ、あたし」


 何しろばかでかい屋敷だった。寝室だけでも二十はあるだろうか。俺達はまずシャロンの部屋を徹底的に捜索したが何も見つからなかった。次に彼女や父親が主に使っていた部屋の捜索に移る。シャロンはリルケをキャリーバッグに入れて、常に手元に置いていた。絨毯を剥がしてみたり、壁の絵の裏を確かめたり、本を一冊ずつ調べたりしたが、それは面倒で困難な作業だった。おまけに途中で捜索中の使用人と鉢合わせするし、なかなか思うようにはいかない。

 五時を過ぎる頃には四人ともくたくたになってしまっていた。

「少しここで休みましょう。何か食べ物を届けさせるわ」

 明るい日差しの差し込む客間のうちの一つに入り、ソファに腰を下ろすと、シャロンはインタホンで食事を持ってくるように頼んだ。

「まったく、今のメイド達は気が利かないのよ。コックの料理も今一つだし。……ほんと、パパが生きていてさえいれば、あたしは何にも要らないのに」

 シャロンは膝の上でぎゅっと拳を握りしめて、涙をぽろぽろと零す。

 レイが何も言わずに彼女の肩にそっと手を回すと、シャロンはレイの胸に寄りかかる様にして泣きじゃくった。

「大丈夫だよ、シャロン。俺達が絶対に数字を見つけてやるから」

 シャロンはようやく顔をあげると、無言のままこくり、と頷いた。

 やがて食事が運ばれてきた。ワゴンに乗せられた大皿に山盛りのサンドイッチ。フライドポテトにサラダ。ポットから注いだコーヒーを一人一人に配ると、メイドはそのまま出て行った。リルケには専用の高級ドッグフードだ。これはシャロンが部屋から持ってきたものだ。

「リルケの餌は私が買ってきたものしか与えないのよ。だって毒殺されかねないでしょ?」

「まあ、そのほうが賢明だな。そういえばリルケはいつから飼っているんだ?」

「彼は父からのクリスマス・プレゼントなの。去年のね。この首輪も父が買ってくれたの。特注品なのよ。ほら、宝石でデコレートしてあるの」

 確かにリルケの首輪には細かい宝石の粒が埋め込まれていて、それがキラキラと輝いて見えた。


 数十分後、食事が終わり、そろそろ次の捜索に取りかかろうとした時だ。突然、部屋のドアが開いて、大きな黒いペルシャ猫が部屋の中に走りこんできた。その猫は食事を終えてのんびりと横になっていたリルケを狙ってまっすぐに駆けていく。シャロンが悲鳴をあげ、驚いたリルケはパニックになり部屋の中をむちゃくちゃに走りだした。俺やレイより一瞬早くデビィが猫に駆け寄ると、両手で素早く抱え上げた。次の瞬間、彼は爪を立て、歯を剥き出した猫を床に叩きつけていた。猫はギャッと一声鳴くとそのままドアの外へ駆け出して行った。

「畜生! いったい何処の猫だ」

「あれはアンナの飼い猫よ。……ねえ、ケント。リルケがいないわ」

どうやら開いていたドアから外に走り出て行ったらしい。

「なあ、これを見てみろよ、ケント」

 レイはメイドが運んできたワゴンの下を覗きこみ、手を突っ込むと何か小さなものを引っ張り出した。

「これは……盗聴器じゃないか! と、いうことは……あの女、俺達の会話を聞いていたんだな」

「そう、あの時、お前とシャロンはリルケのことを話していた」

 その時、霧が晴れたように答えが見えた。答えは実に単純で簡単なところにあったのだ。

「……首輪だ」


「ああら、ごめんなさい。私の猫がお騒がせしちゃったみたいね」

 そう言いながら部屋に入ってきたのはアンナだった。一緒に入ってきた執事はその手に白い小さな犬を抱えている。リルケだ。

「あなた達の会話で答えが見えたわ。まさかこんなところに数字が隠されているなんてね」

 執事は俺達の目の前でリルケの首輪を外した。

 だが、得意げに首輪を裏返して見たアンナがぎゅっと眉を顰めた。

「おやおや、どうやら振り出しに戻ったみたいだね」

 内心、俺はホッとしていた。もし首輪の裏に数字があったら、俺は報酬をもらえなくなっちまうところだった。

「時間の無駄だったわ。行きましょう、ロバート」

「はい、奥様」

 執事はリルケを足元に降ろし、アンナの後から部屋を出て行った。


「首輪じゃなかったのか。てっきりそうだと思ったんだが。まあ、とにかく間違っててよかったよ」

 アンナは犬嫌いだ。だとしたら、犬は数字を隠すのにはもっともふさわしい対象だ。そう考えたのは間違いだったのだろうか。

「いや、あながち間違いじゃないかもしれないよ、ケント」

 両手を腰に当てたレイがニヤニヤして俺を見ている。彼は勘がいい。ひょっとしたらもう答えが判ってるのかもしれないが、聞いてみるのは俺のプライドが許さない。

 俺はリルケを抱え上げ、顔の前まで持ち上げてじっと眺めた。首輪の下になっていた背中の部分の毛が束になってよれていて、下の皮膚が見える。

「……シャロン、この家の近所にペットショップはあるかな」

「ええ。いきつけの店があるわ」

「そうか。だったらリルケを連れて一緒に行こう」

「いいわよ。でもその前にあなたが何をするつもりなのか聞かせてちょうだい」


 一時間後、シャロンと俺は屋敷に戻った。シャロンが弁護士に連絡を取り、彼が屋敷に到着すると、俺は関係者全員(といっても全部で七人だが)を客間に集めた。

 そう、探偵の憧れであるそういう場面を一度は体験してみたかったんだ。「犯人はお前だ!」っていう劇的なシーンがないのはちょっと残念だけどな。


「で? こんなところに呼びつけていったい何の用なのかしら?」

 アンナはイライラしたようすでそう言った。膝には先ほどの黒いペルシャ猫を抱えている

 俺はテーブルを囲んで座っている全員の顔を眺めた。実にいい気分だ。

「いや、あなた方に捜索の必要がなくなったと、お伝えする為に集まっていただいたんですよ」

 アンナの顔色が変わった。

「何ですって? まさか」

「そのまさかです。あなたはリルケの首輪に数字が書かれていると思い込んでいた。でも、実際は違っていました」

 俺はシャロンからリルケを受け取った。その首には青いバンダナが巻かれている。

「数字が書かれていたのは、首輪ではなく、その下だったんですよ」

 すっとバンダナを外した。リルケの首の部分はバリカンで刈られて皮膚が剥き出しになっている。そしてその皮膚には小さな八桁の数字が鮮やかに浮かび上がっていた。


――19920614――

 

 アンナはいきなり立ち上がると、俺のほうへつかつかと歩み寄ってきた。唇を震わせて数字を確かめると、真正面から俺を睨みつけてくる。

「こんなの嘘よ! あんた達が勝手に書いたんだわ!」

「そんな、判りもしない数字を書いたって無駄ですよ。それにこれは刺青です。恐らく、ブライアンさんはシャロンにこの犬を渡すずっと以前から刺青を入れておいたんでしょう。ちょうどこの遺書が書かれた時期とも一致しますしね」

「その通りよ、アンナ。その数字が何を意味するかあなたには判る?」

 アンナは黙ってシャロンを睨みつけている。

「それはパパが初めてママとデートした日なの。パパはよくその日の話をしてくれたわ。よく晴れた日曜日だったとか。綺麗な黄色のドレスを着たママがどんなに素敵だったかとかね。でも、あなたには判らないわよね? パパはわざとママの誕生日や結婚記念日は避けたんだと思う。それだとあなた達に推測されかねないからよ」

「でも、それが金庫の数字かどうかまだ判らないじゃない!」


「残念ながら、奥様」

 初老の弁護士の声が部屋に響き、俺達は一斉に彼のほうを見た。

「私達はすでに金庫を開けてみました。数字は正しかった。従って、財産は全てお嬢様のものということになります」

 アンナはしばらく黙っていたが、いきなり俺の頬を平手打ちにした。そして猫を抱えあげ、そのまま部屋を出て行った。若い執事が慌てて後を追っていく。

「終わったな、シャロン」

「ええ、ありがとう、ケント!」

 シャロンは俺に抱きついてきた。レイとデビィはにやにやしながら俺達を眺めている。リルケは鼻を鳴らしながらシャロンの足元で懸命に尻尾を振っている。

「レイ、デビィ。あなた達にもお礼を言うわ。本当にありがとう」

 シャロンは俺から離れ、レイとデビィにも抱きついていった。何だ、俺だけ特別に抱きしめてくれたわけじゃなかったのか。まあいい。とにかくこれで一件落着だ。


<エピローグ>


 二週間後、フランスで父親を殺した犯人が逮捕され、彼の証言でアンナが殺しを依頼したことが明らかになった。アンナは屋敷を出て逃亡したが、すぐに見つかって逮捕された。

 俺にはそれ相応の報酬が振り込まれた。当分は楽に暮らせそうだ。協力してくれたデビィとレイにはお礼に俺の血と肉を差し出すことになった。というのはもちろん冗談だが、今後、何回か高級なディナーを奢らされるはめになった。まあ、これは仕方ない。

 シャロンは専門家のアドバイスを受けながら、会社経営も順調に行っているらしい。大した娘だ。時折、パーティの招待状も送られてくるが、俺はああいう場所がどうも苦手だ。でも、クリスマスには彼女に花束を贈ろうかと思っている。もちろん、リルケの為の玩具のボールも一緒に、だけどな。

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