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当作品はサイトからの転載です。

<プロローグ>


 シルバークロス・タウン、午前零時。人通りの途絶えた裏通りを足早に歩くバーテンダー姿の青年が一人。茶色に染めた長い髪をサテンのリボンで一つに結んでいる。彼の名はレイ・ブラッドウッド。世間で言うところのヴァンパイアだ。

 だが、彼は別に獲物を探しているわけではない。単にいつも勤めているバーから自分の住むアパートへの帰宅を急いでいるだけだ。九月の夜風が彼の頬を優しく撫でていく。ふいにレイは足を止めた。

 犬の匂いがする。しかも二匹の。一匹からは恐怖の、もう一匹からは獰猛な飢えた獣の匂い。そして、残酷な歓喜に満ちた人間の匂い。やがて、正面から白い小さな犬が必死になって走ってくるのが見えた。犬は街灯の下に佇むレイの姿を見つけると、足元に走り寄ってきた。

「どうした? 追われてるのか?」

 レイはゆっくりとしゃがむと、小刻みに震える犬の身体をそっと撫でて、両手で抱え上げた。真っ白でふさふさと伸びた毛に覆われたマルチーズだ。高級な革の首輪には細かい宝石が散りばめられているし、毛並みもよく手入れされていて綺麗だ。どうみても野良犬ではなさそうだ。立ち上がり、暗がりに目をやったレイは顔を顰めた。獰猛な犬と人間の匂いが急速に近づいてくる。

 やがて、その匂いは真っ黒なドーベルマンの姿となって目の前に現れた。鎖をしていないその犬はレイの目の前でぴたりと止まり、殺気を放ちながら唸り声をあげる。そのすぐ後ろから黒いトレーニングウエアを着た目つきの鋭い男が歩いてきた。

「おい、お前。その犬はロッキーの獲物だ。そのまま下に置け」

「嫌だと言ったら?」

 今にも襲いかかりそうな凶暴な犬を前にして、落ち着き払った声でレイが言葉を返す。

「お前の腕もロッキーの獲物になるだけだ。早く離せ!」

「俺が獲物だって? 面白いじゃないか。やらせてみろよ」

 レイはそう言いながら、にやりと笑った。その挑発的な態度に男は理性を失った。

「ロッキー! そいつを襲え!」

 主人の命令でロッキーと呼ばれた犬が飛び掛かろうとした瞬間、レイのペールブルーの瞳がひときわ青く輝き、犬を真正面から睨みつけた。

「あっちへいけ!」

 押し殺した声でレイが呟く。ヴァンパイアが生まれながらに持ち合わせている凄まじい気迫は全ての野生動物を超越している。ロッキーは今まで経験したことのない凶暴な気配と匂いに怯え、弱弱しく啼きながら、耳を伏せ、尻尾を丸めて震えだした。

「お、おい。どうした? ロッキー! 飛び掛かれ!」

 だが、犬は命令を無視して、踵を返し、路地の向こうへと走り去ってしまった。

「おやおや、ずいぶん臆病な犬だな。それにしても動物虐待が重罪なことを知らないわけじゃないんだろ? これ以上、ここにいるのなら警察に連絡するよ」

レイはスラックスのポケットから携帯を取り出し、耳に当てた。

「わ、判ったよ! まだ何もしてねえじゃねえか。勘弁してくれよ! おい、ロッキー! 何処へ行った?」

 男は犬の後を追いかけて走って行った。


 レイは腕の中でまだ震えているマルチーズの背中を撫でながら考えた。このままこの犬を離せば、また何かに狙われるか、車に轢かれてしまうだろう。とりあえず家に連れて帰ろうか。再び歩き始めたその時、また別の人間の匂いが近付いてくるのに気が付いた。やがて誰かが道の向こうから走ってくるのが見えた。十七歳くらいの少女だ。

「リルケ! そこにいるの?」

 その声に反応してマルチーズが足をバタバタさせたので、レイはそっと地面に降ろした。犬は尾を千切れるように振りながら転がる様に少女に向かって走っていく。犬を抱え上げて愛おしげに頬ずりした少女は赤みがかった褐色の髪を長く伸ばし、大きな薄い茶色の瞳にふっくらと形のいい唇が印象的だ。彼女は地味な茶色のTシャツに黒い綿のベストを羽織り、ジーンズを穿いて小ぶりのデイバッグを背負い、足元には明るいピンク色のキャリーバッグを置いていた。

「ああ、よかった! 急にいなくなっちゃうんだもの。心配したわ」

 少女はふと気が付いたようにレイを見ると、瞬時に身を強張らせて後ずさりした。

「ねえ、あんた、この子をどうする気だったの」

 その言葉はかなりの警戒心を含んでいた。まあ、真夜中だし助けたところを見ていたわけじゃないから仕方がない。レイは柔らかく微笑んで穏やかに答えた。

「追われていたんだよ、その犬。大きな犬にね。まあ、大した犬じゃなかったけどね。このままにはしておけないから、連れ帰って明日、警察にでも届けようかと思っていたんだ。君が飼い主か。よかった。それじゃ、俺はこれで」

 レイは少女と犬を残して歩き始めた。

「ねえ、待って! 助けてくれたのならお礼を言うわ。ありがとう。それからあの……」

 レイは立ち止り、振り返った。

「あたし、今夜泊るところがないの。あなたの家に泊めてもらえないかな?」

 レイはちょっと戸惑った。部屋に連れ帰ることも出来るが、そのまま居座られでもしたら困る。でも、このまま放っておくわけにもいかないだろう。

「ああ。一晩だけなら。友人と二人暮らしだけど紳士的な奴だから心配ないよ」

 少女の顔がぱっと明るくなった。

「よかった。あなたはリルケを助けてくれた人だもの。全然心配なんかしてないわ」

 少女は犬を抱え、先に立って歩き出した。

「あたしはシャロンっていうの。よろしく。それから、もしいい私立探偵を知ってたら紹介してくれない?」

「ああ、知ってるよ。とびきり優秀な探偵だ」

 こいつは面白いことになりそうだ。レイは髪を掻きあげて軽く笑みを浮かべた。



  ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



「やあ、おはよう、ケント。彼女を連れてきたよ」

 レイは鮮やかな金の髪を靡かせながらドアを入ってくると、とびきりの笑顔で挨拶してきた。片手には派手な色のキャリーバッグを持っている。

「まあ、ひとつよろしく頼むぜ、ケント」

 デビィは少し元気のない声だ。

「シャロン・ラングレーです。よろしく。この子はリルケ」

 白い小さな犬を抱いたとびきりの美少女が俺に向かって細くしなやかな右手を差し出してきた。


 俺の名はジョーク・ケント。プライベート・アイだ。小さいながらも探偵事務所を営んでいる。残念ながらナイスバディでセクシーな秘書はいない。依頼される仕事はいなくなったペットの捜索から、かなりヤバい仕事まで。警察の連中とは結構懇意にしている。というのも、優秀な俺はあいつらの為にかなり協力してやっているからだ。奴らは裏社会が関わったヤバそうな依頼ばかりしてくるが、それはまあ俺が仕事が出来る男だからだ。そう、断じて自分達が危険な目に遭いたくないからじゃないさ。そうとも。


 朝の九時。俺にとってはまだ早朝という時間にいきなり電話を掛けてきて、依頼人を連れてやってきたのは友人のデビィとレイだった。ヴァンパイアのレイと同居しているデビィは訳あって意志を持ったままゾンビになったのだ。彼は時折、食人衝動に苦しむ以外は普通の外見は人間とまったく変わらないが、かなりの女好きだ。レイはゆったりしたグレーのポロシャツの襟を開けて、母親の形見だと言う赤い石のネックレスをつけている。デビィはドクロの絵柄の真っ黒なTシャツだ。俺はと言えばくたびれたワイシャツにネクタイ。まあ、これは仕事着だから仕方がない。

 犬を抱えた美少女とレイをソファに案内すると、俺はデビィを部屋の隅に引っ張っていって小声で囁いた。

「よく食わなかったな、デビィ」

「おい、言っとくが俺は紳士だ。それにレイがいるのに手を出せるわけねえだろうが」

「それは、あれか。レイが嫉妬するからとかそういうことか」

「そうじゃねえって、何度言ったら判るんだよ!」

 そうなんだ。この二人はもう十年以上も同居しているらしいが、その関係は友人以上のものではない。だが、男ではあるが、そこらの美女を軽く凌駕する美貌の持ち主であるレイと同居しながら、何の感情も湧かないこと自体が俺には不思議だった。いや、別に俺はゲイでもなんでもないが、レイには人の心を惑わせる妖しさがあるのだ。

「それはともかく、昨夜、レイが助けたとかいうあの美少女は何者なんだよ?」

「助けたのは犬だ。彼女は資産家、ラングレー家の一人娘らしい。後は話を聞きゃあ判るよ」

 レイは今朝の電話で昨夜起こった事の顛末と、これからその子を連れていくとだけ伝えてきた。よりによって俺がのんびりとインスタント・コーヒーを飲みながら新聞のゴシップ記事を優雅に読み始めた時に、だ。

「おい、お前ら、もしかしてこの依頼に首を突っ込むつもりなのか? 俺の仕事だぞ?」

「ああ。俺は乗り気じゃねえんだけど、レイが興味を持っちまってさ。退屈しのぎになるとか何とか。まあ、とにかく話を聞いてやってくれよ。俺達、報酬を横取りしようとか考えてねえからさ」

「当たり前だ。俺の依頼人だぞ!」

「ねえ、探偵さん。あなた、仕事を引き受ける気があるの?」

 痺れを切らしたのか、美少女から辛辣な言葉を浴びせられた俺は、急いでソファのところに戻り、彼女の正面に腰を下ろしてテーブルの上で両手を組んだ。

「さて、それでは話を聞かせてもらえるかな? べ……、シャロン」

 ベイビー、と言いかけて慌てて言い直す。シャロンはふっと寂しそうな笑みを浮かべた。

「いいわよ。本当はあたしもあまりのんびりしてられないの」

「下の通りにコーヒーショップがあったな。コーヒーとドーナツを買ってくるよ。ここには安いインスタントコーヒーしかないからね。シャロンは何がいい?」

「オールドファッションをお願い、レイ」

「ふん、悪かったな。節約してるんだよ!」

 レイはちょっと悪戯っぽい笑みを浮かべて俺を見た。

「だから、俺が奢るって言ってるんだよ。ドーナツは? ケント、デビィ」

「何でもいいよ」

「俺も」

まあ、ほんとはレイが淹れてくれるコーヒーが一番美味いんだが、贅沢は言えない。


 レイがドアから出ていくと、シャロンはリルケの頭を撫でながら話し始めた。


 以下は彼女が話した内容だ。

 

 ラングレー家はシルバークロス・タウンに居を構える資産家で、かなり有名な出版社を経営している。最近は日本のコミックの出版などを始めていて景気がいいらしい。

 シャロンの実母は二年前に病気で他界し、昨年、父のブライアン・ラングレーが再婚して新しい母親、アンナがやってきた。彼女のシャロンに対する態度は初めはとても優しかった。だが、一か月前、父親は出張先のフランスで強盗に遭い、命を落としたのだ。犯人はまだ捕まっていない。(この事件はニュースになったので俺も知っていた)その後、アンナの態度は一変した。それまで屋敷に仕えていた使用人を全てクビにして新しい使用人を雇い、地元のハイスクールに通っているシャロンを全寮制のイギリスの学校へ転校させるように画策しているらしい。もちろん、彼女は拒否している。


 そして、数日前、ラングレー家の弁護士から父親の遺書が公開された。ラングレー家の地下には特別注文で作らせた金庫がある。そこには屋敷と別荘の権利書や、証券類、多額の現金、通帳等、財産の大半が収められている。金庫を開ける為には八桁の暗証番号が必要で、その数字はブライアンだけが知っていた。だから彼以外の誰も金庫を開けたことはなかったのだ。

 その番号は今、広い屋敷の何処かに記されている。それを見つけて金庫を開けることが出来た者には、この家の全ての財産と出版社の会長の座を与える、というのが遺書の内容だった。その日から、義母は使用人を使って必死で屋敷の中を引っかきまわしているが、いまだにそれらしい番号は見つかっていない。シャロンも彼女に財産を取られたくないので、自分で家の中を捜しまわったが、やっぱり一人では無理だと思い、探偵を雇おうと昨日、家を出てきたそうだ。


「そういうわけで、これからすぐに屋敷に行ってその番号を探してもらいたいの」

「そうか。そういうことなら喜んで引き受けさせてもらうよ。ええっと、必要経費は」

「ああ、今はあんまりお金を持ってないの。仕事が終わったら、必ず払うわ」

 シャロンは涼しい顔をしてそう言ったが、もし母親側が番号を見つけてしまったら、一セントももらえないということも考えられる。まあ、俺は優秀だから、絶対に番号を見つけてみせるけどな。

「で、その弁護士ってのはどうなんだ? 母親の味方なのか?」

「いいえ。彼は古くから家の財産の管理を任されてる人だし、あくまで中立の立場を取っているの。でも、彼はアンナをいい母親だと思ってるし、あたしをまだ子供だと思っている。探偵を雇うと言ったって相手にしてくれないわ。だから、私は自分で雇うことにしたのよ。もっとも、あの女は彼を嫌ってるから、きっと財産が手に入ったら、違う弁護士を雇うんじゃないかしら」

「そうか。それじゃ、すぐにでも仕事にかかったほうがいいな」

「ええ。それからレイとデビィにも来てもらいたいの。だって探す人数は多いほうがいいでしょ?」

 彼女は横に座っているレイに微笑みかけた。少し頬を赤らめているように見えるのは気のせいだろうか。

「そういうことなんで、俺達も同行するよ、ケント」


 俺は町の郊外にあるシャロンの邸宅へと車を走らせた。同乗しているのは美少女と犬とヴァンパイアとゾンビ。たいしたパーティだ。大きな鉄製の門扉を潜る。まっすぐに伸びた道に沿った庭はよく手入れされた芝生で覆われている。やがて大きな池と噴水の向こうに現れたのはホワイトハウスみたいな豪邸だった。俺は屋敷の少し手前で車を停めた。

「さて、屋敷に行く前に一応確認しておくが、番号の捜索が始まったのは一昨日前からだね?」

「ええ」

「これだけの広大な屋敷だと、ちょっとやそっとじゃ見つかりそうもないね」」

「そうね。部屋数も多いし、そのぶん置かれている物の数も膨大だし、そう簡単には見つからないと思うわ」

「……シャロン。君のお父さんってどんな人だったの?」

 俺は単にあんな妙な遺書を作る人物はどんな奴なのか知りたかったのだ。

「パパは凄く優しくて真面目で、とにかく立派な人だった。誰からも愛されていたわ。それからミステリ小説が大好きだったの。書斎にある本のほとんどはミステリよ」

「なるほど」

「ああ、ひょっとしてあの遺書のこと? 普通じゃないでしょ? あれはたぶんジョークで作ったのよ」

「はあ?」

「去年の十一月の半ば頃だったかな。パパ、新しく遺書を作ったって言ってたの。ちょっと趣向を凝らしてみたんだって、何だか子供みたいに得意満面だったのを覚えてる。でも、いずれ書きかえるとも言っていたわ」

 と、いうことは彼にとって、遺書を書くことは一種のお遊びだったのだろうか。まさか、それが本当に開封されることになるとは夢にも思わなかったに違いない。彼はアンナもシャロンも同じくらい愛していたのだろうし、どちらか一人に全財産が渡るような遺書なんて、ほんの気まぐれで作ってみただけだったのだろう。

 ……いや。果たしてそうだろうか。彼は妻が実は財産目当てで娘を嫌っていることに気が付いていたのかもしれない。いや……ひょっとしたら自分の命の危機さえ感じていたのかもしれない。しかし、もし離婚を要求すれば莫大な慰謝料を取られるし、娘に全ての財産が残るような遺書を書いたら、妻は必ず裁判を起こして自分の分を要求するだろう。だが、あの遺書ならどちらにもチャンスがあるし、それを承知で捜索に参加していれば、もらえなかったほうが後から文句をいうことは難しい。だとしたら、彼は娘により多くのチャンスを与えるのではないだろうか。

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